ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

多摩川を歩く(その19)(丸子橋)   2022.9.9

2022-10-05 13:17:42 | Weblog

(テニスファンの聖地「田園コロシアム」の跡地の「田コロ児童公園」)


丸子橋を渡ります。

丸子橋は、丸子の渡しがあった場所からおよそ200メートル上流に中原街道の橋として昭和9年に完成しました。

その後、老朽化と交通量増大に対応するため、平成12年に、片側2車線の現在の丸子橋に架け替えられました。

平成14年、この丸子橋付近にアザラシの「タマちゃん」が出現し、見物客で賑わいました。

丸子橋を、川崎側から東京側へと歩いて行きます。 

河川敷では、ラクロスの部活の練習でしょうか。

川下には、前回ご紹介した東海道新幹線の鉄道専用橋が見えます。

川崎側には、武蔵小杉のタワーマンション群が見えます。

丸子橋を渡り終えた場所に上の写真の「旧丸子橋の親柱」がありました。

丸子橋の脇の丸子橋交差点からは、正面に下の写真の東横線の多摩川駅が見えます。

その多摩川駅の右横の道を、東横線沿いに田園調布駅の方向へ歩いて行きます。

その緩やかな上り坂の途中の右手に「田コロ児童公園」があります。

うっかりと通り過ぎてしまいそうな狭小な公園です。

その小公園の背後に建っている上の写真の薄茶色のマンションの辺りに「田園コロシアム」がありました。

 

ここは、テニスのデビスカップ東洋ゾーンの決勝が行われた「田園コロシアム」の跡地です。

テニスファンには懐かしい宮城、加茂などがここで活躍しました。 

上の写真の公園内の中央奥の階段状の石の台は表彰台のイメージなのでしょうか。

また、ここは数々のスポーツや音楽イベントの会場にもなって、ピンクレディー、サザンオールスターズ、チャゲ&飛鳥などが、ここでコンサートを開催しました。

更に、私は余り関心がありませんが、ここはレスリングの聖地でもあるらしいです。

ジャンボ鶴田対ミル・マスカラス、アンドレ・ザ・ジャイアント対スタン・ハンセン、二代目タイガーマスクのデビュー戦などがあり、アニマル浜口などもリングに上がったそうです。

しかし、その後、高級住宅街であるここ田園調布では、コンサート等の騒音問題が持ち上がり、現在の有明テニスの森公園へ移転しました。

それにしても、かってテニスファンの聖地だった「田園コロシアム」が「田コロ」?

う~ん?、何だかな~・・・

児童公園とは言え、「田コロ」の名前は軽すぎるよなぁ~。

田コロ児童公園から丸子橋へ戻り、今度は、逆に、丸子橋を、東京側から川崎側へと歩いて行きます。 

川上には東急東横線・東急目黒線の橋梁が見えます。

 

丸子橋を渡り終えて、最寄り駅の東急東横線の新丸子駅へ向かい、そこから横浜へ帰宅しました。

(新丸子駅)

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

 

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多摩川を歩く(その18)(ガス橋)   2022.9.9

2022-10-01 16:19:24 | Weblog

(写真は、ボロボロに錆びているガス橋の手すり)

 

多摩川大橋の先から、堤防の上の土手道に上がり、写真の「御幸公園」で一休みします。

「ガス橋」が見えて来ました。

ガス橋の手前に、写真の「平間の渡しの碑」がありました。

上の写真の「ガス橋の歴史」の説明版によると、元々、この橋は、東京ガスが、鶴見製造所でつくったガスを、都内に供給するためにつくった「ガス人道橋」でした。

つまり、当初は、車両通行ができない人道橋でした。

しかし、昭和35年、交通量の増大に対応するために、車道と人道の間に柵を設けて、車両も通行出来る様にしました。

橋の幅はそのままで、2車線を確保したので、歩道はギリギリの幅になってしまいました。

現在は、このギリギリの幅の歩道のままなので、先方から来る自転車や人とすれ違うときには、どちらかが脇に避けなければなりません・・・

橋の車道は、一般道の位置づけになりましたが、元々は、ガス管を通すための橋だったので、橋の名前は「ガス橋」のままです。

現在も、橋の下には、東京ガスのガス管が通っており、通行とエネルギー供給の2つの機能を持っています。

写真の様に、橋の手すりは、錆て老朽化しているので、寄り掛かかったら外れそうな気がします・・・

川崎側から東京側へ橋を渡って行きます。 

橋を渡り終えると、正面の左手には、下丸子のキャノン本社ビルがありました。

橋の反対側の歩道を東京側から川崎側へ戻ります。 

橋の下は、「ガス橋緑地」です。

写真は、「上平間排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。

上の写真は、「中丸子」の信号ですが、多摩川の対岸は「下丸子」です。

多摩川の両岸には、「等々力」や「丸子」などの同じ地名が点在します。

例えば、世田谷区の「等々力渓谷」と、川崎市の「等々力競技場」は、江戸時代は同じ等々力村でした。

等々力村は、江戸時代には一つの村だったのですが、多摩川の氾濫により、村の中央を流れる様に流路が変わり、村が分断されました。

写真は、「山王排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。

JR横須賀線と東海道新幹線の鉄橋が見えて来ました。

鉄橋の脇には、ゴルフ練習場があります。

 

上の写真が「海から13キロ」の道標で、下の写真がサイクリングロードの地面に表示された「13.0」です。

丸子橋と橋の手前のゴルフ練習場が見えて来ました。

丸子橋を渡ります。 

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その17)(多摩川大橋)   2022.9.9

2022-09-24 05:17:33 | Weblog

(多摩川大橋)

 

