この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#120 トルストイ著「青年時代」

2005年06月16日 | ロシア文学
トルストイの「青年時代」の執筆が始まったのが1855年、彼の27歳の時、雑誌での掲載が始まったのが1957年彼の29歳の時なのだそうだ。この「青年時代」の主人公のニコーレニカは16歳で大学受験を控えている。そしてこの「青年時代」は主人公が大学入学後、学年末の試験に落第するところで終わっている。

巻末に、もっと幸福だった青年時代の後半を書くと書いているのだが、トルストイはこの「青年時代」の続編は書かないでしまった。

16歳からの年齢を青年というのだろうか。

私は思い出している。私が東北の地方都市にあった高校の二年の時だった。福島県のI高校という。私は柄にもなく弁論部に所属していた。

仙台にある東北学院大学で東北6県の高校を招いて高校生の弁論大会が毎年催されていた。私は上級生に言われてこれに参加した。

壇上で何を話したのかは今はよく覚えていない。東北学院はキリスト教の大学で、講堂は教会の祈祷室のような趣きがあった。牧師が説教するような演台で私もスピーチをした。
会場には東北学院大学の学生だけではなく、すぐ隣にある東北大学の学生も沢山来て野次をとばしていた。弁論大会には野次がつきものだった。

私の弁論の大事なところで私が「我々青年は・・・・」と絶叫した時に、会場にいた大学生が即座に野次を飛ばした。
「君はまだ少年だ!」
観衆がどっと笑った。

私はその頃何故か体がひどく小さかった。高校に入学したときには、300人くらいの新入生で小さい方から4番目くらいだった。卒業するころには大分ましになり今では普通の大きさになっている。私のパスポートにはずっと身長172センチと書かれている。

私はその時17歳。トルストイの「青年時代」のニコーレニカより1歳年上だ。

余談はさておき、この時代は青春の入り口のような時代だろう。

トルストイの「青年時代」の45章の各章には、それぞれに副題がついている。これを見ているだけでも楽しい。ちょっと列挙して見よう。(原卓也氏の訳による)

1.何を青年時代の初めと見なすか。
2.春 
3.空想
4.家庭の団欒
5.信条
6.懺悔
7.修道院行き
8.再度の懺悔
9.わたしの受験勉強ぶり
10.歴史の試験
11.数学の試験
12.ラテン語の試験
13.僕は大人だ。
14.ウオーロジャとデュブコフのやっていたこと
15.祝ってもらう
16.喧嘩
17.あいさつまわりの支度
18.ワラーヒナ親子
19.コルナコフ家の人たち
20.イーウィン家の人たち
21.イワン・イワーノイッチ公爵
22.親友との腹をわった会話
23.ネフリュードフ家の人たち
24.愛
25.様子がわかってくる
26.いちばん有利な面から自分を見せる
27.ネフリュードフ
28.田舎で
29.僕らと女の子たちとの関係
30.わたしの仕事
31.Comme il faut
32.青年時代
33.隣人
34.父の再婚
35.わたしたちがその知らせをどう受けとったか
36.大学
37.恋らしきもの
38.社交界
39.コンパ
40.ネフリュードフ家との親交
41.ネフリュードフとの友情
42.継母
43.新しい友人たち
44.ズーヒンとセミョーノフ
45.落第

 どこを読んでもトルストイの自分と向き合う若者の厳しい姿勢、自己分析、自己反省、まわりの人に対する見事な観察と人間への愛情、友情、女性への思い、みずみずしい詩情があふれている。

私はこの作品を最初に読んだときには自分自身のこれからの生き方も考えながら読んだのだが、今はただ遠い昔をかすかに懐かしく思い出すような感じで読み返している。

昔の懐かしい友人達、主人公と同じようにはるかにあこがれた女性(?)、周囲で温かく取り囲んでくれた多くの人々のことを思い返している。

*画像:トルストイ著「青年時代」原卓也訳 新潮文庫 昭和47年初版 同59年20刷
   全250ページ







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