「葉山会食」とはI氏がEメールでの連絡につけた名前である。
正式な名前か仮の名前かはわからない。そのうちかっこういい正式な名前がつくのかも知れない。
先回は昨年の12月に葉山マリーナであった。今回は葉山テラスのレストランであった。
今回の出席者は、ついこの間まで大学教授をしておられたH博士I子夫人のご夫妻、それに経営コンサルタントのC氏。なおC氏夫人のR子さんはお仕事の関係で今回は欠席。それに大手の物流会社の幹部をしておられたI氏とK子夫人のご夫妻、それに私SとI子の夫婦であっった。
今回の会場は葉山テラスのレストラン ル・シエル・ブル 。
出席者年齢の順で行くと、私、H博士、I氏,C氏 の順になる。(年齢の話なので男子のみの記載とする。)
私を除いてはすべて美男美女、紳士淑女の皆さん。
葉山の海が一望の席で、美味しい料理を頂きながら楽しい一時をすごした。
では私たちはどういう集まりなのか?
I氏が1枚の写真を持って来ており私に見せて下さった。
懐かしい!そこには私も写っていた。後列向かって左端のYシャツ姿の「青年」?である。私は入学したばかりの大学生。I氏も写っていた。I氏は前列向かって左端の「少年」。小学4年生だ。
I氏の母上とI氏の幼稚園時代の妹さんお二人、それにI氏の小学校4年の同級生7人。
それに私の大学の上級生のTさんと同級生のMさんの2人。総員14名の集合写真である。11月3日 村山貯水池にて 理科クラブと書いてある。
(いつごろの写真? 東京オリンピックよりずっとずっと前の写真である。前世紀の半ばの写真である。)
この時何歳だったの?とI氏は私に聞く。この時私はまさに20歳だったのである。
私達3人の大学生は私達の大学がはじめた小学生のための「理科クラブ」の先生。そしてI氏の母上は父兄であり、この子供たちが属しているクラブを作った方なのである。
以下、リンクの記事をご覧頂きたい。そうするとI氏と私の関係が大分おわかりになることであろう。
では、H博士とC氏と私の関係は?それとH博士とI氏とC氏との関係は? 次号で説明させて頂きたい。
(いやリンクの関連記事を読まれた賢明な読者はもう、それでお分かりであったろう。)
昔の写真(理科クラブ 於 村山貯水池)
(つづく)
関連記事:#74「I家の人々」2(理科クラブ)←クリック
画像:1.葉山の海(レストラン内からの直接の撮影ではない)(筆者撮影)
2.昔の写真(理科クラブ 於 村山貯水池)