河川敷の「川崎競馬練習馬場」を右手に見ながら、更に、多摩川の上流を目指して歩いて行きます。

やがて、土手の下にゴルフ練習場が見えて来ました。

土手沿いの左手の高いビルは、企業ではなくて、川崎市立の川崎総合科学高校です。

更に、上流へ少し歩くと、今度は、多摩川大橋の下に、「川崎リバーサイドゴルフ場」が見えてきました。

このゴルフ練習場の奥には、「多摩川大橋」が見えています。

土手道は、第二京浜(国道1号)に突き当たるので、右折して、多摩川大橋を渡ります。

多摩川大橋は、遠くから見ると、水色のアーチの1本の橋に見えますが、実は、並行する2本の橋なのです。

並行している多摩川大橋の右側の”水色のアーチの橋”は、東京電力とNTTが送電用に使っている送電の専用橋で、人も車も通れません。

一方、水色アーチ橋の奥に並走しているのが、「多摩川大橋」で、第二京浜(国道1号)が走っていて歩道もあります。

川崎市の木の「ツバキ」と、川崎市の花の「つつじ」のレリーフです。

大田区の木の「くすのき」と、大田区の花の「梅」のレリーフです。

このレリーフの横に、上の写真の都県の境界の標識があり、川崎市から東京都大田区に入ります。

多摩川大橋を渡り終え、川崎側に戻る前に、東京側の堤防の上の道を少し上流へ進みます。

少し歩くと、堤防の下に写真の「東八幡神社」が見えました。

多摩川大橋が架かる前は、ここから船で対岸の川崎に渡っていたそうです。

江戸時代、川幅は現在よりもずっと広く、水量も多く、流れも急だったので、渡し船は大変だったとのこと。

(東八幡神社の鳥居の前の「矢口の渡し」の石碑)

南北朝時代、「太平記」によると、南朝方だった「新田義貞の次男の義興(よしおき)」は、鎌倉幕府の攻略を目指して、ここ「矢口の渡し」まで兵を進めていました。

しかし、ここで、味方と信じていた武将に裏切られ、矢口の渡しの「船頭の頓兵衛(とんべえ)」も船底に穴を開けて逃げたため、無念の思いを抱いて自刃して果てました。

裏切った武将は、その後、雷鳴の中に現れた義興の怨霊に怯えて、悲惨な最後を遂げました。

ここの渡し場には、夜ごと、霊火が漂い、往来の人々を悩ませたので、ここの住民が、新田大明神として霊を崇拝しました。

一方、の船頭の頓兵衛は、後に悔い改めて、地蔵を建てて供養しましたが、いつしか顔の目鼻が薄れだしたため、義興のたたり、と人々は噂したそうです。

怖っ~!・・・

江戸時代には、ここは、平賀源内作の歌舞伎「神霊矢口渡」(しんれいやぐちのわたし)の舞台として広く知られていました。

東八幡神社を出て、多摩川大橋の脇に戻り、橋の反対側の歩道を歩いて川崎側へ戻ります。

東京都から川崎市に戻ります。

橋の下には、広大な河川敷の「川崎リバーサイドゴルフ場」が見渡せます。

コースは9ホールもあり、全てセルフプレーです。

多摩川大橋を渡り終わり、橋の下へ下りてみると、写真の「矢口の渡し」の石碑がありました。

(戦前の矢口の渡し)

多摩川大橋の脇の写真の「多摩川交流センター」は、このゴルフコースの受付みたいです。

休憩スペースには、ランニング途中の人達が休憩していました。

建物の中には、自動販売機やトイレの他に観光案内もあったので、ここで多摩川沿いのウォーキング地図を貰います。

(たまリバー50キロコースマップ:東京都発行)

(多摩川であそぼう:川崎市発行)

河川敷のゴルフ場の脇の道を歩いて行きます。

ゴルフのボール除けのためのネットだったらゴルフ場側と上側にだけネットを張ればよいと思うのですが、土手側にもネットが張られており、まるで鳥かごの中を歩いているみたいです・・・

鳥かごが延々と続きます・・・

 

 

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その16)(ラゾーナ川崎:川崎側)   2022.9.9

2022-09-18 06:06:12 | Weblog

(え、えっ~?!、堤防の土手道を馬が横断するの?、ウソ~!)

 

猛暑も少しだけ和らいできたので、全長138キロの多摩川沿いの道を、河口から源流を目指すウォーキングを再開します。

前回は、「東海道川崎宿」を抜けて、JR川崎駅の東口から京浜東北線に乗って帰宅しました。

今回は、JR川崎駅の西口から出て、「ラゾーナ川崎」の中を抜けて、多摩川の土手を目指します。

「ラゾーナ川崎」は、JR川崎駅の西口に直結している大型複合商業施設です。

ラゾーナ川崎の入り口に「東芝未来科学館」(入場無料)の案内矢印があります。

東芝未来科学館は、電気の歴史や最先端のテクノロジーを展示していますが、体験コーナーでのイベントもやっています。

(東芝未来科学館の展示内容については、「川崎東芝館オープン」を見てね。)                                                                                                       

ラゾーナ川崎の中心の広場です。

ウォーキング前の腹こしらえのために、「ラゾーナ川崎」の中の飲食店街の「らぼっとカフェ」に入り、野菜カレーを注文します。

2,400円と非常に高いカレーですが、ロボットとの触れ合いを含めた値段なので、まあ仕方ないかなと・・・

注文の料理が来るまでの間、ロボットを席まで連れてきてくれるので、料理を待つ間、ロボットを抱っこして遊びます。

ロボットは、頭の上についてる黒いセンサー部分で人の顔を識別し、最大200人まで覚えてくれるそうです。

ロボットの体重は4キロほどで、ロボットの体温は乳児くらいの体温に保たれているのだそうです。

頭をなでると、気持ちよさそうに目をつぶって寝てしまいました・・・

らぼっとカフェを出て、ラゾーナ川崎の施設の中を抜けて、多摩川の土手を目指します。

多摩川の土手へ向かう道の左側は、川崎エリア最大級の真新しくて近代的な大規模オフィス街です。 

  

これらは、JR 出資のタワー オフィス棟みたいで、ホテルメトロポリタン 川崎、ステーションコンファレンス川崎などの表示が続きます。

多摩川の堤防に突き当たりましたが、堤防の上の遊歩道に出る道がありません。

仕方なく、堤防の上に出る大きな歩道橋まで暫くの間歩いて行きます。

歩道橋を渡り、堤防の上の道を歩いて行きます。

土手の上の細々とした道が延々と続きます。

ようやく「かわさき多摩川ふれあいロード」のサイクリングコースに出ました。

「かわさき多摩川ふれあいロード」の以前の名称は、「多摩川サイクリングコース」でした。

しかし、この名称から自転車優先ロードとの思い込みが生じ、自転車がスピードを出して走行したため、歩行者との衝突事故が多発、慌てて改称したらしいです。

暫く歩いて行くと、河川敷に、紅白の高い棒状の塔が立っています。

これは、ラジオ日本の電波塔みたいです。

更に、川沿いに上っていくと、突然目に入ったこの看板…! 

