木浦すみつけ祭り

大分県宇目町大字木浦鉱山。
鉱業は中止され、本祭も休眠状態となっています。

大久保ん利兄ぃ

2018年06月15日 | 記録

 先日、宇目振興局経由で某ローカル局番組から「木浦鉱山を国産紅茶発祥の地として紹介したい」との相談がありました。
 「木浦で誰か詳しい人を知らないか」とのことでしたので、「まぁ、先生にでも聞いてみれば・・・」と小手先で返したつもりでした。

 ところが、「しっぺ返し」を喰らうこととなりました。
 番組としては、「木浦出身の当方が先生を紹介し、そのとおりに番組取材クルーが先生に会いに行って、その真相を探る」という構成にしたいとのこと。
 こんなことなら、ハナから取り合わんければ良かったと後悔しつつ、シブシブご協力差し上げました。

 取材日の帰宅後、先生には「勝手に紹介してスマナンダ」とおことわりの連絡を入れました。
 「で、どうやった?」との問いに、「わしが調べた結果、木浦は発祥の地じゃねぇ。年代的に考察しても、多分違うはずじゃぁ」との回答。
 「そげぇ、取材に答えたん?」と問うと「そうよ」と返してきました。

 今頃あの取材クルーは、路頭に迷っているかもしれません。


 しかし一方で、京都紅茶道部様によれば、
「大久保利通が欧米訪問のあと、『日本でも紅茶を作って売ろう』という発案から始まったとされています。(中略)
欧米歴訪を終えた大久保は、日本でも紅茶を作るという計画から、当時の紅茶の輸出大国であった中国から技師を呼び、製造を試みました。
それが、一つは大分県の木浦(今の佐伯市)であり、もう一つが熊本県の山鹿でありました。
中国式で生産を試みましたが、上手く行かず、当時旧幕臣の多くが開拓していた静岡県のお茶畑を手がけていた人たちに白羽の矢が立ち、海外へと紅茶の視察勉強とへ派遣をすることに成りました。」とのこと。

 まぁ、先生が正しかろうが誰が間違っていようが、どうでも良い話です。
 でも、「木浦が発祥の地かも?」というくらいのネタでも、故郷を誇るネタになり得ると思います。
 しかも、「大久保ん利兄ぃ」の名前も出てきますから・・・。

 あの「利兄ぃ」が何をきっかけに木浦に目を付けたのか?
 もしかしたら、「西郷ん隆兄ぃ」と相談してたりして・・・。
 むしろ、そちらの方が興味深い話です。
 今度、先生に聞いてみます。


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