岩窟竜王/新居浜祭り

 言って良いことと悪いことがありますの ©鬼塚夏美

望ましくないけど仕方ないと思う

2024-04-15 | 真面目な提言をいたします
先日、なんかで読んでなにかを思ったので、その一節を恣意的に紹介します。

平安の頃からやってるらしい京都八坂の祇園祭のこと。なんだか室町時代の頃、八坂神社が祭礼をやらない時期があったとか。うん、それは神社のなんかの都合だったんでしょう。で、祭りがないとなれば山車は出しようがない、それでも当時の町衆は山鉾を曳きたくてたまらず、出す方策をひねり出したらしい。といっても大したことはしちゃいない。神社の祭事、神事と山鉾巡行は別、分けたらええやんか、との見解によって山鉾を曳き出したのだといいます。祭事と催事は違うのだと、ブレイクスルーを起こしたのですね。
前からちょっと不思議ではありました、八坂神社の祭りで山鉾は鴨川を越えません、門前に近寄らないのです。神輿ともあきらかに別ルートで別行動を取っています。その室町以来のことなのか初期からそうなのかは知りませんが、妙な感じは受けますね。日本でも指折りに伝統ある祭りで、そんな状態なのですよ……。ただそうなってから何百年経過、なのでしょうけど。

神の概念と存在は、われわれの脳が拵えた幻想です。地球上では重力が1G働いているとかの物理法則や、人間は水の中では生きられないといった身体上の制約に支配されてはいないのです。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是非に及ばず

2023-11-28 | 真面目な提言をいたします
次回を乞うご期待、というわけでもなかろうに18の午後には「来年は週末にやるんだって」情報が流れていた。気が(手回しが?)早いもんですなあ。

わたしの意見や態度は以前とかわらずで、「曜日開催は嫌だね」カテゴリhttps://blog.goo.ne.jp/momongaair/c/04195d7baa5d697cc765bbe6816a2ca0
および2010年に記した「どうせならばだ」稿
https://blog.goo.ne.jp/momongaair/m/201003
にあるものとほとんど変わっていない。

ただ、時間経過と状況進行のせいなんだろうなあ、週末開催は現実化するだろうし抵抗してもしょうがないだろうなと感じている。渋々と受け容れると思うし、案外あっさり慣れるだろう。
川西が「お先に失礼」したからといって追随する義理はないし、そうしないで欲しいがしかし。遅かれ早かれ、川東も上部も(大生院はわからん)雪崩を打って週末開催になるのは避けられずと見ている。
有名無名の祭りが開催を週末に移行している現状は、市民的な支持はあるのだろうし、その逆に週末開催から期日開催に戻した地区(ないし神社&氏子)というニュースは寡聞にして知らない、これが残念ながらの正答なんだろう。なにをどういったって人が少ないんじゃあれするのもこれやるのも困難だらけで、増えることは望めなくても減りにくい方向に振るしかあるまい。
人口は(新居浜圏に限らずどこでも)減るのだし、若年や生産年齢のそれも良化は見込めない。地球的規模で温暖化は止まりようがないし、選挙の投票率は上がるはずがない、みたいなものだ。たぶんパラレルな動きにある、どうにもこうにも相手が悪い。

神社を軽視してるぞ、イベントじゃん的な議論には踏み込まない。神道って(それにしては奇妙なんだが)宗教だよね、神事なんて阿呆らしい、とのスタンスに立つので。おまえは祭りに出る資格がないわ的な論難にたいしてはうんもっともだと自覚しつつ、言い訳する。かっこいいタイコの出る催事だから好きになったのであって、タイコの出ない雅楽みたいな秋季大祭には的屋ほどの興味しかない。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆっくり歩夢もう、2023トレイル<3.5>

2023-11-17 | 真面目な提言をいたします
「着崩し」がかっこよく思える頃はあります。親や教師達、本来自由人であるべき自身を型に嵌めて馴致しようとするダサい大人、流行りをからきし理解できず退化している人々の言うことなんか聞いてられませんよね。奴等のセンスの欠如は救いようがないってね、そんな気持ちわかります、恥ずかしながら通ってきた道でして。

だからこそ言えるんです。あの頃の自分は痛かった、もっとスマートにクールになることも簡単だったのに、と思えばこそです。服はきれいに着ましょうよ、なんていうか実直に着る。だいたい着崩しが似合うのは色気のある男だけですよ。たいした顔じゃないなら、オーソドクスに着る方がよいと信じます。ボタンを上まで留めて髪を撫でつけた指揮者って格好いいけどなあ? 流行りにどうこういうのは野暮なのは知ってるけれど、ねえ。


どうしても前開けをしたいのなら、そうすることによって見映えがよくなる方向に振ってほしいものです、たとえば。
前を開けて張りのある肌を見せる、引き締まった身体、隆々とした筋肉を見せる。(ある意味だめなんだろうけど)美しく仕上がった刺青を見せる。こんなんなら祭りの華、みたいな気がしなくはありませんから。ところが現実は、前を開けて見えたのはスポーツシャツのロゴタイプというのでは、どん詰まりですよ……。

あ、着崩したい人も受容できそうな止揚案がありました。ハッピなら前を開けるな問題が生じないですね !? というか前を閉じられない。ハッピは腰紐を結ばないとだらしないゾ、な話はあるっちゃあ、ありますが。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆっくり歩夢もう、2023トレイル<2.5>

2023-11-05 | 真面目な提言をいたします
確かに彼はイオンで言った。来年大江とやるから、と。その言を聞いたわたしは嘆いた、なんという困った目標か、と。

すこし待とう。わたしの早計かもしれない。かの言には目的語がなかったからだ。大江と、とは確かに言ったが、何をやるのかは言ってなかった。わたしは早合点した、ケンカするのかもしれないが、IZRするのかもしれない。人間で挑みかかるのかもしれないし、とにかく棒を折りたいから特化攻撃を仕掛けるのかもしれない。どれにしてもノット・コレクトリーな嘆かわしい行為をするのだろうと反射的に考えてしまったのだ。それほど知られていないが特例のあった2014年、指揮者が「来年にはまた大江とやるけん」と言ったのをわたしは聞いた。ご記憶のように翌2015年にケンカしたわけだから、今回もその可能性が大きいのかもしれない。

しかし、逆方向に「やる」のかもしれないんだ。大江と停戦するのかもしれないし(これは代動詞doであらわせる)して友好関係を結ぶ(これも代動詞doであらわせる)かもしれないし、平和運行をクールに実現してみせる(これだって代動詞doであらわせる)かもしれないじゃないか。
目に見える形で、横に並べて差し上げする(これも……)こともまさしく「やる」に該当する。だとしたらたいへんに魅力的な光景になる。別に史上初の珍事でもない、1983年に境内で実現していることだからありえないと切り捨てなくともよい。もしあったらざっと40年ぶり、折しも阪神タイガースが38年ぶりの日本一を決めるかもしれない今日(無理のような気はしているが)! みたいな長期サイクルだってあるんだ。
これを指して彼は「大江とやる」と言ったのなら、わたしの早合点と不明を詫びつつ喝采を送りたいが----。

平和は何にもましてありがたいことだ。どんなオバカでマヌケな人生のようで世も末だと思えても、それは平和あってのありえない奇跡のようなこと、これを先日ヒロシマへ行って感じ入った。
いまある命をいちばん大事に、こちらは昨日『ゴジラマイナス1.0』を見てきての感想。そして----、かの発言の意思は那辺にありや?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和運行を実現させましょう

2022-08-23 | 真面目な提言をいたします
表題のとおり! 今年こそは、やらねばなるまい。
せっかく届いた朗報なんだから好機を活かそう。こんな千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないよ。もし2022年に平和運行なれば、です。牽強付会できるのですよ。
アレがないなら総体での運行時間に余裕と遊びが生じて、各太鼓台も厳密な時間割で進行しなくてすみます、昼ご飯をゆっくり食べられるかもしれない。押し付けられるチケットの売り先を気に病むこともない、境内へ入る前に消耗しかねない本末転倒を避けられるし、参道を引きずって行くような不調法を見せずに済むってものです。西原から入る17日午前、なんて久々の光景も見られる可能性もあるでしょう。
そして平和運行が実現したとしたなら。あぁアレがなかったからやらんかったんだねぇ、アレをやらされとったけん喧嘩してしもたんかもねぇ。なくてよかったよねぇ、要らんかったね、もう要らんや!? 来年も……、みたいなオチになったりしますよね。

そんな因果や相関があるのかないのかわからない感想であっても、今年はアレがなかったから平和が実現したという詭弁は可能だし、来年も平和を目指してナシでやってみないかと提言できますよね。
翻ってあれが嫌なら今年は平和運行を実現させましょう、なんてヘリクツも言えるってことです、ともあれ。ミュージがない!!  のは実に気分のよくなるグッドニュース。
コメント (14)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他罰したい人々

2022-06-08 | 真面目な提言をいたします
まぁご覧になってくださいませ、ヤフーニュース。
https://news.yahoo.co.jp/articles/136f44b2115c909f48258d8b23dd14a157e430b0
みなさんはどんな状況でなにがなされたかはご存知でしょうから説明はすっとばしますが、着目してほしいのは書き込まれたコメントの数々です。
的外れで悪意と嫌らしさに満ちたコメントがなされているのかとなんとも呆れますよね。無知で対象への理解もできてないにもかかわらず、自分だけ一丁前にモラルの高みからばっさり切り捨てて得意になっている方々。事実誤認や思い込みによる断罪だらけなんですがね。自分に跳ね返ってくるのでいいたくないですが、アホですか? と呟いてしまいそうになる。これらは「世論」とは違うのでしょうが、世間の評判なんてものはこういう種類のものだったのか、と認識できますよね。つまりは----、相手にするほどのものでなく取るに足らずということですっ。

私見ですと署員氏がいうフラストレーションがたまっていた、が的を射ています。ただし、溜まっていたのはだんじりを動かした人達よりも、正義感と倫理感によって通報した人でありましょう。

あいつら勝手に無体をしやがって腹立つ……という苛立ち。責任者が取りしらべを受けて通報者の溜飲は下がったのかなあ、気は晴れましたか? あまりいい感じの不満解消ではなさそうですが……。わからないわけじゃないでしょう、夜まで騒ぐわけはなし、見過ごす鷹揚を持てなかったのか。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナに平安を

2022-02-28 | 真面目な提言をいたします
今後に、不断に、普段の平和を目指すものとして。
とにかくひとびとの生活に平安が訪れますよう。身体的な危機を感じて眠れない夜なんて、たとえ一晩であっても御免です。それが政治の問題によるものなんて尚更です。
ちょっと尺がおかしいでしょうが、ここにわたし個人からの連帯を示します。


このコラージュは? と思われた方のために材料を明かしておきます。町と庄内です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘策あり

2021-10-24 | 真面目な提言をいたします
こっから12ヶ月(しかも持ち越しで……)我慢するのは辛苦だなァ。頻繁に見れたら有り難みが薄いといわれたあかがねMの入れ替えも、ひと目に触れないようこっそりやるようになって久しい昨今です。もう(動く)太鼓台ってどんなもんだったかしらん、と忘れそうですよ。もうこれねぇ、どっかでタイコ、出しませんかね?

