岩窟竜王/新居浜祭り

 がんばることにおしまいなんてあるんですか?! ©唐可可

NICE TUESDAY

2024-09-13 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
おお、これは驚いた。前稿で暑かったらどうすんのよ熱中症で人が倒れるぞ~と困って見せたわたしですが、これならベストシーズンです、すばらしい。
で、5月21日は火曜日じゃないですか! …………誰でも気軽に行ける曜日じゃないですね。さぁさどうする、皆の衆。
使用料を向こう(会場側)が取るんですね、ちょっと驚きつつ、その辺はいろいろあるんでしょう。第三セクター鉄道の上下分離みたいな感じかな。このEXPOアリーナですが収容人員16000という情報もあります、お祭り広場の1万を実数で超すことができれば成功といえるでしょう。
3~5千万なんて概算もずいぶん雑駁ですが、台数によるんでしょうね。んなわけないよな、な移住促進なんていう目的も挙がってて、なんとも役人の作文ですが、ともあれ。
栄えある参加メンバーはまだ未定ということですね。これ、水面下ではもう……、ということなのか。あるいはほんとに未定なんですってば、ということなのか。気になるところですが、続報を待ちましょうか。

どうせ壮行会(前稿参照)をするのなら(勝手にあるものと信じ込んでます)5月4日か5日にしてください。4日ならイオンの子供太鼓集合で特大トリをとれて千客万来のホウライエンヤ、春は子供だけでなく大人も天国という題目も立つわけです。21日に向けて余裕のあるスケジュールと思えます。

はたまた、該当者はすこし前の3月あたりからあかがねMに入れてのち、勇躍出立するのも悪くありませんね。
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行けば分かるさ

2024-09-10 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
10月の祭りに出さずして海を渡り万博の賑やかしに出張ることを、本末転倒と言わずしてなんというか、嘆かわしいと感じるが(*1)そう決めたことなら仕方ないし、そもそも大江が行くって決まった? と疑問符がついたままだけど今日は問うまい。

'70年の吹田では真夏のお祭り広場で楽しく練ったのだが、今回はそういうのだけではなくて何日間か展示をするという企画もあるらしい。これは季節が気になってきますなあ、ご存じのとおり今の夏は灼熱の猛暑日が続く。4~5月のベストシーズンだとよいのだけれど、うまいことそんな時期にお呼びがかかるかどうかは怪しい。夏だとやたら環境が悪いが、そうなる確率は低くない、覚悟しとけの類いかもしれぬ。十分な暑さ対策(*2)が求められるだろう。シンプルに、健闘を祈る。

そして、行くだけじゃまったく片手落ち。大阪だけを向いてはいけない。何年も見られず担けず棒を触れずの欲求不満な地元のボーイズ&ジェントルメン(*3)を慰撫してやらないわけにはいくまいに。'70年にもあった壮行会をやってくれ。大江浜から昭和通りを抜けて西へ向けて運航し、'24年は空振りしたイオンで壮行かきくらべ(*4)を開催してもらいたい、ぜひぜひ。土曜日夜とかなら実によろしいし、文字通りの祝祭空間が現出すること間違いないと思う。
さらに、そこで。'25年はなんとしても出るぞと表明してくれたら、と本当に本当に願っておりますよ。

そしてそして、大江がめでたく当選した(*5)として。大阪舞州へ上陸の際には、確かに現存している'70年版重旗を「お礼参り」させましょう。昭和のレガシー、これは江口以外はどこも真似出来ないストロングポイントです。

(*1)逆なのか? 10月に出せないならせめて万博にいってやろうじゃないか、ってか。
(*2)そこで短パン。
(*3)オーディエンスも!
(*4)ところで相方はどこなのかね?
(*5)決めつけて江口を仮定してだ、江口が名札を'70年の万博サクラマークにしたらカッコイイ。今思うんだが、万博のサクラマークから江口だなという理由が少しだけあったのではないかと。
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ここから一山二山②

2024-07-15 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
もちろん眉唾であるものの、大江が当確みたいな下馬評がある。いったいどういう理路なんだか不明とはいえ、こないだショウ=オフしてくれたからだろう
、上阪へ向けて名乗りを上げた、というところか。公平性や機会均等みたいな理念から、またかよ図々しいという異論も当然であろう。目立ちたがりってのは困ったもんだという感想をわたしだって持ってしまう、立場的にも一個人としても。だが、わたしが考えているよりも大江にとっては万博行きの価値を高く見積もっていそうなのはわかるので、そこは尊重したい。うん、意義は大いにあると思っている。
ただし条件がある。江口とタッグを組むというカムバック昭和、1970リターンプロジェクトなら歓迎、大いに賛同する。大江が一台でノスタルジーしてもジジイの哀愁みたいで単なるナラティブだが、江口と二台ならフラグの回収みたいなストーリー感を感じられるので。
そのために大江のミッションその1は、江口とチーム結成の相談だろう。江口にその気があるのかないのか、ないなら説得し、あれば昂進させるべし。
そしてその2。今年(来年も再来年も望まれることだが)は品行方正を貫かないと。説明はしないし、規定もあやふやだが、あんなので行ったらいかん(遺憾でもある)わな……と他人様に言われない振る舞いが求められる。絶対必要条件だ。
そうなるとわたしが期待している ”平和運行でHAPPYな祭り” に近付くことになるので、冒頭に記した、公平性を期せ、目立ちたがりはやだね、等の不満をクリアできる。たぶん、お釣りまで来る。だったらわたしも大いにWINだ。

