アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

ルル雑感

2009-10-04 21:39:49 | 演奏会評
アルバン・ベルク:歌劇「ルル」(ツェルハ補筆・全3幕)
09.10.4 14:00~ 於びわ湖ホール

指  揮 : 沼尻竜典
演出・装置 : 佐藤 信
照  明 : 齋藤茂男
衣  裳 : 岸井克己
音  響 : 小野隆浩(財団法人びわ湖ホール) 
舞台監督 : 牧野 優(財団法人びわ湖ホール)
管弦楽 : 大阪センチュリー交響楽団

ルル/飯田みち代
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢/小山由美
アルヴァ/高橋 淳
劇場の衣裳係・ギムナジウムの学生・ボーイ/加納悦子
医事顧問官・銀行家・教授/片桐直樹
画家・黒人/経種廉彦
シェーン博士・切り裂きジャック/高橋祐樹(黒田 博休演につきカヴァーキャストで上演)
シゴルヒ/大澤 建
猛獣使い・力業師/志村文彦
公爵・従僕/清水徹太郎
侯爵(売春斡旋業者/二塚直紀
劇場支配人/松森 治
15歳の少女/中嶋康子
少女の母 /与田朝子
女流工芸家/江藤美保
新聞記者/相沢 創
召使/安田旺司

 結論から言うならば、「沼尻竜典オペラセレクション」とされた一連のシリーズで、今回のプロダクションが最も高い完成度を示していた。歌手・管弦楽・演出それぞれが、極めて高いクオリティで融合するという、オペラ上演では決して多くない成功を収めたと言っていいだろう。
 ―具体的には、どういうことか?まず、各幕ごとに振り返ってみたい。
 第1幕。幕が上がると、舞台上には廃墟の一画としてしつらえられた、簡素な室内セットが目に入る。これは全幕通じて同様である。プログラムに掲載された「演出ノート」によれば、「廃墟のサーカス」というのが基本的なコンセプトであるらしい。これについては、私にはやや合点がいかないのだけれども、あとで詳述するように、演出は大いに満足の行くものであった。
 第1場では、ルルは白の衣装に身を包んで、いかにも爛漫な少女といった趣きで、飯田さんの舞台姿の美しさも引き立った。この人のタイトルロールは、ファム・ファタール妖婦として扱われることが殆どであるこの役を、寧ろ可憐な様子で演じてみせる。これが飯田さんの容姿や声の質に調和して、この大役を見事に歌いきった。高音、特にセリフ調の急な高音に時として苦しさを感じさせられはしたが、それも些細な瑕と思わせられるほどの、立派さ。この幕では第2・3場が白眉で、第2場での、画家を歌った経種さんの、純な情熱を感じさせる熱唱は、この役によく当てはまっていた。それから、―これは私が全幕通じて、一番衝撃を受けたところだけれども―第3場で、衝立の陰から、踊り子姿のルルが現れたときには、思わず息を呑まずにはいられなかった。上述のような、少女ルルから女ルルへの変貌。それを、ひと目で観る者に感じさせる飯田さんの姿。もちろん、衣装、照明、演出。この少女から大人の女性への変貌は、この場面が全幕中極めて重要な意味を持つことを物語る。ここに於いてルルは、それまで半ば父性愛を捨てられずにいたシェーン博士を、完全に自らの僕とし得るのである。そうしてまた、アルヴァは兄妹めいた感情の、ハッキリとした変化を感じずにはいられない…。前場でルルの処女性・少女性を描いて、ここでは妖婦への変貌を巧みに描いた演出の卓抜なる手腕に、まず私はとても感心した。妖婦ルルは、確かに一面ではあるが、あくまで全面ではないのである。
 沼尻さんの指揮は、いつもながらに艶麗の極地で、場面転換の音楽など、執拗に絡みつく愛撫の手のようであって、大変に充実した響きを引き出している。けれどもまた、前回のトゥーランドットでも感じたようにクライマックスの形成が下手で、クレッシェンドの頂点がもうひとつ決まらない。

 第2幕。第1場ではまず、1週間前にカヴァー役から昇格した高橋さんが、前幕終わり頃から調子を上げて、堂々たるシェーンを演じて見せた。それまでは、画家にも気圧される様子だったけれども。このシェーンに、甘えたり、あるいは突き放したりするルルを、やはり飯田さんは巧くやる。そうしてシェーンの殺害に及んで遂に、ルルは完全な妖婦へと変貌するのではないだろうか?彼女のそれまでの男漁は、あくまで「父なるもの」の探求であって、それはいつでもシェーンに繋がっていた。けれどもここで、ルルはその父性への憧憬を喪失する。後の凄惨な幕引きへのプレリュード前奏曲を、私はここに聴かずにはいられない。かねてよりのかかる私の解釈を、今回裏打ちしてもらったような思いがしたのである。
 第2場は、まず力業師とシゴルヒが、それぞれ力強い歌唱で、大変充実している。それから、今まで言及しなかったけれども、アルヴァがとても素晴らしい。いかにも芸術かぶれの御曹司といった様子。終幕へ向かって、真っ直ぐな情熱を高ぶらせてゆくあたりの迫力は、とても立派なものである。

 第3幕。これには先に、苦言を呈しておきたい。そもそもこの第3幕は、ベルクの没後、未亡人がシェーンベルクやクシェネクに補筆完成を依頼して断られ、その後一切のそうした活動を、固く禁じたものである。それをUniversal社が極秘裏に進め、夫人の死後一気に完成へと畳みかけたという、感心のゆかない事情が、横たわっているのである。―といったようなことは、もう周知の事実であるのに、プログラムに一言も触れられていないのはどういう訳だろう?このシリーズは、毎回多角的な視点から、論文はだしの充実した解説が並んでいるが、こういう肝心な曲目解説がなされていないのは、大いに問題がある。ともかくこういう完成の経緯もあって、私はこのツェルハの手になる3幕を、日頃聴かない。やはりこれは、前の2幕と、決定的に別の音楽なのだということを、感じずに入られないのである。
 そうしてこの幕は、内容的にも、ただ破滅に向かって陰惨な場面が繰り返され、殆どそれは目をそむけたくなるばかりである。ただキャストは、ここでも非常な緊張感を維持していて、特に最後の場面では、私は口の中がすっかり渇ききるのを感じながら、思わず息を止めんばかりに聴き入った。沼尻さんは、殊に打楽器の衝撃音を強調して、例えばルルの断末魔の叫びなど、身の毛もよだつほどの凄絶さであった。終幕後、暫く誰も拍手できずにいたのも、当然のことであったように思われる。