いや、こんな土手道を馬が横断するんかい!!

どうやら、この練習場のすぐ近くにある厩舎から練習場に移動する際、実際に馬がこの土手道を横断するようです。

(厩舎らしき建物群)

そして、こちらが河川敷の「川崎競馬練習馬場」です。

この時間帯はあいにく馬はいませんでしたが、練習に向けてか、場内の整備をしていました。

(ここの厩舎の馬が出場する川崎競馬場については、「京浜急行線に沿って」を見てね。)                 

(その他の競馬場については、「東京競馬場」「中山競馬場」「大井競馬場」を見てね。)                                                                         

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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「ざうお」(横浜綱島) 2022.7.31

2022-09-14 17:27:59 | Weblog

  

(写真は、大きな生簀(いけす)の上にある船の形をした座敷)

 

先日「ざうお」という「釣り堀 居酒屋」で、久しぶりに外食しました。

店は東急東横線の綱島駅から徒歩20分くらいですが、当日は余りにも暑かったので、駅からタクシーで向かいました。  

「ざうお」は、釣り堀や生簀(いけす)が併設された居酒屋で、東京、埼玉、神奈川、愛知、大阪、福岡など全国にチェーン展開しています。

店内に入ると、冒頭の写真の大きな生簀(いけす)があり、その上に、船の形の座敷があります。

その生簀で釣った魚を、その場で、刺身、煮付け、焼き魚 、唐揚げ、寿司と、好みの方法で調理してくれます。

最初はなかなか釣れませんでしたが、何度か試行錯誤しているうちに、竿にアタリがあり、先ず鯵が釣れました。

次に、真鯛も釣れました。

釣り方は、”引っ掛け釣り”が主なので、小さな子供でも楽しめます。

大きな魚を釣ると太鼓が鳴り、わっしょいわっしょいと掛け声が上がり、若い店員さんみんなでお祝いしてくれます。

また、釣るのに苦戦していると、コツを教えてくれたり、とても親切です。

真面目な若者達が、何とか店の雰囲気を盛り上げようと、大きな声を出して一生懸命に働いている姿を見ていると、こちらも楽しくなってきます。

テーマパークのようなイベント感があり盛り上がります。

結局、釣った真鯛、鯵、ヒラメに加えてアワビを添えた豪華な食事になりました。

席に着くと、自分たちで釣った魚の刺身の盛り合わせが運ばれて来ました。 

鯵とヒラメのお造りの骨は、上の写真の様に、更に、香ばしい骨せんべいにしてくれるので最後まで楽しめます。

入り口の横には上の写真の様に、縁日もあって、そうめん流しなどのイベントも楽しめまます。

誕生日の申告をしていたので、上の写真の様に、店員さんがくす玉を割って祝ってくれました。 

 

(自分で釣った魚を、直ぐに焼き魚にして食べさせてくれる店については、「長瀞ラインくだり」をみてね。)

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今年の家庭菜園 2022.9.10

2022-09-10 08:02:19 | Weblog

  

(写真は、我が家の”猫の額”の家庭菜園で獲れたキュウリ)


今年の家庭菜園で特筆すべきは、キュウリの異常な大量収穫です。

今年は、キュウリ、ミニトマト、オクラ、ゴーヤを、各々同じくらいの本数を植えました。

しかし、キュウリ以外の野菜は、ほぼ全滅に近い状態で、各々、僅かの収穫に止まりました・・・

そして、我が家の”猫の額”の家庭菜園は、上の写真の様に、キュウリと青じその葉だけがジャングルの様に繁ってしまいました。

この1か月の間、キュウリを毎日5本くらい収穫し続けました。

我が家だけでは食べきれず、近所3軒に2回お裾分けし、娘達にも取りに来てもらい、知人にも持って行きました。

通学の小学生にも、声をかけて庭に入ってもらい収穫してもらいました。

それでも余ったので、大きくなりすぎたキュウリは、漬物にもしないで廃棄処分にしました。

キュウリ農家の気持ちがよく分かりました。

また、こぼれ種で、良質な青じそが、異常にたくさん自生したので、こちらの収穫作業も毎日大変でした。

   

そして、今年初めて、イチジクの実が10数個生りました。

 

(イチジク)

(ゴーヤ)

(ぶどう)

(ブルーベリー)

上の写真は、2017年頃の大収穫が続いていた年のビワの木です。

  

(サフィニア)

(マリーゴールド、サフィニア、ニチニチ草)

野鳥の餌を置いているベランダには、写真の様に、この餌を狙ってリスが来る様になりました。

 

(前回のアップについては、「家庭菜園」を見てね。)                                

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多摩川を歩く(その15)(東海道川崎宿:川崎側)   2022.6.23

2022-09-03 05:45:13 | Weblog


(写真は、川崎宿名物の万年屋の「奈良茶飯」の包み紙)

 

 


前回は、六郷橋を渡って東京側へ下り、落馬止め天神と旧六郷橋橋門を見物してから、六郷橋を引き返して、上の写真の川崎側の橋の袂へ戻って来ました。

上の写真の赤い灯篭は、川崎大師への道標となる灯篭です。

川崎側の六郷橋の脇には、前回は見落としていましたが、写真の「明治天皇六郷渡御」の碑がありました。

(1枚上の赤い灯篭の写真の左端の石碑が、明治天皇六郷渡御碑)