というわけで、これが出番を待ってるよ~。リブートするって? それもまた、よし。

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こっから一山二山越えなきゃならぬ①

2024-05-10 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
やきもきしましたが(嘘)、大阪臨海万博へ出張できることになったようです。今回の内定を得るまでには、ただならぬ苦労をしたことでしょう、素直に賞賛を贈ります。
ただ、今後は当地の特有な事情が発動しそうで、ここから先は胃が痛むでしょうね。諮問会に相当する運営委員会から推薦を受けてそのまま指名するだけの手順ですが、この推薦を決定する際、有り体にいうと「どこを行かせるか」に、悶着が生じるのは目に見えてますから。要らぬ詮索を生んだり、のちにしこりを残したりしないように決める----とは困難なミッションですよね。

個人的な意見、ここがよいぞあそこはだめだろな的な主観ならば(台数や趣旨によって違います)おおいにあります、ですが主観を排して貫かねばならない原則が二つあると考えます。
ひとつ、本祭り以外には出さないとかでアカガネ入りを拒んでいるような処は弾く、これです。これまでアカガネ入りを果たしている処から選ぶ。五輪や万博は別だぁなんて二枚舌を許してはなりません。候補になりたければアカガネ入りを予約すれば良いですよね、そしたら資格ありとしませんか。
ふたつ、ざっと10年に期間を区切って累犯者を外す、です。1回なら何かの過ちで済ますことはできても2回3回となればまったくもって駄目です。じつは吹田万博の際はどういうわけか、前年にやらかした処が涼しい顔で出場してしまってます。
それなりの経緯や理由もあったのでしょうが、もうそんなお目こぼしのある時代じゃない。ことの是非は措いても、厚顔無恥と見做されるのはご免です。我々の自意識の問題でありましょう。出場太鼓台を決めると広報して行なわれた審査会とやらも機能したのかどうか怪しまれました。ですので、まずは前科者は問題外というところから始めようと思う次第で。ついでながら、この原則2によれば母数がすこし減るのも、選択作業が楽になる利点もあります。
で、問題。何をもってやらかしたと見做すのか。これは簡単のようで難しいですが、良識に沿いませんか? 叩いても埃の出ない処に立候補してほしい。プライドはこんな現れ方をするんだということで、如何かと。
2024になんかやらかしたら累犯だのなんだのは問答無用で選外に。選定期間は実質1年というところなので、猶予はありません。
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先を越されたけど送ってやりましょう

2024-03-27 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
うららかな春の日、皆さんのお耳にも届いたでしょうか?
わたしは今朝のラジオで知りました、大阪臨海万博2025の賑やかし担当に阿波踊りが当確したとのことです。なんだか屋内1万人規模のホールで演舞を披露することが万博協会と阿波踊り団体(この主体よくわかんないけど)との間で話がついたとか、ひいては屋外でも輪になって踊ろう企画も準備中とかです。
おめでたい、さすがは四国いちばん祭りであります。そもそも距離的に近いし人間が徳島駅から高速バスに乗ってしまえばいいので身が軽い、好都合なんです。ところが三番目になるとかさばる物件を運送しないといけないわ、構成員の態度や風体が悪いわとくれば、でる幕はなさげです。身辺にも近辺にも反社がらみの悪い噂が多いので避けたほうが無難ってもの。
手前勝手な「この前も出たけんまた行けるけん」な意気込みだけが空回りしながら先走ってしまい、美味しそうな餅を画いたのでしょうが、五輪の時も同様でしたね、そろそろ頭を冷やしましょうよ。
今からおっとり刀のねじ込み出場なんて逆転の一発があれば、それはそれで快哉を叫ぶでしょうが、どんなもんやら。またしても入れ込み過ぎた妄想だったんでしょうね。

そもそも。五輪なら行きたい、万博なら行ってやる、という高飛車(これ、アカガネには入りたくないという心性と表裏一体です)が見て取れるのがよくないと思います。万博おめでとう、人類の進歩と調和万歳みたいな素直な感覚がもしあるのならばです、たとえ呼ばれずども、70年の吹田で世話になったねとの感謝を胸に抱いてどこかが(まぁ江口と大江でしょうか)記念運行し、(すでにかなり評判が悪い)臨海万博に協賛しようという心掛けを示せたら、じつに立派な「四国三大祭り人」と見做してくれるでしょうが、カネを貰えるなら行く、ステージがでかければ演る、なんて君等はどんだけ大物アーティストかっつうの。アシが出そうだから止めとく、に至ってはタイコって利益追求の道具と違いますよね? って思います。

