パパキング

学童保育クラブ指導員のパパキング。
日々感じていることを包み隠さず文章化。
お暇なら見てよね。

令和元年初月を終える前に。

2019-05-30 23:22:59 | Weblog
5月1日に平成から令和に年号が変わり、
つい先日、川崎でとんでもない事件が起きてしまったけども、時は脈々と過ぎ、初月を終えようとしています。
結果的に、超ロングGWも有意義に過ごすことができ、エネルギーを十分蓄えることができ、今に至ります。

このブログは令和3号。
話題豊富に令和4号が更新できるように邁進します✌

よし!
頑張ろう⤴
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人間ドック。

2019-05-14 18:21:18 | Weblog
今日、ついに人間ドックをしてきました。
場所は新宿健診センター。

健診センターと言うだけあって、とても流れが良くて無駄な動きもなく、時間が限られていた自分にとっては拍手喝采でした。
素晴らしい回し方でした✨
俺みたいな性格の人間にはバッチグーな健診センターでした。
次回もここにお願いしようと思いました😊


で、結果。
正式な結果は3週間後に書類が自宅に送られてくるそうですが、とりあえず体重はその場で確認。

この日に向けて、年明けから意識して食事制限してきました。
筋トレしてきました。

結果発表です。

ドラムロール!

ドゥルルルルルルルルルルルルルルルル。








ジャン!!




76.4キロ!!


目標の75キロまではあと一歩及ばずでしたが、
1月29日で85キロ。
3ヶ月弱で76.4キロ。
マイナス8.6キロ。

まずまずではないでしょうか。


とりあえず、ダイエットは継続して、
目標の75キロ代まで減量して、その記念に家族みんなで焼肉を食べに行きたいと思います
頑張れ!自分!(笑)
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令和1号。

2019-05-01 22:18:47 | Weblog
令和元年。
無事にスタートしました。
今日のブログは令和第1号になります。
はてさて、令和何号まで続くのでしょうか。。


平成最後、私は母の住む実家(茨城)で過ごました。
家族みんなで28日(日)に茨城入りし、30日までお世話になりました。
平成最後の日を実家で過ごすと最初から決めていたわけではないけども、
時の流れに身を任せていたらそうなった。みたいな。
感覚的に、父に呼ばれたような、そんな気がしました。

家族全員で実家に帰省し、2泊3日過ごさせてもらうのは初でした。
2泊してみたいと言ったのは10歳になる娘。
実家に2泊するのは、娘の夢だったようです。
その念願叶った娘が帰りの車中で放った一言。
「お父さんのお父さんに会ってみたかったなぁ。」
突然の言葉に、運転中の俺はびっくり。なんで!?と思いました。
何を思ってそう呟いたのか、聞きたかったけど、
聞くと涙が出ちゃいそうだったので聞きませんでしたけど(笑)。
2泊3日、父が過ごした実家にお世話になったことで、
彼女の中で、どこかのタイミングで父(おじいちゃん)の存在を感じたのかなぁと思いました。

実は、今回の帰省にあたり、実家に行くまでには相当な時間がかかりました。
普段は1時間弱の道のりも、今回は3時間くらいかかったのかな(汗)。
当初予定していたプランも変更を余儀なくされ、ある意味その場その場のインスピレーションで動きました。

まずは父の墓参り。
その時、子ども達が進んでお墓にお水をかけてくれました。
お水が足にかかっただの、ズボンにかかりそうになっただの、
下二人はワチャワチャしてましたが、
お墓の前できちんと手を合わせてくれました。
俺は俺で、お墓の前で「3日間お世話になります。」と言葉をかけました。
後々、娘に「お墓の前でなんて伝えたの?」と聞くと、
「3日間お世話になります。」って言ったそうです。
ここでも俺はびっくり。
気付かぬうちに大人になり、礼節(?)の分かる子になったんだと、
娘をまた好きになりました。

実家に帰省中、度々父を感じる瞬間があり、
何かしらのメッセージを伝えられてるような、
想いを受け継いで欲しいというメッセージが送られているような、
そんな感覚になりました。
でも、旅行中は家族5人で楽しく、ビデオを必要以上に回しながら楽しみました。
初家族全員カラオケ
初家族全員ボーリング
初家族全員渋滞ドはまり(初めて車中でおしっこしちゃった笑)。
たくさんの思い出ができて、行きから帰りまで全部楽しかった。
心底そう思えたのも、父が空からコントロールしてくれていたのかな、と。
ここでも父の存在を感じてしまうような。そんな感覚なんです。

これは何かある。
これは何かある。
これは何かある。

旅行中も、運転中も、帰宅後も、考えました。
父の訴えてるものってなんだろうと。

ぼんやりと浮かびながらも消え、
またぼんやりと浮かんでは消え、
これを繰り返すうちに、「ん?」っていう感覚が。
これは、茨城旅行を終えた後、令和元年の朝5時に落ちてきた答えです。

「あ、俺はこれから母と一緒に暮らさなきゃいけないんだ。」
です。


そこに理由は意味はなく、これが俺の与えられた役割(父からのメッセージ)なんだなと。
もし、この受け取りが正しいのなら、父はきっと今頃空で笑ってくれているのかなと。
俺は言う。
「お父さん。あとは任せてくれ。」
「お母さんは俺が最後まで守る。」

俺は4人兄弟。
兄、姉、俺、弟。
4人もいる。

母を最期まで見守るのは全員であることは間違いないが、
現在一人暮らしの母がこの先ずっと一人っていうのは難しいだろう。
母は今年いくつになるんだ?
1945年生まれだから、2019-1945=74
今年74歳になる。
茨城の生活は車が必須。
そろそろ車なしの生活の場に身を置く頃合いではなかろうか。

実は、我が家は市の計画道路上に位置していて、
数年先に転居が予定されている。
時期は未定で、場所も未定。
先々の話なので、これからどんな展開になるかなーんにも分かっていないが、
新しい家を建てることになれば、母との生活を見据えた設計にしたいと思う。

母のために、母のための部屋を用意してくれた兄には申し訳ないが、
今度話す機会があったら、相談に乗ってもらおう。

平成最後に父を感じ、令和初日に大きな決断。
これが父の差し金ならば、「あっぱれ!」という他ない。

でも、そこには俺の想いもあるため、嫌な気はしない。
むしろ、「喜んで!」である。

この決断に際し、すでに家族にはお伝え済み。
それもビデオを回しながらの宣言であった為、証拠もある(笑)。
嫁もOKと言っている。
その真意は計り知れないが、「いいんじゃない?」と言った。

令和元年はいい意味で慌ただしくなりそうだ。



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