明治元年、京を出発された明治天皇は江戸に入られました。

この頃には、未だ多摩川には橋が架けられていなかったので、急遽、対岸まで船を並べて板を敷き、 その上を明治天皇が渡られたそうです。

この六郷渡御碑には、その時の様子を描いた青銅レリーフの「武州六郷船渡図」が、下の写真の様に、石碑の側面に埋め込まれています。

また、その横には、上の写真の「長十郎梨のふるさと」の碑もあります。

これは、明治時代、この近くの大師河原村では梨栽培が盛んで、ここの長十郎という屋号の梨農家の名前から「長十郎梨」と呼ばれたそうです。

第一京浜の六郷橋の下の道を川崎の中心街へ向かいます。

六郷橋の橋の下で、第一京浜と別れて「旧東海道」に入ります。

江戸時代、東京側から多摩川を渡し船で渡り、六郷橋の船着き場につくと、直ぐに「川崎宿」に入りますが、この辺りには、旅籠や茶店が並んでいました。

その中でも、特に「万年屋」は「奈良茶飯」が評判の宿でした。

(万年屋の奈良茶飯:江戸名所図会)

ここからの「川崎宿」は、京急川崎駅の南側に位置する繁華街を歩いて行きます。

(川崎宿については、「東海道を歩く・川崎宿」「再び東海道を歩く・かわさき宿交流館」「バスで行く東海道・日本橋~神奈川」を見てね。) 

写真は、「田中本陣跡」です。

説明版によると、本陣の主の「田中休愚(きゅうぐ)」は、本陣・名主・問屋役の三役を兼務していました。

また、休愚は、六郷の渡しの権利を譲り受けることによって、渡し舟を川崎宿の収入にし、宿場の財政を建て直し、川崎宿を繁栄させました。

写真の店は「東照」ですが、この店では、「万年屋」で売っていたという「奈良茶飯」を買うことが出来ます。

2011年の東海道踏破のときに買って美味しかったので、今回も買います。(756円)

旧東海道沿い写真の「宗三寺」を過ぎると、御休み処「東海道かわさき宿交流館」(無料)があります。

私は、この交流館のオープン時に行きましたので、今回で2回目の訪問です。

(1回目の訪問については、「再び東海道を歩く・かわさき宿交流館」を見てね。)             

ここは、川崎宿の歴史や文化の展示と、地域交流の拠点施設として設けられています。

1階は、「万年屋」の部屋を再現したもので、ガイダンス映像を見ることができます。

2階の展示場には、川崎の宿場町の模型で、川崎宿を俯瞰出来ます。

(記念撮影スポット)

(明治末期の東海道)

3階の展示場は、川崎出身の有名人の写真などです。

江戸時代の本陣の主の紹介や、日航機墜落事故で亡くなった川崎出身の坂本九さん等が紹介されています。

 

「東海道かわさき宿交流館」を後にして、もう少し旧東海道を歩きます。

旧東海道と市役所通りとの交差点付近に上の写真の「問屋場跡」があります。

問屋場は、人馬の継立を行うところで、人足や馬を準備し、また荷の重さを量る貫目改めを行っていました。

以下の2枚の写真は、上の案内板の絵と写真を拡大したものです。

(川崎宿大師河原)

(昭和17年頃の現在地)

間もなく、右手のずっと奥にJR川崎駅が見えました。

JR川崎駅の東口から乗車して横浜に帰りました。

 

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その14)(六郷橋)   2022.6.23

2022-08-27 06:24:26 | Weblog

(写真は、旧六郷橋の橋門)

 

「六郷橋」(ろくごうばし)を渡ります。

六郷橋の欄干には、「六郷の渡し」の渡船のモニュメントがあります。

六郷橋の入り口に、いきなり、川崎市と東京都の境界が?

普通の橋は、橋の中央が境界なのですが・・・

ここでは、川崎がだいぶ東京側に攻め込まれています。

川崎側の六郷橋の下の川岸は、川崎市ではなくて、対岸の東京都の「飛び地」みたいです。

(多摩川の飛び地については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)         

六郷橋は、国道15号(第一京浜)に架かる橋で、現在の橋の前に架かっていた旧橋と区別するために「新六郷橋」と呼ばれることもあります。

六郷橋は、「箱根駅伝」のコースですが、駅伝の際は、この六郷橋を境として、東京都側のバイクの先導は警視庁、川崎側のバイクの先導は神奈川県警です。

橋を渡り、階段を下りて、下の住宅街を通り、「京急・六郷土手駅」の方向へ向かいます。

上の写真の正面が、京急・六郷土手駅のガードです。

駅の手前を左折すると写真の「止め天神」があります。

この神社の御祭神は菅原道真ですが、通称「落馬止め天神」と呼ばれています。

江戸時代、8代将軍吉宗の乗る馬が暴走しましたが、暴走する馬がこの神社の前で止まり、吉宗の落馬を止めました。

この事件以降、東海道を往来する武士が、この神社を「落馬止め天神」と呼ぶ様になりました。

この神社の加護にあやかるために、将軍指南役の柳生家の留守居役は、この神社の近くに屋敷を構えました。

現在でも、菅原道真の天満宮本来の学問のみならず、災いや痛みを止め、更に、受験に”落ちない”ための参拝を受け付けています。

案内板によると、毎月 25 日が縁日で、この日は、木馬にまたがり祈願する江戸時代からの神事が執り行われているそうです。

上の写真の手水石には、貞享元年(1684年)寄進の彫銘があります。

また、千年石の「鶴さん」、万年石の「亀さん」と名付けられた上の写真の「力石」も残されています。

写真は、「六郷の渡し跡」の説明版です。

1600年、徳川家康が六郷大橋を架け、当時は、千住大橋、両国橋と共に「江戸の三大橋」とされました。

この橋は多摩川で最初の架橋で、長さは107間 (194メートル)、幅は4間1尺7寸 (8メートル)もありました。

1688年の洪水の後は、橋は再建されず、代わりにこの場所に「六郷の渡し」が設けられました。

止め天神を出て、隣にある「旧六郷橋」(大正14年完成)の「橋門」とその「親柱」を見に行きます。

写真の様に、現在の「新六郷橋」のたもとの広場に、「旧六郷橋」の面影を留めています。

(明治30年:未だ木造だった頃の六郷橋)