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五輪はアテネでいいのでそこはあれ

2021-06-12 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
トウキョウ2020は中止へ秒読み、を望んでいるがそれは措いて。マネーファーストな正体があらわになったとか、崇高なメッキやら綺麗事の化け皮やらが剥げたとか、IOCは非難囂々だな。アコギな商売はいつまでも続かずということですか。ただの興業会社め、解散しろ、なんという傲慢、何様だとかリップオフ男爵くたばれとか怨嗟の声がぽんぽんと上がっている。そんな意見のなかで穏当なのが、もうずっとアテネでやってくれればいいからそっちでご勝手に、てのがある。
そのアテネを抱えるギリシャには特典があって、選手団の入場時は毎回定位置なんである。モスクワ開催でもリオデジャネイロ開催でもギリシャが先頭、この辺は上手い演出だ。古代アテネからの歴史と伝統を吹かす(事実は断絶してる)ことが可能になるのだ。今後も栄誉としてこの位置は続くことであろう。

こんな件から以下の駄文を記した自分も因業な人間だとは思うが、思いついたんだからしょうがない。タイコ運行順の先頭(ないし掉尾)を固定してしまうのは面白いぞ、と思ったのである。8台だったころはうまく行ってた(ように感じた)東~西の川西様式に不適合があるように見えるからだ。不利点のいちばんは時間がかかりすぎていることで、夕闇どころか宵の口にIZR開始は、興ざめする、よい時刻ではない。少しでも巻いていくのがいいと思ったわけだ。

いままで何回か聞いたことがあるだろう? 大江が来てないけん出発できん、西原がまだ自治会館におるけん30分は遅れる、というタイプの話。その間は待ちぼうけ、あんなのはどうしたって浪費だろう、時間の。
そこで、浪費しないため永遠永久恒久の先頭を設定すれば有効だと考えたんだ。まず(先頭としての意味で)リーダーが定刻に出発する。遅れた処は急いで飛んで来い順次合流せよ、間隔が空いてたら可及的速やかに詰めろ、とするのだ。マラソンでの(ペースメイカーたる)ラビットの役目も果たす。時間厳守は社会人の努めで、約束の10分前到着もほぼ常識。時間を守れず新居浜時間などと言い訳するイナカモノは無視して行くが、折り目正しく規則に忠実な運行ができ今後の祭りの手本としてすべてのタイコが目指すべき先頭がいる<要る+居る>はずだ。他者が羨む栄誉ある役目といえよう。
朽屋がそうしてくれ。工場前には14時頃に入って15時までに出る。ミュージは13時に通過して東門から15時には出てほしい。ここいらには夜祭りの伝統はないので、日の高いうちに帰落するのが理想的ってもの、だって平形は遠いだろ?
だから早く早く。
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さらば Tokyo-オリパラ

2021-02-05 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
鯛は頭から腐る、のはほんとうだったんだな。というか、頭が腐っている魚は全身が腐らざるをえない、頭と胴体は繋がっているのだから。
2021東京五輪はヴァイラス蔓延や医療体制不備によって開催できなくなるのでなくて、招致および開催準備に関わる人的瑕疵、それも救いがたいボーンヘッド達によって終焉を迎えそうだ。誰も予想できなかった戯画的な結末だ。
何度も何年も前からいってるが8月の五輪は言語道断で正気の沙汰ではない。ましてや熱帯といっていい日本の東京だ、なくなってなにより。そもそもハナからアンダーコントロールなんてウソ×800から始まり、実弾ばんばん撃って招致したのには目を瞑っても、打ち勝った証だなんて空手形を切ったあげくの自壊ではほとほとしょうがない。ただこんな、頭がぐずぐずに腐っているヘッドクォーターの往生による開催不可になったのはつくづくみっともない。自浄作用のない組織もひどいよ、もうこれ以上はやめるけども。

えひめ丸事故の一報を受けてもゴルフをプレイしつづけた男(総理だったのに)であることを知りつつ、同じ愛媛県(新居浜市一宮町)へゴマスリとヨイショのために大来賓として呼んでしまったのはわれわれにとって悲しく封印したい思い出だ。タイコに乗せなかったのは救いだが、おそらく老体なので遠慮したのだろう。乗ればと誘ったかもしれないな、もしやってたら(何処がそうしたかはわからないが)気の毒な画が後世に残っただろう、悪くすると画像が拡散されていたかもしれないよ。~大きなおみこしに乗って満悦至極なM会長~みたいなキャプションがついたかもしれないな、いやぁ剣呑剣呑。

そもそもが青写真にもなっていなかったんだろうが、夢を見られたのはよいことでもあったろう。行ける可能性なんかゼロに近くとも「目指せ甲子園」のスローガンをおったてるのは高校球児にとってあってしかるべきことだ。五輪はだめになったが、次に活かそうよ。大阪2025でもいいし、ちょっと手近になりすぎて安直だが残念大会でもいいでしょう?
開幕日(いつだったっけ?)だった当日に野望のあったタイコが各自出てくるとよろしい。場所はリフォーム(?)された市民体育館下の河川敷とかどうだろうか。新居浜スポーツの祭典ということにして。参加希望を公式表明したことのある長野とかは是非にもやってほしいな、嫌になるくらい暑いだろうが。
8月五輪はキチガイ沙汰だアホかと罵ってきたこの口がそんなことをいうんだから、口ってのはハンドリングが難しいな、うたがいなく災いの元。

