ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

電車で行く「薩摩街道」 (その14:日奈久宿 )  2019.10.28

2019-11-13 17:04:09 | Weblog

 

 

(写真は、江戸時代には細川藩の藩営の温泉だった「ばんぺい湯」)

 

江戸時代には、島津の殿様が参勤交代のために「薩摩街道」を通りました。

また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に「薩摩街道」を江戸へ向かいました。

そして明治時代、西南の役の際には、西郷隆盛軍が、熊本城攻撃のために「薩摩街道」を北上しました。

「日奈久(ひなぐ)宿」は、八代海に臨み、600年の歴史を持つ温泉です。

江戸時代初期には、細川藩の藩主の浴舎が造られ、以降、藩営の温泉として栄えました。

また、薩摩藩の藩主は、参勤交代の際、鹿児島から船で日奈久へ入港し、温泉を楽しんだそうです。

大正12年、鹿児島本線が開通すると、遠方からも人が訪れる温泉観光地として大いに発展しました。

 

先月、帰省した際に、その「日奈久(ひなぐ)宿」を訪れました。

(熊本駅)

熊本駅から「鹿児島本線」に乗り、八代駅で「肥薩おれんじ鉄道」に乗り換え、「日奈久温泉駅」で下車します。

(日奈久温泉駅)

 「日奈久温泉」の温泉街は、駅から少し離れた場所にありました。

地図を頼りに、徒歩13分、3号線の途中から旧道の「薩摩街道」に入ります。

日奈久宿には、今でも、白壁や木造三階建ての旅館が残り、薩摩街道の面影をそのまま残しています。

また、日奈久の旧街道沿いでは、なまこ壁が目を引きます。

写真は、なまこ壁の路地です。

なまこ壁というと、瓦をひし形に組んだものが多いですが、熊本県では水平に並べているのが特徴です。

 

商家の中で一段と立派なのが、上の写真の明治時代の「村津家住宅」です。

外周をぐるりとしっくい壁で塗り固め、主屋と土蔵を一体化させた外観が特徴です。  

説明板によると、なまこ壁には、火災発生時に類焼を食い止める役目があるそうです。

ちょっと見辛いですが、上の写真の赤丸印は、火災の際に、濡れたムシロを掛けるための釘です。

写真の「ばんぺい湯」は、江戸時代には「御前湯」と呼ばれ、細川藩の藩営の由緒ある温泉でした。 

現在は、大衆浴場として多くの人に親しまれています。

街道沿いの日奈久の町は、細い路地が入り組んでおり、木造三階の老舗旅館が多いのが目立ちます。

今晩の夕食を予約している上の写真の「金波楼」(きんぱろう:登録文化財)も、木造三階の老舗旅館です。

(木造三階の新湯旅館)

 以下は、薩摩街道沿いの町並みです。

 

 

上の写真は、山頭火の石碑で、「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、―― いや一生動きたくないのだが、」と刻まれています。

漁村でもあった日奈久には、上の写真の様に、恵比寿像があちこちで祀られています。

写真の家の土台の石垣が、江戸時代には、ここが旧海岸線だったことを示しています。

また、街道沿いには、上の写真の様に、日奈久名産の竹輪を売る店が散見されます。

土産に、写真の竹輪を買いました。

薩摩街道を抜けると、国道3号線沿いの店には、大きな「晩白柚(ばんぺいゆ)」の1種の「チャンドラ」が山なりで売られています。

余りの大きさと安さに、ついつい、ダンボール1箱分を買って横浜へ送りました。

 

薩摩街道を海岸の方へ向かって歩くと、日奈久港があり、写真の「西南戦争 政府衝背軍 上陸地」の標識が立っていました。

西南役の際、日奈久は、薩軍の後方支援基地だったので、官軍の標的になりました。

官軍(政府衝背軍)は、日奈久の沖合から艦砲射撃で援護しながら、6千人を上陸させました。

上の写真は、現存では最も古い明治10年の「八代屋旅館」ですが、内部の柱には、西南戦争の時の艦砲射撃の弾痕が残っているそうです。

上陸を許してしまった薩軍は反撃することもなく敗走したため、上陸した政府衝背軍は、熊本城を侵攻中の薩軍の背後を襲うべく北上していきます。

 

ps.これまでの「電車で行く薩摩街道」については下記をクリックしてください。

高瀬の戦い(西南戦争)、鹿児島(市内西南戦争礒庭園)、川尻熊本(西南戦争市内)、

田原坂の戦い(①)、八代山鹿(①)、佐敷(①

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ラグビーW杯 2019 (東京・味の素スタジアム)(ウェールズ対ニュージーランド:3位決定戦)  2019.11.1

2019-11-12 16:54:43 | Weblog

(写真は、試合前のオールブラックスの「ハカ」)

日本中が熱狂した、ラグビーW杯も終わってしまい、私は、”ラグビー・ロス”の日々ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか。

でも、野球の方では、東京オリンピックの予選を兼ねた「プレミア12」(WBSC)の1次ラウンドが台湾で行われ、日本は、苦労しながらも3連勝して、現在千葉で開催中の2次ラウンドに進みました。

千葉では、昨日はオーストラリアに3:2で辛勝しましたが、本日はアメリカに3:4で敗れました。

明日のメキシコ戦に期待しましょう。

この「プレミア12」(WBSC)の2次ラウンドのTV観戦で、”ラグビー・ロス”を徐々に回復したいと思っています。 

 

と言う訳で、話は、先々週に戻りますが、「ラグビーワールドカップ2019」の3位決定戦「ウェールズ対ニュージーランド」を観に、「東京・味の素スタジアム」に行って来ました。

3位決定戦のチケットを購入したのは、日本は決勝戦進出は無理でも、ひょっとしたらベスト8に進出し、1勝して3位決定戦に回るかも知れないと思ったからです。

その期待は外れましたが、幸運なことに、優勝候補のニュージーランド(オールブラックス)が3位決定戦に回ってきました。

大会開催前に買っておいた上の写真のオールブラックスのTシャツと帽子が役に立ちます!

京王線の「飛田給駅」で下車、人の流れに乗って会場へ向かいます。

 その途中で、顔に両チームのシールを貼ってもらいました。(500円)

 

選手入場です。 

先ず、台風19号の被害に遭われた方へ黙祷を捧げます。  

そして、国歌斉唱に続いて、いよいよ、お待ちかねの試合前の「ハカ」です。

私のチケットは、一番安いカテゴリーD(ゴール裏)の10,000円だったせいか、残念ながら「ハカ」の背中しか見られません・・・

でも、生の「ハカ」が見られて、取り敢えずは満足です。

対するウェールズは、自陣の10メートルラインを越えずに、整列したままで受け止めます。

キックオフ 

試合の主導権を握ったのはオールブラックスで、早くも、前半4分、そして12分に、続け様にトライが決まります。

その後、ウェールズも反撃、一時は4点差に迫りましたが、結局、32分、40分と連続トライを挙げられ、28-10の大差で折り返します。

ハーフタイムの場内アナウンスで、競技場は、この日1番の大盛り上がりを迎えます?

上皇様と上皇后様のご来場の紹介があり、お手を振られる姿がスクリーンに映し出されると、競技場は割れんばかりの大拍手と大歓声に包まれます。

(お姿に見とれて、スクリーンに映し出されたお二人の写真を撮り忘れました・・・)

そもそも、東京のラグビー場の名称が「秩父宮ラグビー場」となっている様に、皇室とラグビーには深いご縁があります。

「秩父宮ラグビー場」の名称は、ラグビーの普及に尽力された秩父宮様を偲んで付けられたものだそうです。

(スクリーンに映し出されるファンの応援風景)

後半のキックオフ。 

後半2分、早くも、オールブラックスのトライとコンバージョンで、35-10と、大差で一方的な試合展開に。

結局、ウェールズはノートライのまま、40-17の大差で、オールブラックスの勝利です。

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電車で行く「薩摩街道」(その13:高瀬の戦い:西南戦争)(熊本県玉名市) 2019.9.14 

2019-11-07 22:18:16 | Weblog

 

(写真は、西郷隆盛の末弟の「西郷小兵衛戦死の地」の碑)

 

前回の「いだてん」金栗四三の故郷の玉名市内巡りの際、玉名市も西南戦争の激戦地であったことを知りました。

西南戦争の「田原坂の戦い」の10日前に、ここ玉名市では「高瀬の戦い」の激闘が繰り広げられました。

(「田原坂」については、「田原坂・歴史」「田原坂散策」を見てね。)