 ざっと各幕を概観したが、とにかく今回の名舞台は、充実したキャストと、有能な演出家を得たことによるだろう。私は日本のオペラが、ここまで高度な演劇性を有するに至ったことに、盛大な喝采を送りたい。演出の佐藤さんは、全く演劇畑の人だけれども、おそらく歌手たちに相当厳しい指導を施したのであろう。惰性というものの感じられない芝居が、確かにあった。音楽・演劇・文学が融合したオペラの、究極の形として、私は「ルル」位置づけたくなる。なにしろこの「沼尻セレクション」では、単なる思いつきのような傲慢な演出につき合わされてきたから、本当に嬉しく思っている。「廃墟のサーカス」というコンセプトは、私にはよく分からなかったが、ベルクは消え逝く19世紀へのどこかこの作品に託しているように思われる。1930年代、それはもう廃墟の中の道化でしか在り得ないものだったというのかしら?
佐藤さんの要求を見事に体現したキャストも、やはり6年前の上演を経て、更なる高次へ上ったと言えるだろう。全役ミスキャストというのが見当たらないオペラ上演も、頻繁にお目にかかりはしない。特に主要な役どころは、いずれも先述の如く大変な出来栄えである。取り分けて、ルルを演じた飯田さんの美しい舞台姿と澄んだ声は、繰り返しての賞賛に値するものである。
沼尻さんの指揮は、殆ど第1幕で述べたことがそのまま全幕に当てはまるが、こういった曲の雰囲気を醸成させては、天才的である。ただし、その音が深い意味を持たず、いつでもただ雰囲気として流れてゆくというのは、殆ど決定的な欠点であるように思われるが、事実に於いて私は、とても惹き込まれたのであって、こういう批判が正しいのか分からない。オーケストラ共々、鬼気迫る熱演を聴かせてくれて、このシリーズでは昨年の「バラの騎士」以来の出来栄えである。
ともかく、最初から最後まで恐るべき緊張感の連続であって、時間の経つのをすっかり忘れさせられたが、終わってみればまるでもう、深夜であるかのような気持ちであった。終演後のやや冷静な観衆の態度は、果たしてそういう呆然たる様から発したものであったのか…。
 余談めくが、終始舞台の後ろで、沼尻さんを移した白黒テレビが光っていた。あれは、単に歌手のためのものなのか。すると第2幕終盤で、急に画面が消えたのは、一体どういうわけなのだろう?

音楽批評について

2009-06-03 01:56:47 | Weblog
昨日、京大人文研にて「岡田暁生×片山杜秀 21世紀の音楽批評を考える」という、この斯界の寵児ともいうべき人気の-けれども私にとってはとても遠いところにいる-両氏の対談を聞いた。その批判的受容の一端として、今一度自身の批判に対する姿勢について考えておこうと思う。


批評というものは、音楽に限らず、究極的には個人の好みに還元されざるを得ないというのが、私の長い間の考えである。たとえ、10億人がモーツァルトを賞賛しようとも、私に少しも良さが感じられなければ、私にとってはモーツァルトは名曲ではない。
これは些か極端な例にしても、批判することさえ憚られるような名盤-カザルスのバッハだとか、フルトヴェングラーの第九だとか-を、どれだけ権威ある評論家が絶賛しても、どうしても良さは分からないと主張する人があるだろう。
それを説得して首を立てに振らせようとするのは容易ではないし、そもそも必要のないことだ。

評論家、批評家の仕事は、読者を己の感性の前にひざまずかせることではない。単に一人の人間の意見・感想の類を披瀝しているに過ぎない。突き詰めれば、それ以上でもそれ以下でもないことだ。
けれども、語弊を恐れずに言うなら、それがいつでも「感性の押し売り」とでも言うべき側面を胚胎していることは、看過してはなるまい。

そういう意識を持ちながら、如何に客観的に対象に迫り、そこに生まれた主観を言語化するかという矛盾に、私はいつでも苛まれる。ただやはり、私にとっての好悪は避け難く生じてくるのであって、それを偽らず記述するのが、実は対象に対しての客観的で真摯な姿勢につながると思っている。

その結果、読者が自身の意と反したとして不快になろうとも、それは批評家の責任とすべきでないだろう。(もちろん、これは表現に左右されうる問題だけれども)なぜなら、その読者個人の感性同様、批評家にも一個の感性があるのだから。それを滅し去る必要はないし、出来もしないことだ。この相違を受け入れられない人は、批評など読まないほうがいい。
私は自分の批評を客観的たらしめようとすることはないし、ましてや普遍性を持たせようなどとは思わない。客観的な事実に因りながら、生じた主観的な私の内的真実を述べるまでである。


すると、批評・評論の価値は、個人の感性の披瀝が、読者にとって何らかの発見、他者との相違を認めた時に生まれるある種の感動、につながることではないかと、私は思っている。

いつでも批評とは私的なものでしか有り得ないというのが、以上から推察頂けるだろう、私の認識の根本である。岡田・片山両氏は、その私的なるものを何とか表出させまいとするスタンスのようだが、繰り返しになるけれども、不可能なことだろうと思う。


その意味で、私にとってお手本は、やはり吉田秀和さんである。氏の批評は、かなり思い切ったことを書いているのに、不思議に極端な印象を受けない。それは、吉田さんの、例えば歴史意識など、対象の彼方をも見抜く鋭い眼差しが働いているからだろう。こうして批評は、独りよがりの呟きとはならない。
批評が私的なものの披瀝であることを、少しも隠そうとしないのは宇野功芳氏だが、宇野さんは思い余ってというべきか、しばしば読み手の領域を侵しかねない表現があって、私は疑問を感じることがある。


以上、ごく端的にのみ述べたが、これが私の根本にある、批評姿勢である。

過去の執筆原稿から② 「型の芸術」としての能 ~歌舞伎との比較を通じての小文~

2009-06-02 22:32:43 | 古典芸能
これも1回生のレポートとして提出したものである。当時筆者は歌舞伎>能の歌舞伎贔屓であって、能の専門家である教授があまりに歌舞伎をくさすので、やや反発的に認めたものである。教授は寛大にも「優」を下さったけれども。

その後、観世流の謡を実際習うようになって、ヨリ能に親しむところとなり、考えに少なからぬ変化は来たしているが、ここで呈したいくつかの視座は、今日でも尚、一層の考察の余地を残すものと思っている。
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能は、海外でも非常に評価が高いという。私は、この点に、一寸疑問を感じずにはおれなかった。能の文句は、所謂「古文」そのものだし、しかも独特の調子で謡われるせいで、日本人である私たちにさえ、刹那に理解することは容易と言えない。ましてや、それが海外の人々に理解されようはずも無いではないか。それが、私の積年の疑問であった。