いろいろ考えさせてくれたTOKYO/2020ー2021だった。取らぬ狸の皮算用とか死んだ子の年を数えるとか年寄りの冷や水とか出物腫れ物所嫌わずとか慣用句が頭に浮かんだよ、的外れのもある(笑)。ビールでも呑んでさらに感慨に浸ってみるのも御一興というもの。苦いか甘いか、ちょっと話題の一缶をやってみましょう。

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いよいよ万博へロックオン

2020-11-18 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
わたしは体育劣等な文化系でありまして、五輪には否定的スタンス。興味なしですが、万博には興味大です。1970の吹田にはファンタスティックでハートフルな思い出が残っています、2025臨海はどんなもんでしょうかね。

これの使用にあたってはライセンスを得ています。ちょいと拝借することも少なくないですが、やはり正規ルート(王道)は安心します。手続きは楽でした。いこな!  と仰るんですね、ええ、ご一緒しましょう。
このロゴへの評価はいまのところ、チョイスした側は及第点および自賛する一方で大衆は気味悪いなあと悪評という、例によって例の如しな構造があるようですが、そのうち慣れるでしょう。管見ですと、1970のサクセションが感じられて好ましく感じますね、桜の花びらの五枚の切れ口が(当然ながら)五つありましたが、それが五個の目玉へ形を変えたんですよね。わかる人にはわかる、わたしは初見で理解しました、なぁに、こんなのが年の功でね。最終候補中では最良品と存じます。キッズでも見まねで模写できる程度の難易度がいいんです、今やミラージュと化しつつある東京五輪のなんて面倒で書けません。当時小学生のわたしは、1970の桜花ロゴを何度も何度もイラストレイトしたものでした……。

そうです。サクセション、継承。これはとても大事。というわけで、今年に1970メモリアルを目論んでいた(らしい)洒落者の方々にはとても残念な秋でしたね。ほんとうに惜しかった。
わたしが言い出しっぺだとまではいいませんけども----、数年前から吹田の50thだぞなんかやれよ、江口と大江な、おまえらやらないで誰がやるんだ? と何度か挑発しておりました。その効あってか(?)それとも自然発生かはともかくの昨今。あるトレジャーハンターは万博時の装束を発掘したとの噂ですし、またあるお大尽はハッピのリメイクに大枚をはたいたと聞きおよびました。もし祭りがあったなら「万博のあれ、見たで?」「50周年だったんよねぇ」とディレッタントな方々には恰好のネタになったことでしょうに----。
ささやか情報なので、これらの(公開未遂)ハッピ等々が、江口版か大江版かすら識れてないくらいです。それって万博版とは違うよ~との声もありましてね。しかし万博版が存在してないとも思えないんです。
再現度はいかほどなのか気になります。腰に帯はあるのか、色あせした布色をどう寄せたのか、モデファイしているのか、誤字だった「博」の文字を訂正したのか、そのへんが知りたいんだがなあ。なんとか現物を確認したいものですなあ~。2025までは待てませんわ~、それまで健勝でいられる自信がないのですよ~。ええ~。

例によって脱線しまたので2025シーサイド万博ロゴ話へ戻します。これを脳内で江口(および大江の)1970重旗の桜花紋章部分と差し替えてみたところ……、ずいぶん酷いものが再生されましたよ。デジタルなタッチが漢字や昭和なフォントとの相性が悪いのかもしれないし、デザインとして切れ味が鈍いのかも。やっぱりあかんのかもしれないな、この紋章。
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掘り出され画像をご覧あれかし

2020-09-12 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
この写真(完全な形で紹介できなくてごめんなさい)を提供してくれた親切な人(©宮永照)によれば「異様な姿」とのことだったけども、第一印象は異様というほどじゃない。だが興味深い画像で頭にキックが入ったわ。なにより貴重きわまりなく、これ以外の現存は期待できないと思えるほどで。
百聞は一見に如かず、ではあるけれど事情もあるので拙い解説をつけてみました。諸兄の視線の補助になれば幸甚です。でなくてもあぁこんなのあったのね、と思ってくださればそれだけでもよし、と。

担き夫の風情や地元民の衣装から盛夏なのが見てとれる。ボーイズ(被っているのは金子小の通学帽か、あるいは江口スポーツ少年団のキャップか?)の服やズック靴が微笑ましい。当時の少年はおおよそこんな格好をしてたもんだったね。
担き夫衣装の試着みたいな意味もあったのかもしれない「万博お祭り広場出場壮行会前の江口」であります。万博出場時にも「この白い短パンはいかがなものか」との声が上がらなかったはずもないのだが、暑い季節を考えると無理のない対処だったのかもしれんわ。新居浜祭デフォルトの地下足袋の方もいれば、本番用の白足袋の方もおいでになる。