そして、NHK大河「西郷どん」の主役「西郷隆盛」の末弟である「西郷小兵衛(こへえ)」が、ここ玉名市の高瀬で戦死しました。

小兵衛は、西郷家の四男で、大家族の末っ子として育ちました。

長じて、戊辰戦争に従軍し、江戸に進軍、更には、東北の緒戦にも参戦しています。

西南戦争では、小隊長として、ここ「高瀬の戦い」に参加し、「繁根木(はねぎ)八幡宮」に立て籠もる官軍の大部隊と、激戦を展開しました。

そして、繁根木八幡宮の近くを流れる菊池川の堤防上で陣頭指揮を執っていたところ、銃弾を胸に受けて戦死しました。

享年31歳でした。

隆盛は、年の離れた小兵衛を大層可愛がっており、小兵衛戦死の報を聞いて号泣したそうです。

 

という訳で、金栗四三の故郷の玉名市内巡りをした翌々日、再び、熊本駅からJR鹿児島本線に乗って、30分の玉名駅で下車します。

パンフレットによると、西郷小兵衛戦死の碑は、玉名駅前から鹿児島本線沿いに東へ徒歩15分とあります。

しかし、私はこの辺りの地理感が無いので、近距離ですが、玉名駅前からタクシーに乗ります。

官軍が立て籠もったという「繁根木(はねぎ)八幡宮」の前でタクシーを止めてもらい、八幡宮の前の石垣に残る西南戦争の弾痕跡(写真の赤丸印)を撮影します。

そして、西南戦争の戦跡巡りのパンフレットの大まかな地図を頼りに、運転手さんに、西郷小兵衛戦死の碑を探してもらいますが、どうしても見当たりません。

地図上の戦死の碑の辺りの民家の人に尋ねてみますが、知らないとのこと・・・

そこへ、その民家の奥から、おばあさんが出て来て、「西郷小兵衛の墓なら、我が家の裏の堤防の下にありますよ。」と教えてくれました。

教えて頂いた家の裏の堤防に上がると、堤防下の非常にわかりにくい所に、小さな石碑らしきものが見えました。 

ちょうどJR鹿児島本線が菊池川を渡る鉄橋の付近に、写真の様に、石碑と説明文がありました。

上の写真の説明文によると、「銃弾に倒れた小兵衛を担ぎ出すため、近所の橋本家から雨戸を一枚貰い受けた。

西南戦争の終結後に、小兵衛夫人の松子から、橋本家に寄せられた丁寧な礼状は6通にも及んだ。」とあります。

それにしても、この辺りを見回しても、西郷小兵衛戦死の地碑へ行く道順の案内板は無く、非常に不親切です。

初めて行く人は、恐らく分からないと思います。

 

「玉名」と言えば、何と言っても「玉名ラーメン」です。 

帰り道に、中でも有名な下の写真の「桃苑」に立ち寄ります。

玉名ラーメンは、トロみの少ない豚骨スープで、あっさりスープの博多ラーメンと、こってりスープの熊本ラーメンの中間です。(650円)

ぎょうざは、ショウガの風味が効いて食べやすい味でした。

 

玉名ラーメンで腹ごしらえしてから、路線バスに乗って、立願寺で下車、「玉名温泉」の「つかさの湯」でひと風呂浴びてから熊本に帰ります。

下の写真の「つかさの湯」は、道路向いの上の写真の「司ホテル」が経営する日帰りの温泉施設です。(入浴料:750円)

温泉は温めのお湯なので、夏場でも気持ち良く入浴出来ます。

広い大浴場には、檜風呂などもあり楽しめます。

(温泉のパンフレット)

(大浴場:温泉のパンフレットから)

(檜風呂:温泉のパンフレットから)

 

ps. 薩摩街道は、玉名駅の北方に位置し、玉名市の北部を東西に走っています。

薩摩街道の玉名市の宿場町は、玉名の市街地ではなく、市の北西の外れの南関町にある「南関(なんかん)宿」です。

 

 

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熊本県・玉名市 ( 「いだてん」金栗四三の故郷 )  2019.9.12

2019-11-02 07:48:22 | Weblog

(金栗四三が、毎日水浴びをした井戸のポンプ )

現在放映中のNHK大河ドラマ「いだてん」は、従来の戦国時代などの大河ドラマに比べて、現代に近いドラマなので、歴史好きの大河ファンには人気がない様です。

また、お年寄りの間では、あちこち話が飛び過ぎて、ストーリーがよく分からない、とイマイチの評判です。

しかし、舞台が私の故郷の熊本とあって、ここはひとつ、私一人分だけでも低迷する大河を応援しようと、先々月、実家の熊本に帰省した際に、「いだてん」の主役「金栗四三」の故郷である「玉名市」に行って来ました。

 熊本駅からJR鹿児島本線に乗って、30分の玉名駅で下車します。

(熊本駅)

(玉名駅)

駅前から、無料周遊バスに乗って、「いだてんの故郷」を巡ります。

無料周遊バスは、1時間に1本程度しかないので、事前に時刻をチェックしておく必要があります。

大河ドラマの低迷を反映してか、乗客は私一人だけで、運転手さんに気の毒でした。

運転手さんも、裏番組の「ぽつんと一軒家」に視聴率を取られてしまったみたいで、とぼやいていました・・・

「金栗四三の住家(池部家)」で、無料周遊バスを下車します。

金栗四三(大河ドラマの配役は、中村勘九郎)は、22歳の時に、池部家の養子となり、スヤさん(綾瀬はるか)と結婚しました。

写真は、「金栗四三の住家(池部家)」です。(入場無料)

ここが、結婚後、2人が暮らした家で、「金栗四三資料館」を併設しています。

ここには、金栗夫婦の他に、その子供達や養母の池部幾江(大竹しのぶ)さんも一緒に暮らしていました。

家の中には、金栗四三愛用の家財道具など、当時のままが展示されています。

上の写真は、ドラマで度々出て来た、毎日水浴びをした井戸のポンプです。

上の写真は、往年の金栗四三の暮らし振りが分かる住家の内部です。

併設されている隣の「金栗四三資料館」は、隠居部屋として建てられた離れを改装した家屋だそうです。

資料館には、金栗四三の写真や衣類がを展示しています。

親切なボランティアのオバサマが、当時の金栗夫妻の暮らしぶりについて、ご家族の思い出話を交えて、仔細に説明してくれ、質問にも丁寧に答えてくれます。

思い出の写真と共に、金栗家から、この家が玉名市へ寄贈されたのだそうです。

上の写真は、資料館に展示されていた家族写真で、ここの庭先で撮影されたもので、左から、妻スヤ、妻の弟、四三、母幾江です。

上の写真は、金栗四三がよく日向ぼっこをしていたという縁側です。

池部家を出て、矢印に従って、近くの金栗四三の墓へ向かいます。 

墓は、この地区の集落を一望に見渡せる小高い丘の上にあり、墓の前には、四三の書の「体力・気力・努力」の記念碑がありました。

 

「金栗四三の住家」バス停に戻り、無料周遊バスに乗って、次に「玉名市立歴史博物館」へ向かいます。

 上の写真の「玉名市立歴史博物館」では、常設展の他に、企画展「金栗四三展」をやっていました。

(入場料:300円、撮影禁止) 

(歴史博物館のパンフレットから)

(歴史博物館のパンフレットから)

(ストックホルム大会でプラカードを持つ四三:歴史博物館のパンフレットから)

 

玉名市立歴史博物館の前のバス停で無料周遊バスに乗り、次に「いだてん 大河ドラマ館」へ向かいます。

「いだてん 大河ドラマ館」(玉名市) (~2020年1月13日)

(入場料:600円、パネル等の一部を除いて原則撮影禁止) 

大河ドラマ「いだてん」の「ドラマゾーン」と「史実ゾーン」に分かれ、撮影のセットを再現したジオラマ、ロケのメイキング映像、金栗四三の生い立ち、エピソードの説明板等が展示してありました。

 

「いだてん 大河ドラマ館」を出て、写真の「菊水堂」で、金栗四三の好物だったという写真の「長者饅頭」(114円)を買ってから、玉名駅に戻り、JR鹿児島本線で熊本に帰りました。

 

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電車で行く「薩摩街道」(その12-3:鹿児島宿:礒庭園)   2019.9.8

2019-10-24 16:46:42 | Weblog

(写真は、磯庭園から望む桜島)

 