当地は(ちょうど最悪的なタイミングで)凸がありましたが、全国的には第5波は収束しましたね。このまま原因はわからないけどパンデミックも終息したみたい、となるのはありえないことじゃない。サーズもマーズも理由が不明なまま不思議に終息したんですよね……。

来秋までお行儀よく待つのは正義と良識の体現者っぽくてカッコイイですが、どうでしょうねぇ、できますかねぇ。思うんですが、新緑が映える5月頃にひとつ、出してはどうでしょうねぇ……。

考えました。第5波収束はそれだけで十分な(大義かどうかはむつかしい)名分じゃありませんか、これほどあらゆる人にとって喜ばしい出来事なことって他にあります? 万を超える感染者が出ていたんですよ、それがもう百の単位になりました。数でいうなら敵の担き夫を前後左右問わずほとんどぶっとばしてあとは重係が残ってるだけってな割合じゃないですか、勝ったと考えても無理もない。祝って出しちゃいかんですかね?

東京や大阪の繁華街でも、客足が戻ってきたみたいですよね、結構なことです。比して寂しい新居浜商店街ですが、なにかカムバックコンシューマーな企てがあるといいですね。商店街も夏祭りが二回なくて寂しく、華やぎが欲しいことでしょう。ここいらで「コロナ禍終息祈願;商店街再起動」とでも銘打って(季節は違っても)夏祭りみたいなものをサタディナイトにやってみませんかね。それならば自粛だ要請だぞと渋面だった市当局も、むしろ好意的に積極的に後援できるかもしれない----。

旧大丸から元塚までの昭和通りを、西原から大江をきれいに(間隔あけて)並べて客寄せの一助とする、と。動かさないのが穏当、祇園祭りの宵山みたいなイベントです。夕闇に太鼓台の姿を懐かしみつつ長胴の音を愉しみ、笑顔で昭和通りを東西に散策する老若男女、あぁコロナ禍はひとまず治まってるんだねえ、と。今まで会えなかった人達と旧交を温めることもできます。

気が晴れる楽しい土曜夜を過ごした人々と各太鼓台は(当然ながら)サンディモーニングを迎えてしまいます。太鼓台はこのまま蔵へ戻るのが本筋なのかもしれませんが----。
もし天気がよければ、一宮神社へ行きませんか、第5波終了をお礼参りするのですよ。さぁさみなさん一緒に、ゆっくり参りましょうよ。

またまたまた妄想してしまいました。そもそも第5波といえど治まってるといえるのか、春にどうなっているかは謎、しかしです。より悪い状況に陥っているとは思いにくいし(考えたくないのかもしれないが)今年の春だって感染状況はましだったでしょ、まだ医療関係者しかワクチンを打ってなかったのに、2021の春はずっと落ち着いていた、でしたよね。

そもそもちょっと妙なんです。2020年は新田や中須賀や東町やらが未成体ながらに出歩いた川西が、わしらは腐っても鯛で看板じゃけん、な川西が2021年はまったく(展示も含めて)音無しだった件です。はてさて彼らは、そんなに分別のある、聞き分けの良い人達だったのでしょうか。
わたしはなにか裏があると踏んでいます、裏というと語弊がありますが密約というか暗黙の同意というか、そんなサムシングがあるのじゃないか。
今回はね、ちゃんと、しっかり、波風たたぬように、模範の対応をしましょう。きっちり粛々と自粛すると。そうして“自粛を要請”してきた方面に借りを作れました、気分的なものでもあるけれど、こないだはちゃんと頼み聞いてやったでしょうに、というカードを手に入れました、と。そして時期を見て、ええと10月じゃないのだけれど自粛を要請してきた側にたいして「出す」ことに助力してもらおうじゃないの、清算してくれるよね? という腹案があるのでは、と思うのですが----。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やる理由はあります試論

2021-08-22 | 真面目な提言をいたします
見せられている数字はわかりやすく可視可されているだけに厳しい。'20年のように今年はやめとけまた来年できるよみたいな態勢ではなく、出るとこは出るぞウチも出るよね態勢なのは喜ばしいが、さすがにこの数字(ないしグラフ)にやばいかなと思わせられる8月下旬である。われわれが問題視すべきなのはワクチン接種者における感染者数(あるいは感染率)であると考えるのだが、そう理解していながら旗色が悪い、萎える。