さて太鼓台本体をちょっとつついてみたい。
フロントがこちらを向いていると見るけども、上幕が『輪蔵殿』なのが(たまにある事とはいえ)適当にやってます感を生んでいる。登り道会場で大江と会うまでには修正したと思えないでもないものの----、可能性は薄い(ぐるりの一枚物だし)か。
桜紋の重旗がなく、愛媛県より送られた文字のそれを二枚とも前面に掲げているのは意図的と見てもいいが、さてさて?
こうなると桜紋重旗が二枚あるだろうリアの姿を見たかったと、つよく思う。不可思議感が倍加した(ついでに西方観が増加した)ことだろう。
本稿では紹介できない(重ねてお詫びします)が、同日の違う画像から夜間運行のための仕様もわかる。重から紐を四方に延ばした(阿島でおなじみの)スタイルで、これも面白い。提灯でなく裸電球を吊るしている----、ちょっと驚いたよ。なぜって50年前の話だ。提灯にロウソクを灯していたと勝手に思い込んでたからだけども、これが高度成長期におけるニイハマの対応だったのか、と解釈したりする。工業都市に息づくイノベーション指向の気質とも。もっともこれも登り道で提灯の袋を被せたかもしれないが(笑)それは期待薄ってもの。すでに重に提灯が付いているから、もう手間をかけまいと推測できるわけ。
注意して見てほしいが、重から提灯を四面に吊している、これ、かなり珍しいよ。

しかして----。親切な人による「異様な姿」との評は当たっているようだね、うむ。場所はどこなんだろうか。画面からは不可能だろうけど後ろにバスらしき物体が見える。
でもでも(©松実玄)この貴重資料によっても大疑問が解決しないのだ。When was the day of this ?  8月8日および9日、どちらかに絞ってはいるものの、決め手がない。わたしは当時の(低学年だったよ)夏休み日記帖にこの件を記しているので帖が発掘できればそれで解決するものの、おそらく灰燼に帰しているので……ハァ。
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Orimpic flame pass by.

2020-03-25 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
東京オリンピックに先だって行なわれる国内各地での聖火リレーについて細かなコースが2月17日に発表された。
新居浜市では4月22日に、あかがねミュージアムから新居浜市役所までの行程で実施される模様。

そこまでどうやって来るんだか、その後どうやって西条へ行くのか、よく存じ上げませんが、新居浜でのオリンピック・フレイムはあかがねミュージアム~シティ・ホールだそうですね。

その時ミュージアムのインサイドにいるタイコはどこなのか。これまた未定でありますが、玄関先であるイベントを無視するのも失礼ですし、大扉を開けて出てこないわけにはいきません。ちょっとした箔が付きましょうからね。
現行のスケジュールで進行すると、泉川の東田が2月か3月まで。次が大生院か角野とも思えますがお勤めは6月ないし7月までで、おそらくそこが該当しますね。さてどこになるか。
しかし、この時期の逗留を狙ってどこかがねじ込んでくる可能性もなくはありませんが、まぁそれも話のタネになりますね。

幸運なるその太鼓台を仮にとしましょう。太鼓台があかがねミュージアムでオリンピック・フレイムをドンデンと見送り、そうしてシティ・ホールで太鼓台がデンドンと待ち受けるのはどんなものでしょう?
はその時期にその場所に居合わせるのですから、おおよそ偶然みたいなものですが、の重責を果たせるのは地理的にまぁ、金栄か口屋でしょうね! それでは、よろしくどうぞ。

またしても妄想的で今更変更など難しいのでしょうが、どうせなら----。トーチさんに数々の大漁旗で飾られた魚船に乗ってもらうわけにはいきませんかね。大江海岸から西原海岸までオリンピック・フレイムが船御幸というわけです。伴走は当然(どっち側でもいいです)台船に乗った太鼓台がいたすわけでございます。こんな趣向を提供できるのは日本中探してもそれほどないじゃありませんか。
西条ではロープウェイにも乗るんですってね? ついでにだんじりに乗せて加茂川を渡るようなことまでしましょうか、こうなってニイハマ/サイジョウ・インテグレイティド・リレイション、いわゆる「相乗効果」ですよ。


ついでながら----、2025大阪臨海万博の日程が確定した。4月13日~10月13日。

閉会式にオファーされても秋祭りと被りません、間に合いますよ!