西郷隆盛が率いた薩摩軍が眠る南州墓地にお参りしてから、墓地の参道の坂道をずっと歩いて下りて行くと、下の写真の「今和泉島津家 本邸跡」バス停に出ました。 

このバス停の前の敷地が、篤姫の実家の「今和泉島津家本邸」跡だそうです。

篤姫が生まれ育ったという屋敷自体は現存しませんが、通りに面した上の写真の石垣は当時のままらしいです。

その今和泉島津家本邸跡バス停から、1日乗り放題「カゴシマシティビュー」巡回バスに乗り、薩摩藩主の別邸だった「仙巌園」(せんがんえん)バス停で下車します。

上の写真は、仙巌園の正門です。

「仙巌園」(礒庭園)は、1658年に、薩摩藩主の島津光久によって造園されました。 

現在は、「仙巌園」の一帯には、薩摩藩主・島津斉彬が、幕末に築いた工場群の「集成館」の跡地が拡がっており、「反射炉」跡などが現存しています。

写真は、仙巌園の中にある「反射炉跡」です。

この反射炉は、島津斉彬が、鉄製大砲の鋳造を目的に築いた、ヨーロッパ式工場群「集成館」事業の中核であり、当時は20メートルの高さの建物だったそうです。

写真の赤い門は、「錫(すず)門」で、「西郷どん」のロケでも使われました。

この赤い門の屋根が、薩摩特産の錫(すず)で葺かれていることから、「錫門」と名付けられたそうです。

また、この門は、江戸時代には、藩主と嫡男のみが通ることを許された最高格式の門だったそうです。

上の写真の様に、「西郷どん」のロケで使われたスポットには、そのシーンを紹介する写真付きの案内板が建てられており、とても分かり易いです。

仙巌園の庭園が続きます。

庭園を散策します。

庭園からは、桜島がよく見えます。

この仙巌園は桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた、いわゆる借景庭園です。

写真の奥に見える生垣は、江戸時代には存在せず、近代に入ってから、道路と線路を隠すために設けられたものだそうです。

庭園には、島津斉彬(渡辺謙)が、ガス灯の実験を行ったという上の写真の「鶴 灯籠」があります。

そして、西郷どんで、「御前相撲」がおこなわれたのが写真の「前庭」です。

また、写真の「石階段」も、西郷どんのロケで使われました。

いよいよメインの「御殿」に入ります。 

館内の撮影OKなのが嬉しいです。 

ここには、「島津斉彬」(渡辺謙)や、「島津斉興(なりおき)」(鹿賀丈史)と、「お由羅騒動(注)」で有名な”悪女・お由羅(おゆら)”(小柳ルミ子)が住んでいました。  

(注)お由羅騒動 : 藩主・島津斉興の正妻の息子の「斉彬」派と、側室(お由羅)の息子の「久光」派との後継争い。

           この後継争いで、斉彬派が、「斉彬の弟が早世したのは、お由羅が呪詛(じゅそ)して、呪い殺したためだ」と主張したため、「お由羅騒動」として有名になりました。

           いったんは、久光派が勝利し、斉彬派の中心人物4名は即切腹、斉彬派の他の四十数名も遠島などに処せられました。

           最終的には、斉彬が、老中・阿部正弘と組んで、密貿易の発覚を理由に斉興の引退を求め、斉彬を後継とすることで決着しました。

(大河・西郷どんの衣装)

(中庭)

写真は「謁見の間」ですが、「西郷どん」のシーンと同じ様に、テーブル、椅子、薩摩切子のグラスが置いてありました。

謁見の間の奥の部屋は、床の間がある書院造です。

 写真の「御居間」の縁側からは、錦江湾と桜島がよく見えます。

(寝室:御寝所)

 (風呂)

(トイレ)

 

「仙巌園」バス停から、1日乗り放題「カゴシマシティビュー」巡回バスに乗り、出発点の鹿児島中央駅に戻ります。

鹿児島中央駅から九州新幹線に乗り、熊本の実家に戻りました。

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電車で行く「薩摩街道」(その12-2:鹿児島宿:西南戦争)  2019.9.8 

2019-10-18 09:02:15 | Weblog

(写真は、城山から望む桜島)

天文館通りの白熊本店で腹ごしらえをしてから、天文館通りの繁華街を抜けて、国道3号沿いの中央公園に出ます。

中央公園の道路向いの広場に、明治維新に尽力した薩摩藩家老の「小松帯刀(たてわき)」(西郷どんでの配役は町田啓太)の銅像が上の写真の様に建っていました。

そして、中央公園の交叉点の正面は、 城山を背に、昭和12年に建てられたという14メートルもの高さのある上の写真の「西郷隆盛銅像」です。

この銅像は、戦時中の軍への金属供出にも、GHQの撤去命令にも、官民挙げて拒否したために残ったそうです。

西郷隆盛銅像を左手に見ながら、国道3号を進むと、直ぐに写真の「鶴丸城」があります。

 「鶴丸城」は、「鹿児島城」の別名で、関ヶ原の合戦の後に、島津家久が、ここに居館を築いて、周辺に家臣の屋敷を移しました。

77万石の大大名の島津氏の居城といっても、本丸、二の丸、下屋敷が並ぶだけの「屋形づくり」で、天守閣や層楼はありませんでした。

これは、島津家の「城をもって守りと成なさず、人をもって城となす」という考えに基づくものでした。

成程ね、島津は偉い!

明治維新後は、鶴丸城は、熊本鎮台の分営として使われましたが、明治6年に炎上、城壁と石橋だけが残されたました。

石橋の奥の「御楼門」は、来年3月の完成を目指して、復元工事中でした。

現在は、薩摩藩主が暮らした本丸跡に、上の写真の「黎明館」(歴史資料センター)が建っています。

「黎明館」の前には、上の写真の篤姫(天璋院)の銅像が建っていました。

黎明館には、鹿児島の歴史や工芸などが展示されています。

(「鶴丸城」の復元模型)

(薩摩藩の溶鉱炉)

(昭和初期の天文館)

また、黎明館の隣の「二の丸跡」には、現在は、上の写真の図書館が建っています。

黎明館を出ると、左隣に、写真の「薩摩義士碑」があります。

1753年、幕府に、木曽川の治水工事を命じられた薩摩藩は、家老・平田靭負(ゆきえ)を総奉行として、約1,000人を、三重の桑名に派遣しました。

しかし、これは大変な難工事となり、1年3カ月かけて完成したものの、40万両の巨費を費やした末に、84人もの犠牲者を出しました。

その責任を一身に負い、平田は自刃しました。

これらの藩士を供養するために、大正9年に建立されたのがこの「薩摩義士碑」です。

(薩摩義士の自刃については、「東海道を歩く・桑名宿」の海蔵寺の記載を見てね。)

また、黎明館の道路向いは、西郷隆盛が創設した下の写真の「私学校跡」の石垣です。

私学校の石垣には、西南戦争で政府軍が浴びせた銃砲弾の弾痕が今もなお残っています。

 

黎明館の前のバス停から、1日乗り放題「カゴシマシティビュー」巡回バスに乗り、「西郷隆盛・洞窟」バス停で下車します。

西南戦争では、熊本城の攻防、田原坂の激戦に敗れた西郷軍は、多くの死傷者を出しながらも、九州を南下しました。

そして、故郷の城山で最後の決戦を行うために、西郷軍が城山に入った時には、城山を包囲する政府軍5万に対し、西郷軍は僅か300余りでした。

最後の一進一退を繰り返したであろう、坂の途中の崖に、上の写真の横穴が2つ掘られています。

今は、崩れて、かろうじて2本の入口が確認できるのみです。

西郷軍は、最後の5日間、この洞窟を堀り、本陣としたそうです。

木々に覆われて、ここからは桜島は見えません・・・

西郷軍は、政府軍の軍師を通じて、翌朝午前4時に総攻撃が始まることを知ります。

総攻撃の前夜、西郷軍は、残った食料と酒で、この洞窟の前で、宴会を開きました。

西郷軍は、降伏の勧めを断り、最後の戦いに挑む決意をします。

そこへ、政府軍の軍楽隊が演奏する葬送行進曲が流れて来たそうです。

一説には、明日には屍となる西郷軍の武勇をたたえ哀悼の意を捧げるためだったそうです・・・

故郷の桜島を臨みがら最後を遂げた、というのはドラマの世界の話で、現実には、この洞窟の前で、土にまみれて、銃弾に倒れたそうです。

西郷は「もうここでよかろう」と別府晋介に介錯を頼み自刃、介錯を済ませた別府もその場で切腹しました。

村田新八、桐野利秋など他の志士たちも全員突撃して壮絶な最後を遂げました。

 