われわれには期日がある。そこに照準を絞り、とれる行動はあるはずだ。公衆衛生的作戦としてのワクチン接種が祭りやタイコとは関係なく展開されていて(いろいろ評価はあろうが)一定の効果は上がっている。今日よりも明日、明日、来週、来月の方が抗体を持つ人々は増える。今ここよりも10月中旬の方が抗体ある人の数が絶対的に増加している、よろしい。相関して時間が進むにつれて感染する人が減らないわけはない。このワクチン武装をしたうえで(他に有効な手もなさそうな現在)感染にたいしてやれることがあると考えたので、以下に記す。

某店で某所で、クラスタが発生との報は聞くものの、それらは状況証拠であってまぁそこだろねえ的な推理にすぎないことはおわかりだろう。こんな時にこうすれば感染スイッチがオン、このラインを超えたらアウトという閾値があるわけではない。
昨今あまりいわれなくなったが密を避けろとの題目は人々のなかには残っていて、密は危うい忌避したいとの了解がある。しかし実際のところ、どれだけ危ういのかどの程度なら危ういのかは誰にもわかっていない。観客を増やしたり減したり手探りしている興業界でもよく見聞きするように。
タイコでなら一本の棒に何人寄ると危ういのか、何分間滞留するとそうなのか、どこまで歩いたら危険地帯なのか、タイヤを外すと超危険なのか----。おわかりのようにこれらは想像でしかない、だから、まぁ危なそうだからやめておきますか……な判断になってきたのが、悔しいながらも受け容れてきたこれまでである。ここで感染者数や重症者数を見て一喜一憂(さいきんは憂ばっかりだが)しても敗色が濃くなるだけかもしれず。立ち止まり、前向きな姿勢をとりながら、なにをしてはいけないのかを留意しつつ、できることを探していこう。

想像であれこれいっても、想像の域でしかない。試してみなきゃわからない、やってみよう♪♪というギャンブルはありと考える。いや違うな、そうじゃないな、ギャンブルじゃなくてだ。「社会実験」したらいい。
あるタイコを組んで動かして神社まで行ってみてクラスタ化するのか「実験」である。感染して症状が出るのに二週間というところらしいから、9月半ばに行なうといい。10月には実験結果を出せる。
ワクチン接種ずみ(今は高齢者ないし高校生になってしまうのは仕方ない)の担き夫等が通常運行程度の密で自治会館から神社まで往復してみるわけだ。データを求める実験なのだから声を出すことはむしろ必要、マスクは念のためかける方がよいだろうが、この道行きで二週間後にはたして感染者が出るのか、出るとしたら何人かを実験によって検証するのである。担き夫各人を後追いできるようにして二週間後に状況を聞き取る。100人の参加者に感染者は、果たして----。
こんな実験結果でタイコを運航させる行為が危険なのかどうかに対して、一定の解答を出せないだろうか。あぁやっぱりやっちゃいかんことだったんだ、という解答もあるだろうし、えぇ全然イケそうじゃないの、という解答もありえよう。実験したからには想像でイケる/イケないを勘案するよりも、判断のための強いエビデンスとなる、どちらにしても受け容れは容易であることは確かであると信じる。
そんな実験結果が10月初旬に明らかになれば。この結果を材料にして各自治会が出る出ない出せる出せないを判断する、のである。

そんな法螺話を聞くにはよくてもどこに実験させるんだ? そんな益すくなく危ない目に遭う可能性があり、暴走的先走り行為と叩かれそうなボランティア運航をどこがやるというのか、という問いはあるだろう、そこで。
いくつかの理由により新須賀が志願するといいと思う。まず自治会から堀江神社へ行くのは近距離で交通量も少ないので通行の邪魔になりにくいこと。境内で除車さえできるかもしれない。
次に、ちょっとした優越感を得られること。社会に奉仕するのは単純に気分がいいの否めない。直接に感謝する者はすくないかもしれないが、自分(あるいは自分たち)がしたことで他者が助かっているとしたら、疑いなく気分はいいものだ。
更に理由はある。'19年の一件で複数年休航の裁定だったのはご承知のとおりで、'21に至らんとして(またもや、そして「特例」すらないまま)ペナルティ有耶無耶になったしまったこともまたご承知のとおりであるが、新須賀がこの状況をどう捉えているのか。温情に対してこれ幸いと涼しい顔して出てしまってはいささかフゥが悪くないだろうか。筋を通したい向きはいないだろうか。そこでだ。実験に参加すればそんなもやもやをクリアできて、世間に対して謝罪(そうでなければ謝意)の意を表すことまで可能になるのだ。
司法取引というんではないが社会奉仕ともいえる、すすんでの実験台運航は検討に値するに違いない。場所が適していて、当惑感を払拭できる。自分に意義深く他者に有益、これほど条件がそろっているのは、新須賀をおいて他にない、と思う。
じゃあ西原でも可だろうに、との声もあろう。わたしも贔屓なのでそうしてほしい。だがしかし、ワクチン接種済みでなおかつ運航に参加できそうな人員がいったい何人いるかというと……。端的にいって数がいないのでは実験にならない、のである。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やる理由はあります概論

2021-07-15 | 真面目な提言をいたします
ヴァイラスに対してはここまでこぎ着けたじゃないですか、ワクチンができてほぼ行き渡った、9月末なら20代にも接種券が届く公算です。こうしている間にもご近所の誰かさんに抗体ができているんですよ、不思議な感じがしますが。