2月吉日、又野があかがね in したことにより聖火通過時に居るのは又野と推定される。
以下、五輪および聖火からあかがねM&又野トピックに転じる。

< 2020/03/18 追記 >
各自治体が行なう(つもりだった)聖火リレー通過時の独自イベントは、ヴァイラス対策なんだから自粛するようにな、とのお達しが出たようですね。今を去ること1988年、昭和天皇の病状による自粛ブームもなんの乗り切った新居浜なのですが、今回はちょっと無茶でしょうね、これで又野の晴れ姿も絵に描いた餅となったようです、残念。

< 2020/03/25 追記 >
本大会が2021へ延期決定です。何月なのかは未確定ですが、此度の聖火リレーごとふっとびましたね。又野にとっては棚ぼた的なチャンス・イベントだったと思うのですが、惜しいことでした。
さて、では来年2021として同じルートを取るとしますとですが……その時にどこが居るのかまったく見当がつきません。それを見越してあかがねM入りを計画するのは、なかなかスリリングかもしれませんよ。

< 2020/03/28 追記 >
こんな縮みまくった世相になるとは誰も想像しなかったでしょうが、なってしまったからには誰にもどうこうできないでしょうね。とても複雑な事象がやたら怪奇な心象を引き起こしてています。さて、このままだと又野の留め置きも長くなりそうです。これまでは長くても4ヶ月だったのですが、収束(終息?)が体感されるまでのステイを余儀なくされるのではないでしょうか。
あぁなんてことでしょう、又野には聖火と2ショットなんて栄誉があったはずなのに。それどころか帰りたくても帰らせてくれない、ずっといなきゃいけない軟禁になってしまうかもしれないんです。まぁそれ自体はいいとしても、まさか10月の声を聞いても居なきゃならないなんてことは……想像したくありません。
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衣装で “バック・トゥ・1970” 気分を

2020-03-15 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
ご案内のとおり、2020で大阪吹田万博から半世紀である。節目の年でありメモリアルイヤーである。ちなみに50年前の今日(3月15日)が開幕式だった。
大阪では2025にむける意味もあって、何かイベントがあるだろうが、新居浜でも梨のつぶてではいかんよな、うん。あえていうまでもなく、栄えある江口と大江にいま一度、主役を演じてもらうべきだ。

【1】噂で江口は現存する万博ハッピを蔵だしして着用する人士あり、と聞いた。成れば、あかがねMからアライブしての動態展示ですな。おやおや、ずいぶんとよさげなレガシーの活用じゃないか。
もし4着以上現存していれば、江口入りの際に指揮者に羽織らせれば大喝采を受けるであろう。あかがねMではレア手ぬぐいまで展示していたくらいだから、きっとあるよな。ぜひ実行してほしい。


【2】 諸兄もあかがねMでご覧になられたとおり大江には万博時の贈愛媛県重旗さえ現存している、それを着けて(一枚しかなかったら振り回すなどしましょうか)、万博ハッピを羽織っての大江浜入りが叶えばじつに、すばら。こちらもハッピの残存数次第であるものの、足らずともなんとかする噂(また噂かよ)もある、見通しは明るそうだ。
近年の大江は、この手の好事家向けおやおやなかなかやるじゃないの企画に積極的と見えて喜ばしい。あかがねでのH1代お別れ展示はその典型だし、船御幸限定幕(これまた、まだまだ噂の段階)とか蓬莱榮彌の扁額とか裏面まで縫い込む〆とかがその例である。以前の猪武者のごとき「武」一辺倒ではない指向が生じているようだ。この程度の回顧企画なら気軽に実現してくれる、はず。

【3】 ならばならば。これだけで済ましてもならないな、うむ。万博帰りの箔つき太鼓台に二台並んでもらわなくてはなんの1970メモリアルかというわけで----。以下に妄想的に数案を披露して、実現の一助にならんと欲す。
1. いにしえの病院前で(大江が待つなどして)練り、差し上げしてくれるといい。なつかしの小道具、紙テープとか飛ばしてみたい。
2. 大江浜で。西方が退出してしまった後は江口が続くがその際に、大江が歩み寄って演ってもいい。これならほとんど時空間の障壁が生じない、簡単にできそうだ。
どちらにせよ二台だけでの舞台を設えて他は一歩二歩引いて静観するような態度が欲しい。できれば西方/東方かかわらず祝福の拍手を贈りたいものである。
3. お祭り広場からきっちり50年後となる8月20日、(木曜日ですね……)夏祭りを強引に開催してみるのも一興。
4. もっとも仰々しくてよろしいのはこれ。(無理だろうけど)二台だけ別の船に乗せてしまえばなんとも素敵なんだが。
5. 伝説めいて語られるケンカの当たり年だった1970に対して、大混乱アナーキー祭りをリバイバルして応えるのもまた一興かとも思ったりもする、けど。

まぁ、当時を懐かしみオマージュするのは大いに結構だと思うし、想像すれば頬が緩む。もうこうなったら突き詰めろ的に、万博手ぬぐいもまとめてリメイクしようぜ計画も大いに望まれるところだ、というか----、ぜひやってくれたまえ! しかし、腰紐を締めたり、短パンを履くまでやるかどうかは……お好みでされるがよかろう。
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壮行会をもう一度

2020-03-04 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
数ヶ月前の愛媛新聞(2019/12/12)で報じられたのですが、市議会における答弁において東京五輪の目はほぼ消失している(最初からなかったんじゃ?)ことが明らかにされました。なんだかすっきりしたことでしょう。ややもすると大会自体さえ、どうこうなりそうですし。
となると射程をずらして大阪です、エキスポですよ。以前から申し上げているとおりです。