この「西郷隆盛・洞窟」バス停からバスに乗って、坂を更に上って行くと、次のバス停が「城山展望台」です。

写真は、城山展望台から見た桜島と鹿児島市街地です。

この城山展望台の直ぐ下に、薩軍2,023名もの将兵が眠る「南州墓地」がありました。

上の写真の常夜灯は、西郷隆盛と勝海舟との会談により、江戸城が無血開城されて、兵火を免れたことへの感謝のため、昭和14年、当時の東京市によって寄贈建立されものだそうです。

上の写真は、正面が「西郷隆盛」、右手が「篠原国幹(くにもと)」、左手が「桐野利秋」の墓石です。

(西郷隆盛の墓)

(篠原国幹の墓)

「篠原国幹」は、薩摩藩出身の陸軍少将でしたが、西郷隆盛を助けて私学校を経営し、西南戦争では、西郷軍として田原坂で戦死しました。

(桐野利秋の白御影石の墓石)

「桐野利秋」(きりの としあき)は、当時は「中村半次郎」と称しており、陸軍少将時代には、フランス製の香水を身にまとったりと、なかなかお洒落だったそうです。

しかし、西郷隆盛から上田藩士の赤松小三郎の暗殺を命じられた事などもあり、当時は、”人斬り半次郎”として、新選組からも恐れられていました。

戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いで活躍、多くの首級を上げ、駿府などを占領、その後、西郷隆盛と勝海舟との会談の席にも同席します。

また、上野の彰義隊との戦いに参戦、その後、会津若松城の落城の際は、城の受け取り役を仰せつかります。

この時の半次郎の対応に感動した若松城城主・松平容保が、後に人を介して宝刀を贈ったそうです。

そして、西南戦争では、西郷軍の事実上の総司令官として指揮を執りました。

ボランティアのおばさまの説明だと、桐野利秋の墓だけが高価な白御影石で造られており、現在でも、花柳界の女性たちのお参りの献花が絶えないそうです。 

人斬り半次郎は、当時から、よっぽどモテたんですねえ~。

(14歳で戦死した少年烈士3人の墓)

(17~35歳の兒玉5兄弟の墓)

南洲公園内には、西郷隆盛の偉業を伝える上の写真の「西郷南洲顕彰館」があり、西郷隆盛の遺品などを展示しています。

 

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電車で行く「薩摩街道」(その12-1:鹿児島宿:市内見物)  2019.9.8

2019-10-11 10:56:35 | Weblog

(写真は、鹿児島中央駅の前の「若き薩摩の群像」碑)

 

「薩摩街道」の起点は「鹿児島宿」で、熊本宿を経緯して、途中で長崎街道に合流し、小倉に至ります。

薩摩街道へは、古くは、豊臣秀吉が、薩摩遠征のために大軍を率いて押し寄せました。     

江戸時代には、島津斉興や島津斉彬などの島津の殿様が参勤交代のために通りました。

また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に薩摩街道を江戸へ向かいました。

そして明治時代、「西南の役」の際には、「西郷隆盛」軍が、熊本城攻撃のために、薩摩街道を北上しました。

(これまでの薩摩街道については、佐敷①・八代川尻熊本①・田原坂①・山鹿①を見てね。)

 

最近、「西郷どん」(2018年NHK大河ドラマ)の「西郷どん大河ドラマ館」が取り壊されたという噂を聞きました。

「西郷どん」(せごどん:配役:鈴木亮平)、関連のその他の記念館や説明版も、順次取り壊されそうなので、今のうちに見ておかねばと思いました。

という訳で、先月、熊本の実家に帰省した際、鹿児島空港経由で「西郷どん」関連の施設を見学してから、熊本に帰りました。 

鹿児島空港から帰るのは久し振りですが、昔のプロペラ機の時代は、鹿児島空港が錦江湾岸にありました。

空港に着陸すると、眼前は噴煙を噴き上げる桜島で、”ああ、鹿児島に着いたなあ。”、と実感したものでした。

現在は、鹿児島空港は山奥にあり、空港からリムジンバスで約40分、上の写真の鹿児島中央駅に着きます。 

鹿児島中央駅の前には、1865年に、イギリスへ派遣された19名の留学生の上の写真の「若き薩摩の群像」碑が建っていました。

1866年の薩長同盟以後、薩摩藩は、この留学生の派遣団からヨーロッパ情報を得て、その後の幕府軍との戦いを有利に展開したそうです。

その後、留学生達は、アメリカやフランスに渡って留学を続け、帰国後に、明治政府に仕えてその成果を大いに発揮した、と説明版にあります。

鹿児島中央駅の前の道を、東へ約10分歩くと、明治維新の有名人が多く生まれた「鍛冶町」があります。

「鍛冶町」は、鹿児島市街地の中心を流れる「甲突(こうつき)川」沿いにあります。

上の写真のその「甲突川」は、大河「西郷どん」で、鈴木亮平が、手掴みで鰻を獲るシーンで有名になりました。

その甲突川沿いに、上の写真の「維新ふるさと館」がありました。

維新ふるさと館は、明治維新を支えた英雄たちの姿を充実した内容で展示、分かりやすく紹介しています。

(日本初の洋式軍艦・薩摩の「昇平丸」)

(篤姫コーナー)

(薩摩の食事・菓子)

特に、上の写真のメインの体感ホールでは、西郷隆盛や大久保利通のロボットや人形などの演出で、歴史の1シーンを楽しく学べます。

維新ふるさと館を出て、甲突川沿いから少し住宅地(鍛冶町)に入ります。

この狭い住宅地に、西郷隆盛、大山巌(いわお)陸軍元帥、東郷平八郎(日露戦争の連合艦隊司令長官)、村田新八などの明治維新の偉人達の誕生地が密集しています。

写真は、西郷隆盛の誕生地碑です。

この鍛冶町辺りの狭い町の中に、明治維新の有名人たちが、密集して住んでいたのに驚きます!

(大山巌誕生の地の石碑)

(村田新八誕生の地の石碑)

(東郷平八郎誕生の地の石碑)

鍛冶町の甲突川の川岸に戻ると、下の写真の様に、西郷らが住んでいたという「下級武士の屋敷」が再現されていました。

 

1日乗り放題・600円の「カゴシマシティビュー」券を買って、鍛冶町から、鹿児島市の一番の繁華街である「天文館通り」へ向かいます。

鹿児島と言えば「白熊」、白熊と言えば、「天文館通り」です。

さすが、白熊の本店だけあって、上の写真の様に、「白熊」のメニューだけでも12種類もあります!

「白熊」を食べるために、わざわざ、天文館通りの白熊本店まで来たのに、当日、余りに暑かったので、ついつい、白熊ではなくて、食べ慣れた写真の宇治金時(740円)を注文してしまいました・・・

う~ん、ここまで来たら、やはり、白熊を注文すべきでした・・・

取り敢えず、喉の渇きがおさまったところで、鹿児島名物・黒豚すき焼きの「西郷どん雅」(2,450円)を注文して、午後の「西郷どん」遺跡巡りに備え、腹ごしらえします。

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熊本・藤崎宮の秋季例大祭 2019.9.16 

2019-10-05 11:17:15 | Weblog

 

(写真は、藤崎宮の飾り馬の奉納行列)

 

先月、法事のため、実家の熊本に帰省した際に、遭遇した出来事の続きです。

帰省の最終日の9月16日、熊本市の中心部にある「藤崎宮」にお参りに行きました。

と言うのは、この日が、ちょうど藤崎宮 の「秋季 例大祭」の日だったからです。

藤崎宮は、熊本市民が、毎年、初詣に行く神社なのですが、秋の例大祭は、熊本県の祭りの中でも、最も盛り上がる祭りなのです。

私の子供の頃は、この「秋季例大祭」は、「ぼした祭り」という名称でしたが、私は、この祭りを凄く楽しみにしていました。

子供の頃、この「ぼした祭り」の”ぼした”は、「加藤清正」が朝鮮を”滅ぼした”という意味だと聞かされていました。

しかし、”朝鮮を滅ぼした”という趣旨の「ぼした祭り」という名称は”使用禁止”となり、現在は、「例大祭」という、インパクトの弱い名称になっています。

(もっとも、歴史上は、清正は朝鮮を滅ぼしてはおらず、むしろ朝鮮で苦戦したみたいですが、なにせ、熊本では、清正は英雄を越えて神様ですから、その清正が苦戦などするハズもなく?・・・)