もうこれ以上の手はあるんですか。緊急事態宣言だの蔓防だのはワクチン接種(および感染)で集団免疫獲得までの時間を稼ぐ方策だったんですよ。もう時間稼ぎは必要ない、速やかに打ってけばいいんです。
それで重症化を防げます、感染す可能性は低くなります。薄いとされていた感染を防ぐ効果もあるらしいじゃないですか。

今年は自重して来年にきっちり再開しようという声も聴きますが、これはなかなか不可解な発想です。来秋だとコロナ禍一過なんて見通しが立ちますか。2020にも来年はできるヨなんて声がありましたよね、見通しは見通しでしかない。考えてみると2021が可能とした理由とは、模糊としたものだったかもしれませんがワクチンできるだろってのもあったでしょうね、ええできましたし、接種完了者は日々増えていますね。想像していたよりはいい数字の新居浜市です。
コロナに対しては撲滅だの打ち勝つだのはありえないんです。ウィズでやっていくんです。あれってただの風邪ナ~みたいな舐めプ(これをやると碌な事はない)でもなく一定数の人が罹患するし、こじれると危ない疾病(こじれて危険でない疾病も少ないが)だと了解して、つきあうんです。
今秋がやばいんなら来秋も同じくやばいんです。あと1年でコロナ禍が消失していると考えているんなら別ですが。違うでしょ? 来秋がさらに状況が悪いことさえあり得るんです。現行のワクチンはデルタ株にも有効らしいですが、次のイプシロンやゼータとかの変異株が流行したとき、そいつらにはワクチン効果が期待できないと聞いたらば絶句しますよ。来秋になって、あぁこんなことなら去年やれたのに……って天を仰ぐことになりかねない。デルタ株にまでなら有効なワクチンが効力ある今、2021秋にやっておいたほうがよくありませんか?

そして何度もいってますが、ここは四国です。橋はかかっていますが国際空港なんてひとつもない島です。満員電車に乗る通勤者は見当たらない、黒字化の公算はどこにも見いだせないJRが単線で繋がっているだけの島なんです。東京なり大阪なりには最低4時間は要る場所でもあります、県庁所在地にも遠く、圏内人口が20万を切ります。発症者が出ても圏内ではこれまで病床逼迫(ステージⅡより悪化は)していません。
東京をイメージしましょう、電車に乗らないとしても駅前に買い物に行こうとしたら誰が感染していてスプレッダーなのか見当がつきません、疑心暗鬼もあるしなんちゃら警察もいるしでマスクは必須です。ところが買い物をしようとイオンに行くわたしにマスクはもはや不要、といっていいすぎなら必要性が低いんです。感染する(させる)確率も同じく、とても低いんです。東京で切手を買いに郵便局へ行くよりも圧倒的に低いですね、間違いなく。モールですれ違う人が感染者である確率がそもそもすごく少ないんですよ、そうでしょう? おまけに自分がワクチン武装をしてしまっていれば----。

ヤル時には鎧が要ります、負けないために。鉄板貼ったり、ゴム管や丸太を重ねたり、四面ぐるり覆ったりします、見たことありますね(笑)。これらのがっちがちの鎧のせいでダイナミズムは消えましたが「割れて負ける」心配はほぼ消失しました。感染対策に平時ならマスクを掛けます。いわば文字を振るロープ細工でしょうかね、でもそれじゃあ心許ない、進化した対策が欲しくなります、鎧みたいに強力なそれ。なにか昨今は鎧が常時装着になってるところもありますが、それはともかくこの世界では武装は有効なんでした。

ウイルス感染およびコロナ関連疾病についてワクチンが有効な武装であることは誰も否定しないでしょう。徒手空拳でサラシだけ巻いて殴り込みしようとしているんじゃありません。今から行くのは危ない場所かもしれないぞ、今からやることは危なそうだな、だからちゃんと鎧で武装しているんだよ、というんです。

こうなったら(昨年より安全で、来年よりも安心な状況もありうる)危険性を認識しつつやってしまうのがよいと考えます。怖い、キチガイかよ、おまえだけやれという人は家に居てください。

重複になりますが、できる理由を列挙します。
 1.来秋を期待しても不確定である
 2.ワクチン接種状況が進み、効いている今秋はじつは適時である
 3.そもそも感染を怖れる場所ではない
やるとしてしまえば、後はもう運任せでいいんですよ。歩いていて自動車に刎ねられたり家に居て雷が落ちたり、生活はなんらかのリスクを常にはらんでいます。三には足らないニ密状態ですが、渡るにはそれほど危ない橋じゃありません。気にするのはもう、(軽武装)マスクの取り扱いぐらいでしょう。掛けるのは不細工だし呼吸しづらいから嫌ですが、必要な場面なら、ね。

とどめにいいましょう。運動会や興業をやるんではなく参加するんじゃない。祭りです。なら、いえばいいんです。われわれには祭神の加護があるはず! と居直ってみませんか。


(この稿としては)蛇足ですが、もしなにかあったら責任は? という言説はあるでしょう。ですが、感染者が出たので慰謝料等を請求という事案は絶対に起こらないです。そんな訴訟を請ける弁護士はいません、というに留めます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撤退しつつも砦を築く