けれども、稀代の名手に於いてさえ、その内容の委細を知らずに舞っていたという現実。それが意味するところは何であるか。即ち、能を鑑賞する人の多くは、そこに「様式美」を追求しているということではないか。「型」が、そこに於いては支配的なのではないか。そう考えると、上述の疑問にも合点がいく。「型」の魅力は、観る者を選ばぬであろう。
これは愚説に過ぎないが、「型」がその芸術性の源泉だとするならば、本質的な部分に於いて、能は「保守的」な芸術ではないだろうか。勿論、上演のスタイルに歴史的な変遷を経てきたとは言え、本質的な部分では世阿弥の時代から大きな変化を持っていないという気がするのである。
ヨリ具体的に言うならば、「隅田川」なり「道成寺」なり、歌舞伎と能を比べてみると分かり良い。私のつたない鑑賞によるものではあるが、能のこれらの演目は、無論各流派によっての差異は生じるとはいえ、どこか常にひとつの完成されたスタイルの上に成り立っているという気がする。それが結局、長い歴史の中で育まれてきた「型」とでも言うべきものであり、非常に高度に抽象化された芸の世界を形成する要因なのかも知れぬ。
歌舞伎はそうではない。性根やニンの捉え方は役者によって大きく変わるし、逆にそれが歌舞伎の魅力である。演出も、大きく変わる。歌舞伎に型が無いと言うのではないが、まさに「型破り」であったことから歌舞伎が発生しているという事実は、看過され得ぬものであろう。
歌右衛門の狂女は、息子を喪った女の哀しみを、切なく、また恐ろしく演じていた。しかし、能の「隅田川」に、そういった人間的な感情の発露が、どれほどにあるのか。無論、これは優劣の問題ではない。性質の相違を述べたいまでである。「面」は表情を変えぬのである。それは常に同様の「型」なのではあるまいか。
この歌舞伎と能という、日本の二大古典芸能の差は、一体どこから生まれたのであろうか。私は、やはり歌舞伎は本質に於いて世俗的なものであると思う。即ち、それは日々移ろいゆく「浮世」に立脚しているのであって、自ずとそこに流動的な要素を内在しているのではあるまいか。
能は寧ろ逆で、「夢幻能」が「現在能」以上に演目の主流であることにも証左されるように、そもそも現実的な社会から遊離したところで存在する芸術と言えると思う。
もはや紙面が少なくなってきたが、能が何と言っても、やはり支配層に愛好されてきた現実には、こうした根本的な部分の相違が、横たわっているのではないか。私は、この世俗を離れて「型」を求めることこそ能の在り方だと思うし、今後ファンが激増することは無いかもしれないが、滅びることも無いのが能だと思う。確固たる型を持つがゆえに、普遍的足り得るのである。

過去の執筆原稿から① マーラーとわたくし

2009-05-24 22:36:43 | 随想
過去に私が執筆した駄文を、時折転載してゆきたいと思う。

今回の「マーラーとわたくし」は、大学1回生の折にレポートとして提出したもの。今となっては拙さばかりが目立つが、敢えて改訂せずに、読者諸兄に呈することとしたい。

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「好きな」作曲家は?と問われると、まず「マーラー」と答えたくなる。ブルックナーの7番を偶然聴き、そして感動し、現在に至るクラシック好きへの道を歩み始めた者として、「ブルックナー」だと言いたい。しかし、どうもブルックナーへの思いは「尊敬」と言うに近い気がする。その点、マーラーはチャイコフスキーやブラームスと並んで、理屈抜きに好きな作曲家であり、就中、心から共感できる作曲家なのである。
 マーラーとの出会いは、ご多分に漏れず第1交響曲であった(以下、単に便宜上の問題として「巨人」という名称を用いる)。私がクラシックに目覚めたのは、中学3年生の秋だったけれども、その翌年、即ち高校1年の秋に(たしか9月だった)我が京都コンサートホールにベルティーニ/都響が巨人を引っ提げてやって来た。それを知ったのはちょうど前売り発売の当日で、たまたま京響の定期に来ていた私は有り金を叩いてS席を購入したのだった。今に比べると、まだまだクラシックについて無知であったが、ともかくこのコンビが本邦で最高のマーラーを奏でるコンビだという認識は、何故かあったのである。
 しかし、当時の私はマーラーに関心は一切無かった。その前売りを買って後も、暫くマーラーは聴いたことのない状態が続いていたように思う。件の演奏会が迫った頃、漸く「予習」の必要を感じ、あのワルターの名盤を買ってきたのであった。驚いた。それまで聴いてきたシンフォニーとは質を大きく異にする。今にして思えば、これはこの曲に接した当時の聴衆の印象だったのかも知れぬ。ただ、最も強烈な印象を与えたのは、ちょうど授業で取り上げられた第3楽章冒頭の旋律であった。例のコントラバスのソロ ―あの独特のぎこちなさを持つワルター盤のソロ― が始まってすぐ、「ん?」と思った。どこか聴いたことのあるメロディーである。1分と経たない間に「あ!」と声を上げずにはいられなかった。幼稚園の時によくやった、手遊びの一種の歌と同じ旋律だったのだ。「グー・チョキ・パーで、何作ろう?…」という遊びであるが、果たして全国的なものなのか、私には分からない。しかし、何人か、初めてこの曲を聴く友人に聴かせ、感想を聞いたところ、いつもこの旋律への驚きが返って来た。少なくとも京都では、ポピュラーな遊びであることは事実のようである。ともかく、すぐに解説を開いたところ、ボヘミア民謡だとある。京都の幼稚園の手遊びまでにボヘミア民謡が用いられているとは、大変な驚きであった。いずれにしても私はこのシンフォニーをたいそう気に入り、本番までに何度も繰り返し聴いて、演奏会当日を迎えたのであった。
 
 私の席は3列目のど真ん中、指揮者を間近に見られる席だった。開演間近の印象として、とにかく客の入りが悪かったことを思い出す。国内オケの演奏会だから、価格もS席¥6000程度だったし、しかもビックネームの登場だったのに、客入りはせいぜい7割程度ではなかったろうか。私の両脇も空いていた。
 チューニングが終わり、マエストロが登場する。思ったより小柄で、少し顔の赤らんだ、温和そうな人だと感じた。前プロは「さすらう若人の歌」。この曲については、「予習」無しで臨んだが、巨人の解説でメロディーの転用についての知識はあったので、なるほどなぁと思いつつ耳を傾ける。そんな状態であったから、演奏の良し悪しについてはよく分からなかったのだけれど、少しバリトンが硬いように感じたこと、カーテンコールの中、セカンド・ヴァイオリンの女性奏者が涙を拭っていたことが、今でも鮮明に思い出される。
 さて後半はいよいよ待ちかねた巨人である。第1楽章冒頭の神秘的な響きがホールを満たすや、確かに空気が一変した。他の作品にも実演で接して来た今日でも思うことだけれど、殊にマーラーの名演は、演奏中聴衆が文字通り「固唾を呑んで」聴いている。その反動であろう楽章間の開放感との対比に於いて、それはいつも如実に感じられる。ベルティーニのマーラーは決して情緒過多でも無ければ、ザッハリヒなものでもない。あくまでも作品の寄り添いながらも、実に巧みに指揮者の意志を聴かせてくれる、そんなマーラーである。一言で言うならば、そこには優しさが感じられる。マエストロの人柄なのかも知れない。そんなマーラーだから、第1楽章の、「さすらう若人」の旋律は、背中越しにでも微笑むベルティーニの表情が見えるようだった。実際彼は身体を旋律とともに揺らせて楽しそうに指揮していたし、実にのどかで、朗らかなカンタービレであった。しかし、ここぞというところでの彼の切れ味の鋭さを見逃すべきではない。第1楽章コーダの追い込みの激しさ、スケルツォのリズム感。いずれもマーラーと同時に現代音楽のエキスパートでもあるベルティーニらしい、鋭敏な感覚を思わせるものである。勿論今日の知識での分析であるけれど。
 
