家族みんなつらかった。
私と母はミーシャをがっかりさせないように、こっそり泣いた。
こうやってチェルノブイリはわが家に侵入し、壁にかかる遺影として永久に
住み着いてしまった。
時は進む。人々は以前人生の出来事を思い出すとき「戦争前、戦争後」と
言っていたが、今では「チェルノブイリの前、チェルノブイリの後」と
言っている。それは悲しい歴史の区切り目となってしまったのである。
チェルノブイリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。
なぜなら、それがないところには不幸が住みついてしまうからである。
でも今わがやには不幸がいすわっている。それは出ていこうとはしない。
何年たっても何世紀たっても
この痛みは私たちから去らない
それはあまりに大きく果てしなく
どうしても鎮められない
それは負の遺産として
何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
そして彼らの心に居すわって
永遠に平静を奪うだろう
地球上の一人ひとりが
このおそろしい年
おそろしい日を覚えていますように
わたしたちの涙で雪だるまが溶けた より引用
http://yukidarumanonamida.blog.fc2.com/
暗い夜になる前に マリア・ゴルフビッチ(女13歳)
ソコビッチ中等学校7年生 ソリゴルスク地区
梓書院 チェルノブイリ支援運動九州より
全くの偶然から辿りついた話ですが、とても必要な事に思えたのでご紹介させて頂きます。
当ブログでは比較的、原発関係の話題が少なめとなっていますが、私は原発推進ではありません。将来的には確実に無くなって欲しいし、またそうあるべきだと思っています。
ただそうなる前には、原発が停止した後の処置が問題無く進められる政策と、それを確実に実行できる政府が何より不可欠で、それ無しに話を進める事は、原発フル稼働の状態よりももっと危険な状態になる可能性が大です。少なくとも、天皇陛下自ら釘を刺されるほど、日本の為に機能していない民主党政権に、日本の安全を求める事自体が間違ってます。
それに私達の意見が伝わるべきところに正しく伝わらない状況のままですと、どんな思いや動きも全く違う方向に誘導されたり、その動きを利用されたりという例が後を絶ちません。特に、本当に願うべきこと、許されざるべき事等には、そのような動きが常に見られます。その為に当ブログでは情報操作に関する情報を多く扱っております。
しかし人がどんな状況であっても、現実はどんどん進行しているというのもまた事実。ということで今回は原発事故のリスクを誰よりも知っている、ベラルーシの子供達の声をご紹介させて頂きました。
一人でも多くの方のお役に立てますと幸いです。
リンク先のブログでは、今回ご紹介させていただいた以外にも、原発事故の痛ましさを子供の目線で真摯に綴られた文章がいくつかあります。また、この本は現在amazonで中古のみ取り扱い可能となってます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます