あーこれが映画化されれば本当に夢の対決だなあ。
わかればいい人だけわかればよいので詳説はしないが、東宝映画いやさ映画史上でも双璧をなす特殊技術作品がキンゴジ(1962)とモスゴジ(1963)である、最高の双耳峰というべきかもしれない。唯一の例外(*1)を除いて異論はほぼないだろう。
であるからしてキンゴジとモスゴジのどちらが秀逸かはもう好みによるしかない。キンゴジ派モスゴジ派どちらの贔屓部分も納得できるし、わたし自身にとっても正直どちらも最高なのでそうでない方を貶す気はまったくおきない。両雄並び立って甲乙付け難しの典型だろう、たとえて言えばミケランジェロとレオナルド、ハンセンとブロディ、潮騒のメモリーズのアキとユイ(*2)がその拮抗具合での好例とできようか。
そしてここにもあったのが「高木と梶内」(*3)である。少々の無茶は承知だが牽強付会はお手の物、高木の龍をキンゴジに梶内の龍をモスゴジと以下に見立てた。
どうせ実在のモデルを持ちえないのだから、毒々しくおどろおどろしく迫力を出せば王道なのに、なにかすっきりハンサム顔のキンゴジである。初代(*4)にあった耳や爪を省略して生物感を失いながらそれを補って余りあるフォルムの良さ。サウルスの雰囲気が強く頭部が平坦で、人間とは明らかに遠い種にあることが明らかで感情を推し量ることは困難な顔つき。草食のそれか肉食のそれなのか、はたまた昼行性か夜行性かの推論も難しい眼、焦点を結んでいるのかどうか、どこを見ているのかが定かではない視線。口はしっかりとは閉じないので可動域が小さいのか大きく開けることもなく性格を読み取りづらいことで却って異形感が増している。脚と身体のバランスが生物としては生存に支障がありそうなくらいに極端である。直接私淑を問わず正統な後継が少ない。
これらは高木の龍に該当する特徴に通じているといいたい。
こちらも架空の存在でありながら、むしろ人間的な感情があるのかもと思わせるモスゴジである。性格まで推し量れることのできそうな表情をしていて言うなれば悪党の面相だ。喜怒哀楽でいうならいかにもな怒りを露わにした顔は立体視の可能な両眼の位置と眉の造形によりぐっと引き立っている、瞳がかなり黒くて大きく幼児のそれのようだ、見方によればヒーロー的な眼力まで備えている。その先には食料なのかあるいは敵なのか、何かを見据えていることが明瞭にわかる。口を閉じた際の歯牙の見え方がナチュラルでよい。
これ以後にしばらく続く〇〇ゴジ達に直接間接の影響が大きい、結果的な版図はキンゴジよりも大きくなりその帰結としてバリエーションは多い。
そしてこれらは梶内龍に該当するのではと。
(*1)64年のキングギドラだけは別格としないとね。
(*2)いきなり文脈無視してしまうが、わたし自身は若小泉の有村さんがよい。
(*3)高木については安太郎と一彦を意図的に混同した。
(*4)54年の初代ゴジラのこと。本稿では「山下」と捉えて読むことも可能。