この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#208 徐州「虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん」

2005年10月20日 | 寺社、名所、史跡、祭礼
徐州には小高い丘に、古代の中国の英雄、項羽の小さな記念堂があった。

力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う
時に利あらず騅(名馬の名)逝かず
騅逝かざるを奈何(いかん)せん
虞や虞や若(なんじ)を奈何せん

という項羽の最後の言葉(詩)を思い浮かべたし、記念堂にもこの項羽自身が作ったという詩が書いてあった。そして項羽と虞美人の人形もおいてあったと思う。

「虞や虞や若(なんじ)を奈何せん」という一節は、私の幼い頃母からよく聞かされた覚えがある。この一節は母が好きであったようだ。

今、私は陳舜水著の「小説十八史略」を本棚から取り出して読んで見ている。

楚の軍隊に四方を固められ、所謂「四面楚歌」の中、項羽は8年も項羽につれそった愛人、虞美人と別れる。項羽はこの歌を何度も歌い、虞美人もそれに唱和したと史記には書いてあるそうである。

「項王、涙数行下る。左右皆泣き、能く仰ぎ視るものなし。」で史記の記述は終わっているのだそうだ。

伝説では、この時に虞美人は項羽の剣で自ら命を絶ったという。そしてこの時、虞美人の血がおちたところに可憐な草が生え、それが虞美人草と名づけられたという。

虞美人草とは「ひなげし」のことである。

「楚漢春秋」という本には、この項羽の詩に対する虞姫の次の返歌がのっているのだそうだ。

漢兵すでに地を略し
四方は楚歌の声
大王の意気尽きたれば
賤妾なんぞ生をやすんぜん

唐の武帝と楊貴妃の別れの場や日本の謡曲の「船弁慶」での義経と静御前の別れの場、同じく謡曲「巴」の木曾義仲と巴御前の別れの場なども思い起こしてしまう。英雄とその愛する女性の別れの場は、絵になるのであろう。

項羽と虞姫との別れは「垓下」という土地でおきたことになっているが、「垓下」と項羽祈念堂のあった徐州とがどういう関係なのか、同じ場所なのかどうか、その後私は調べていない。

画像:虞美人草(ひなげし)

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