岩窟竜王/新居浜祭り

 ほんとうにそうかな? ©澁谷かのん

近過去-川西-2/8

2009-03-05 | ちょいと昔はこうだった
お次は中須賀。

天幕は赤青白の千鳥格子でした。(とてもよかったのに何で止めたのか? 新調の際に間違えて注文して検品したのに気付かずそのまま----なんじゃないのかなぁ)
重旗は変遷がありましたね、素の竹竿に黄色いタンポを付けて旗の地も赤紫に近い色だったりした時期が長いです。その後、旗先に(驚くなかれ)黄色いゴム製の野球ボールが付いてたなんて時もありです。この後は、よくある黒白での竿の黒色の部分が赤色の版があったり、よく変わっています。
重受けは臙脂色に塗ってました。
横棒は丸い断面でね。鉄の端管と台場の靴は銀に塗色していて、川西では愛嬌のある方だったかな。
高覧幕の縁取りを黒に変えた補修時に(2寸くらいか)横を切り落としています。貫きは概ね白と赤のテープを互い違いに巻き付けているもの(他に類似物件なし)ですが、これを赤と白の布を使ったり臙脂の布だけでやってみたことがあります。
指揮者ジャージの背に姓名を記していた時もあります。おのれの名前を背負っているわけですから、それと同時に何かの重大な責任を負っていたのなら天晴れではありますが、深い意味はなかったでしょうね。
菜っ葉服に手ぬぐいという、ある時期のデフォルトかき夫がハッピを着用しはじめたのは川西で最後ですが、今に至るもデザインが変わっていません。前身頃に「中須賀」との銘しかない素っ気なさも含めて名作なのでしょう。写真でならば緑色のハッピを見たことがあります(かなりの違和感)が、水色に背に錨の紋、というのなら、何度か実物を見た記憶があります。
船御幸の台船ではいつも中央に陣取りますが、一度だけ(1992)端っこに乗ったことがあります。
昭三会の提灯やら愛護班のソフトボールのチームの帽子にも錨の御紋を掲げていました。気に入られているのでしょう。
コメント
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