近年、台風やらゲリラ豪雨やらが頻発しています。
木浦も他人事ではありません。
平成16年の18号の時には、落水の上の林道が崩壊し土石流が茶工場の下県道まで流出しましたが、幸い生命・財産は被災しませんでした。
昨年の18号の時には、トカキリ淵の県道がブッ飛んで、約3か月間通行止めを食らいました。
そして今年の7号のときには、落水の上の県道がブッ飛んで落水の民家1件に土砂が流入し、ついに実被害を受けてしまいました。
木浦名水館ができてからは木浦の人の自主避難場所は「名水館」と何となく決まっていました。
落水の人の自主避難場所は「落水公民館」と何となく決まっていました。
一方、行政が指定する避難場所としては、最寄でも小野市の「ふれあいセンター」です。
行政の指定避難場所に避難すれば、水・食糧・毛布などの提供を受けられます。
でも、木浦・落水の年寄りに「ふれあいセンター」まで行けとは、なかなか言いづらい事情もありますし、ほとんどの人が小野市まで出るのを拒みます。
昨年の台風の際に、落水の一部の人が小野市まで非難しましたが、結果県道の崩壊により帰宅を数日待たされた経験があります。
そこで今晩、木浦と落水の役員を集めて合意形成を図ってきました。
①木浦・落水の自主避難場所は、木浦名水館とすること。
②木浦名水館に万が一のことが予想される場合は、状況を見ながら地理的条件を鑑みて最も安全であろう正蓮寺に避難すること。
③仮に避難指示が出された時には、既に木浦から脱出しようとすること事態が危うい状況になっていると思われること。
④仮に集落が孤立したとしても「米はあるし、水もあるし、味噌とたくあんくらいありゃ、1ヶ月は死にゃぁせん。名水館にはビールサーバーもあるし・・・」ということ。
⑤それでも被災した時は、恨みっこなし。
万が一に備えて、皆の行動計画を両地区互いに共通認識できて一安心です。
例年であれば盆踊り終了後は、我々と地区の男性年寄りで若干の焼酎などを呑みながら、次の祭のこととかについて話しをしていましたが、今回は違いました。
「焼き鳥屋」に老若男女が集まって、盛大な2次会が執り行われました。
当方「女性活躍推進法」の精神のもと、女性参加者率の向上については常に心がけています。
和尚も仲間の一員です。
22時半ごろ、ついに台風の雨雲がかかってきたようで公民館に避難です。
お盆にわざわざ帰省してくれた「木浦の美魔女軍団」です。
都合が合えば、9月に行われる「宇目大字対抗グラウンドゴルフ大会」の時に、応援団「木浦美魔女軍団」として招聘してみようと思います。
3次会はこんな感じ。
この中で木浦鉱山在住区民は4名。
あとの13名は、お盆のために帰省してくれた仲間の皆です。
宇目の他地区でもチラホラ盆踊りの風習は残っていますが、これだけの区民外率の高い宴はないと推察します。
それだけ、木浦出身の皆の結束力とか、誇りを胸にする思いとか、次世代に対するルーツの教育とか、とても高いポテンシャルを「木浦鉱山」は秘めていると感じました。
当方、記憶は御座いませんが、翌日1時半頃の撤収前の状況。
当方この10年間、木浦鉱山の歴史を守る事は当然のこと、出身者のプライドを守るためとか、その人たちの居場所を創るためとか、それを第一義に思って「すみつけ祭り」を続けてきたつもりです。
でも、いよいよその祭も次回どうなるか分かりません。
何しろ、先導候補も見当たりませんし、セットウ唄等々の唄い手もいません。
神社総代だって、失礼ながらとっても高齢化しています。
年寄りがいなくなった時、やろうと思えばやれないことはないかもしれませんが、催行したとしても結果「魂を抜かれたすみつけ祭り」になってしまいそうで・・・。
だから、前回で終わりになってもいいように覚悟を決めて催行しました。。
でも「祭り」がなくなったとしても今日も木浦を愛してくれている仲間の居場所は、いずれかの形で残さなければならないと「盆踊り」を通じて痛感しました。
この盆踊りこそが、その最期の砦だろうと確信しました。
地元に残ることができた人間として、故郷に帰って来たい人がいる限りその受皿を作ってあげるのが、木浦鉱山への恩返しだと思っています。
ナンチャッテ・・・
滅多にないことですが、お盆に台風襲来の予報。
当初は正蓮寺境内でと言う話でしたが、ミッチーが「万が一雨が降ったら悪いから・・・」と心配し、供養祭は正蓮寺で行い盆踊りは例年どおり公民館で行いました。
当方は、「大丈夫」と思っていたのですが。
結果論、盆踊りをしている間は雨は降りませんでした。
まぁ文字どおり「あとの祭り」ですが・・・。
ということで、雨天を前提とした準備は整いました。
今年は、子供用に桶に缶ジュースを用意しました。
桶の手前の白い物体は、当方考案の「ソーメン流し機」と「ホオズキランタン」のコラボイベントです。
お盆なので宇目特産のホオズキの中にロウソクを入れて、水に浮かべてクルクル回してみました。
無料の焼き鳥屋も大繁盛!