 何故か第3楽章の印象が薄いが、あの大編成オケのパワフルなサウンドの洪水である終楽章に、思わず仰け反りそうになったのは言うに難くない。本当にすごい迫力であった。そして何より強烈に記憶に焼きついているのは、曲が盛り上がるにつれてどんどん高潮していくマエストロの後頭部であった。先述したように、ちょうど真後ろで見ていたものだから、血管でも切れないかしらと本当に心配するくらい凄まじいものだったのである。最後の方は興奮していて、もう何がなんだか分からなかった。気がつけば「ブラボー」を叫び、立ち上がっていた。微笑みを湛え、何度も答礼に応じるマエストロ。ポディウムやバルコニー席の人々にも手を振って応える。後日、こういう彼のスタイルを、「聴衆への媚だ」とする評論を読んだが、不愉快以外の何物でもなかった。私は終演後、サインを貰いに行って幸運にも少し彼と会話する機会に恵まれたが、本当に人柄がそうさせたのだとしか思えない、そんな指揮者だった。未だに忘れ得ぬ、握手した時のあの温かい手の感触。それが全てを語っているように思われた。それは彼が世を去った今でも、変わらぬ思いである。
 
 今は、2番や9番の方が好きだけれど、やはりこの「巨人」は特別な意味を持つ作品である。しかし、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる指揮者ではない人々について言うならば、この作品へのスタンスは分かれているように思う。どこか距離を置いた客観的な部分を感じさせる演奏か、それとも全く演奏しないかである。ジュリーニなど、血気盛んなシカゴ時代に録音しているが、意外に大人しい。後者の例に当たる指揮者は、多くの場合、「巨人」の成立や書法に疑問を感じるという。直弟子であるクレンペラーを始め、朝比奈隆やカラヤンが挙げられよう。私はマーラーの音楽について、非常に私小説風なところがあると思う。朝比奈は「巨人」を振るのは「この歳になるとああいう音楽は恥ずかしくって」と語っているが、まことに赤裸々なマーラーの叫びが、あそこにはある。
 そういったマーラー作品のひとつの傾向を、言わばまだ多少未成熟の形で内包するのが「巨人」ではないか。と同時に、彼の音楽の持つ非西欧性・汎世界性の志向も既に見ることが出来る。具体的には、当時としては革新的だったであろうあの序奏に続いて、直ちに木管に提示されるラ-ミの下降四度のモティーフ。この四度の音程は、オクターヴ・五度・三度が音程の中心を占める西欧系の民謡よりも、ハンガリーやアジア系の民謡に多く見られるもので、作曲家の柴田南雄氏は、ここに非西欧・西欧以前との親近性を指摘する。続いてクラリネットで模される「カッコウ」の音も、例えばベートーヴェンの「田園」ではミ・ドと長三度の音程で示されるのに対し、ラ・ミの四度の音程を取っているのである。しかし同時に、全体としてはまだ伝統的な西洋音楽の形式に則っている。こういった点も、この曲がマーラーの作品のうちでまず一番にポピュラリティを獲得した所以であろう。
今ではマーラーのCDはそれこそ山のように買ってきたし、それぞれのシンフォニーについて、愛して已まない愛聴盤がある。またハーディング/東フィルによる「復活」、ゲルギエフ/ロッテルダムpoによる9番(涙を流すことさえ忘れるが如き凄演であった!)など、未だ脳裏に鮮烈な印象を焼き付ける名演にも立ち会った。しかし、私のマーラー体験は、いつまでもあの「グー・チョキ・パーで…」から始まっているし、またベルティーニの温顔と共にある。生涯忘れ得ぬ音楽体験というのは、そういうものなのであろう。


5/21 関西フィルハーモニー管弦楽団 第211回定期演奏会

2009-05-22 13:29:58 | 演奏会評
09.5.21(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
関西フィルハーモニー管弦楽団 第211回定期演奏会
指揮/小松長生 ピアノ/河村尚子 曲目:貴志康一/大管弦楽のための「日本組曲」より,ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調,バルトーク/バレエ「中国の不思議な役人」組曲 op.19

新型インフルエンザ流行に伴った公演中止が、クラシックの演奏会にも広がっているこのごろ、果たして開催されるのだろうかという危惧もあったが、楽団・ホールサイド、それから勿論客席も、マスクをつけた人々で活況(?)を呈した。

今回も、先月同様に管弦楽曲を集めたプログラム。それも、規模、演奏の難度ともに容易ならざる作品が並んだ。

まず、生誕100周年を迎える貴志の作品は、殆ど聴き手が恥ずかしくなるような、日本的な旋律を生のまま用いたものだ。けれども、その書法は実に瀟洒であって、土臭さというようなものを感じさせない。それは楽天的といっても言い過ぎではないかも知れないが、寧ろ、この作曲家が持つ平衡感覚の鋭さを、私は聴きたい。「ええとこのぼん」であった彼の、良い側面ではないかと思っている。
演奏は、手堅くまとめたという印象で、もっと思いきって表情を、―特に「道頓堀」などその名に相応しいくらいの―たっぷりつけてもよかった。

次いでラヴェルは、貴志との近似性を感じさせるピアノ協奏曲。この作曲家の持ち味である、目くるめくオーケストレーションの妙。そうして、淀みのない、次から次へと紡ぎ出される旋律。「どうして、こんな美しい音楽が書けたのだろうか?」と問わずにはいられない、あの第2楽章。どれをとっても、私の大好きなラヴェルという作曲家の、特に大好きな曲だ。
私は「左手の協奏曲」は幾度か実演に接していたが、こちらは初めてで、まず独奏とオーケストラのバランスが、レコードに鳴らされた耳には、随分異なって聴こえた。私は7列目に座っていたので、ピアノにはかなり近かったが、それでもオーケストラに埋没してしまうところが、少なくなかった。