行けるのなら、どこでもよいのです(ゾンビだけは嫌だけど)。そりゃあ多い方がいいですが、二台でも文句などありようがないのです。
ただ一つだけ要望があって、行く際には壮行会をやって欲しいのですよ。50年超ぶりの大阪万博への名誉ある派遣(佐賀県の唐津くんちでは、市外への派遣を特別に「出陣」と呼称しています。真似しませんか?)となれば、出す方も賑々しく送り出してあげたいわけです。
シンガポールへ行こうが、北京へ行こうがソウルへ行こうが東京ドームへ行こうが、万博の時ほどエポックになりきれないのは壮行会がなかったからではないでしょうか? カチカチとクリックして情報を集めている好き者さん達はいざ知らず、一般ピーポーに膾炙しないのはそのせいですよ、きっと。知らぬ間に行って帰ってきたらそんなもんです。なんとなればっ! 壮行会が要るんですよ。

1970の蒸し暑い夏(8月16日 or 9日 ?)の夜、江口と大江が、登り道~昭和通りで、わしら頑張ってくるけんねぇ~、と運行いたしました。担き夫は誇らしげに新調のハッピを纏っていた(ついでに短パンを穿いて)ことでしょうし、重には特別万博仕様旗がそよいでいたことでしょう。
今回はぜひにお願いしたい、壮行会をアゲイン。「夏まつりのついでに」などと矮小化してはなりません、そんなものとはステージが違いますよっ。

昭和の昔なら登り道がメイン・アベニュー。それで正解だったでしょうが、こんにちではそうしてもなりません。栄えある派遣ダイコが川西だから登り道ね、という話ではないのです。とにかくシュリンクしがちで囲いの外へ出るのを良しとしない地元(や近場)というフレームを壊して、新居浜の代表としてJR駅前でいたしませんか。あかがねMの周囲で大壮行会をやるんですよ。
あんまり大人の事情をあれこれ言い募ることのないように頼みます。



ん…………。
駅前で(野望ありありの自薦)候補が八台くらい集まって、そこで派遣決定戦(審査会ではなく!)をやるって案はどうだろう?
しかしその際はかきくらべでは決め手に欠け、禍根を残すことでしょうね、さすれば。青年団選抜でアームレスリングとか相撲とかベンチプレス勝負が適切かな。サドンデス方式も検討できますね、……あぁこれこれ。総員で綱引きなら恨みっこなしでしょう! 


3月4日は三姉妹の日です。池田ヒナちゃん、ナズナちゃん、シロナちゃんに ”これからも元気で仲良く” と贈ります。
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(わたしは)これを推薦する。DEUX

2019-09-24 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
大江の新調幕についてだが、もう〆4対は出来ているだろうし、幕の7~9枚も出来上がりつつあるだろう、そうでなくては期間内納入はままなるまい。これらは現在、国内のどこか、あるいはアジアのどこかで「おぉ、これは……」と驚くような輝きを放ちつつ、お披露目の佳き日を待っている筈だ。
幕シーンでも盟主の座を獲りに行けるのか、大江? まったくもって楽しみ(ここでは余裕をかましておこう)ですわなぁ。

此度の大江に限らず、新調の際には妄想が弾む。誰にも頼まれてないけれど、あれこれ考える。もう15年以上も前のことだが、中須賀の際には鷲をこうして後ろはこんな図柄にすれば……なんてやってたし、西原の際にも高欄幕にはこれを新規採用したら……としていたものだった。新調時に限らずこの妄想を年中四六時中やっていて、その一部は以前【あばたもエクボ】コーナーで紹介した。新調時はなおさらで、ドラスチックに妄想の幅が広がって楽しいものだ。実現可能性はないものの、オールリセットで制限少なめに考えられるからだろう。
であるが江口新調の際には「保守」しか考えることができなかった。あれは改変を許さないというか、完成の域にあると捉えていたからだった。でもその中でも唐獅子の絡み幕についてだけなら、ちょっとだけアイディアがあった、以下のように。

二頭の唐獅子が絡んでいる。片や青い毛色の獅子であり、一方は黄色くも見える身体の獅子である。ここでその雌雄は問うまい。
そう、1970年の大阪へ「出陣」した栄光の江口と大江を象徴し、先人(存命の方がおられるのに失礼なのは承知している)の功績を讃えるべく、万博40thのメモリアル幕があればすばら……と、そんな高欄幕を妄想したものだった。

しかしそのボツ(提案もしてないのにボツもないもんだが)幕であるが、大江に流用できるのはそらぁ当然。時期もずれこみ50thメモリアルになるが、それもまたよし。
現実にどんな幕が出来上がるかについては、どんなに想像をしてもおそらく外れるだろうし、こんな幕はなかろうから当稿にて推薦したい。そもそも推薦するような資格を持ち合わせしない(あるとしたら北斗会くらいだな)だろうし下絵なんだが、気にせずヒァ・イット・イズ。



以前から構築していた脳内幕を可視化させることができた。題して『万博お祭り広場で睦む唐獅子』である(長い?)。慧眼すべき技倆を持つ若き下絵師の協力を得て実現したものだ。
スタンダードな獅子幕を叩き台に、背景にエキスポ’70「太陽の塔」を置いて、乳の紋に変化をつけた程度だ、なのにメッセージ性が出ているだろう?
不肖岩窟による原案(と消しゴムかけ程度のアシ)、Mr.蒼虎のイラストレーションである。興味を持たれた方は彼(*1)に問い合わせを、大歓迎とのこと。仲介料など取らないから安心してくれたまえ。

妄想の二階建てになってしまうが、こんな幕を着けたタイコに万博ハッピを羽織った指揮者が乗っていたりしたら、ソー・アメイジング!