この祭りのハイライトは、「随兵(ずいびょう)行列」と「飾り馬」です。

「随兵行列」は、「加藤清正」が自ら随兵頭となり、兵を引き連れて「藤崎宮」へ参拝し、朝鮮出兵からの無事帰還を感謝したのが始まりだそうです。

その後、藩主が細川氏の時代になっても、この藤崎宮への随兵行列は継承され、明治維新後は、町方の手に受け継がれていきました。

随兵行列は、朝6時頃に藤崎宮を出発、ご神体を乗せた神輿の後ろに、甲冑姿の随兵が続きます。  

私は、前日の法事で酒を飲んだため早起き出来ず、朝6時出発の随兵行列には間にあいませんでした・・・ 

(随兵行列 : ダイドー(株)の公式ホームページから)

そして、祭りの最大のハイライトは、随兵行列に続く、「飾り馬」の奉納行列で、”馬追い祭り”とも呼ばれます。

今年は、67もの団体が飾り馬を奉納、約1万5千人の勢子(せこ)たちが躍動して沿道を盛り上げました。

67団体は、町内会、企業、高校の同窓会、祭り愛好会など多彩です。

馬が少なくなったいまどき、67頭もの飾り馬が参加する盛大な祭りなんて珍しいですよね。

”馬追い祭り”では、私の子供の頃は、馬を興奮させるために、飾り馬に酒を飲ませていました。 

馬が酔っ払った状態で暴れて跳ねるのを、勢子たちがラッパを吹いたり、太鼓を叩きながら、「ぼした! ぼした!」と囃し立てて、練り歩いていました。

暴れる馬を、如何に上手く制御するかが祭りの見せ所でした。

従って、当時は、毎年、馬に蹴られて怪我人が続出し、死者が出た年もあったくらいに荒っぽいお祭りでした。

当時、私は子供心に、馬に酒を飲ませて暴れさせる行為について何の疑問を持ちませんでした。

しかし、最近の風潮としては当然のことかもしれませんが、馬に酒を飲ませ、鞭の様な物で叩く様子が、インターネット動画で拡散し、動物愛護協会などのからの非難の嵐で炎上したそうです。

これを受けて、現在は、 例大祭の主催者が、動物虐待行為の防止に向け、参加団体を指導しているとのこと。

今年、見物して、昔の様な迫力はない、穏やかな祭りになった印象でしたが、でも、祭りが廃止にならずに、時代に合わせた穏やかな祭りとして、今後、定着していけば嬉しいな、と思いました。

下の写真の様に、小さな子供達が大勢参加出来る祭りも良いですよね。

上の写真の様に、地元のテレビ局が、飾馬奉納「馬追い祭り」の模様を生中継しています。

 随兵行列とそれに続く馬追いの法被姿の勢子たちが、藤崎宮から、熊本市の中心部のアーケード街を抜けて、御旅所(おたびしょ:祭礼の祭神の巡幸の際に、仮に神輿(みこし)を鎮座しておく場所)のある新町までを練り歩きます。

「ぼした! ぼした!」ではなくて、「どーかい、どーかい」の掛け声で馬追が展開されます。

朝6時出発の「朝随兵」に対し、午後2時からは、この逆方向で、藤崎宮に戻る「夕随兵」が始まります。

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熊本・桜町バスターミナル・オープン 2019.9.14 

2019-09-28 19:30:00 | Weblog

(写真は、オープン当日の「桜町バスターミナル」)

 

いや~、驚きました!

まさか、日本がアイルランドに勝利するとは!

(対戦相手のアイルランドについては、前回のブログの「ラグビーワールドカップ(日産スタジアム)」   を見てね。)

これからの残りの期間中、日本国内は熱気に包まれそうです。

 

ところで、話は変りますが、法事のため、今月8日~16日、実家の熊本に帰省しました。

帰省中の9月14日、ちょうどこの日に、”国内最大”のバスセンターが、熊本市にオープンしました。(正式名称は「サクラマチ クマモト」)

         

(オープンを伝えるTVニュース)   

      

(オープンを伝えるポスター)

新宿バスタや、福岡の天神バスセンターを抜いて、”日本一のバスセンター”の誕生なのです!

乗降場所が29カ所もあり、1日に4,300台ものバスをさばきます。

ここは、熊本市内、天草・阿蘇など県内のほぼ全ての路線バス、そして、福岡・大分・宮崎などの九州全域、大阪等への高速バスの始発ターミナルです。

バスの入口は1か所ですが、出口は、上記の各目的地の方向へ向けて複数個所あります。   

(バスの通路:バスの中から撮影)

そして、最大の特徴は、乗客の安全のために、上の写真の様に、乗り場とバスの通路を仕切る「ホームドア方式」を導入したことです。

この日は、熊本は猛暑でしたが、ホームドアが閉まっているお蔭で、屋内空間の乗り場は空調が効いており、待ち時間を快適に過ごせます。 

このバスセンターは、地下1階、地上5階建ての商業施設で、149のテナントが入り、TOHOシネマズ、マンションも併設しています。

上の写真は、地下1階のグルメコーナーです。

上の写真は、来月、TOHOシネマズが入る予定の熊本城ホールです。

路線バス、高速バス、タクシーの乗り換え、食事、買い物、映画など、全てがこのバスターミナルの屋内で完結するので、熊本市内の人の流れを変える、新たな中心になりそうです。

(チケット売り場)

(タクシーの乗り場)

オープン当日(9/14)、熊本県内のバスと電車が全て無料になる(除くJR)ということで、バスセンターだけでなく、バスや電車乗り場も混雑していました。

産交バスは、熊本県内全域をカバーしているので、例えば、人吉や天草からの往復路線バスで、1日がかりでバスセンターを見物に来ても、交通費タダということです!

2階以上の各階は階段状で、テラスの植栽もふんだんで、緑の丘のように見え、開放的な屋外空間です。

  

上の写真は、5階の展望デッキにある高さ4メートルの「巨大くまモン像」です。

屋上は、写真の様に、庭園広場になっており、下の写真の様に、熊本城まで一望出来ます。

 

1階はバスターミナルでその奥に商業施設が並び、2階のコンコースの両側も商業施設が並び、1階のバスターミナル入り口ともつながっています。

上の写真の1階中央が、バス出口で、両側に乗り場の出入り口があります。  

上の写真の右側がマンション棟です。

 

地震で大きな被害を受けた熊本城は、大天守の外観修復がほぼ完了、また、JR熊本駅周辺でも、21年春の開業を目指して再開発工事が進んでいます。

この新バスターミナルの完成と併せて、熊本地震からの復興の弾みになれば、嬉しいです。

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ラグビーワールドカップ2019 (横浜・日産スタジアム)  2019.9.22

2019-09-23 04:41:00 | Weblog

(写真は、アイルランドのトライの瞬間)  

 

いよいよ、ラグビーのワールドカップが始まりましたね。

日本が初戦でロシアを30対10で破ったので、これからの期間中、日本国内は盛り上がりそうです。

私は、高校時代は男子校で、体育の時間は、柔道、剣道、ラグビーが必須科目でした。

私は、柔道は好きでしたが、ラグビーは嫌いでした。

ラグビーの授業は、小石混じりの普通の運動場で行われたので、タックルされると、膝を擦り剥いて血だらけになるからです。

タックルを避けるため、私は、出来るだけボールをパスされない様な位置にいて、後ろの方からくっ付くいて走っていました・・・

ラグビーの細かいルールはもう忘れてしまいましたが、それでも、高校時代の授業お蔭で、ラグビーのTV中継を見ていても、何となくゲーム展開が理解出来ます。

九州はラグビー王国で、我が高校のラグビー部は猛練習で有名でした。

そのため、部員にとっては授業時間は貴重な睡眠時間?で、先生達も、「寝かしといてあげなさい。」と言って、授業中にラグビー部員を指名することはありませんでした。

 

今回のワールドカップの当初のチケット抽選の際、当選確率が数倍になるという横浜市民の特別枠で、横浜での試合の全てに申し込んだのですが、全て外れました・・・

それでもめげずに、6月の先着順販売に申し込んだのですが、申込のためのパソコンの立ち上げに出遅れ、12時間待ちになってしまいました・・・

でも、根性で12時間も待ち、横浜か東京で1万円以下の席、という条件で下記の2席を取りました。

①「アイルランド V スコットランド」(9/22)横浜

②「3位決定戦」(11/1)東京

 

と言う訳で、昨日(9/22)、日産スタジアムの「アイルランド V スコットランド」を見に行って来ました。

上の写真が、パソコンからA4用紙に自分で印刷したチケットです。

(購入時点で希望して、郵送料を払えば、綺麗なチケットを郵送してくれます。)

(新横浜駅周辺)