(昭和7年:旧六郷橋)

橋の階段を上って、川崎の方向へ、来た時と橋の反対側の歩道を歩いて戻って行きます。

上の写真の鉄橋は、東海道本線、京浜東北線、京浜急行です。 

(詳しくは、「多摩川を歩く・六郷水門」の最後を見てね。)                                   

川崎側の六郷橋の入り口に戻って来ました。

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その13)( 川崎河港水門:川崎側 )   2022.6.23

2022-08-21 05:36:49 | Weblog

(写真は、パリの凱旋門?ではなくて「川崎河港水門」)

 

前回までは、多摩川の東京側を、河口から六郷橋まで歩きました。

今回からは、多摩川の川崎側を歩きます。

以前に、河口から川崎大師までを歩いたので、今回は川崎大師からスタートします。

 


横浜から、京急電鉄に乗り、川崎大師駅で降り、駅から、川崎側の多摩川の土手へ向かいます。 

(川崎大師駅の前の川崎大師については、「多摩川を歩く・川崎大師」を見てね。)                

   

多摩川の土手に上って、堤防の遊歩道を歩いて行きます。

広い河原には、ラジコンを飛ばしているオジサンたちの姿も・・・

土手の遊歩道の左側には、「味の素川崎工場」の塀が延々と続きます。 

更に歩いて行くと、多摩川が大きく内側に入り込むところがあり、その先に立派な飾りの付いた水門が?

近づいてみると、国有形文化財の「川崎河港水門」とあります。

説明版には、以下の様に書かれていました。

 第一次世界大戦による好景気のなかで、川崎市は、足りなくなった工場用地の拡大を図る運河・河港計画を立てました。

 この川崎河港水門は、この計画の一環として昭和3年に完成しました。

 この水門は、写真の様に、2本の塔、塔をつなぐ梁、ゲートによって構成されています。

 塔の頭頂部には、上の写真の様に、当時の川崎の名産品だったブドウ・梨・桃をあしらった装飾がされています。

 川崎市の工場用地の拡大を図る運河・河港の大計画のうち、この水門などの一部分は完成しましたが、他の施設などは、日中戦争の戦局の悪化により、昭和18年に工事中止となりました。

土手の下に味の素工場の中へ入って行く感じの道があったので、土手を下りてみます。 

表示はありませんが、上の写真が、味の素工場の全景みたいです。

道の先は、京浜急行大師線の高架です。

味の素工場の全景を見て安心したので、土手の上の遊歩道に戻ります。 

「六郷橋」が見えて来ました。

六郷橋のすぐ左下を、京急大師線が走っています。

「六郷橋」に着きました。

1600年、徳川家康は、ここに六郷大橋を架けました。

しかし、1688年の大洪水で、六郷大橋は流され、以後、幕府は架橋を止めたので、明治時代に至るまで船渡しとなりました。

「六郷の渡し」は、当初、江戸の町人が請け負っていましたが、1709年、川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿の財政を大きく支えました。

六郷橋の脇には、上の写真の「六郷の渡し」の説明版と、下の写真の「渡船のモニュメント」がありました。

以下は、東海道川崎宿交流館に展示されていた江戸時代の「六郷の渡し」です。

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その12)( 六郷水門:東京側 )   2022.6.20

2022-08-15 05:20:22 | Weblog

(写真は、近代土木遺産の「六郷水門」) 

 

 

”穴守さまの狐のたたり”と噂される「羽田の大鳥居」をスタートして、「羽田の漁師町」を歩いて、更に、「六郷大橋」を目指します。

(穴守さまの狐のたたりについては、「多摩川を歩く・穴守稲荷神社」を見てね。)                       

羽田側と川崎大師を結ぶ「大師橋」の塔が正面の遠くに見えて来ました。

(大師橋については、「多摩川を歩く・大師橋」を見てね。)  

   

                        

先ず最初に、工事中の「首都高速横羽線(首都高大師橋)」の橋梁がありました。

そしてこの工事中の橋梁の200メートル更に先に、写真の「一般道大師橋」の橋梁もありました。

(一般道大師橋と首都高大師橋との立体構造については、「多摩川を歩く・大師橋」の文末を見てね。)              

大師橋の辺りには、その昔、羽田の渡しがあり、その渡し船は、20~30人も乗れる大きな船だったそうです。

上の写真は羽田第二水門です。

大師橋の下のアシが繁る辺りの川岸は、大田区の堤防の下にあるにも拘わらず、大田区ではなくて、対岸の川崎市の「飛び地」です。(上下の写真の赤丸印)

(多摩川の汽水域:インターネット「六郷川の四季」から)

(多摩川の飛び地のもう1ヵ所については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)                         

更に歩いて行くと、次第に、川面が見えにくくなってきました。

(六郷ポンプ所)

写真は、土木学会の「日本の近代土木遺産」にも選ばれている「六郷水門」で、「六郷用水」の排水口に位置します。

六郷用水とは、和泉多摩川の2キロ上流から取水され、田畑の灌漑をしながら、流域の雑排水を多摩川へ排出する役目を負っていました。

この六郷水門は、多摩川改修工事の一環として、当時の最先端の土木技術で造られましたが、現在では役目を終えて、地域のシンボルとなっています。

上の写真の「郷」のマークもレトロで楽しいです。

水門の背後には船着き場があります。

上の写真は、水門の管理事務所と思われますが、かなり古い建物です。

写真は、「雑色(ぞうしき)ポンプ所」です。

大田区にポンプ所が多いのは、低地で過去に水害が多かったためらしいです。

小学校の遠足でしょうか、大勢の子供達が雑草の中を大声をあげながら楽しそうに走り回っています。

この辺りのグランドは、結構、広くて立派です。

延々と堤防沿いの遊歩道が続きますが、トイレや水飲み場は、河川敷のグランド用のものが頻繁にありますので安心です。

ウォーキングでトイレの心配が無いということは素晴らしいことです!

