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神さま仏さまの復興-被災文化財の修復と継承-展

2014-01-10 21:40:17 | 展示会鑑賞

 先日、東北歴史博物館の「神さま仏さまの復興/被災文化財の修復と継承」展を見てきた。文字通り震災復興祈念特別展であり、思った以上に見応えがあった。この特別展を博物館のHPではこう紹介している。

東日本大震災により、宮城県内の文化財も甚大な被害を受けたものが少なくありません。現在、復興事業の一環として、これらの修復が進められています。
 この特別展は、修復された文化財のうち神像や仏像などに特に焦点を当て、修復された姿を公開するとともに、文化財を修復することや未来へ引き継ぐ意義について考えていこうとするものです。文化財を未来へ引き継ぐ理由はいくつかありますが、この特別展で公開される神像や仏像などについて言えば、これらは永らく地域の心のよりどころであり、地域の歴史を背負った存在でもあります。
 作られた当時はもちろんのこと、今日まで伝えられてくる間には、さまざまな困難に直面しながらも積み重ねられた地域の歴史があったはずです。この特別展がその歴史をふり返り、復興へと歩む地域にあらためてまなざしを向けていただく機会となるよう願っています。

 会場内は2章構成となっていた。第1章「ふるさとの美しい風景と人々のいとなみの記憶」では、1852年に仙台藩13代藩主・慶邦が仙台から沿岸部など領内を旅した際、同行の絵師が描いた絵巻が展示されている。第2章「大震災から復興を遂げる神さま仏さまのすがた」こそ、震災後に修復された神像・仏像の展示の他、修復作業の意義や工程を写真パネルで紹介されている。
 第1章の絵巻は当時の宮城県の風景や風俗が伺える貴重な資料でもあるが、絵としても優れていた。描かれている海沿いの風景は今ではかなり様変わりしているはず。また、腰みのを付けている漁師が描かれていたのは面白い。

 今回の特別展で、「文化財レスキュー隊」という団体が修復作業に尽力していたことを初めて知った。会場の入り口ちかくに展示№17の「地蔵菩薩坐像」(地福寺(気仙沼市)所蔵)が置かれており、万治2(1659)年頃の制作らしい。地福寺も津波の被害を受け、この仏像も津波に流されたが、奇跡的に回収されたそうだ。地蔵菩薩坐像は木造だが、単に真水で洗えば済むものではないらしい。
 他にも津波の被害に遭った仏像は多く、海の泥を落としてもカビが発生したりする。一旦仏像を台座や光背ごと分解、それから修復作業をしたらしい。実に根気のいる作業の連続で、地福寺HPにある言葉通り、「めげない、にげない、くじけない」精神が求められる。



 上の画像は特別展の目玉である展示№3不動明王坐像(重要文化財、大徳寺(登米市)所蔵)。制作は12世紀の平安時代、高さは2.75メートルにもなる。津波の被害は受けずとも激しい揺れで、この像の部材が著しくゆがみ崩壊の危機にあったという。倒壊により破損した仏像も多かったのだ。
 この不動明王坐像は大正時代にも、寺の火災で危うく焼失寸前だったことがあったそうだ。その時村の男たちが自力で像を搬出したという。大正時代の登米の人々を写した写真も展示されていたが、当時の人々の表情がまた良い。男たちの凛とした面構えは、今の日本人にはもう見られなくなっている。

 今回の特別展で、南三陸町田束山(たつがねさん)にかつて寂光寺という寺があったことを初めて知った。田束山寂光寺の出土資料から3点の鋳胴の仏具が展示されており(展示№23~25)、いずれも13世紀の鎌倉時代制作とか。南三陸町HPには画像付きで田束山寂光寺跡のことが載っており、「現在では山中の平場にその名残りをとどめるばかり」となっている。
 田束山寂光寺は奥州藤原氏滅亡後な荒廃するが、前より規模は劣るものの再建された。だが、それも永禄年間(1558~70年)のキリシタンの焼打ちで焼失する。九州でキリシタンが盛んに神社仏閣に放火していたのは知っていたが、東北、しかも岩手県にちかい宮城県内でもそれが行われていたとは愕然とさせられた。岩手県一関市の大籠地区は「隠れキリシタン」の里でもあったから、仏教寺院への焼打ちがあっても不思議ではない。これではキリシタン自身が焼かれたのも当たり前なのだ。

 文化財を後世に遺すことは人々の意志だけでなく、運にも左右される。天災や人災の他に気象条件の影響もあり、消滅しなかった文化財の方が稀だろう。文化財がのこっただけで奇跡的といえる。それを目にできるのは幸運なのだ。

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2 コメント

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日本復興!! (Alex)
2014-01-12 21:13:15
こんばんは、mugi様!

