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日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

ヤコブ=12部族の祖

2014年03月20日 | Weblog

 ヤコブ(イスラエル12部族の祖

 アブラハムは、その妻サラとの間にイサクを儲けた。そしてイサクは故郷のハランでリベカを嫁として迎えた。「イサクは、リベカを愛し、亡くなった母に代わる慰めを得た」。しかし、リベカはなかなか子宝に恵まれなかった。そこでイサクは神に子を与えてくれるように願った。神はこれを聞き届け、リベカは、エサウとヤコブと云う双子を身ごもり、これを生んだ。先に生まれたのがエサウであり、後の生まれたのがヤコブであった。この時イサクは60歳であった。兄弟は成長した。エサウは狩りに長じた野の人となり、ヤコブは天幕に住む非の打ちどころのない人となった。この非の打ちどころのないヤコブが、母のリベカと組んでエサウの持つ長子権を奪うのである。長子権とは、古代イスラエルにおいては特別に価値あるものとみなされ、その権利は重く、人(奴隷)も家畜も、あらゆる財産は親から長子に受け継がれたのである。

 長子権を奪うヤコブ
 しかし、エサウはこの長子権を軽んじ、弟のヤコブにわずかな食べ物と引き換えに、この権利を与えてしまう。しかしこれはあくまでも口約束であって、実質的力をもたない。実質的決定権は父親のイサクが持つ。イサクは、エサウを愛していたが、リベカはヨセフを愛していた。イサクは長子権と云う恵みをエサウに与えるべく、準備をしていた。それを知ったリベカは奸計をめぐらし、ヨセフをエサウと偽る。年老いて目を患うイサクは騙され、本来エサウが受けるべき恵み(長子権)をヤコブに与えてしまう。もはや元には戻らない。エサウは当然怒り狂う。口約束とはいえ、エサウは、長子権をヤコブに与えているのである。怒るのはおかしい。しかしそれが人間と云うものである。エサウは、イサク亡き後ヤコブを殺そうと思う。

 ハランでのヤコブの生活
 それを知ったリベカは兄ラバンの住むハランに、ヤコブを逃がし、暫時、エサウの怒りの収まるのを待つようには云う。ヤコブは、伯父ラバンの保護下に入る。リベカはイサクに次のように云ってその行為を弁明する「ヤコブがカナンで異邦人と結婚しないため」だと。イサクはこれを認め、ヤコブに云う「ハランに行ってラバンの娘と結婚せよ」と。ラバンには2人の娘がいた。姉はレアと云い、妹はラケルと云った。ヤコブは妹のラケルを好きになり、求婚する。ラバンはこれを認めるが、ヤコブの閨に入って来たものはレアであった。ヤコブはラバンに詰問する。ラバンは言う「姉より先に妹を嫁がせるわけにはいかない」と。結局ヤコブは2人の娘と結婚することになり、その代償として、20年間ラバンのもとで働くことになる。暫時の筈が、何と長くなったことか。レアとその婢ジルパ、ラケルとその婢ビルハとの4人の間に生まれた男子は12人であった。レナは、ディナと云う娘も生む。ヤコブの愛はラケルにあり自分にはないと知ったレアには子を産むことによってヤコブの愛を獲得したいと云う女の悲しさと、寂しさがあった。多くの子に恵まれながらも、ヤコブとラケルとの間に生まれた子はヨセフとベニヤミンの2人であった。ハランを脱出してカナンに向かう途中にベニヤミンを難産の末に産んだ後、ラケルは死亡する。

 ヤコブの脱出
 ハランの地でヤコブはラバンのもとで20年間働き多くの富を得るが、その生活は苦難に満ちていた。富の大部分はラバンによって奪われていた。既にラバンとの契約(14年+α)を果たしたヤコブは、この地を去り、カナンに戻ろうと決心する。ラケルがヨセフを生んだ後、「わが一族を、わが土地、わが国に送りだしてくれ」と頼む。神もヤコブに云う「あなたの父祖の地に、親族の下に帰りなさい。私はあなたと共にいる」と。ヤコブはハランの地を脱出する。ラバンはこれを追う。追いつき争いが起る。神の仲介で2人は和解する。契約を結ぶ。ヤコブ一族(12人の息子と一人の娘ディナ)は、全財産をもって父イサクの住むカナンに向かう。まさに大移動である。

 兄エサウとの和解
 カナンに戻る途中、ヤコブは兄のエサウに会わねばならなかった。兄から長子権を奪った自分の行為を、謝罪せねばならぬと思ったからである。兄の下に多くの贈り物をつけて、使者をつかわす。兄の怒りが、いまだ残っていて自分たち一族に害を与えないかと恐れたからである。そして神に自分たちをエサウの手からお救いくださいと祈る。兄のエサウは400人もの従者を引き連れてヤコブに会いにきた。ヤコブの恐れは杞憂であった。20年もの歳月はエサウを変えていた。エサウはヤコブと再会するや否や、ヤコブを力強く抱きしめ、その首に顔を埋め、たがいに口づけをして喜びに感極まり激しく泣いた。和解が成立したのである。エサウは自分は富むものになったからと云って、ヤコブからの贈り物を固辞したが、自分は神からすべてを与えられていると長子権を得たことを暗示したので。エサウはそれを快く理解し我が物としたのである。ヤコブはエサウと別れ無事に父イサクの住むカナンに帰りつく。