しかし、遊歩道の脇のベンチは、カンカン照りの場所にあるので、このところの猛暑日には、休息していても頭がクラクラします・・・ 

国道15号(第一京浜)が走る「六郷橋」が見えて来ました。

写真は、上が東海道本線の橋梁で、下が京浜東北線の橋梁です。

このJRの2本の橋梁の更に奥には、写真の京浜急行の橋梁があります。 

これらの橋梁をくぐると、堤防の土手へ登る石段があったので、石段で堤防を越えてから、下の住宅街に下り、「京急・六郷土手駅」で乗車して横浜へ帰宅しました。

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その11)( 羽田の漁師町:東京側 )   2022.6.20

2022-08-09 13:10:37 | Weblog

(写真は、羽田の漁師町の船溜まり)     

 


前回は、”穴守さまの狐のたたり”と噂される「大鳥居」を見物しました。

今回は、大鳥居を出て、多摩川の分流である海老取川に架かる「弁天橋」を渡ります。 

弁天橋の欄干には、江戸前の海苔の作り方がレリーフになっています。

海老取川の堤防沿いに、多摩川へ向かいます。

右側の多摩川に、左側から海老取川が合流します。

その合流地点の近くの海老取川の堤防の前に、写真の説明版が立っていました。

近寄って読んでみると、この説明版の下には、JR貨物線の羽田トンネルがあり、京葉線の貨物列車が走っているそうです。

(JR貨物線:両端が矢印の赤色の棒線の部分)

海老取川と多摩川の合流地点に、写真の「五十間鼻」がありました。

「五十間鼻」は、長さ50間(90メートル)に渡り、洪水時の急流から岸辺を守るために、川底に敷き詰められた石のことです。 

五十間鼻の先端には、水死して流れ着いた人々を祀る写真の「無縁堂」がありました。

関東大震災や東京大空襲では、多くの遺体がここへ流れついたそうです・・・

向こう岸は川崎市です。

上の写真は、現在の堤防と旧堤防の分岐点です。

左が現堤防沿いの遊歩道で、右が旧堤防沿いの道です。

取り敢えず、右の旧堤防沿いの道を歩いてみます。

多摩川の旧堤防は、現在の堤防の内側に、大正末期に作られたレンガ造りの堤防です。

多摩川の旧河岸に沿って、湾曲しながら続いています。

延々と続きそうなので、現堤防と旧堤防の分岐点まで戻ります。

 

現堤防沿いには上の写真の「玉川弁財天」がありました。

この弁財天弁は、もともと鈴木新田(今の羽田空港)にあったのですが、進駐軍の羽田空港接収時に、この地に引越しをさせられたのだそうです。

上の写真は、「白魚稲荷」で、いかにも漁師町らしい名前の稲荷です。

多摩川河口の漁師町「羽田」の風景です。

岸辺にはたくさんの小型漁船が係留されています。

古い歴史が残る漁師の町で、羽田空港の風景とは違う生活の息吹を感じる景色です。

のんびりと昔の江戸前漁村の羽田を思い浮かべながら歩いて行きます。

写真は「羽田水門」です。

水門の裏側には、高潮時の緊急避難用の船溜まりがあります。 

上の写真は「2キロポイント」です。

川崎側のスタート地点は明確になりましたが、東京側のスタート地点(ゼロポイント)はご紹介しました様に不明です。

(ゼロポイント地点探しについては、「多摩川を歩く・川崎側の河口周辺」「多摩川を歩く・ソラムナード羽田緑地」を見てね。)   

      

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その10)( 穴守稲荷神社:東京側 )   2022.6.20

2022-08-02 09:25:33 | Weblog

(写真は、穴守稲荷神社の稲荷山)     

前回は、多摩川沿いに歩くために京急の天空橋駅で下車したものの、予定外の「羽田イノベーションシティ」の見物へ行ってしまいました。

今回は、羽田イノベーションシティから天空橋駅へ戻り、多摩川堤防の方向の出口へ出て、当初の予定通り、羽田の漁師町を抜けて、多摩川沿いに歩こうと思います。

多摩川源流を目指す旅のスタートにあたり、先ずこの羽田の守り神である「穴守(あなもり)稲荷神社」に参拝します。

 

 


天空橋駅の前の天空橋を渡り、右折して環八通りに出ます。

暫く歩くと、左手に「穴守(あなもり)稲荷神社」の稲荷山が見えます。

「穴守稲荷神社」の周辺は、江戸時代後期、新田開発が行われましたが、激しい波で何度も堤防に穴が開き、被害が絶えませんでした。 

悩んだ村民が、堤に稲荷大神の祠を祀ったところ、祠の”穴”は波風から”守”られ、五穀豊穣が続いたそうです。

これが、「”穴守”(あなもり)稲荷神社」の名前の由来です。

神聖な神社にも拘わらず、何となくテーマパークの様なワクワク感があります。

拝殿の隣には「千本鳥居」があります。

「千本鳥居」を進むと上の写真の「奥の宮」で、急な階段で「稲荷山(築山)」を登ると、頂上に「御嶽神社」があります。  

稲荷山の下の洞窟の奥には、写真の「狐塚」がありました。

この神社の辺りは、明治29年に鉱泉が発見され、神社参拝のための京急電鉄も開通して、穴守神社一帯は、歓楽街として発展したそうです。

神社周辺は、旅館や土産物店、芸者置き屋などが立ち並び盛況を極めたそうですが、今は、その面影もほとんど残っていません・・・

上の写真は、神社のちかくにある江戸時代から続く老舗海苔店の「横山安五郎商店」です。

写真は、羽田の漁師町に来たら必ず立ち寄りたい「食通ゆたか」です。(月・火定休日)

ランチの「上穴子天重」(1,800円)を注文します。 

これまでに見たことのある穴子の中では一番大きく、ふっくらした穴子はホントに美味しく最高です! 

