岩窟竜王/新居浜祭り

 言って良いことと悪いことがありますの ©鬼塚夏美

ぢろまる(第一形態) 

2015-09-23 | 新物件を見てきたぞ
「見てき」てはなくてCATVやネットサーフィンとか見たのでえらそうなことは憚られますが、新物件の感想を書かして頂きます。

自治会長のお話がやたら面白いものでしたね。「縷々説明したのに否決されて……もう一回諮ったのにまた否決でさあ」なんてのはルサンチマンを感じられてかなり香ばしい。一所懸命プレゼンしたのに受け入れられなかったと言ってるわけなのですが、それはちょっと問題が違う。そんなもの欲しないわ、金払いたくないし----との意見を覆すのはプレゼンの善し悪しじゃあありませんって。
いやいや、それにしてもよかったですね。駅前ミュージアムに入るまでには第二形態に進んでおられますことをお祈りします。

表層的な比較なのであまり本意ではないですが、喜光地や土橋の第一形態よりはずっと見所のあるよき姿と言えましょう。

〆は高木安太郎作ですかね。玉龍の上顎あたりをご覧くださいませ。
胴体をここで貼り合わせる工程で、上向きだった鱗の流れが横向きに変わってしまうのは避けられないのですが、顔を置く位置とイガの向きで視線を逃がすことによってうまくごまかすことができています。技量ですねえ。
ただよく見てください。前歯が見当たりません(*1)ね? まだ鯉から成って日の浅い年若い龍なので生えてないのかしらん。

上幕はS1代西原とのことですが、この配置はなにか好ましく感じます。

高欄幕には高欄の朱が映えていてうまい(*2)ボロ隠しとなっています。確信犯ならたいしたセンスです。偶然でも結果オーライ。お見事。
近頃に支配的な、〆が大きくなりすぎて重の赤が見えない----状態でなく、〆の下によく見える布団の赤と高欄の朱とでコーディネイトしているのですね、これはGJです。

重旗の「じろまる」は「ぢろまる」の方が正統だと思いますが、まあヂは痛くて嫌かもですからね。

房はまずなんとかしたいところでしょうね。東町みたいな風合いの鶯色でも吊れば美しい。

もし第二第三形態に突き進むことが叶ってのことですが、〆を糸替えにすると賞賛されるだろうと考えます。ちょっと技術的に難しいかもしれませんが。


(*1)他の面も見まわしますと、部分的に歯をもつ個体もいました。きっと高齢で抜けてしまったのですね。いっそのこと付けましょうか。
(*2)言葉が悪い----申し訳ない。
(*3)想定はしておられましょうね、近いうちにと決意表明もされておられましたことですしね。
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我慢は二年で済むかもしれないから----I HOPE SO.

2015-09-17 | ユナイテッドがグッド
もう九月も半ば、地では運動会、空に名月の頃ともなれば時限的に仕方ないよね。これから急転直下してやっぱりみんなでやろうゼ、なことはないようですな。今年はやり過ごしてくれいということか----裏年とでも思えって?
でもまあ落胆し続けなくてもよさそうだと思うんだな。2015と2016の二年間やり過ごせば済むんじゃなかろうか、と。だったら案外短いようなと思えないかね?

何故かは簡単だ。2017年は市内統一寄せが(おそらく)あるでしょう、場所はともかく。また上部は別個にかもしれないけど、とにかくあるでしょう。再来年の話だ。

これなら多喜浜と田の上楠崎は来るな寄るなとなるわけがないわな。八幡は行かずとも市内某所へなら大丈夫ってことだもの。八幡グループの顔色や意向を気にする必要はなく、当然参加できますって。
その過程では八幡グループとの建設的折衝もあって当然ですよねえ? 話にならないから話す必要なし状態から半歩なりとも進むことができそうでしょうが。いいかげん頭も冷えた頃合でもあるはずだし。またそこで悶着起こそうっていう執念深く乱暴な人もおりますまい。
八幡グループはちょっと突き放し過ぎたかもと反省し、非八幡グループにしても困り感の素振りを見せて、総員がテーブルに着けばそこからまた会議が踊ったりはしないと思うのだけども。

今はある程度状況が明らかになってきて□が原因、悪玉は△みたいな了解はあるみたいですな。一定の事実はあるのだろうからあれだが、△の誰某が悪いとしてその△の住民やカキフが誰某と考えを一にしているわけではないよな。同様に☆が同情できるとしても、その☆の住民やカキフがおしなべて正当性を持つとの公式もまた立たないよな。この了解はとても大事なこと。

であるのだが、☆から□や△に罵詈雑言が続くと、それはいいかげん□や△の気分はよからずで「☆は気の毒だなあ」となるはずのフラットな感情が「はん!いい気味だ」と白眼の視線へと転化するのは当の然なわけだ、一般的にこういう状態を「関係がこじれる」というのであって、これはなんとも避けたいこと。