2021-04-13 | 真面目な提言をいたします
途上国だったのかな? みたいな鈍行的遅さだけどもワクチン接種が始まりだした。よほどのことがなければ日々ワクチンによる免疫獲得者が増える、安心度は上昇する。時間が経てば経つほど日が週が過ぎればそれだけ打たれるワクチンは増えていき、免疫獲得する人が増える。その人数や上昇度やらは期待や想像どおりではないだろうけど、絶対的に増える。光明には違いない、ありがたい。

そんなご時世の昨今、気になるのはこれ、某月某日に間に合うのか? ではなかろうか。
推測するにその某日、A人は接種二回を済ませて20日経過、B人は二回だが1週間経ったばかり、C人の接種は一回だけ、D人はまだゼロ回で待ちぼうけ、みたいなまだら模様状態であろう。要はA人が多数であればよいのだが、どうも甘いだろうな。アジェンダが五輪開催になっていて他の諸々を捨象したり軽視している為体政府にワクチン接種だけがスマート&スピーディに執行できるはずもない。ともかくあまり期待できない。ただ、時間が経てば被接種者数プラス化は確かである、すなわち五輪強行(悪い冗談のようだ)の8月よりもお月見ができる9月の方が数が多いのだし、運動会の9月よりも体育の日(あ、今年は違うのか)の方が人口における免疫獲得者割合は増加している。そして10月であれば、山本町の祭り時期よりも観音寺常磐の祭り時期の方が安全だし、西条祭りの日より三島の祭りの日にウィルス耐性がより強くなっている。しつこいが日時が進めば進むほどアンチウイルス環境は良化していくのだ。

ここで視点を少しずらして、10月中旬が迫ってきたある時期を想像してみよう。この接種ペースかぁ、あと半月、悪くても1ヶ月あれば接種ほぼ完了、接種後なんとなく経過状態じゃないのか……と考えるような状況だったらどうなる? どうする?
あと数時間あったらこのレポートは仕上がるのに…、納期が半月後だったら残業しなくて済むのに…、半年あったら希望額まで貯まるのに…等々、時間だけはなんともならんよなの嘆きは誰にでもあるしどこの世界にもあることだ。
予定や約束がそもそも動かないから当たり前にそう思うのだが、そこはそれ。変えられる予定や期日ならどうにかしてはどうなのか? とも思うのである。

某月某日、2020のような沈黙した秋にはなるまいと考えている。希望スパイスは少々振られているが、初日のような人員で運行なら可能ではないかと思う、しかし楽日のような運行が総出の担き夫と観客で可能とも思えない----。
だがしかし。その某月が貴兄やわたしの考えている10月でなく、11月だったらどうだろうか。11月なら未接種者はぐんと減り、二回済み(少なくとも)一回済みの人は増えている。前記ABCの割合が増えDのそれは減っているのだ、一ヶ月の時間が経過した分は確実に。

神社境内にタイコが集うといった祭事ではなくてもいいんだ。その時間枠を動かせ変えてくれとはいわないけれども、11月になにか一発やってもいいんではないか。少なくともやれる算段、動く段取りはしておくべきではないか。
えぇ? 10月にこんなだったら出せとったんじゃ……と悔やむようなら準備だけはしておいてもいいよねえ~。

山根グランド11月21日、この日あたりなら事態は少なくとも10月より好転しているはずだ。やらん手はないんじゃないかな、そうでなくちゃやってられんよ。悪くないと思うんだけど、なんとかならんかな……。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020以降をスマートでクールな秋にするために②

2019-12-07 | 真面目な提言をいたします
2020の秋にはめったにない(西原の事情によって。1983以来か?)先頭の境内入りが見込まれる中須賀である。これに意義を認めるかどうかは人によるだろうが、稀であることは間違いない。しかし、そこ迄たどり着けるかについて疑われているのはどうにも遺憾。あんまりしつこくしたものだから大江の堪忍袋が開いたとの話を聞くようではもう誰が得やら損やら。まぁまだ鬼が笑う時期だけども。
大江を倒せ、なんとしてもリベンジを! のフラグが高くひらひらしていた時期は大抵のことが気にならず、目を瞑ってしまうことはあるし、あった。清は僅かで濁だらけだったが併せ呑んだ。目的のためには手段をチョイスせず、というやつだ。だが目的遂行されたなら高潔にはほど遠かろうが通常運転に戻るのが理にかなっている。目的----、成った筈だよな? だったらフラッグは館の押し入れにでも仕舞おうよ、また力一杯に振らなければいけない時はおそらく来るのだし。

中須賀状況打開① ~西町を参考に~
続くとは思いたくないが、現状では下振れリスクが大きい。ちょっとばかり拙いぞ、こんな野放図じゃ要るわな、お灸が----、と考えるなら据えるしかないだろう。どんな? というなら2000年前後だったかに西町が据えられたヤツ。もう今年は出さないことにするよ、いい加減行儀良くせんとな~、というお灸である。これを据えることができるのは自治会、その肚づもり次第である。灸による治療は熱かったり痛かったりするので歓迎しないが、こんな状態が続くよりは良いかも、とは思えなくはない。思うに処方としてはアリ。お灸が足りなければ積み増しするだけでね。