江戸前の海の幸の味を堪能しました。 

やはり、羽田の漁師町へ来たら、この店の穴子は絶対に外せません。

羽田でしか獲れないボサエビを使ったぼさ海老のかき揚げが名物らしいのですが夜のみみたいです。

食通ゆたかを出て、店の前の弁天橋通りを暫く歩き、弁天橋を渡って「大鳥居」を見に行きます。

大鳥居の脇の説明版によると、この辺りは、進駐軍に接収される前は、鈴木新田と呼ばれた埋立地で、夏は海水浴場、春は潮干狩りで賑わったそうです。 

「穴守稲荷神社」は、進駐軍の接収により、已むなく冒頭でご紹介した場所に移転しました。

このとき、この大鳥居も併せて撤去しようとしたのですが、撤去のための綱が切れたり、米兵の死亡が続いたりしました。 

更に、撤去を依頼した日本人業者にも怪我が相次ぐ異変が起き、工事の引き受け手がなくなってしまったので、作業は断念されました。

地元では「穴守さまの狐のたたり」と囁かれています。

(進駐軍による接収については、「羽田イノベーションシティ」を見てね。)                                             

(接収される前の穴守稲荷神社の大鳥居)

 

 

 

 

ps.

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多摩川を歩く(その9)( 羽田イノベーションシティ:東京側 )   2022.6.20

2022-07-26 12:54:18 | Weblog

(「羽田イノベーションシティ」の屋上の飛行機が見える「足湯」)


前回は、ソラムナード羽田緑地を歩いてから、京急の天空橋駅から横浜に帰りました。

今回も、前回に引き続いて、多摩川沿いに歩くために、京急の天空橋駅で下車します。

が・・・、天空橋駅で下車すると、多摩川堤防と反対の出口へ、若いサラリーマン風の男女がぞろぞろと歩いて行きます?

こんな辺鄙な羽田の漁師町に何があるのだろう?、と不思議に思い、気になったので、後ろからついて行きます。 

「羽田イノベーションシティ」出口とあります?

   

エスカレーターを上がると、上の写真のバス乗り場のロータリーがあり、その脇に下の写真の”羽田の歴史の伝承”を伝える「旧三町 顕彰の碑」が建っていました。

その説明版には、羽田の歴史について、以下の概要が書かれていました。

この辺り一帯には、かっては、鈴木町、穴守町、江戸見町の旧3町がありました。

そして、現在建設中の「羽田イノベーションシティ」の敷地の周辺は、かっては漁師町で、大勢の漁師が住んでいました。 

しかし、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が、羽田の飛行場を接収・拡張するために、突然、地域住民に”48時間以内の強制立ち退き”を命令しました。

そのため、約3,000人が、代替地も無く、着の身着のままで移住を余儀なくされました。

え、えっ~!、嘘!

知らなかったな~、いくら終戦直後とはいえ、「48時間以内の強制立退き」なんて、そんな無茶苦茶な事件があったんだ!

現在だったら、そんなデタラメ、絶対にあり得ないよなあ~!

この平和な漁師町に、そんな歴史があったなんて!、信じられません!

「旧三町 顕彰の碑」の奥へ進むと、そこは写真の様に、「羽田イノベーションシティ」の工事現場でした。

説明版によると、大規模複合施設の「羽田イノベーションシティ」は、国の戦略特区で、大企業(鹿島、デンソー等)と大田区内の中小企業との最新テクノロジーの融合を目指している、とあります。

(完成予想図)

現在は、Ⅰ期エリアが先行開業し、Ⅱ期エリアは写真の様に工事中ですが、来年には全面オープンする予定だそうです。

先ず、屋上の飛行機が見えるスカイデッキの「足湯」へ行ってみます。 

温泉ではありませんが、管制塔も含め駐機している飛行機などの羽田空港の全景を眺めながらの足湯は楽しいです。

足湯の下の階に、”日本の夏の風物詩・縁日”をデジタルアートで再現した「体験型イベント:羽田出島」という施設があったので入場してみます。

(入場料:2,000円、開店は金・土・日・祝日のみ。)  

日本の伝統文化のデジタルアートの世界で、プロジェクションマッピングで賑やかなお祭りの雰囲気を出しています。

(豆まき:写真の下部の豆に見立てたボールを投げて鬼を倒します。)

(花火:手をあげたりジャンプすると動きに合わせて花火が打ち上がります。)

(金魚:水の中の金魚を触ると色々な花が咲きます。)

(面化粧:うちわに好きな色を塗ると、その塗り絵が大きなお面になって動き出します。)

(記念撮影用のスポットも用意されています。)

入場料2,000円という高めの料金設定のせいか入場者はまばらでした。

体験型イベントの羽田出島を出ると、数店の飲食店が営業していましたが、人気のトンカツ店の前には、若者の行列が出来ていました。

余りにも暑かったので、私は、カフェで写真のソフトクリーム(440円)を食べました。

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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多摩川を歩く(その8)(ソラムナード羽田緑地 :東京側 )   2022.6.14

2022-07-20 15:03:37 | Weblog

(写真は、「ソラムナード羽田緑地」の入り口)

 

多摩川の源流を目指す旅の東京側のスタート地点を探すために、「ソラムナード羽田緑地」の遊歩道を河口へ向かって歩いて行きます。

この遊歩道の先端に、スタート地点を示す「多摩川河口」の標識があるのではないか、と期待しながら進みます。

「ソラムナード羽田緑地」は、多摩川と並行して走る「環八」の堤防沿いに、平成31年にオープンしました。

対岸の川崎側のスタート地点となる小屋(赤丸印)も見えます。

小屋の左手に見える切れ目の「多摩運河」が多摩川と海との境目です。

(川崎側のスタート地点については、「川崎側河口周辺」を見てね。)   

河口側には、上の写真の様に東京湾アクアラインの「風の塔」も見えます。

綺麗な遊歩道を快適なウォーキングです。

対岸の川崎側の浮島石油コンビナートの工場群がよく見えます。

(上下の写真の詳細は、「浮島石油コンビナート」を見てね。)              

やがて、「ソラムナード羽田緑地」の端まで来ましたが、ソラムナード羽田緑地は、そこで、環八の歩道に合流してしまいます?