我が家から歩いて30分の日産スタジアムへ向かいます。

途中のパブやバーは、写真の様に、試合前にもビールを飲もうという、両チームのサポーターで店の外まで溢れています。

スコットランドのサポーターの中には、写真の様に、スカート姿の男性もいます。

上の写真は、所持品検査のテントで、1時間並ぶという情報もありましたが、待ち時間ゼロでした。

上の写真の様に、スタジアムの前の階段に大勢の人が座っているのは、広場に設置されたビューワーのイタリア・ナミビア戦のライブを観戦しているからです。

場内に入って、焼きそばとビールを買って、席でビールを飲みながら、試合開始を待ちます。

ビールは、大会のスポンサーの関係で、ハイネケンしか売っていません・・・

試合開始前の記念撮影でしょうか。

アイルランドは、今週の土曜日(28日)に日本と対戦する相手です。

そして、スコットランドは、前回大会で、日本の決勝進出を阻んだ因縁のチームです。

世界ランク1位のアイルランドと、7位のスコットランドの対戦なので、熱戦が期待できます。

上の写真の赤丸印は、ワイヤーで吊るされた上空からのテレビカメラです。

試合開始前、グランド上では、上田信也と櫻井翔が、日テレの生放送の解説を開始しましたが、何を喋っているのか、会場内には聞こえません・・・

観客、6万3千人とのアナウンスがあります。

(報道陣)

いよいよ、試合開始です。

開始早々、写真の様に、早くもアイルランドが先制トライします。

アイルランドにラッキーなボールのバウンドもあり、以降は、ずっとアイルランドがボールをキープ、流れは完全にアイルランドに傾きました。

その後、アイルランドは、モールで一気に押し込み、上の写真の様に、再びトライします。

更に、スコットランドが落としたボールを、アイルランドが蹴り込んだところを抑え込んで、上の写真の様に、3つめのトライで、もう、完全に一方的な試合展開です・・・

後半開始から、小雨が降り始めて、グランドが霞んで、遠くのプレーが見辛くなってました・・・

私の席は、屋根の下で、濡れずにラッキーです。

後半は、小雨の中、スコットランド陣地周辺での攻防戦となり、また、アイルランドのトライ・・・

終わり近くになって、ようやく、アイルランド陣地周辺での攻防戦となりますが、それもつかの間、再び、スコットランド陣地周辺での攻防戦に・・・

試合はこのまま、アイルランドがスコットランドをノートライに抑え、27-3で圧勝です。

(試合後)

(試合後のアイルランドチーム)

これで、日本と同じA組のアイルランドは、勝ち点5で日本と並びました。

今日のアイルランドの試合運びをみていると、今週土曜(28日)のアイルランド戦は厳しいなあ~。

 

 

ps.ラグビーには興味がないという人は、下記のホームページを下の方までスクロールして「散歩の寄り道」の野球やバスケットボールをクリックしてね。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/ (中山道を歩く:完全踏破の一人旅)

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野猿公苑 (長野県) 2019.8.15

2019-09-16 16:52:53 | Weblog

 

(写真は、「野猿公苑」の「露天風呂」で、お湯を飲む「野猿」)

 

昨日は、長野県の古くて雰囲気のある「小布施」の町並みを散策してから、その先の「湯田中温泉」で一泊しました。

本日は、早朝から温泉に入り、宿泊していた温泉宿をゆっくりと出て、緩やかな坂道を湯田中温泉駅まで下って行きます。

(湯田中温泉駅)

駅前から「上林温泉入口」行の路線バスに乗って、「地獄谷野猿公苑」へ向かいます。

野猿公苑は、長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。

途中、上の写真の「渋温泉」の温泉街を抜け、次に、渋温泉の裏の急な山道を、今度は渋温泉を下に見ながら、下の写真の様に、上って行きます。

やがて、路線バスは、乗車した湯田中温泉駅から約15分で、「野猿公苑」の入口に近い「上林温泉入口」に着きます。

路線バスを下りて、「野猿公苑」(Snow monky park)の矢印に従って、緩やかな坂道を上って行きます。

上の写真のギフトショップが「湯道遊歩道」の入口で、この店にリュックを預けて、ギフトショップの右手の遊歩道を上って行きます。

(リュック1個500円)

ここから「野猿公苑」までは、1.6キロ、徒歩25分の道のりです。

最初に急な階段の坂がありますが、あとは、ほとんど平坦で、快適なハイキング道です。

崖沿いの道なので注意は必要ですが、小鳥の声を聴きながら、林の中を森林浴をしながら歩いて行きます。

遊歩道には、残りの距離表示の看板が100メートル毎にあって、励みになります。

途中には、上の写真の様に、「サルが奪いに来るので、ビニール袋を持ち歩かない様に!」との警告文が張り出されていましたが、途中でサルが現れることはありませんでした。

やがて、道の前が開けて来て、前方の左上に、写真の「地獄谷温泉・後楽園」が見えて来ました。

かなり古びた日帰り温泉施設ですが、宿泊も出来る様です。

この施設の前が「地獄谷」で、上の写真の様に、「地獄谷噴泉」のお湯が勢いよく噴き出しています。

噴泉を左下に見ながら、「野猿公苑」の入口への急な石段を上って行きます。

先程の地獄谷温泉後楽園が遥か下に見えるところまで上って来ました。

ようやく、「地獄谷野猿公苑」の入口のチケット売り場に到着です。(800円)

チケット売り場の建物が、休憩所・土産物屋兼トイレになっていました。

入場料を払って、”スノーモンキー”で有名な露天の温泉へ向かいます。

湯船の周りに猿がいます。

この湯船の周りが、やはり一番人気の場所で、観光客がカメラを構えています。

ここが、”温泉に浸かっている猿が見られる露天風呂”(スノーモンキー)として、世界的に有名になった場所なのです。

これは、1970年、米「LIFE」誌の表紙に、「温泉に入るサル」として掲載されたのがきっかけで、米国以外の国々でも報道されました。

そして、私も、この有名な写真の露天風呂まで、はるばるとやって来たのです!!

しかし、この暑さなので、残念ながら、猿たちは温泉の中には入っていません。

それでも感動!!

周辺には、さすがに海外からの観光客が多いです。

暑い時期は、猿は温泉に入りませんが、餌付けされているので、毎日山から下りてくるそうです。

野猿公苑でエサをもらえる日中のほかは、生活圏の森林で自由に暮らしているそうです。

標高850メートルのこの地は、一年の1/3が雪に覆われる厳しい環境だそうです。 

ヒトとニホンザルを隔てる柵もありません。

野生の猿ではありますが、人間に慣れているので、あまり人間には興味を示しません。

上の写真の様に、直ぐに手が届きそうな範囲に、自然のままに猿たちが生活しています。

こちらが変なことをしない限り、高崎山や日光の様に、目が合ったからといって襲われることはありません。

以下は、猿たちのスナップです。

 

野猿公苑を出て、同じ道をバス停まで戻ります。

「上林温泉入口」バス停から、路線バスで 、終点の信州中野まで乗ります。

信州中野 →(長野電鉄・スノーモンキー号)→ 長野 →(長野新幹線・あさま) → 東京

   

長野駅の駅前で、信州そばを食べてから、新幹線で東京に戻りました。

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湯田中温泉 (長野県) 2019.8.14

2019-09-07 05:56:12 | Weblog

(写真は、湯田中温泉の「桃山風呂」:宿泊した旅館のパンフレットから)

今年のお盆休みは、長野県の古くて雰囲気のある「小布施(おぶせ)」の町並みを散策してから、その先の「湯田中(ゆだなか)温泉」で一泊しました。

小布施(17:16)→(長野電鉄・スノーモンキー号)→ (17:29)湯田中

小布施見物を終えて、小布施駅から、長野電鉄のスノーモンキー号に乗って、終点の湯田中へ向かいます。

 

 

下の写真の長野電鉄・長野線の終着駅「湯田中温泉駅」に到着しました。

長野県内でも、潤沢な湯量を誇る「湯田中温泉」は、また、近くの「地獄谷野猿公苑」へ向かう路線バスの始発駅でもあります。

この野猿公苑は、最近、外人観光客の間で人気急上昇中のスポットで、”温泉に入る猿”の写真が世界中で有名になっています。

駅構内には、写真のスキー板のベンチがありました。 

上の写真は、駅の反対側にある「旧湯田中駅駅舎」です。

(修復された旧湯田中駅駅舎の待合室)

この旧駅舎は、下の写真の様に、左側の交流室「楓の館」、その右隣に立ち寄り湯「楓の湯」(有料)、その正面(写真の左端)に「足湯」(無料)を併設しています。

 

