雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

確かにこの内容で「三つ巴」はないと思うよ御大。

2006年03月04日 | それでもナントカ生きてます(日記)
と言うわけで、初日初回に早起きして並んで見に行ってきました。

「機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛」

勿論、限定版プラモデル「クリアーZガンダム」もしっかり手に入れ、
舞台挨拶も上映後でネタバレありありのなかなか面白い話続出。
頑張って行ってよかった…。


「星を継ぐもの」から約1年かけたZガンダムプロジェクトもついに完結。
制作発表されてからはもう3年以上もの長い期間が結実してしまいました。
そういえば、一番最初に「星を継ぐもの」を見たのは、
一昨年の10月の国際ファンタだったっけ。

「Z」と言えばタカピコくんだな、と、
彼を誘って朝一で見てきて、その後1時間ほど語りつくす。
それでもまだまだ語りたいネタは沢山あったのだけど。

とにもかくにも一番気になるのは、
第1弾以降ずっと言われ続けてきた「TVとは違う衝撃のラスト!」の真相。
ネタバレにならない結論から言えば、
そこにたどり着くまでの、クライマックスのセリフがほぼ総とっかえで、
そして完璧に結実して、終わりました。

すがすがしくて、優しくて。
確かにここにたどり着くために合計4時間半の、新たなる構成があったのだな、と。

新宿ジョイシネマの初回舞台挨拶の中で、
シロッコ役の島田敏さんが語ってた言葉が印象的でした。
(ちょっと私の意訳入ってますが)

「TV版は「ものすごく長い列車のようなもの」で、
 各車両(=各話)が連結されて最後まで延々連なってるのだけど、
 劇場版はヘリコプターに乗って、その列車を色んな角度から
 カメラでところどころ拾ってみてる感じですね。
 勿論TVと同じ場面もあれば、上からの角度もあるし、
 回りこんだ反対側から写してるところもあって、
 凄く3D=立体的な構成になってて、それが凄く面白かったです」


これ、劇場版「Zガンダム」の感想としては一番的確で、
一番ステキな表現だと思います。
私はこの表現に同調します。

だから、TV版「Zガンダム」をオンタイムで体験している人間としては、
まず劇場版を一見した段階だと、正直戸惑います。

勿論、51話の壮大な戦争叙事詩を4時間半弱でまとめるんだから、
思い切り良くバッサリきらなければなりません。
だから、どこに焦点を持ってくるか。

富野監督は、まず「あのラスト」になるために、構成を組んだと言います。
そうすると、出来る構成はただ一つ。

そう、これは「カミーユ基準」の物語となるべくして生まれたのです。
それもエキセントリックでどこにもいないような「カミーユ」ではなく、
どこにでもいる、少年としての「カミーユ」の基準で。

だから、正直、物語の展開としては早すぎます。
最初見ただけでは判りづらいんです。
TV版見てた私がそうなのだから、一見さんは特にきついでしょう。

だけど、3部作を「カミーユ基準」として一気に見ると、
コレが見事なまでにすっと飲み込めて、
しかもその帰結として当たり前のように「あのラスト」に繋がるのです。

コレは吃驚です。
富野御大、恐るべしです。

TV版の、親から愛されなかったトラウマから異常なまでに愛を求めて、
ついに破綻してしまったあのエキセントリックな少年の姿は、
劇場版にはどこにもありません。

そしてそう考えると、その端的な対比として、
カントクは「エマ・シーンとヘンケン艦長」のシーンを、
あそこまで丁寧に描いたのだと言うことが、
よぉくわかるのです。

富野御大、全くもって恐るべし。


と言うわけで、静かな感動に包まれた私は、
もう一度その構成の妙と、カミーユの心の動きをじっくりと味わうために、
もう少し落ち着いたころにでも、また見に行こうと本気でたくらんでいます。
今度は限定版プラモも買わないで大丈夫だから、
余計な心配なく映画を堪能できますからね。


「Zガンダム」が思い出になってる人も、トラウマになってる人も、
「ガンダム」は見たけど「Z」意向見てない人も、
「SEED」好きだけど宇宙世紀を良く知らない人も、

「少年の物語」としての「Zガンダム」を、見に行って欲しいなぁと、
心から願う次第です。

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