岩窟竜王/新居浜祭り

 言って良いことと悪いことがありますの ©鬼塚夏美

我慢は二年で済むかもしれないから----I HOPE SO.

2015-09-17 | ユナイテッドがグッド
もう九月も半ば、地では運動会、空に名月の頃ともなれば時限的に仕方ないよね。これから急転直下してやっぱりみんなでやろうゼ、なことはないようですな。今年はやり過ごしてくれいということか----裏年とでも思えって?
でもまあ落胆し続けなくてもよさそうだと思うんだな。2015と2016の二年間やり過ごせば済むんじゃなかろうか、と。だったら案外短いようなと思えないかね?

何故かは簡単だ。2017年は市内統一寄せが(おそらく)あるでしょう、場所はともかく。また上部は別個にかもしれないけど、とにかくあるでしょう。再来年の話だ。

これなら多喜浜と田の上楠崎は来るな寄るなとなるわけがないわな。八幡は行かずとも市内某所へなら大丈夫ってことだもの。八幡グループの顔色や意向を気にする必要はなく、当然参加できますって。
その過程では八幡グループとの建設的折衝もあって当然ですよねえ? 話にならないから話す必要なし状態から半歩なりとも進むことができそうでしょうが。いいかげん頭も冷えた頃合でもあるはずだし。またそこで悶着起こそうっていう執念深く乱暴な人もおりますまい。
八幡グループはちょっと突き放し過ぎたかもと反省し、非八幡グループにしても困り感の素振りを見せて、総員がテーブルに着けばそこからまた会議が踊ったりはしないと思うのだけども。

今はある程度状況が明らかになってきて□が原因、悪玉は△みたいな了解はあるみたいですな。一定の事実はあるのだろうからあれだが、△の誰某が悪いとしてその△の住民やカキフが誰某と考えを一にしているわけではないよな。同様に☆が同情できるとしても、その☆の住民やカキフがおしなべて正当性を持つとの公式もまた立たないよな。この了解はとても大事なこと。

であるのだが、☆から□や△に罵詈雑言が続くと、それはいいかげん□や△の気分はよからずで「☆は気の毒だなあ」となるはずのフラットな感情が「はん!いい気味だ」と白眼の視線へと転化するのは当の然なわけだ、一般的にこういう状態を「関係がこじれる」というのであって、これはなんとも避けたいこと。

誤解を下敷きにして口論していれば、こじれた関係はさらにひどくねじくれるものであるから、ぜひにも見直してもらいたい。△の誰某が分離を主張したとして△の意見が誰某に一致集約されているわけはなく、また、分離意見に最後まで反対した◎の地区総員が分離反対と考えたわけでもないのだね、しつこいけど。
一例として新居浜市が選挙区の代議士がもつ世論を二分する法案に関する意見が、新居浜市の総員どころか過半数を反映しているかどうかはきわめて怪しいことを考えてもらえばいいかな。

さらにしつこいけども、年寄りが加齢によって頭が固くなる傾向にあるのは間違いないとしても年配者がおしなべて話を聞けない老害施行人であるとする思考はよろしくない。若い衆は感受性が豊かで柔軟性が高いのは間違いないとしても若輩者はおしなべて人の話を聞けるフレキシビルな振る舞いを行なえるとする納得もばからしいね。知恵の多寡や行動における射程の遠近の相違は、世代間にあるのではなくて属人的なものだから。

ボーズ憎けりゃ袈裟まで憎くなるのは否定しにくい人間のプリミティヴな感情だが、押し出して立派な感情でもないからできることなら理性的に制御しておきたいものだな。

そして、その2017を見据えているからこその「ここでどかんと一発」との策(あるいは卓見かも)に、グレートオルタナティブリセット効果を一概に否定できないのがまた、その、あれだわ。

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