中須賀状況打開② ~過去事例を参考に~
積極的に東西分離運行を提案する。
想像してげんなりする者と、つまらん面白くないとの記憶を持つ者から不満の声が上がるだろう。あれは確かにつまらなかった。全部で8台だった時代に4:4に分けたりしたものだから賑やかさを欠いたし、例年ならさぁこれから一騒ぎと考える時間に退出だったので、ちょっと違うな、となったものだ。こんなこと続けられない、と確かに感じた。当時はIZRで寄せ/退けをやらないと食い足りなかったからだろう。しかし、現状はどうだろうか。正直面白くないよね?
IZRのやり方もずいぶん違ってきていて、10年前が早くも大過去みたいだ。棒が入らないで何のIZRか。向こうの表情がわかるくらいに近寄って相手を退かせたら勝ち、みたいなルールはすくなくとも私には(そりゃあ相手が退いたら上気はするけどさ)ない。棒端を抱えて闇雲に(前なんか人の頭しか見えない)押していって後ろからの圧と前に立ちはだかる圧に挟まった満員通勤並みの重圧に苦しみつつ、それを愉しんでいた二昔三昔前がずいぶん懐かしい。IZRってのはそんなものじゃなかったかしらん。
そして現在。一人称の中須賀にしても動きが鈍重で、二人称の大江もアドレナリンが出ているような対応ではなさそうに見える。三人称のthemに至るとはぁ早く終わってくれんかナ帰りたいヨと待ちわびている風情なのは、誰しも了解しておられよう。
2019の態勢は見る感じはIZR特化型のようだった。構えた箇所から退かないことを主目的としていて(それを認めたとしても)前に進むわけでもない。遠目にはまったく動きのない睨み合いが何十分も続くのはどうなんだろ。もうちょっとスペクタクルにならんかな、という感想になる。そして、スペクタクルがないんなら別にIZRんでもいいのじゃないかな、という考えに至るわけだ。
ではでは、そんな環境を変えようではないか。分離運行を検討するべきである。いや、実行されるべきだろう。2019についても検討されたらしいではないか。この案はやってはまずい禁じ手とか最後の手段だ、みたいな感覚が意識下にでもあって実施されなかったのかとも想像するが、前回は前回、もう状況が違ってきている。台数や時間の条件はずいぶんと変わってあれは拙かったから絶対に避けないと、という案ではなくなっていると理解してみようではないか。
そしてその時期だが、暴力衝動を発散したい者共が興味とモチベーションを失って集わなくなるまで続ければいいと考える。いや別に、呼んだからとか呼んでないないからとかはこの際問うていない。(わたしを含めた)不届き者共はやがて汚泥のごとく沈殿し、ピュアな上澄みが出てくるようになればしめたものだ。そこまでやってみてもいいじゃありませんか。裏返すなら、いつまでも上澄みが出てこないようなら澄む迄待つ。ずっと分離でいいとさえ思う。

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞に倣って再定義を試みる

2019-11-30 | 真面目な提言をいたします

10月19日付けの朝日新聞、大江浜入りを伝える記事ですが、「約10台がかきくらべ参加」と記されています。変だと思いますよね。カウントに手間どる数じゃなく小数点以下がでるのでもない。でありながら(*1)11台とは書かず10数台としているですが、これは、西町が車付けたままちょっと、気持ちだけ入ったことを指しているのでしょう。カウントしていいかどうか迷った感じ。そのうえ、当初予定の13から二台が消えてしまっていることも読み取ることが可能です。このあたりは、流石に朝日の記者、上手いもんですわ----。
ただ「かきくらべを演じる太鼓台」というキャプションは疑問でしょうねぇ。

どの新聞だったか忘れましたが、「かきらべと呼ばれる演技」と字句を見たことがあります。これはまぁ間違っちゃいませんね。しかししかし、そのうちに「いざり(*2)と呼ばれる演出」なんて書かれることは新聞側の事情でありえないわけです。


同紙の11月25日付けでは今治で運航した野口を報じておりますが、これがまた興味深いのでご覧あれ。

一読して引っかかるのは「かき上げと差し上げを披露」の箇所です。この違和感を掘り下げてみます。差し上げは別にいいけど「かき上げ」って内宮神社のやつだから違うよね? というところでしょう。では一体この記事で何を指しているのかとなりますが、タイヤを外して担くことをかき上げと呼んだと思われます。
記者氏はこう考えたんでしょう、これは通常運航が車輪付きである、それは山車なんだから当たり前、見た感じもそう。その通常運航からギア・チェンジして、より以上の力と意気が必要となるかき上げをパフォームし、さらに差し上げるパフォーマンス(*3)(*4)が繰り広げられたのである----と。
ここに齟齬があるんでしょうね。タイコにとっては除車状態があるべき正しい姿であって着車状態は仮の形態、くらいに我々は思っています。仕方なく履いているだけで、条件が許せばすべて外して担くんだヨ、なんて感じに。この辺はだいぶ虚勢をはってますけども、そんなもんですよね。いくら時間の過半をタイヤ付きで過ごしていても、夜を過ごす時ですら着車であったとしてもそれは常態じゃない、我々はそう考えています。
ところが、刷り込みがなく目が眩んでない人には違うのでした。常態がこれ、タイヤがついてる。それでイレギュラーな演技の時にだけよっこらせと除車する、そしてさらに一層上の演技として差し上げしている、という運航形態であろう、と見做しているのです、きっと。

うん………。記者さんは本職だけに(*5)正確にモノコトを捉えている気もしますよね。彼は間違ってないかもしれない。
あん……。いっそのこと除車して~、みたいにちゃんとした名付けがまだない行為を「担き上げ」とネーミングしてしまってもいいかもしれませんよ。問題があるとしたら、先行の(*6)かき上げとの間に混同やそれに因む誤解が生じそうなことです。「担き上げ」としてもいいけどもあれをどうするんだ、との問題ですね。
だったら、内宮の方の名称を変えてみればよいのかもです。先取権などと考えずにリネームしてみませんか。「太鼓台の内宮坂担き登り」ではどうですかね?

(*1)13引くところ2の、です。
(*2)わたしは今年2019より、書く際には原則的に、「いざり」でなく「IZR」と表記するようにしました。聞いて気分の良くない人は絶対にいるのに臆面もなく発言してよいとは思えないので……。IZる、と動詞で使う場合もあります。以後よろしくどうぞ。
(*3)さらにギアチェンジすると「放り投げ」という演技があるわけです。
(*4)複数の太鼓台が要りますが「かきくらべ」をいう演技もあるわけです。
(*5)フィールドワーク対象の習俗について文化人類学者は定義を試みますが、それは多くの例でほぼ正確なものです。つまり取材対象を俯瞰して見る効果はあるわけです。
(*6)内宮の、です。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020以降をスマートでクールな秋にするために①

2019-11-24 | 真面目な提言をいたします
 §1 西原新須賀状況打破 ~口屋を参考に~
双方とも手をこまねいていたら2年休みは避けられない。どうせまた例のナントカ特例が……、と展望をもつ者もいるだろうがそれはそれ、そんな発動を当てにして座って待ってればいいわけもない。もしも休みの年数を規定の2から、0ないし1に軽減したいならば、取れる方策は能動的に取るべきであるし、多方面で練りたいものだ。そこでその一助となるべく、以下に私案を披露したい。また馬鹿馬鹿しい与太を連ねておるわとお思いになろうが、検討するに値する箇所はわずかにあるかもしれず----。

まずは新須賀が川西協議会を脱退しよう。自治会との協約を反故にしてケンカ行為を成した2019により協調が整わず一時太鼓台運行を休止するので~という、そりゃ仕方ないわという理由をたてる。脱退してみれば休みが1年だろうが5年だろうが協議会とは枠外になるので、統一行動外なら2021に運行を再開したところでまったく問題ない。堀江神社へならば2020に宮入りしても不都合はない。
一方西原は、枠外に飛び出た相手をどうこうできず、やってやられてのリベンジループには嵌まりようがない現実が出たなら、数年の謹慎を強要してもは意義が薄いとの見方も成り立つ。いやむしろそうだろう。西原が深い反省の意を示せば、協議会は罰則を撤回して2021から参加可能としてくれるのはありそうなことだ、協議会は不本意ではあろうとも。2020の暮れあたりでこんな流れになれていれば順調だ。
その後、新須賀が2021の春にでも協議会に再加入を申請したら如何であろうか。協議会を脱退してのち再加入する無理筋な荒技については、いつのことやら失念してしまったものの、朽家が似たようなことをしたような記憶がある。協議会もその前例があるので無下に却下できまいて。

西原新須賀が揃って2021に現場復帰する青写真が、こんな感じで焼き上がった。結果的に休みは双方とも1年で済んでいる。この方が累犯や情状にかかわらず1年休みとされていたこれまでとの平仄が合うかもしれない。

なんと姑息なロンダリング行為……といわれそうだが、後々に語られる妙案とはそんなものであることも多い、んじゃないかな。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水鏡

2019-04-03 | 真面目な提言をいたします
5月に出ないものは仕方がない。それでも今月や来月はともかく、何か特段のサムシングはしないといけないんではないですか。んじゃあ、10月に何かやりましょうかね。

何って、あなた。ここは船御幸が適当でしょう。統一寄せをまたやるだの、禁固処分のはずのタイコが恩赦で出てくる、ってのも結構ですし、やってもらえればベターですが、それはきっと誰かが出せるアイディアです。ここはわたしらしく(©竹井久)----、船御幸をやるべきだと申します。
なぜって、あなた。新天皇は学究の徒、生涯の研究テーマは「水」であると聞き及びます。門外漢なのでよくわかりませんが水運とか水路とからしいです。テムズ川のなんたら、なんていう論文をお書きとか。対象は淡水なのかもしれませんが、海はまったく興味なし、でもありますまい。水運、海運、海上交通、と敷衍して行きますと船御幸にまで到達できます。ありえないことではありますが、もし彼の御方がいらしてご覧になったとすれば、興味のアンテナが立つだろう光景を現出させることが可能なのですよ、わたし達はね。

エア行幸、って感じでやってみましょうか。「行幸」の意味を検索してみてくださいな。ほら、天皇のお出まし、みゆきって出ましたよ。
はいはい。来年に、じゃよくありません、そりゃあもう今年度にやらないと。はぁ、神社の都合が? ちぇっ面倒だなあ、なら別に海上パレードでもいいんですよ。

そして。平成をトラブル続出のお休みだらけ時代にしてしまい、道端に担き棒がごろんごろん転がっている異状な年々で結んでしまったことを大いに反省して、2019こそは平和運行を実現させましょう。
ただの平和じゃあ足りません。NO鉄鎧、NO横棒増強、そんな気概が欲しい。とにもかくにも我々のマインドをPEACEFULにしましょうよ。
はははは。令和運行ですかね。
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする