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【社会】「日立闘争」元原告朴鐘碩さん定年退職…仙谷由人議員も慰労に

2012年02月19日 12時35分05秒 | ★マスコミ・情報操作・洗脳★
「画期的、歴史に残る裁判」

 【神奈川】日立就職差別裁判の元原告、朴鐘碩さん(60、写真)の定年退職を祝い、
当時の支援者らが6日、川崎市川崎区のコミュニティハウス「さくら」でシンポジウム
「日立闘争の意味を問う」を開いた。

 主催者は内輪の勉強会として参加者を20人と予定していたが、最終的には40人となった。
弁護団の一員として日立闘争に関わった国会議員で元官房長官の仙谷由人さんが
駆けつけるという「ハプニング」もあった。

 仙谷議員は当時25歳。弁護士として初めて担当した裁判だったという。仙谷議員は
「歴史的に大きな意味のある裁判だった。よく定年まで頑張った。何かを成し遂げたということは、
必ず日本の歴史や在日韓国人の歴史に、画期的なこととして残ると思う」と述べ、
固い握手で朴さんの労をねぎらった。

 朴さんは昨年11月、22歳で入社した日立ソフトウエア戸塚工場を退職した。
過去38年間を振り返りながら、「日立闘争は民族や人権について多くを学んだ私の人生の大学だった」と
感慨深げ。この後、横浜国立大学の加藤千香子教授(日本近代史)らを交えたパネル討論もあった。

 祝う会は日立闘争支援の中心的な存在だった崔勝久さん(66)=新しい川崎をつくる市民の
会事務局=が企画。近隣の中華料理店を貸し切っての2次会には70人が参加し、これまでの
朴さんの孤独な闘いを称えた。

ソース   民団新聞 2012年1月18日
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=15381


今年一月の民団のサイトに載ってた話です。

さて「日立闘争」なるものですが、
この件を応援し続けている方のサイトを参考にいたしますと、

朴鐘碩さんは、1970年に新井鐘司さんという日本名で日立の採用試験を受けて、見事合格したのでしたが、入社の際に日立から戸籍抄本を提出するように求められたことで、「在日」であるということを理由に採用撤回をされ、裁判を起こしました。この裁判は、「在日」と日本人の学生たちとが一緒になって3年半にわたり続けられ、勝訴しました。

http://akemi.da-te.jp/e466757.html



おおむねこのような記載が見られますが、
実際には虚偽の申請をして入社したらばれちゃったという話ですよね。

この件を正義の勝利と主張している方々だって事の経緯は把握してるわけですが、
そういう話を全て「差別」につなげて大騒ぎすると言うのが、
戦後の日本各地で行われてきた彼らの戦略であり、行動様式だというのが、
この件ですごーくよくわかりますね。

だって日本人だって違う名前で面接来られたら普通に拒否されますし、
むしろその点においては、昔のほうが日本人も韓国人も平等だったわけで。
つうか身分証明出せないっていうのもアウトでしょ。普通に。

どこだかでこの件の裏事情に触れている話も見かけまして、
採用取り消しには、当時の朝鮮人の動きを警戒したという見方もあるようですね。
何かあったらとんでもない自体になるので早いうちに、ということで。

これについて裏を取ることは出来ませんが、
私が子供の頃は「朝鮮人は何をするか分からないから気をつけろ」
というのはわりと一般常識になってるところがありましたし、
他のエントリでも触れましたが、私の母校で差別問題があったからと、
その方々に朝一で学校の周りを取り囲まれたという事件もあったんですね。
とにかく関わるなが合言葉みたいな感じでしたね。

こういう話もありますし。

GHQ主導によって戦後日本で朝鮮人が暴れまくった



ともあれこの事件がきっかけとなって、
今のように朝鮮韓国人がどんな犯罪を犯しても本名で報道されない、
いわゆる「通名報道」がまかり通るようになったのですが、
その仕掛け人とも言うべき当案件の弁護士があの仙谷由人だったと。
そりゃあ日本の為になる事なんてするわけないですよね。

今の日本で言われる在日問題というのがどういうものかから、
今の日本の政権を握っている人達と、それを取り巻く状況等、
いろんな事を考察するにはもってこいの案件ともいえるでしょう。


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