 

写真は、湯田中温泉街の入口です。

温泉街を少し歩くと、左手に写真の「湯宮神社」があります。

当日はお盆だったので、夜の盆踊り大会の準備の真っ最中でした。  

湯田中温泉街を散策しながら、緩やかな坂道を上って行きます。

(古くからの共同浴場)

(昔懐かしい射的場)

坂の途中の「湯田中温泉プリン本舗」で名物のプリンを買いました。

 

駅前の湯田中温泉街の坂道を8分くらい上って行くと、右手に今晩の宿の上の写真の「よろづやアネックス湯楽庵」(別館)がありました。

(1泊2食付き:17,940円)

本当は、別館ではなくて、下の写真の「本館」に宿泊したかったのですが、値段が、本館は別館の倍近いので、割り切って別館に宿泊しました。

(別館は安い代わりに、布団敷きなどがセルフサービスです。

その「よろづや本館」の脇にあるのが、下の写真の湯田中温泉で最古の共同浴場「湯田中大湯」です。

宿泊した部屋から撮った上の写真は、本館の裏にある「よろづや・松頼荘(しょうらいそう)」で、よろづやの建物の中で最も古く、国登録有形文化財です。

お目当ては、本館の歴史ある「桃山風呂」への入浴なのですが、本館と別館は地下でつながっていて、別館の宿泊者も「桃山風呂」が利用可能です。

よろづやの大浴場は、桃山風呂と東雲風呂の2か所で、東雲風呂も立派な風呂ですが、普通の風呂です・・・

お目当ての「桃山風呂」は、この東雲風呂と、午後10時で男女が入れ替わるので注意が必要です。

宿泊した「アネックス湯楽庵」から本館へ、地下連絡通路を通って「桃山風呂」へ向かいます。

「桃山風呂」の湯殿は、広い純木造りの伽藍建築で、国の登録有形文化財にもなっている貴重な浴場です。

高くて由緒ありそうな荘厳な格天井の絵を見上げながら、贅沢な気持ちで、ひとときを過ごします。

私がこれまでに入浴した湯舟の中で最も豪華絢爛で、感激です!

「桃山風呂」の湯船は、写真の様に大きな楕円形をしています。

お湯は僅かに白濁していて、焦げ茶色の湯の花が舞っていました。

桃山風呂の建物から外に出ると、そこには庭園の池がそのまま温泉になった「庭園風呂」があります。

庭園風呂は、旅館のパンフレットの上下の写真の様に、立派な日本庭園の中にあり、桃山風呂の建物の外観の伽藍建築を見上げながら、贅沢な気分でお湯に浸かります。

 

 

 

夕食は、信州名産がふんだんで季節感があります。

穴子蓮根巻きの前菜、千曲川産の鮎塩焼き、信州牛の林檎すきしゃぶ等、手が込んでいて、美味しかったです。

食べるのに夢中になって、途中で写真を撮るのに気が付いたので、品数が少なく写っていますが・・・

 

上の写真は、今回の旅行で買ったお土産です。

 

明日は朝から「野猿公苑」へ向かいます。

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小布施 (長野県小布施町)  2019.8.14

2019-09-01 06:33:35 | Weblog

 

( 写真は、小布施の葛飾北斎の天井絵「八方睨みの鳳凰」 : 小布施・岩松院のパンフレットから )

 

今年のお盆休みには、以前から、一度は訪れたいと思っていた長野県の「小布施(おぶせ)」へ行って、その先の「湯田中温泉」で一泊して来ました。

 東京(9:04) →(長野新幹線・あさま)→ (10:39)長野(11:04)  →(長野電鉄)→ (11:39)小布施(17:16) →(長野電鉄・スノーモンキー号)→(17:29)湯田中 

 

長野駅で新幹線を降りて、長野電鉄の長野駅から小布施駅へ向かいます。

(長野電鉄長野駅)

 

小布施町は、長野県の北東、千曲川の東岸に位置する人口約1万人の町です。

江戸時代には、幕府直轄の天領だったこともあり、交通と経済の要所として栄えていました。

この町の豪商の高井鴻山(こうざん)は、江戸から葛飾北斎をここ小布施に招きました。

そして、小布施には、小林一茶など、様々な文化人が訪れました。

小布施は、今もなお、江戸時代の面影を残す風情ある町です。

また、モンブラン、栗きんとん等のスィーツ、栗ご飯など、小布施名産の栗を使用した食べ物の楽しみも沢山あり、若い女性で賑わっています。 

 

 

長野電鉄の小布施駅で降りて、町の中心部分へ歩いて行きます。

駅から少し歩いて右折すると、写真の「皇大(こうたい)神社」があり、この神社の境内を抜けると、もう小布施町の中心部分です。

上の写真の石碑の絵は、葛飾北斎が、最初にこの鳥居から小布施の町に入ったことを現しているそうです。

(皇大神社の境内のセミの抜け殻)

 

「小布施」の観光スポットとなる町並みは、小布施駅から徒歩10分位の一角で、狭いエリアにコンパクトにまとまっています。

 

先ず、その狭い観光エリアの一角にある写真の「北斎館」に入ります。(1,000円)

浮世絵師「葛飾北斎」の作品が展示されている美術館です。(撮影禁止)

北斎の肉筆画の展示、企画展示、映像ホールなどがあります。

肉筆画の展示は充実しており、迫力ある絵の数々に圧倒されます。

また、葛飾北斎が描いたという、下の写真の”龍”と”鳳凰”の「東町祭屋台」、”男浪”と”女浪”の怒涛図の「上町祭屋台」も展示されています。

     

(北斎館のパンフレットから : 左から「祭屋台」、「龍」、「鳳凰」、「男浪」、「女浪」)

 

「北斎館」を出て、次の「高井鴻山記念館」へ向かいますが、この両館を結ぶのが写真の「栗の小径」です。

僅か1~2分の距離ですが、栗の間伐材を敷き詰めた小道で雰囲気があります。

 

写真の「高井鴻山(こうざん)記念館」に入ります。(300円)

(高井鴻山像)

江戸末期の豪商で、文化人でもあった「高井鴻山」の資料館です。

(江戸時代に馬をつないだ「駒繋ぎの石」)

また、敷地内には、鴻山の書斎や、北斎のために鴻山が新築したアトリエ「碧軒(へきいけん)」などが修復工事されていて、当時の面影を残しています。

鴻山は、佐久間象山や勝海舟などの幕府要人との関わりもあり、また、「葛飾北斎」を小布施に招いて創作の援助もしました。

館内には、鴻山が描いた様々な書画や、関連資料などが展示されており、鴻山の足跡を辿ることができます。(撮影禁止)

 

 

 

お昼時になったので、上の写真の「北斎亭」で、下の写真の小布施名物「北斎御膳(栗おこわ)」を食べます。(1,760円) 

 

最後に、高井鴻山記念館の前から、シャトルバスで、古刹の禅寺の「岩松院」(がんしょういん)へ向かいます。

(終日バス周遊券:300円)

シャトルバスの終点の「岩松院」に着きました。

岩松院の天井に描かれた葛飾北斎の天井絵「大鳳凰図」は、”八方睨みの鳳凰”とも言われ、どこから見ても、自分が睨まれている様に見えます。

(大鳳凰図:岩松院の観光案内から)

 本堂の21畳の大広間の天井いっぱいに描かれた「大鳳凰図」は、葛飾北斎の晩年の最大の作品です。(撮影禁止)

私は、この北斎の天井絵が一目見たくて、長野県の小布施の岩松院まで、はるばるとやって来たのです!

絵具には、当時、中国から輸入した鉱物性の高価な顔料が使われているそうで、160年以上の年月を経た現在でも、今、描いたばかりの様に色鮮やです!