戦国時代、京都にキリシタンが存在したのは、知識として知っていましたが、東北にも存在したとは驚きですね、勉強になりました。その当時、今では考えられないほどキリスト教が日本中に広まっていたのかもしれません。

それでも、大切な文化財を失ったとはいえ、日本がキリスト教国にならなかったのは不幸中の幸いとしか思えません。もう少しでフィリピンのような東洋の最貧国に落ちぶれる寸前だった様ですね。結局は人間でも、国家でも、最後はオリジナリティー、つまり独自性が大事なんです。こう言っては失礼ですが、フィリピンて何がありますか?経済力はないし、資源もない、セブ島のようなリゾート観光以外、何もない。国名からして、スペインのフェリペ二世から由来しているし、人々の名前もサンホセ、クルス、サントスなどのスペイン風だし。メキシコやペルーのような南米と全く変わりないですね、駄目なところがそっくりです。白人、欧米人の言いなり、精神的な奴隷状態が・・・。

さて、もう少しで、阪神大震災の記念日を迎えますが、お体の調子はいかがでしょうか?僕も暇を見つけては、東日本大震災の復興の募金に励んでいるところです。周りの大人の人々に当時の状況を尋ねた所、東北を始め、多くの方々に復興の手助けをして頂いたそうです。それ故、何らかの形で、東北復興の手助けができればと、願っています。

実に腹立たしい事に、海外のマスゴミによれば、日本は現在、この様な状態だそうです。
http://shobony.com/wp-content/uploads/2013/09/20130918-1.jpg

世界の人々よ、見てろ!神戸が見事に復興したように、今度は日本中が復興してやる!
http://livedoor.blogimg.jp/j1bkk/imgs/d/5/d5ab2ad7.jpg
返信する
RE:日本復興!! (mugi)
2014-01-13 22:13:45
>こんばんは、Alex様!

 支倉常長がいい例ですが、戦国時代の東北でもキリシタンは結構多かったのです。西欧人宣教師は岩手県一関市まで宣教に来ていました。昨年末、クッキングホイルさんが拙ブログで、鋭い指摘をしています。
「確かに日本人は宗教に免疫がありません。日本人が宗教にハマると基地外になってしまう。これは仕方のないことかもしれません」

 順調な経済発展を遂げているアセアン諸国の中で、例外的にフィリピンがダメですよね。この分では遠からずミャンマーにも追い抜かれます。イスラム国のマレーシアやインドネシアも発展しているのに、フィリピンだけが取り残されているのはやはりカトリックの国だから?
 暫く前、マスコミが各国の女性の社会進出度の調査結果を取り上げたことがあります。フィリピン以下の結果の日本に対しで、それを批判する者もいました。しかし、海外に出稼ぎに行くフィリピンの女達は幸福でしょうか?雇い主から虐待や暴行を受けるフィリピン女性も多いのですよ。中東産油国にメイドとして出稼ぎに行った女性の待遇など酷いものです。それを知ってのことか、と言いたい。

 東日本大震災の復興の募金を有難うございました!私も阪神大震災の際、ささやかながら復興の募金をさせて頂きました。そういえば、今月17日は阪神大震災の記念日でしたね。こちらの震災が阪神と同じ日の同じ時間だったら?と思うと恐ろしい。3.11の14:46に起きたのが、せめてもの救いでした。
 仙台ではすっかり震災直後の余震も治まり、以前のような賑わいを取り戻しています。しかし、まだ立ち直っていない被災地も多いのです。津波のなかった神戸でも復活には10年を要したそうだし、こちらではさらに時間がかかるのは確か。

「エコノミスト」に限らず、英国のマスコミは侮日姿勢が基本ですからね。未だに上から目線で他国に訓辞するという植民地主義が続いている。ふと、私はあちこち穴の開いた袋を、絆創膏代わりにユニオンジャックでふさぐ絵を連想しました。
 ただ、日本経済ですが米国が金融策略を仕掛けおり、下手すると「2度目のマネー敗戦」になると予測されたブロガーさんもいます。杞憂であってほしいものですが…
http://79909040.at.webry.info/201312/article_1.html
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