木浦すみつけ祭り

大分県宇目町大字木浦鉱山。
鉱業は中止され、本祭も休眠状態となっています。

木浦の桜

2019年03月30日 | 記録
 今日は、長女をじいさん・ばぁさんに面会させるため、木浦に行ってきました。
 「ガンたれスマホ」なので写真での綺麗さは半減ですが、木浦の桜はやっぱり綺麗です。
 
 
 
 
 
 
 息子曰く「木浦の桜は色が濃いなぁ」とのこと。
 言われてみればピンクが濃いような気がしました。
 かなりの老木ですが、かなりシンボリックな存在です。
 
 明日は花見だそうです。
 花も天気も最高でしょうね。
 当方は参加できませんが…。

引き際の美学

2019年03月24日 | 記録
 「イチロー」が引退してしまいました。
 頑張ればもう少し続けられるけど、ピークを下り始めたことを感じたからからこそ引退したんでしょうね。
 
 引き際って、とても大切だと思います。
 ダラダラと続けることによって、その事の価値自体が下がることもあるかもしれません。

 安室ちゃんも同じ気持ちだったんかなぁ~。
 
 いろんな視点があるかもしれませんが、本祭はあくまでも木浦鉱山区民のための行事です。
 鉱業があったからこそ生まれた行事であり、その生業がなくなれば共になくなるべきものだと思っています。
 
 今日現在、木浦鉱山に鉱業はありません。
 なので、本祭も共になくなるべきものだと思っています。
 
 だから、写真集を作っています。
 
 
 
 ちなみに、概ね8万人のご来場を迎えようとしております。

やっと、終わりませんでした

2019年03月23日 | 記録

  業者様にお願いした修正のゲラを確認させて頂きました。

 少し違和感はありましたが、これ以上のワガママは言えないと思い、深くは考えていませんでした。

 でも、今朝見直していると、違和感というか、不協和音というか、不満足というか、いまいち納得いかない感じ。

 業者様の「思い残すことはありませんか?」とのフレーズが蘇ってきました。

 意を決して相談したところ、「まだ大丈夫ですよ」との快い返事。

 その元原稿がこれ。

 本祭当日の一ページ目です。

 月曜日に修正原稿を頂ける予定です。

 それで終わり。

 

 さてさて、昨晩は、某中学校の先生と酒の席でご一緒させて頂きました。

 先生の「木浦には高校時代に合宿に行ったことがるんよ」との話に火が付きました。 

 聞けば、正蓮寺の住職と高校で同級生だったらしく、その縁で本祭に参加したことがあるとのこと。

 曰く「当時、本祭の特番をつくってくれたNHKにインタビューされて『誰にすみを付けたいですか』と問われ、『かわいい子に付けたいです』と答えたんよ」とのこと。

 その画像、見た記憶がありました。

 「当時、変なパーマかけていませんでしか?」と問うたところ、「そうそう!」との回答。

 そんな青年が映像に映っていた記憶がよみがえりました。

 あの青年が、このオヤジかと思いましたが、今更お互い様です。

 という流れではありましたが、聞けば正蓮寺の住職とは高校3年間を同じクラスで過ごしつつも、今はまったく連絡をとっていなかったとのこと。

 ならば、と思って住職に連絡をして話を繋ぎました。

 互いに喜んでくれていました。

 

 こんなご縁を頂けたのも、本祭の「チカラ」なのでしょうか? 


朝からゲラを見直していました。

2019年03月21日 | 記録

 昨日、業者様に一部修正をお願いする際「もう思い残すことはありませんか?」と問われ、「今更ございません」と答えていました。

 でも、見直していると、変なこだわりが出てきます。

 結果、休日にもかかわらず朝一番で修正をお願いしてしまいました。

 このページの直前のページです。

 祭りの神髄の部分なので、どうしてもと思い、担当者様に連絡をさせて頂きました。

 休日なのに快く対応して頂き、滑り込みセーフで修正して頂けることとなりました。

 

 ちなみに元屋印刷(株)様にお世話になっています。

 頂ける対応が、とっても心地いいです。


写真集の件

2019年03月20日 | 記録
 本日、やっと印刷のゴーサインを出すことができました。
 表紙は、「脱『金田一耕助が出てきそうな八墓村』」をコンセプトに、これに決定です。
  
 
 
 裏表紙は、これ。
  
 
 
 中身は…。
 発行前なので見せられません。

 でも、とても良いです。

 10年後に見たら泣けると思います。
 この写真集の魅力や価値は分かる人だけにしか分からないはずです。
 何故なら、関わってきた人たちだけの大切な思い出のアルバムですから…。
 木浦鉱山の素敵な姿が残せそうです。

レブルさん

2019年03月19日 | 記録
レブルさんからコメントを頂きました。
 
「木浦鉱山の今」を記念誌の表紙に起用しました。
茨城県から撮影に来てくれたプロカメラマンの友人が撮ってくれた写真です。
「凛」とした木浦鉱山のたたずまいが表れています。
 
木浦鉱山に生まれた者としての自覚を忘れてはいけません。
 
当方は、本祭400年以上続く奇祭の継承のために…なんて表向きには言いつつも、本心では我々のルーツの証を残すためだけに取り組んでいるだけなんです。
「自分たちのため」に取り組んでいるだけであって、間違っても「伝統・文化を繋ぐため」なんてさらさら思ていません。
だから続けられているんです。

本来、 我々の祖先が起こした祭りです。
なので、最後まで我々のための祭りです。
だから、最後は自ら始末をつけなければと思っています。
誰になんと言われようと、最後は我々の判断で決めるだけです。

こんなタイミングで木浦鉱山に関われることが、とっても素敵です。
めんどくさいことの方が大きいかも知れんけど。

やっと最終校正にたどり着きました

2019年03月15日 | 記録

 画材のセレクトで悩んでいた写真集もやっと最終校正です。

 今日、業者様との最終打ち合わせをさせて頂き、来週火曜日には正式発注の予定です。

 ここに至るまで心が折れかけたこともありましたが、やっと荷が下ります。

 最後まで悩んだのが表紙の画材。

 「THEすみつけ祭り」チックにするのか、「木浦鉱山が存在していた証」チックにするのか…。

 結果、後者のコンセプトで行くことにしました。

 云十年後に木浦鉱山が地区として消滅していた時、みんなで懐かしむための思い出のアルバムになればと思っています。

 その表紙がこれ。

 

 やっぱりすみつけ祭りと言えば荒神の「赤」です。

 タイトルを赤にして下さいとお願いした結果、業者様に「『八ツ墓村チック』半端ないですよ」と言われてしまいました。

 同僚にも見せましたが、「金田一耕助が出てきそうやのう」とのこと。

 完成は3月末ぎりぎりの見込みです。