誤解を下敷きにして口論していれば、こじれた関係はさらにひどくねじくれるものであるから、ぜひにも見直してもらいたい。△の誰某が分離を主張したとして△の意見が誰某に一致集約されているわけはなく、また、分離意見に最後まで反対した◎の地区総員が分離反対と考えたわけでもないのだね、しつこいけど。
一例として新居浜市が選挙区の代議士がもつ世論を二分する法案に関する意見が、新居浜市の総員どころか過半数を反映しているかどうかはきわめて怪しいことを考えてもらえばいいかな。

さらにしつこいけども、年寄りが加齢によって頭が固くなる傾向にあるのは間違いないとしても年配者がおしなべて話を聞けない老害施行人であるとする思考はよろしくない。若い衆は感受性が豊かで柔軟性が高いのは間違いないとしても若輩者はおしなべて人の話を聞けるフレキシビルな振る舞いを行なえるとする納得もばからしいね。知恵の多寡や行動における射程の遠近の相違は、世代間にあるのではなくて属人的なものだから。

ボーズ憎けりゃ袈裟まで憎くなるのは否定しにくい人間のプリミティヴな感情だが、押し出して立派な感情でもないからできることなら理性的に制御しておきたいものだな。

そして、その2017を見据えているからこその「ここでどかんと一発」との策(あるいは卓見かも)に、グレートオルタナティブリセット効果を一概に否定できないのがまた、その、あれだわ。

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私だけが知っている、というのは

2015-09-11 | あかがねコーナー
昔のNHKの番組名でしたが、駅前ミュージアムについて少し。
もちろんわたしだけが知っているわけではないですが、知っていたにしてもほとんどの人が忘れているかもなあという意味合いです。

駅前館には一台しか入ってません。なにか物足りないね、違います?
近年わたしは擦れてきて一台では重い腰をあげようとは思わなくなってきて二台から考慮の対象になります。ですから一台だけ置いてある駅前ミュージアムに行ってみようかと思う気持ちがあまり起きません。
          画像は2015/10/04 金栄→松木坂井展示替え時

そこで突然ですが、四国お祭り村という施設をご存じです?
金比羅宮の近くにありまして、四国の祭礼行事を脈絡なく揃えてみました----というプチテーマパークでした。'90年頃に入場料は700円ぐらいだったかな。阿波踊り、よさこい、牛鬼、いうまでもなくだんじりも取り上げられていました。映像のメインは琴平の氏子祭りだったのが印象に残っています。
敢えていうと西条にある子供の国を大掛かりにして扱いを拡げたものでしたね。現物展示あり映像あり、もちろん少し資料もありました。市の施設である子供の国とは違って民間が運営していたものなのでそこいらがちょっと風味が違ったといえましょう。
ちょうど瀬戸大橋が開通した頃に、四国にも観光のビッグウェーブが来ると見込んで作られたものなのでしょう。もうこの施設は営業をしておらず廃墟どころかお化け屋敷として少々有名になっているようですが、盛業時には恥ずかしながら太鼓も置かれていたのです。

わたしが見たときは高祖と池田がいました。いわゆる展示替え(その次は元船木と長野で、とかの)があったのかはとても気になる謎ですが、どうしたって10月には高祖と池田がいたスペースはもぬけの殻になってしまったことでしょうね。
展示に際してはなんらかの対価が支払われていたに違いありません、無料でできることではないですからね、おそらく駅前ミュージアムが出してくれるそれよりは多かったんじゃないでしょうか。当時はなにせバブル期ですし。案外に暗い(光熱費節約かもしれないのですが)ホールで少し窮屈に展示されていました。

このような市外の営業施設でさえ二台以上見せていたのに、公立の余裕ある施設で一台しか見せない(見せることが出来ない)のはちょっとけちくさいというか、出し惜しみすんなというような気持ちをぬぐうことができません。
そしてひとつ疑義なのです、10月中旬にふらりと見に入った客には太鼓を見せてあげられないことになるのですがそこをどう計らうんでしょう? なにせ展示すべき太鼓が実家に帰ってしまっているんですよ。
ミュージアムとしては責任ある対応がぜひにも求められます、そこでリザーバーを用意するべきですね。今年2015なら西町や松の木、東浜、松神子のどこかを入れておけば主なき館みたいなことにはならないし、出す方もそう苦労ではないのではと忖度します。ローテーションの工夫だけじゃないですか、こんな配慮はあっていいと思うのですが如何?
祭礼期間中に駅前に詰め置かれる側でも、娑婆に出られずブタ箱暮らし……みたいなお仕置き感があって別の意味でよろしいかもしれません。

悪ノリついでに。でるのかでないのかよくわからないのですが、下手を打つとお休みが続きかねない阿島を準レギュラーとして駅前ミュージアムに置いておくのもよいと考えるのです。礼金は微々たるものでしょうけれど廃止になってしまわないための維持費として受け取ってもらうのもよいと存じます。

しかし建屋はあっという間に鈍い色になってしまいました。十円玉でいうならもう昭和52年、みたいな経年を感じます。アカガネとの語感からは離れてしまって……。
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マル暴組織の分裂について