仕方ないので、環八通り沿いの歩道を歩けるところまで歩いてみます。

そして、その環八通りの歩道の右側は、何と!、ソラムナード羽田緑地の延長工事中です!

えっ~!平成31年オープンしたのに、未だ工事してるの?

しかも、延長工事の現場は、ずっと先の方まで続いています・・・

左側をモノレールが走っています。

どんどん歩いて行くと、やがて、写真の「羽田第二ターミナルビル」の「地下入口(羽田空港トンネル)」に突き当たりました。

参ったなあ~・・・

上の写真のトンネルの右上のビルは、羽田第二ターミナルビルです。

従って、この歩道は、空港ビルの中へと入って行くので、多摩川沿いに歩いて行けるのはここまでみたいです。

仕方なく、現時点では、ここが歩いて行ける河口に最も近い地点だ判断して、ここを”仮のスタート地点”とします。

現在工事中のソラムナード羽田緑地は、完成したら先端が滑走路の手前辺りになりそうな感じなので、完成時に再訪したと思います。

この”仮のスタート地点”から、多摩川の源流を目指して、来た道を引き返します。

多摩川スカイブリッジまで戻って来ました。

橋の近くに、写真の羽田空港船着場があります。

多摩川の源流を目指して、右手に羽田空港の駐機場を見ながら、ソラムナード羽田緑地の遊歩道を、上流へ向かってどんどん歩いて行きます。

やがて、遊歩道沿いのトイレの脇に、写真の道標がありました。

どうやら、ここが「ソラムナード羽田緑地」の入口みたいです。

この「ソラムナード羽田緑地」の入口で立派な遊歩道は終わりですが、更に上流を目指して、多摩川沿いの歩道をひたすら歩いて行きます。

更に多摩川の遊歩道を歩いて遡ります。

ここまで来ると、京急の天空橋駅までもう少しです。

赤い大きな鳥居をくぐって弁天橋を渡ります。

更に天空橋を渡って、京急線の天空橋駅から横浜に帰ります。

 

ps.

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多摩川を歩く(その7)( 多摩川スカイブリッジ:東京側 )   2022.6.14

2022-07-13 10:07:38 | Weblog

(写真は、多摩川スカイブリッジから望む羽田河口周辺)


多摩川の川崎の河口から源流までの全長138キロのを目指して、川崎大師まで歩いて来ました。

しかし、待てよ?

同じ様に、多摩川沿いの東京側についても、羽田の河口から源流を目指して歩かないと片手落ちでは?

多摩川の両岸を歩くということは、全長138キロではなくて、倍の全長276キロを歩くの?

う~ん?・・・

まあ、仕方ない・・・

取り敢えず、羽田の河口のスタート地点を調べてから、東京側からも歩き始めてみるか・・・

先ず、東京側の河口のスタート地点を探そうと、この辺りの地図を見ると、羽田空港国際線ターミナルの前に、多摩川沿いの遊歩道があります。

この遊歩道の先端が、東京側の河口のスタート地点になりそうな感じです。

 


と言う訳で、京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅で下車して、この多摩川沿いの遊歩道を目指します。

改札を出て、国際線ターミナルビルの1階へ下ります。  

ターミナルビルの前の「羽田エアポートガーデンホテル」の外側を廻って、多摩川に沿いの遊歩道の方角へ歩いて行きます。

写真の環八を跨ぐ陸橋があったので、この陸橋に上がって環八を超え、この陸橋を下りて遊歩道に出ようとしました。  

この陸橋に上がったところで、その光景に驚きました!

陸橋に上がってみると、何と!、そこは、以前に歩いた「多摩川スカイブリッジ」の端でした!

多摩川スカイブリッジは、以前にご紹介した様に、川崎市の医薬品関連の研究施設(キングスカイフロント)と対岸の羽田空港とをつなぐ橋です。

(多摩川スカイブリッジについては、「多摩川スカイブリッジ・川崎側」を見てね。)

以前に、川崎側から多摩川スカイブリッジを歩いたときは、猛暑で頭がくらくらしたので,橋の途中から引き返しました・・・ 

今回は、以前に引き返した地点まで、羽田側から歩いて行きます。

曇天の中、羽田の駐機場の奥には、東京タワーやスカイツリーがボンヤリと見えます。

対岸の川崎側には、以前に訪れた巨大な「ヨドバシカメラ物流センター」も見えます。

目を凝らすと、「ソラムナード羽田緑地」の遊歩道の先に、目指す「羽田の河口周辺」が見えます。

多摩川スカイブリッジの端まで戻り、環八を跨ぐ陸橋の階段を下りて、「ソラムナード羽田緑地」の遊歩道に出ました。 

説明版によると、平成31年、羽田空港国際線ターミナル(第3ターミナル)エリアに隣接する、多摩川沿いの細長い領域に、緑地公園の「ソラムナード羽田緑地」として整備されました。

この緑地には、休憩施設、展望テラス、綺麗なトイレなどがあります。

環八と並行するこの遊歩道を歩きながら、近くに離着陸する飛行機を見ることが出来ます。

この遊歩道の先端に「多摩川河口」の標識があり、河口から源流を目指す旅のスタート地点があるのではないか、と期待しながら歩いて行きます。

 

 

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」、「五街道踏破」、「バスで行く奥の細道」については、「中山道を歩く」をご覧ください。

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