雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

「ワタシ」は「アナタ」じゃないから。

2006年12月21日 | それでもナントカ生きてます(日記)
「たとえば、誰かに告白しようとするじゃない?
 「あなたが好きです」って言うじゃない?

 そのときに、この状況を相手がどんな風に捉えるのか、判らないよね。

 その人は「好きです」って言葉自体に反応してくれるのか、
 「好きです」って言ったときの表情に反応してくれるのか、
 「好きです」って言った自分との関係に反応してくれるのか、
 「好きです」って言った自分への打算に反応してくれるのか、
 なにに反応してくれるのかが、判らないじゃない?
 
 そしてどこに反応してどんな言葉を返してくれるのか、
 その返された言葉はどんな意味があるのか?
 本気なのか、社交辞令なのか、打算なのか?

 そんなことを考えてしまうのが、凄くめんどくさいんだよ。」


久々に会った友人はかなり酔っていて、そんな言葉をふと吐き出した。

ある意味で考えれば、多分凄く馬鹿らしい事なのかもしれない。
だけど、これはある意味どこにも回答のない質問でもあるわけで。


「ワタシ」はどこまで行っても「ワタシ」でしかない。
一人称から抜け出すことは出来ない。

「ワタシ」は決して、「アナタ」にはなれない。

そこから全ては始まらなければいけないのだから。
「アナタ」がなにを感じてどう思ってなんて答えるのか、なんて、
どこまで言ったっていつになったって、わかるわけがない。

だから、「ワタシ」はいつも悩むし、疲れるし。
「ワタシ」は勘違いするし、妄想するし。

そして私は言葉をたくさん吐き出そうとしてしまう。

「アナタ」の思いはわからないから、
せめて「アナタ」に少しでも「ワタシ」の想いを伝えたくて。

どこまで行ってもたどり着かないゴールに向かって、
ゴールはないことぐらい最初からわかってるのに、
「ワタシ」は、「アナタ」に向かって走り続けなければならない。

だって、「ワタシ」は独りでは生きていけないんだから。

「ワタシ」と「アナタ」がいて、初めて「関係」が生まれる。
そこから「人生」は始まるんだと。


「関係」を続けるのは難しいし、めんどくさいよ。
「ワタシ」が放つ、「ワタシ」がそんなに意味を込めていない言葉で、
「アナタ」が深く傷つくことだってあるし、
「関係」がなくなることだって、不思議じゃないし。

だから、怖いよ。
アナタと「関係」を続けることが。
どこで切れるか判らないロープにしがみつくことが。

だけど、怖い以上に素敵なんだ。
アナタと「関係」を続けることは。
「ワタシ」だけでは経験することの出来ないものが沢山あるから。


そりゃ「めんどくせぇ」さ。
でも「めんどくせぇけど、おもしれぇ」でもあるんだよ。
だから生きていけるんだよ。


そんなことをずっと感じる師走の夜。
当意即妙が苦手な私は、友人にちゃんと答えることは出来なかったけど。
だけど、なんだかスッキリしている私がいる。

言葉は怖いけど、
「言葉は想いに足りない」けど、
言葉でしか伝えられない想いはある。

色んな想いを込めて、「言葉」を伝えることが出来る。

だから、私は「言葉」を使い続けるよ。
一生懸命「想い」を込めて。
身振り手振り表情も、表現できるもの全てを駆使して。
大変だけどさ。

だから、頑張れ。
みんな頑張れ。

「アナタ」への「ワタシ」のささやかな応援。
コメント (1)
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