 ヤコブと神との闘い
 ヤコブは神と格闘しこれに勝っている。ヤコブがエサウに会う前に、一族を先に行かせ、ひとりになった時、ひとりの男が現れヤコブに戦いを挑む。ヤコブはこれと闘い、勝利を得る。この男は神の化身であった。神は自分に勝ったヤコブに感激し、以後イスラエルと名乗るように命じる(創世記32章23~33節)。是と同じ表現が創世記35章10節~13節にも述べられている。それを引用しよう。神はヤコブにその名をイスラエルに替えよと命じた後「私は全能の神である。生めよ。増えよ。一つの国民、諸国の民の集いが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。私はアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にも、その地を与えよう」。神に選ばれた民が、自分たちの強さの根拠をヤコブに求め、以後自分たちの国をイスラエルと呼ぶようになる。旧約聖書には、カナンの地を永遠の「約束の地」と呼んでいる。

 ディナと二人の兄、そしてその罪 
 かくてヤコブは、無事にカナンの地シケムの町へやってきた。そこで一つの事件が起こる。レアとヤコブの間に生まれた唯一の女性ディナがこの地の族長ヒビ人ハモルの息子シケムに犯されたのである。ヤコブの子らは激怒する。シケムは彼女を愛し嫁にしたいと父親のハモルに告げる。ハモルは、ヤコブのところに来て、ディナを嫁に欲しいという。最高の条件を提出し願いをかなえて欲しいという。それに対してヤコブとその子らは「割礼をうけよ」と、条件を出す。それはイスラエルの神を信仰せよということである。一つの民になるということである。ハモルはそれに同意し、男子の全てに割礼を受けさせる。そして傷の痛みに苦しんでいる時、ヤコブの2人の息子シメオンとレビは、おのおの刀を執り、難なくその町に侵入し、全ての男子を殺した。ハモルもシケムも例外ではなかった。女、子供は奴隷とされ、財産のすべては略奪された。それが、妹ディナを犯された兄たちの復讐であった。ヤコブは完全に無視されていた。ヤコブは恐れおののき、息子たちを非難する。息子たちの答は「ならば、われらの妹を娼婦のように扱ってよいとでも云うのですか」と云うものであった。酷いものである。割礼まで受け、信者となったものをだまし、これを殺し、町の全てを略奪し、自分の怒りを爆発させる。しかしこんな兄弟を神は見逃している。強姦がどんなに大罪であったとしても(創世記34章7節)、彼らのやったことに比べれば軽いものである。しかも、シケムはディナを嫁に迎えたいと云い、これを愛したのである。是は酷過ぎるのである。ここから考えられる事は、旧約聖書の神は、あくまでもイスラエルの神であって、それ以外ではないということである。ヤコブ一族は神によって選ばれた民であり、さらに「約束の地」カナンに向かう途中であった。自分を信仰し、自分と契約し、子々孫々まで残していくべき大きな目的をもっている者を罰するわけにはいかないのである。この事件は大事の前の小事であったのかもしれない。しかもハモル一族は、割礼をうけたとはいえ、異教徒であった。しかし、神は契約に際して、「わが前において完全であれ」と云っているのである。彼らは完全であったか?神はヤコブの前に現れた。ヤコブはその命令に従って、その地に祭壇を築き、一族の持つ偶像を木の下に埋め、かつ破壊した。これが神がヤコブ一族に与えた裁きであった。神の判断は人知を超えたところにある。神の意志は、事の善悪ではなく、信仰の強弱によってきまるのである。また、神の好き嫌いによっても、決まるのである。神のなす事は全て善きこと、とでも云っておこう。
 聖書はこの後もいろいろと述べているが、重要とは言えないので省略する。ただ、旅の途中、ヤコブの妻ラケルは、難産の末、ヨセフの弟ベニヤミンを生んで死んだ事、ヤコブとレナの間に生まれた長男ルベンがヤコブの側妻ビルハと性的関係をもった事を述べておこう。近親相姦である。12人も息子がいると色々な人間がいるものである。そんな人間を束ねていかねばならなかったヤコブの気苦労はどんなに大変であったかは想像できるのである。ヤコブの人生は多彩であった。兄エサウから長子権を奪った事、怒る兄、ハランへの脱出、伯父のラバンのもとでの生活、2人の妻のヤコブを巡る葛藤、2人の側妻との生活、出来の悪い兄弟、兄エサウとの和解、等々、ヤコブを取り巻く環境は余りに人間的である。この後12人の息子達からイスラエル民族の12部族が生まれるのである。

 旧約聖書を読む理由
 旧約聖書を何故読むのか?それは現代中東をめぐるイスラエルと、アラブの争いを考える上で、絶対の条件を提供するからである。それは神とイスラエルの民との契約である。神はカナン(現代のパレスチナ)の地を、イスラエルの民に永遠の地として与えると契約し、子々孫々の増大繁栄を約束している。イスラエルの民はローマによってその地を奪われ、流浪の民となるが、この契約を金科玉条のように信じ、シオニズムを生み、宗教的団結を生み、1948年の建国まで、その信仰を崩す事は無かった。イスラエル人とは、母親がユダヤ人であること、ないしはユダヤ教を信じる事を条件としている。3000年に近い間、各地、各国で混血を繰り返しながらも、その心の中の宗教的団結を崩す事は無かった。心の中で繋がっていた。それが民族としての滅亡を避け得た絶対の条件であった。
平成26年3月11日(火)楽庵会
報告する人 守武 戢