中高年になると、若い頃に夢中になったミュージシャンの訃報に接することが増えてくる。米国のロックバンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストであるエドワード・ヴァン・ヘイレンがガンで死去したというニュースで昨日は落ち込んだ。享年65歳。70を過ぎても現役のロックミュージシャンが少なくない中、早すぎる死としか思えない。
私が初めてファンになった洋楽バンドは英国のポリスだったが、続いて夢中になったのがヴァン・ヘイレン。ポリスとヴァン・ヘイレンでは音楽の方向性は全く異なるが、どちらもお気に入りのバンドだった。
ヴァン・ヘイレンのメンバーではエディ・ヴァン・ヘイレンが好きだった。実は彼の卓越したライトハンド奏法などどうでもよく、とにかく顔が東洋人風で可愛かったから。当時まだ20代だったこともあり、ルックス第一のミーハーそのものだった。
ただ、同じ見方をしていた日本人ファンがいたことを何かのFM番組で知り、日本ではボーカルのデイヴ・リー・ロスよりエディの方が人気があったという。ギター少年なら見方は違うが、やはり顔は重要なのだ。イケメンだが金髪碧眼で胸毛ボーボー、いかにも外人然としたデイヴよりも、日本人にもいそうな顔立ちのエディに好感を持ったファンは少なくなかったはず。
そのため音楽雑誌刊行の写真集も買ったし、タイトルは忘れたが、ロックギタリスト10人へのインタビュー本も購読した。インタビュー本はエディのイラストが表紙を飾っており、確か'80年代半ば頃に出た本だと思う。
尤も肝心のエディへのインタビューは、特に面白い話ではなく期待外れだった。この本はとうに処分してしまったため、内容は殆ど忘れた。他の9人のギタリストの中にはクイーンのブライアン・メイがいた。当時の私はクイーンファンではなかったが、ブライアンのインタビューは今でも憶えている。
というのも、自らギターを作ったロックギタリストなど聞いたことがないし、売れない頃に数学の教師をしていたというエピソードだけで驚いた。ロックギタリストといえば、エディの様に酒と女に目がないパッパラパー のイメージが強く、大学院で学んだインテリは珍しいと思った。
エディはブライアンのソロ活動に参加したことがあり、'83年のミニアルバム『無敵艦隊スター・フリート』はその時の作品。有り難いことにアルバムの一曲「ブルース・ブレーカー」の動画もある。
改めて動画を見直すと、優男に見えてもエディの二の腕は結構たくましくて驚いた。『スター・フリート』で検索したら、「レッドスペシャルとEVHの考察」という記事がヒットした。ブライアンの自作ギター「レッド・スペシャル」は知られているが、エディの愛用ギター「フランケンシュタイン」は単にテープを貼っただけの派手派手な楽器ではなかったようだ。
「音のヌケが良く、パワフルで、ダイナミックで男性的なエディのフレーズに対して、ブライアンは、繊細、ソフト、フニャフニャ、女性的・・・という印象がある」という記事の一文は笑えたが、管理人は少年時代からのクイーンファン。
'80年代後半になると、デイヴ・リー・ロス脱退に伴う互いの非難合戦への幻滅もあるのか、いつしかヴァン・ヘイレンを聴かなくなっていた。新ボーカルのサミー・ヘイガーも悪くなかったが、やはりボーカルが変われば、バンドの印象も変わってくるのだ。
昨晩は私的に編集したヴァン・ヘイレンのベストアルバムと『スター・フリート』を聴いた。しかしエディの訃報を聞き、頭の中で鳴り響いていたのは代表曲の「ジャンプ」ではなく、サミー・ヘイガー加入後の初アルバム「5150」の一曲「ラヴ・ウォークス・イン」だった。こちらのライブ動画もアップされており、エディはキーボードを弾いている。
昔の曲を聴くと色々な思い出が浮かんでくる。エディは最高のロックギタリストだったが、彼の笑顔も飛び切り良かった。故人の冥福を心よりお祈りいたします……の類の月並みなお悔やみよりも、天国で思い切りロックしてね!と言いたい。
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