ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

三重県はなぜ民主王国なのか

2010-07-16 20:55:46 | Public
「全国とは違い、三重県には反民主の風は吹かなかった」
と新聞が書くように、三重県は民主王国。今回の参議院選挙も、
NHKの中継が始まったと同時に、全国でも3人目か5人目かそれくらいの
早さで、民主党候補・芝博一に当確が出た。

 しかし、三重県はなぜ民主王国なのか。
衆院選では5選挙区中4区で民主が勝ち、参院でも民主のぼろ勝ち。
あと、注目に値するのは、県議会の多数派も民主(新政みえ)。
よく民主党は労働者の多い都市部で強いというが、三重県は他県に比べて
決して都市的ではない。特に南部は漁業、農業がさかん。
歴史的にも、自民の重鎮(参議院議長まで務めた齋藤十朗、内閣官房大臣にもなった藤波孝生など)
がどっしりと6とか8とか、何期も何十年も席を保っていた。
なぜ、いつから、民主王国なの?

ヒントは、
・1995年ごろ、民主党の前身、新進党の国会議員が4人、民社党が1人もいた。
 新進党・北川正恭、野呂昭彦、中川正春、岡田克也、民社党・中井ひろし。

彼らが、北川は三重県知事に戻ってきたが、のこりは民主党に合流、県内の民主勢力をつくった。

新進党に名を連ねた4人の出元は自民党。
彼らはなぜ新進党についたのか。

・・・
なぜなら、自民時代、北川が勉強会を開き、県選出の仲間議員に声をかけていて、
集まっていたから。それでみんなで新進党に流れたと。
事情通によると、県議の父親、国会議員の叔父を持つ北川さんは
「将来、総理大臣にでもなりたかったんじゃないか」。
それで、勉強会を催したりしながら派閥を作るくらいのつもりだったのだろう。
北川さんは1995年、三重県の田川長期政権を打破しようと、
「改革派」として立候補して当選。
その後は、岡田克也が圧倒的な影響力を持って、県内の民主議員を引き連れた。

ではなぜ、県議会まで民主党が多数派なのか。

北川さんが知事に立候補した選挙で、「北川さんの革新的イメージにあやかろうと」
多くの新人県議が立候補、当選した。
彼らが力を持つようになり、当選議員を増やして、数年前から多数派となった。

・・・
なるほど、三重県でも自治労は強そうだけど、そういう理由ではなかった。
北川さんという人がいて、岡田さんが引き継いだという話だ。
政治はつながりだ、流れだ、歴史だ。
三重もけっこう面白い。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