それは、独奏の河村さんによるところも大きい。この人は、本質的にこの作品と相性を持たないのではないか。決して圧倒的なパワーで聞かせるという人ではないのに、全体としての弾き方がかかる「剛腕」流で、表情がいかにも一本調子だ。ベタ塗りの油彩画のようで、躍動感にも乏しい。それでも中間楽章は、思わず息を呑んで聴く、強い緊張感を維持していたが、弱音の繊細微妙な味わいは無く、どこか勘所を全て外してしまったような印象しか残らなかった。
オーケストラも、アッチェレランドすれば危うく崩壊寸前というところが少なくなく、冷やりとさせられた。

後半は、まず、バルトーク。前半とは打って変わり、相当の練習量が窺われる熱演であった。私はこの曲を、本当によく知っているとは言えないのだけれど、大きな破綻も無く、かといって事務的な仕事に終始したという訳でもない演奏で、指揮者の手腕の確かさを感じた。とにかく止め処のない凶暴な音楽の波が押し寄せてきて、聴き手はかなりの体力を消耗したろう。私はまだコンサートが続くということに、終了後、驚きさえ覚えたことであった。

コダーイは、まず選曲のセンスを評価するべきだろう。こうしてバルトークと並んで聴くと、同郷の盟友であったこの2人の、その作風の相違をはっきりと知ることが出来るからだ。
「ガランタ舞曲」は、まず冒頭の弦の響きから、並大抵ではない感情移入の激しさを感じる。この演奏会の中で、最も生々しい音が奏でられた瞬間であった。中間部などは、もっと軽快さを持ってもよかったように思うが、小松さんの誠実な、けれども情熱的なタクトに、オーケストラもしっかりと喰らいついたという気がする。東欧の音楽の持つ、どこか哀切な響き―それは、私たち日本人に特別そう聴こえるのかもしれないが―と、燃えたぎる情熱の音楽が、巧く描き分けられていて、素晴らしい出来を示していた。

ポリーニのリサイタルをめぐって

2009-05-13 02:11:51 | 演奏会評
はじめに断っておく必要があろうかと思うが、常は、新聞批評ほどの必要性を持ってではないけれども、些かなりとも演奏会リポートめいた役割を意識して拙文を認めている。しかし、今回は、かかる意識を敢えて排して、私が感じたことを、自由に述べてみたい。それが、殆ど、自分語りを、ひとりごちるような具合になろうとも。


私は、ポリーニを、今回初めて実演で聴いた。実のところ、私は、ポリーニの良い聴き手ではない。いや、かつては、嫌いなピアニストのひとりであった。
予てから、ポリーニの完璧無比な技術はもちろん評価していたし、それがもう、否応なく突き付けられる、ペトリューシカの3楽章や、ショパンのエチュードといった録音に敬意を表してきたつもりだ。
それでも尚、ポリーニは私にとって遠いところにいるピアニストだった。ベートーヴェンは、あまりに冷血な気がしたし、同じ作曲家のコンチェルトやブラームスのそれも、伴奏共ども、筋骨隆々たる立派さが、聴いていて辛かったものである。

そんな印象が改まり始めたのが、最晩年のベームと録音した、モーツァルトのコンチェルトを、聴いてからであった。私はそれまで、彼が、こんなに優しく美しいピアノを弾く人だとは、全く思っていなかった。

それから少なからぬ注意を、ポリーニに対して払い始めたところ、いよいよこのところの彼の深化を看過することは出来ないと、今回、決して安くないチケット代を支払って、出かけたのであった。


発売時は-これは、本当に腹立たしいことなのだが-、プログラムが未定であった。後日発表されたのが、この度のオール・ショパン・プログラム。既にチケットを求めた大半の人達が、狂喜したのではないかと、思う。

けれども、私は寧ろ、残念だった。率直に、ショパンを好まないからだ。後半のプログラムを占めたスケルツォ・マズルカは、殆ど私にとって聴くのが苦痛な音楽である。ソナタの第2番も、第3番と比べて、あまりに貧相な作品と、私は思う。
多分、発売前にこのプログラムが出ていたら、私は行きはしなかったろう。

ただ、断っておけば、何もショパンに限らず、私はピアノ独奏を進んで聴くことは滅多にない。独奏ピアノがフォルティッシモを叩き出しているのを聴くのが、耐え難いという人間なのである。


それでも、私はポリーニを実際に見て、聴くことに大変な期待を寄せて、当日を迎えたのである。


そして、結論のみを言うならば、ポリーニが、当今比肩する者を見出だし難いほどの、まごうことなき名手であると、痛感した。これだけ腕が立って、それでいて知的なピアニストが、他にあるだろうか。選曲、その繋ぎ方、全てが考え抜かれ、一部の隙もありはしない。それはもう、今日の演奏会の、どれか一曲を聴いてみれば、すぐに分かるというものだ。

けれども、それにも関わらず私は、最後まで歯痒い思いを拭い去ることが出来なかった。

-なぜ、ショパンなのか?

この演奏会に来た人を、大別すれば、ショパンを聴きに来た人、ポリーニを聴きに来た人、とし得るだろう。更に後者を、ポリーニの技術そのものを聴きに来た人と、彼が作品を通して何を語るかを聴きに来た人と分けてもよいかも知れない。
私はピアノ演奏技術には疎いし、ショパンは嫌いだから、最後に分類されるより他ない。

その観点で見れば、ポリーニの才覚は、ショパンの音楽を超えている。ポリーニという人が、どういうピアニストであるのか、知ろうとするほどに、ショパンの作品が桎梏となる。

先述したポリーニへの賞賛の気持ちが、ショパンがいかにつまらないかという気持ちに、すっかり押しやられてしまったと言えば、果たしていかばかりの反論を浴びるだろうか?

事実に於いて、演奏会は空前の大成功を見た。まるでトースターからパンが跳ね上がるように、スタンディングオベーションが広がり、関西では、朝比奈さんが亡くなって以来、こんなことは初めてではないかと思う。
アンコールの、「革命のエチュード」、バラード1番となるに至り、会場は凄まじい熱狂に包まれていた。
確かにバラードは凄絶で、穏やかな開始と、次第に熱を帯びて行く、そうして最高潮に達したときの、地を揺るがすばかりの迫力。しかしそれは、私の「強奏嫌い」を消し去るように、あくまで豊かな響きを持っており、全く力付くという印象を与えはしないのである。

これは、全体についても、言えることだ。他のピアニストと比べては、mp以上の音量で、ポリーニは始終演奏しているような具合だが、あれほどうるさく響かない最強音を、私は初めて聴いた。
音楽は些かの澱みもなく、流れる。英雄ポロネーズなど、物足りなさが残ったくらいだ。こういうショパンは、あるいは情緒的なショパン演奏を求める向きには、食い足りないかも知れない。ソナタも、それがかえって、せわしなく感じられた。

けれども、私が今回の白眉と感じたのは、直前で追加された、ノクターンの2曲である。特に変ニ長調が。ポリーニが、あんなにも美しくて、優しいピアノを奏でる人とは、先のモーツァルトを聴いても尚、想像出来なかった。しかし、その演奏は一抹の寂寥感を漂わせている。いつも、どこか寂しげなのである。それは「ギリシア彫刻」「アポロ的」などと一般に比喩されるポリーニ像では、まるで指摘されないものだ。慈愛に満ちた微笑みと、寂しげな横顔-いかにも突飛で、牽強附会の謗りを免れ得ないであろうが、私はあの、「生きる」での志村喬を、ふと思い出したりもした。

彼はずっと、その恵まれ過ぎた技術故に、批評家筋から揶揄されてきた。ディースカウ同様、「うますぎる」などという批判が、甚だ無意味であることは言うまでもないが。
けれども彼の演奏が、かつて確かにテクニックの披瀝のようにしか感じられなかったことも事実である。しかし、いよいよかかる繊細微妙な表情を、その演奏が帯びて来たことにこそ、傾注すべきではないのか。

私はノクターンを聴いてしきりとそう感じたが、ショパンの音楽では、技術の妙ばかりが先立ちすぎて、こうして表情のうつろいが、浮かび上がって来ないのである。そこに私は、ショパンの限界を指摘する。これはもとより、その音楽の優劣を言うのではなく、ポリーニへの適性を言いたいのだ。

殆ど感情的な言い方をすれば、いい加減にピアニストはショパンを弾くという図式から、もっとたくさんの聴き手は抜け出すべきだ。おそらく、このオール・ショパン決定の背景には、様々な音楽以外の事情が絡んでいるのだろうが、その中でポリーニは最大限自分の主張をしてはいる。けれども、これは、日本の聴衆が蔑まれていると言えるのではないか。名手がショパンを、完璧な技巧で弾き切れば、熱狂をもって讃えるという人たちが、あまりに多くはないだろうか?
無論、何を以ってその演奏家の魅力と為すかに決まった基準などありはしないが、少なくとも、ショパンの音楽は、技術以外の、ピアニストが、音楽を通じて自己の何を表出しようとしているのかを聴き取ろうとする時には、あまりに不十分なところが、多い。彼の音楽は、多くの人が思うよりも、形式への志向が強い。そうしてまた、歌謡性が、前進への抑え難い思いに疎外されて、そのロマンティシズムに断絶が生じている場合が少なくない。
そんな中で、ノクターンは、彼の感情が、実は割と素直に書かれていると、私は感じる。マズルカもスケルツォもバラードも、ロマンティシズムと形式へのこだわりに引き裂かれている。例えばシューマンのような、ある種の開き直りのようなものが、もっと必要だったろう。

上述した、ポリーニの演奏がもつ流れの良さと、表情の微妙な明滅とを考え合わせれば、私はやはりモーツァルトが聴いてみたい。バッハ、ブラームス、モーツァルトのプログラムなど、私はいま、ポリーニで1番聴きたい。コンチェルトなら、ラヴェルも、あの第2楽章を想像して、居ても立ってもいられなくなる。

果たして、こうした、ショパンに比べると大人しいプログラムで、人々はどれほど熱狂したろう?あるいは、無名の若手ピアニストが、全く同じ演奏をしたとして、同じ喝采を浴びたろうか?この矛盾した2つの問いに、どう答えたものだろうか。再現芸術としての音楽への接し方を、改めて考えさせられずにはいられない。

ともかく私にとっては、満足感と著しい不満とが、併存する結果となった。

初めから少数派、終わっても少数派であろうか?

都をどり・鴨川をどり雑記

2009-05-06 01:05:55 | 古典芸能
去る4月28日、5月1日に、それぞれ都をどり、鴨川をどりを見物してきた。これは毎年のことであって、まさに京の年中行事であって、私たち京都の人間は、都をどりで花開く春を実感し、鴨川をどりの幕開けとともに、夏の予感を覚えるのである。

さて、都をどりは京の花街中、最も多くの芸妓舞妓を抱える、祇園甲部の出し物。従って、鴨川をどり・京をどり・祇園をどり・北野をどり、いずれよりも規模が大きく、勢い、華やかな催しとなる。そこへ来て、今年はNHKのドラマの影響だとかで、例年に増しての盛況を呈し、観光バスが幾台も乗りつけて、まさに立錐の余地も無い賑わいであった。

そんな次第であったから、平日の昼間の公演というのに、1階席ではあったか、殆ど最後部の端を宛がわれるところとなった。

さて、「よーいやさ」の掛け声と共に、芸妓衆が舞台にずらりと並べば、さすがに艶やかで、客席はため息交じりの歓声に沸く。演目は、これも例年通りと言ってよいか、京の四季をテーマとした舞踊である。今年は、間に義大夫で「野崎村」が入り面白く見た。
ただ、地唄が全体に不調で、例えば昨年見た「三人の会」(甲部・先斗町・宮川町、最古参の名妓共演による舞踊会)に比べては、あまりに貧弱と言ってよく、この道の愛好者には残念であったろう。肝心の舞踊も、実のところ、さほど強い印象は受けやしなかった。
お茶席の立て出しもひどい点前であったし、いよいよこちらは観光行事と成り切ってしまったのであろうか。


一方、鴨川をどりは、茶席は付かなかったけれども、御招待ということで、5列目花道横の好座席。細かい足捌きなども間近に見られて、楽しんだ。
さて、鴨川をどりは、前半は舞踊劇を置く。演奏がテープによるもので、これはいかにも残念なのだけれど、毎年-出来不出来が甚だしいが-趣向を凝らしたもので、こちらを楽しみにする京童も少なくない。昨年は、些か退屈さを禁じ得なかったが、今年の「艶競女歌舞伎」は、筋も考えられていて、随分面白かった。
後半は、都をどり同様、京の四季による舞踊。まず、春の先斗町に舞妓衆が並んで華を添える。「どうどすえ」の声に、思わず客席も微笑みに満ちたことであった。
私の知る市乃ちゃん(「はん」と言うべきかしら)も出番の組で-この人はとてもタッパがあるので、実に際立つ-、楽しんで、見た。
加えて、私は初日の最初の公演を見たので、即ち1組であるが、先述した「三人の会」のひとりである、来葉さんの出番に当たり合わせたのは、まことに幸いであった。他を圧倒する、貫禄の踊りである。とにかく絶対的な安定感が、確かにありながら、手先足先の所作が、実に自然でしなやか、失礼ながら「それなりのお齢」には違いないが、思わず見惚れる、さすがの上手さである。

地唄も甲部より数段上を行く。むろん、あちらは芸妓衆が謡う訳だけれども。私が見た組では、もみ蝶さんを、三味線でみた。


かかる次第で、今年は鴨川をどりが遥かに素晴らしい舞台を見せてくれた。華やかというよりは寧ろ、粋な印象が、強い。平日は多少の空席もあるようだし、関心のある読者諸兄はぜひお運びを。

余談ながら、パンフレット冒頭の辞で、市長が「鴨川をどりが始まらんうちは、春という感じがしない」というような旨、認めていたが、私が冒頭述べたように、5月という時期からしても、鴨川をどりは夏の到来を告げるものとして、私たちは普通、捉えている。京都という土地柄で、こういうことを書くというのは、言葉を選ばず言えば、恥を曝す以外の他では無い。私の遠縁にあたる、かつての富井清市長は、自身尺八の大家であった。また、高山義三市長の、並々ならぬ芸術への情熱無くして、京都市交響楽団は生まれ得なかった。京都市長たる者、一層の深い文化理解を求めたい。

関西フィル第210回定期演奏会

2009-04-29 22:47:51 | 演奏会評
サン=サーンス:死の舞踏
ラロ:チェロ協奏曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲/ラ・ヴァルス

独奏:堤剛
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
指揮:藤岡幸夫

於ザ・シンフォニーホール


新年度、まずワーグナーの名演奏を聴かせてくれた関西フィルであったが、今回はフランス物中心の、プログラム。今年の関西のオーケストラの定期演奏会プログラムを眺めてみると、このように管弦楽曲を幾つも取り上げるというものが、多い。
私は、こういう趣向の演奏会で、最後まで高い完成度で以って聞き手を引き付けるのは、容易ならざる業と感じているのだけれども…。


さて、はじめのサン=サーンス。私はこの作品、この作曲家のいい聴き手では、ない。実のところ、少しもその真価というものが、分からずにいる人が、サン=サーンスだ。
よって、日常この曲を聴くということは、全く無い。昨夜思い立って久しぶりに聴いた次第。
確かに才人の筆であり、短い中に実に様々な仕掛けが施されていて、その意味に於いて飽きさせない作品であろう。演奏も、過度に小さくなり過ぎず、エネルギッシュなものであった。コンマスの独奏は、やや大人しく、もっと遊びが欲しい。


2曲目のラロは、「スペイン交響曲」を以って音楽史に名を刻んだこの作曲家の、もうひとつ、比較的演奏機会に恵まれた作品である。
とても、渋い曲。ハバネラの軽快なリズムなど、表情の変化に富んではいるし、和声の変化も面白いものであるけれども、些かオーケストレーションも不器用なもので、聴いていて、もうひとつ歯痒い。
堤さんは、地を揺るがすが如き轟音も、絢爛華美な美音も、売り物にしていない人だけれども、実に誠実で、自らの裡にほとばしる情熱を、収斂してゆく。それは、曲想に一致していて、例えば彼がドヴォルザークを弾いている時などとは異なった、不思議なオーラとでも言うべきものを感じたことであった。
ただ、オーケストラがそれに満足なサポートを付けきれていなかった。指揮者共々、おしまいまで手探りのままであったように思う。第2楽章などは、堤さんも生真面目に過ぎて生硬だし、バックとの齟齬が、いよいよ際立った。



休憩を挟んでのラヴェルは、藤岡さんの希望により、初めにダフニスとクローエ組曲。後半に、ラ・ヴァルス。私には、首肯しがたい順番だけれども。

ダフニスとクローエは、中庸からやや遅めのテンポで、じっくり開始される。20世紀最高のオーケストレーション能力を持ったラヴェルの、絢爛たる音の洪水。それを再現するには、例えば木管の技量などに、未だ高いハードルを感じずにはいられない。「夜明け」「全員の踊り」のように、トゥッティによるフォルティッシモで、聴き手を圧倒しているうちは良いが、「パントマイム」では指揮者も緊張感を維持し得ないし、オーケストラも極めて散漫なアンサンブルを露呈していた。

後半のラ・ヴァルスは、藤岡さんにとって随分思い入れがあるようであったが、残念ながら演奏からそれを感じることは出来なかった。ダフニスとクローエと、およそ同様の批判が当て嵌まるであろう。


藤岡さんの良いところは、好きな曲を、実に好きでたまらない風に演奏することだと思っている。けれども同時にそれは、ともすれば全体の見通しを欠いた、勢い任せに終わりがちである。その悪い方が今日は勝ったと言うべきだろうか。さすがにラヴェルには限界を感じずにはいられなかった。

3/27 第209 回関西フィル定期

2009-03-28 02:29:14 | 演奏会評
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
楽劇「ワルキューレ」より第一幕(演奏会形式)

ジークリンデ:畑田弘美
ジークムント:竹田昌弘
フンディング:木川田澄

関西フィルハーモニー管弦楽団
指揮:飯守泰次郎
於ザ・シンフォニーホール


まず、率直に言えば、日本で、全てが日本人による上演で、これほどまでのワーグナーを聴けたことに-語弊を恐れずに言えば-、驚きに近いような感動を覚えた。朝比奈隆による「ニーベルングの指環」全曲上演から、遂に本邦のワーグナー演奏も、このレベルに達したのである。

飯守さんのワーグナーは、何しろバイロイトで20年以上もキャリアを積んだ人であるから、今までから、指揮する度に話題になっていた。手兵の関西フィルとも、ヴァイクルとの共演に続いて、昨年200回の定期演奏会の記念に、万を持してリング抜粋を取り上げて、喝采を浴びていたものである。

私はいずれも会場で聴いたけれども、実のところ、甚だ散漫な印象しか持てずにいる。オーケストラも歌い手も、飯守さんとある種の齟齬を抱いたままであるように、思った。響きも、私は周囲の評価以上に、軽いものだと感じたことであった。

その意味に於いて、今回の演奏会は、今まで飯守さんとはいつでもある距離感を保ち続けていたオーケストラが、完全に彼の意図を再現し、一体となって燃え上がったと、私は感じている。


まず、冒頭のトリスタンとイゾルデが、およそこれだけで聴き手は満腹感を催さずにはいられないような演奏である。
前奏曲・愛の死合わせて20分に至った演奏は、官能のかぎりを尽くし、濃厚な描写に余念がない。前奏曲は、時に長い、長いパウゼを効果的に挟んで、悠然と物語を紡いでゆく。初めこそセロの音程に危うさを感じたけれども、次第に全オーケストラが、むせ返るようなエロティシズムの渦に、飲み込まれてゆく。かくも陶酔的な演奏は、古今東西の名演奏のうちにも、容易に類例を見出だし得ないものだ。
けれども、飯守さんは我々が感じた以上に醒めたものではなかったろうかという、気がしている。単にずるずるべったりに各パートが混然となっているのではなく、もっと制御された、不思議な見通しの良さをも持っていたように思う。

この前プロが終わったところでもう、私はワーグナーの音楽の持つ、麻薬にも似た作用にすっかり冒されてしまい、軽い眩暈さえ覚えたほどであった。

後半のワルキューレは、65分ほどであったから、テンポとしては標準的であったが、緩急のコントラストが巧みで、全体としてはアグレッシヴなアプローチながら、この作品の持つ抒情性をも描出し得ていた。
終幕に向かっての、長いジークムントとジークリンデの二重唱。ワルキューレ第一幕のサワリであるこの部分の、何という壮麗さ。しかも、音楽はいつも、自然に膨らんでゆく。そうしてそのあとのオーケストラによる後奏は、肌に粟粒を生じさせずにはおかないような、異様な緊迫感と烈しさを持っていた。

無論、歌手もとてもよかった。細かいところに注文を付け出せばキリの無いことだし、そんなことに執心していては、演奏会などとても楽しめたものではない。
私が一番感心したのは、ジークリンデを歌った畑田女史である。ジークムント共々、素朴な瑞々しさが、圧倒的な力感の前に消されていない点を高く評価したい。ブリュンヒルデとジークリンデの性格の区別が、ここにはっきりと打ち出されていた。
ジークムントの竹田氏も、時折低音に不安定なところはあったが、真っ直ぐに声が伸びていて、これもワルキューレ第一幕の特異性、即ちジークフリートもブリュンヒルデもヴォータンも出て来ないという、全編から見た時のこの幕の特異性が、これを聴いてはっきりする。怪物的と言いたいような力強い絶唱よりも、寧ろ伸びやかでリリックな表現が、相応しいように思われる。新しいヘルデン・テノールの可能性を示したと言っては、言い過ぎだと謗られようか。
フンディングの木川田氏は、貫禄の名唱。朗々と、しかし憎々しい響きが広がる。やや生硬な印象を受けはしたが、こういうフンディングの性格描写は、有り得て然るべきと言えるであろう。あまり器用な悪役というのも、柄が小さくなってしまうだろうから。

前プロから引き続いて、オーケストラも端々まで鳴り切った演奏。今日の関西フィル在るは、飯守さんの功績によるところ、並大抵ではないが、漸くオーケストラがそれに応えて来た。弦楽器の厚い響きなど、往時の大フィルにも匹敵する。加えて、管楽器の充実ぶりも、このところ関西楽壇全体に見られるが、顕著である。唯一フルートにいまひとつのしなやかさを望みたいが、個人攻撃は私の意図せざるところであるから、詳述は避けよう。


会場には、若い指揮者の姿も見受けられた。大いに触発されて欲しいと、思う。


ホールを出ると、火照った顔に、花冷えの夜風が心地よかった。

さくらのこと、はなのこと・あれこれ

2009-03-25 21:53:56 | 随想
京都にも、もう桜が咲いた。花冷え、とはこういうことなのかと思う、寒い日がまた戻ってきたというのに。

私は、毎日二条城の前を往復して駅へ向かうのだけれど、夜間ライトアップが始まっていて、今日の帰路は、たくさんの人で賑わっていた。確かに、夜の闇のなかに照らし出された桜の花が、一種独特の妖艶さを持っていることは、いまさら私が言うまでも無く、広く知られたことだ。

国語学の大家、山田孝雄博士の「櫻史」という名著がある。昭和16年刊行であるから、とても古い本だけれども、国語学の門外漢である私にも親しめる、浩瀚博識の書である。「櫻史まさに公にせられむとす。時正に櫻花爛漫たり。」という書き出しで始まるこの論文は、桜の花同様の、実に美しい文体を持っている。ここで博士は、古今の膨大な例を引きながら、日本人と桜の密接な関わり合いを説く。

そういう言わば「桜党」とでも言うべき氏の名著を引きながら、私自身は桜の花にかかる愛着を持たないことを、告白しなければならない。何も、あの美しさに感動しないような荒んだ心を持っているのではないけれど、散ったあと、いかにも惨めに路傍に吹き曝されている様が、何とも心苦しいのである。
「桜の木の下には死体が埋まっている!」と書いたのは梶井基次郎であったが、寧ろその感覚に、私は与し得る気が、している。

そう、散るといえば、私は椿が好きではなかった。あの「ぼとっ」と地面に落ちるのが、私はあまり好きではない。到底、潔いなどとは、言えはしない。

私は、いろ・かたち・におい、今も昔も変わらず、梅の花が好きだ。殊に、蝋梅が。

けれどもこのところ、茶の道に入るに及んで、茶花に些かの関心を持つようになって、次第に印象が改まった。晩秋以降、冬の訪れを感じると共に、茶会の折にも椿が生けられることが多くなる。私は元来甚だ不精な人間で、およそ植物も動物も、ひとりで世話をしきった記憶が無く、よって乏しい知識しか持ち合わせていない。私が今まで脳裡に描いてきた「椿」が、一体何という名を持つものかさえ分かりはしないが、初釜の折に知った、「西王母」という故事に由来した名を持つ、つつましやかな桃色の花に、すっかり心惹かれてしまったのであった。

爾来、いろいろと調べてみると、日本産の椿だけで2000種以上があって、いずれも実に美しい名前を持っている。

茶道では、莟の花しか用いないが、開けばまた、別の美しさを見せてくれるのだろうと、このところ思っては楽しんでいる。


閑話休題。「びいでびいで」と呼ばれる桜を、御存知であろうか。これは南国の方言で、正式な名を、ムニンデイゴ、あるいは南洋桜というそうだ。私は、「桜」というコトバを使ったけれども、どうやらこれは桜ではないらしい。桜が自生しない小笠原では、春の訪れを告げる花として、よく似たこのムニンデイゴを桜と擬えているとの由。花は真紅ということだが、私はまだ、見たことが無い。

関西楽壇の重鎮であった平井康三郎氏に、「びいでびいで」という歌曲がある。歌曲集「日本の笛」の一篇。詩は、北原白秋。

びいでびいでの
今 花盛り
紅いかんざし
暁(あけ)の霧

びいでびいでの
あの花かげで
何とお仰(しゃ)った
末(すえ)かけた

南国の暖かい春、島の娘の屈託のない笑顔が浮かんでくるよう―と言うとあまりに陳腐であろうが、そういう表現をつい口にしたくなるような、明るい、弾んだ佳曲。

「平城山」「スキー」など、誰もが馴染んだ童謡の作者である平井氏であるが、この曲を私は、つい最近まで不覚にして知らずにいた。北新地に、同名のクラブがあって、そこで初めて知り、また聴いたのである。

いつのまにか、随分と色々なことに詳しくなったものだ。

ところで、あすこのマダムは、南国出身なのだろうか。次に行く折の楽しみが、できた。