帰省した若手が自主的に盛り上げてくれます。
定番の「アイスタイム『Produced byフジキヤ』」。
木浦音頭の歌い手を一生懸命撮るミワちゃん。
当方、どの業界でも社会問題化している担い手対策にも積極的に取り組んでいます。
踊り手の輪の中では、ミッチーが瓶君Jr.に太鼓を教えています。
手前ではアキサンが、ちびっこに「よ~いとまかせ~」を歌わせています。
かくして雨に降られることもなく、無事盆踊りは21時に終了。
実は正蓮寺の和尚、境内で盆踊りをすることを前提に庭木の剪定をしてくれていたそうです。
当方は正蓮寺でやれると具申したのですが、意外と心配性なミッチーの一面を垣間見た盆踊りでした。
8月14日は盆踊りでした。
3次会の仲間たち。
めっちゃハッピーな様子です。
この3人は、当方のブログで公にすること前提に肖像権を放棄して頂いたはずですので、あしからず。
参加者全員が目指すところは、木浦鉱山区民と自分たち、そして木浦鉱山出身者自らが互いの繋がりを今後も繋いで行くことだと、宴を通じて感じました。
なので、当サイトは改名します。
コロコロタイトルを変えていますが、少しでも志を同じくする仲間と共感できるサイトにしたいので、変幻自在に対応します。
「木浦鉱山への恩返し」
こんなコンセプトなら、もっと仲間が共感し易いかと思いまして・・・。
わずか10年ですが本祭を継続してきたこととか、地区主催の盆踊りを手伝ってきたこと、機会ある毎に木浦に帰省していること、最近では地区の草刈りにまで自ら協力していること・・・。
これらの取組、結局は自分の親の存在はもちろんなのですが、純粋に「自分を育ててくれた木浦鉱山地区に対してありがとう」の気持ちを尽くすための心のキッカケだと思っています。
もっと本気で木浦の将来を考えなくてはなりません。
本気で考えたら、「木浦なんて近い将来消滅するだけじゃん」となるはずです。
木浦エメリーは潔く消えます。
でも、故郷の行き先をそれと同じように捉えるわけにはいきません。
でも、故郷の存続はそれと同類項として捉える必要があります。
今、皆が帰りたい木浦の家は、近い将来確実になくなります。
でも、なくなっても後悔しないように、あくまでも前向きに、今できる取組を行うことが故郷に対する恩返しなのかもしれません。
現状において、木浦鉱山地区が消滅してしまうというシナリオは、誰しもが修正できないはずです。
最近思うこと。
自分の親を看取ることは当然なのかもしれませんが、自分が生まれた故郷が消滅してしまう瞬間を看取る事って云百年単位でしかできませんよね。
そんな時代に遭遇してしまったことって、極めて光栄なのかもしれません。
過去の木浦鉱山の経済的栄光なんて関係なく、自分の故郷が自然消滅していく様を見届ける覚悟を持って、今から準備をして、そのことに実直に向き合っていくこと。
今の我々にしか体験できない貴重な経験だと思います。
盆を迎えるにあたり、今日やっと墓周りの草刈りをしました。
不良財産が多いため、単純に墓周りだけでは済みません。
隠居屋の周りとか、倉庫の周りとか、家の周りとか・・・。
作業の途中、安藤のおばちゃんが酷暑の中で家の周りの草むしりをしているのを見かけて、思わず機械で切ってあげました。
家の草を切ったところで何の見返りもありませんが、「給食のおばちゃん」から貰った「カルピス」は、達成感を感じさせてくれました。
当方は貧弱なので、朝8時から10時までが限界です。
県道改良の土建屋さんは、9時頃から終始、連光寺の下の川に浸かっていました。
仕事が「ズラン」はずです。
さて、今年の盆踊りは14日、19時から。
場所は正蓮寺です。
今までは公民館の駐車場で行っていましたが、今回はお寺の境内です。
先生にも了解を頂きました。
「木浦鉱山夏祭り」みたいなイメージでやってみたいと思います。
ただもん、ミッチーが張りきっています。
多分ですが、かなり楽しいイベントになると思っています。