その顔料は、現在の価格で約2億円もしたそうですから、やはり、豪商・高井鴻山の援助があったからこそ、この絵が描けたのでしょうね。

また本堂の裏庭には、「小林一茶」の有名な ”やせ蛙 負けるな一茶 これにあり” の上の写真の句碑と、下の写真のその「蛙合戦の池」もあります。

 

更に、本堂の裏山には、上の写真の戦国武将「福島正則」の霊廟があります。

正則は、豊臣秀吉の”七本槍”の一人と言われた名将で、数々の武功をたてました。

そして、関ヶ原の戦いでは東軍に味方、その功績で50万石の広島城主となりました。

しかし、豊臣恩顧の大名だった正則は、その後、豊臣秀頼を擁護しようとしたため、徳川秀忠に煙たがられ、大坂の陣では参陣が認められませんでした。

その後、広島城の無断改修を口実に、正則は、50万石から5万5千石に減封されて、長野のこの地に国替えになりました。

そして、この地で死去、ここ岩松院に葬られました。

しかも、葬られた際に、正則の家臣が、幕府の検死役が到着する前に遺体を火葬してしまったとして、福島家は取り潰しとなりました・・・

小布施見物を終えて、小布施駅へ戻り、駅の構内で、栗のソフトクリームを食べてから、長野電鉄のスノーモンキー号に乗って終点の湯田中駅へ向かいます。

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日光江戸村 (栃木県日光市)   2019.8.3  

2019-08-24 06:55:34 | Weblog

(写真は「新選組体験」)

 

東武ワールドスクエアを見物して、SL大樹で鬼怒川温泉へ向かい、温泉で1泊した話の続きです。

翌朝、ホテルを出て、鬼怒川温泉の近くの「日光江戸村」へ向かいます。

ここを訪れるのは3回目ですが、私はここが大好きなのです。

最初に来たときは、ここで真面目にキビキビと働く若い人達に心を打たれました。

今回も、役者志望?の若い人たちの時代劇に対する真摯な姿勢に感動しました。

ここの若者達を見ていると、日本の未来は明るい!、という気持ちになってきます。

 

上の写真が日光江戸村の入口です。

入場料は4,700円と高い気がしますが、園内の施設がほとんど無料で1日遊べますので、ディズニーランド等に比べると、かなり割安です。

入り口から暫く歩いて行くと、江戸っぽい町並みが現れます。

暖簾で覆われたコスプレ用の家もあります。 

町人、町娘、侍、浪人、殿様など、色々な衣装が用意されていますが、若いカップルが恥ずかしそうに着替えていました。(有料)

役人、侍、町娘などの通行人のスタッフ全員が、完全に江戸の町の人になり切っています。

それぞれが、半端じゃなく完全に成り切っているところが凄いです。

そして、いつでも、気軽に、一緒に写真撮影のポーズ取ってくれて、サービス精神旺盛です。

江戸村を進んで行くと、真ん中あたりが上の写真の日本橋です。

日本橋の下には、川と池があって、猛暑の中、子供たちが水遊びしながら歓声をあげていました。

その日本橋の上で、いきなり、役人に追われているネズミ小僧のお姉さんに遭遇しました。

お姉さんは、千両箱の中から取り出したステッカー(小判?)を、子供達に配っていました。

 

 

 

この辺りは、江戸村の芝居小屋が並んでいるエリアです。

各々の芝居小屋の上演スケジュールとマップを照らし合わせ、芝居見物の順番を考えながら散策します。

芝居以外にも、上の写真の昔懐かしい「水芸」のアトラクション、下の写真の忍者屋敷見学などもありますが、全て無料です。

私は、写真の「吉原」の”お大尽遊び”の劇を見ました。(無料)

上の写真の右から2番目の殿様役は、海外からの観光客の飛び入りです。

日本語を話せない観光客相手のアドリブもなかなかのものでした。

子供達の1番人気は、「忍者体験(無料)」です。

手裏剣投げ、鈴を付けた縄が張り巡らされた中を鈴が鳴らない様に抜けていく”忍び”、水鉄砲による敵方攻撃など、子供達は大興奮です。

そして、子供達の2番人気は「新選組体験(無料)」です。

剣の抜き方、構え方など、本格的な実地訓練が続き、子供達の表情も真剣です。

上のパンフレットの写真は、「忍者からす屋敷」の忍者劇のアトラクションです。(無料)

忍者の殺陣のレベルが高く、動きが素早くて、大音響の音と光の演出もあり、大迫力で凄くかっこよかったです。

メインストリートに出ると、写真の「花魁(おいらん)道中」が始まっていました。

かなりゆっくりと進みます。

お昼時を過ぎたので、飲食店を見て回ります。

飲食店は沢山あるのですが、どこも狭くて満員です・・・

比較的空いていた食事処「竃屋」を見つけて入ります。

写真の滋養たっぷりの「柳川穴子膳」(1,900円)を注文します。

江戸時代、暑さを乗り切るために、夏場に好んで食べられていたという”夏の江戸料理”を復元したものだそうです。

お店の女将が、江戸料理の詳細について丁寧に説明してくれます。

柳川穴子、茄子田楽などの”江戸の味わい”を楽しみます。

食事処を出て、写真の「矢場」で的を狙います。(有料:矢5本で500円)

的に当てて扇子の商品を貰いました。

次に、写真の「忍者怪怪亭」に入ります。(無料)

かなり傾いて建っている建物ですが、入ってみると、完全に感覚が狂ってしまい、前に進もうと思っても、実際は、相当な上り坂で、なかなか足が出ません。

真っ直ぐに見えますが、実際はかなり傾いており、やっと、壁に寄りかかって写真を撮ります・・・

次に、上の写真のパンフレットの「巨大迷路」に挑戦します。

子供向けかと思ったら、意外と難しく、私は何とか抜けましたが、周囲の大人の人達でもリタイヤ続出でした。

他にも、北町奉行所のお白洲の一幕、松の廊下、小伝場町牢屋敷、長州藩藩邸の蝋人形による江戸の事件の再現等々(全て無料)、色々とあるみたいでしたが、時間切れで見物出来ませんでした。(全て無料)

閉園時間も迫り、入り口付近に戻ると、駕籠かきのお兄さんが、子供達を乗せてこの辺りを廻ってくれていました。(無料)

結局、ほぼ開門と同時に入園したのに、上の写真の様に、いつの間にか、閉門の時間となり、丸1日楽しみました。

残りを見るために、また来たいと思います。

 

 

 

 

 

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東武日光線「SL大樹」 と 鬼怒川温泉 (栃木県日光市) 2019.8.2

2019-08-17 06:07:20 | Weblog

(写真は、SL大樹)

 

前回ご紹介した東武ワールドスクエアの見物を終えて、一駅だけですが、SLで東武ワールドスクエア駅から、今晩の宿がある鬼怒川温泉駅へ向かいます。

東武ワールドスクエア駅(16:36)→ SL大樹5号 →  鬼怒川温泉駅(16:42)

「SL大樹」は、乗車券以外に座席指定750円 (乗車区間内一律料金)が必要です。

東武ワールドスクエア駅に「SL大樹」が入って来ました。

私は小学生の頃、将来なりたい職業は、蒸気機関車の運転手でした。

学校が終わると、毎日、近くの駅に蒸気機関車を見に行きました。

動力機関が丸出しになっており、躍動感に溢れています。

僅か8分の乗車で、鬼怒川温泉駅に着きました。

(鬼怒川温泉駅の連絡通路からSL大樹を見下ろす)

(鬼怒川温泉駅の外観)

上の写真の駅前の人だかりは、「日光さる軍団」の猿回しです。

SL大樹用の転車台は、鬼怒川温泉駅前の広場にありました。

なるほどね、「SL大樹」を下りたら、直ぐに駅前の広場で、方向転換する「SL大樹」を見物出来るという仕掛けです。

考えましたね~!

SL大樹Cは、ゆっくりと転車台へ近付き一旦停止し、それからゆっくりと転車台の中へ進みます。

それから、ぐるりと時計回りに半周回転すると転車終了です。

 

駅前の広場には、足湯があったので入ってみます。 

 

今晩の宿の「きぬ川ホテル三日月」は、駅前の広場から見えており、徒歩2~3分でホテルに到着です。(1泊2食付き13,000円) 

ホテル隣の建物が「全天候型ガーデンスパ三日月」のプールになっています。

チェックインすると、着替えて早速プールへ行きました。

プールは、結構広く、流れるプールやジャグジーが、上のホテルのパンフレットの様に1つにまとまっています。

久し振りに泳いだら、足がつってしまって・・・、早々に切り上げます・・・

(浴槽の入り口の温泉大回廊:ホテルのパンフレットから)

館内の温泉は、上のパンフレットの写真の様に、24メートルものもある細長い浴槽で、鬼怒川の渓谷美を一望出来ます。

他にも3つの露天風呂の他、様々なさまざまな種類の入浴が楽しめます。

また、館内の上の写真のパネルの様に、田中貴金属製作の1億円での「黄金風呂」もありますが、一人ずつしか入れません。

取り敢えず入ってみましたが、それがどうした、という感じでした・・・

部屋は渓谷側に面した和洋室で、V字型の渓谷を流れる清流の鬼怒川の絶景でした。

食事は、上のパンフレットの写真の様に、レストランでのバイキングでした。

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