面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

多文化共生を止めよう

2021-12-01 18:23:41 | 日本人への呼びかけ
多文化共生とは

国籍や民族などの異なる人々が、文化的な違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと。

だそうだが、日本に来る外国人の文化をなぜそれほど尊重しなければならないのか。「郷に入っては郷に従え」が日本人の信条だ。国際社会や外国人に良い顔をしたくて多文化共生など掲げるべきではない。それでは「軒先貸して母屋を取られる」ことになる。

安倍晋三が移民を外国人労働者と称して受け入れを増やしたことから外国人はそれまでの倍にまで増え、総務省の2020年の国勢調査によれば274万7137人にまで増えた。

外国人犯罪は増えているし、文化的な違いから摩擦が絶えない。移民は新しい土地に行って新しい生活をしようと考える人達だからバイタリティーに溢れている。それは良いのだが、自分の権利に関しても遠慮というものがない。ぽやぽやしている日本人の権利が外国人移民に奪われてしまうのだ。

外国人参政権などはその最たるものだ。日本人になろうともしないのに参政権という権利だけは得ようとするのである。幸い自民党が強硬に反対しているから実現することはないだろうが、東京都武蔵野市のように外国人に住民投票の投票権を与えようとする自治体が出てきている。武蔵野市が初めての自治体ではなくもう数十の自治体でそのような条例が制定されてしまっているのだ。

武蔵野市の外国人参政権に反対する - 面白く、そして下らない

例えばムスリムの埋葬問題がある。日本は火葬だが、ムスリムは土葬を望んでいる。「多文化共生」という建前を掲げている以上無下にはできない。しかし土葬する土地があるのか。土葬で伝染病などの発生源になったりしないのか。「郷に入っては郷に従え」でムスリムにも日本で埋葬させる以上火葬させるべきである。

ごみ捨てのルールさえ守らせるのは容易いことではない。文化、常識が違うからである。だから移民受け入れに日本人の多数派は反対なのだ。「多文化共生」などという世迷い言を止めるべきだ。

総務省や自治体が中心となって多文化共生を推進しているわけだが、それに割く予算も人員も時間も無駄である。外国人が日本で暮らすなら日本の流儀に合わせるべきだ。つまり同化させるべきなのだ。外国人の文化を尊重するのは誤りだ。元々暮らしていた日本人が疲れるだけだからである。

以前貼った画像をもう一度貼るが、こうなってしまったら手遅れだ。もうどうしようもない。だから移民、外国人は受け入れるべきではないし、受け入れる少数の外国人には多文化共生などという良い顔をするのではなく、日本に同化させなくてはならない。









そもそも日本国民が多文化共生に賛成した覚えはない。自民党か官僚かわからないが、国際社会に良い顔をしたくて多文化共生を決めたのだ。全く戦後の政治家、官僚は内弁慶外地蔵で困る。

もはや多文化共生は多文化「強制」になっている。日本という國は先祖から伝えられてきた日本文化を子孫に伝えていかなくてはならないのだ。日本文化こそ保護するべきで異文化と対等の扱いをしてはいけない。

日本文化の振興に予算と人員と時間を割くべきなのだ。異文化を弾圧しろと言うわけでは無論ない。理解はすべきだ。無理解は否定、破壊に繋がる。しかし異文化との共生に予算と人員と時間を割くべきではない。

私は能や狂言、歌舞伎、落語、陶芸、俳句といった日本の伝統文化に理解が深いわけではない。若いという歳ではないが、それらを理解するにはまだまだ人間が熟成していないのだ。ただそれは時間の問題で50歳を越えれば楽しめるようになると考えている。

日本文化の守護者としておわすのが天皇陛下だと考えている。何より日本人の精神的な柱なのだ。ただ的はずれではなかろうが、これは私の解釈に過ぎない。違う解釈もあり得よう。

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