2015-09-08 | WEBLOG(分類面倒)
わたしはこれを歓迎したいのです。そしてもう一歩、ドンパチやってもらえればありがたいのです。

以前も似たような事件があったのを知っています。あれは'85年でした。
その'85年にだけ奇跡的に阪神タイガースが優勝してしまい日本一にまでなったのです。そしてタイガースはその'85年よりこちら、一度たりとも日本一を達成していないのです。
2003と2005に優勝こそできたのですが、シリーズ制覇はならずでした。どちらの年もあと一歩というレベルではなかったのはしっかり憶えています。
今年も相手はホークスでしょうから手強いどころかかなり厳しい。数字を比較するまでもなく劣勢です。とくに福岡では勝てそうな気がしません、なにかの神仏的な奇跡が要りそうだと思うくらいです。

その奇跡に出会うためにはなにかのお供えが必要なのかもしれないと考えました。珍事(惨事なのかもしれませんが)なくして椿事はありえないのだろうかと思ったのです。'85年の奇跡も何かの犠牲が必要だったのだろうと。いまふたたびの奇跡を願うには、なにかの大きな物語のスイッチが入らないといけないのかとも。

'85年にあった山一戦争はそのスイッチだったのかもしれないと思うんです。

そして今回、マル暴組織は分裂を起こしているわけですが、これがタイガース優勝そして日本一へ繋がるかもしれないと考えています。そして抗争開始でスイッチオンするんじゃかかろうかと思ってるんです。

奇跡を願う際にスイッチを押す力は一つではなりません。もうひとつ'85年にあったのがJAL123便の墜落事故でした。こちらは調布の小型機墜落ですでに条件を達成したと見做せます、あとはマル暴の抗争があれば成就にきわめて近づくという理路なのです。

分裂といえば世間的(実話誌的にか?)は神戸の組織暴力団のそれですが、新居浜では川東のことですよね。こちらの分裂と抗争でも条件達成で奇跡をプレゼントしてもらえればいいのですが抗争勃発は限定的に10月中旬です、日本シリーズに間に合うのでしょうか。
下手したら福岡行きの条件が消えているのかもと気を揉んでいます。

あ、こちらでの仁義なき戦い川東死闘編はある程度結構ですけれど、生け贄なんて望んでいませんので為念。

<2015/09/27 追記>
計算上にも優勝の目は消え、スワローズにM3が出たらさすがに白旗です。おかしいなあ? 
飛行機が落ちて、マル暴が分裂して条件が揃ったと期待をかけていたのになあ。
ついで球団要職の人身御供まで出してダメ押しかとも思ったのに……
豊田商事事件みたいな粗暴な事件が足りなかったのか。
それともグリコ森永事件みたいなのが要った?
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グレートリセット(SUB)

2015-09-04 | ユナイテッドがグッド
大川東運営会議の骨子は全台参加とする----とのメインルーチンを設定するとしよう。

全台参加する
↓    ↓
平和   規約違反→会議外へ(会員資格喪失)→非会員
↓                       ↓   
会員資格継続               会員申請 
↓                    ↓
会員          ←仮会員 ←入会審査

こんなのだな。
以下にサブルーチンを具体例で。

グレートリセットではあるけれども、2014年にトラブルをメイクした松の木東浜阿島松神子は仮会員としておくべきだろう。2016年の初頭にでも本会員昇格について審議するくらいのタイムスケジュールがいい。紛争が収束したことを証する書面を提出することが要件とする、みたいな内規があればいいと思うがなあ。
仮会員はオブザーバーとするのがよいが、会議参加はでき討議も可能だが議決権は有しない、なんてのもいいと思う。
会議は、規約違反に関しては除名する権限を有しているが、この除名については微細で計量的な規約が望まれよう。除名に際しては賛成五分の三以上が必要となる硬性があるべきだし、除名されて再入会の際には五分の四以上の賛成を要する、とか再入会には預託でない入会金を必要とする、とかの障壁を設定しておくのは必要なことだろう。

等々、夢想してみた。似たようなものが実現すればいいし、どんな組織の下でもいいから、一部欠損なしで全部集まってくる祭礼と再見できることを望んでいる。勝手なもの言いを自省しつつ。


ではあるが、二トン超の山車が総数17台ともなると実際のところは民間ボランティア(そうだよね)の運営委員諸先生方の制御能力を超過しているのではなかろうかと考えてもいる。上部はこれを上回って20台近くありはするがそちらは山根Gを乗り切ればクリアなので、リソースの一点集中が可能となり現状なんとかなっているのだろう。なんとなれば川東では朝から晩まで二日間クエストが続く。キツイのはキツイはずだ。

いかに有能と見える人間であってもどんどん負う責任を重くしていくとある地位から必ず無能とならざるをえず、それは組織でも同様である。学級担任となって生徒を御する(表現が悪いことは自覚している)のに30人は大丈夫だが40人になるともう手に負えなくなるというようなものだ、川東では15台を超えたあたりから覿面に運営が難しくなるような壁があるのかとも思われる。

     本稿は『グレートリセット(MAIN)』を補完する。
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