(*1)こちら
studio_souco@yahoo.co.jp
Studio"蒼虎" https://soucokazarishitae.amebaownd.com
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万博といえば千里山

2019-02-14 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
以下は、2月14日付『朝日新聞』記事を抄録したものです。先日の岐阜新聞に次ぐ紙面転載で著作権違反常習の疑いを受けそうです。下線は筆者。

1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」の頂にある「黄金の顔」。現在は2代目だが、かつて設置されていた初代が来年夏、約30年ぶりに常設展示されることになった。大阪府が万博記念公園(同府吹田市)に新施設を造る方針で、2025年に開催される大阪・関西万博に向けた機運を盛り上げる狙いだ。

太陽の塔は芸術家の岡本太郎(1911~96)が制作。府によると、初代黄金の顔は直径10.6メートル。厚さ0.8ミリの鋼板337枚を組み合わせ、表面には金色の特殊フィルムが貼られていた。
1970年に完成した塔の頂部に取り付けられたが、風雨で傷み、92年度の大改修時に取り外された。現在の顔はステンレス製の2代目だ。

初代に使われた鋼板のうち背面の170枚はゆがみや傷みが激しく処分されたが、正面の167枚は当時のまま万博記念公園内の収蔵庫に分解して保管されてきた。2020年が大阪万博から50周年となるのを記念し、府は鋼板を組み立て直し、新たな施設で常設展示する方針を決めた。

新施設は「ANNEX2020 EXPO'70パビリオン(仮称)」。整備場所は同公園内で、事業費は7億円を見込んでいる。
府は25年の大阪万博で、太陽の塔がある同公園を関連会場として活用する考え。太陽の塔については、世界遺産登録を目指している。初代の顔を展示する新施設の整備は、万博開催を国内外に広くアピールする狙いもある。



公開の暁には見学に行くことになりましょうが、この記事で注目してほしいのが下線部であります。あれを金むくとは思っていませんでしたが、金メッキくらいはしているだろうと想像してましたけども----。驚くことにあの顔は、(強引に言ってしまえば)ソフト金製だったんですね~。

現段階での仮説ですが、最初のソフト金製太鼓台幕は1969年製の大江であろうと考えています。なんとその(ソフト金が輝く)大江がExpo70のお祭り広場、つまり(ソフト金が煌めく)太陽の塔の足許に出張っていったという事実から、なにか因縁のようなものを感じませんか。
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現状はこれですので、ここから。

2018-12-21 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
新居浜太鼓台東京ドーム場所の案内がこちらでございます。
題して『ふるさと祭り東京;日本のまつり・故郷の味』ですね。
主催者が多くのお客さんに来て欲しいというとても素直な願いを叶えるために、その一手段として作成したA4両面カラー印刷のリーフレットを入手しました。

如何でありましょうか。惹句が「いざ開幕。宴ターテインメント!」とのことですが、入場するのに当日券で1700円らしいです。表面からは太鼓台の文字や新居浜を感じられる情報は一切見受けられません。

裏面にこそ画像がありますが、順不同でなく青森ねぶた、八戸大祭山車、秋田竿灯、桐生八木節、高知よさこい、の後に載っています。この面々の中でメインイベントは無理でもセミファイナルくらいは張ることができるのか? 怪しいです。キャラや内容はともかくですが、格が低いように感じます。
わたし、この中で桐生以外(何か興味が出たので、そのうち行ってみようという気になったのですがそれはさておき)は行って見たことがあるのですが、その見識(笑)からしても前座扱いを受けるのではなかろうかと危惧します。画像こそ載ってないのですが、佐原大祭山車や高円寺阿波踊りも強敵でしょう。
どうしてもネームバリューが弱く敵地のような気さえしますが、八戸や佐原あたりはいっちょ喰ってやりたいものですね。庄内と金栄の皆さん、応援加勢の有志の方々も奮励されたく存じます。


このリーフレットを一見してですが、やはり巨大縁日、冬の夜市でありましょう。太鼓台を含む「祭り」ゾーンその縁日へ客寄せするための賑やかしの位置付けです。それならそれでちゃんとパンダの役目を果たして欲しいものです。

ちゃんと金栄が載っているのは、正確というか誠実というか、感心しました。


年末のご挨拶をいたします。皆様、よい2019年をお迎えくださいませ。
1月と2月は寒いので、ほぼ冬眠するかもしれません。
それでは、ごきげんよう。2019から暫く続くのが望ましい平和運行を祈りつつ----。
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