木浦すみつけ祭り

大分県宇目町大字木浦鉱山。
鉱業は中止され、本祭も休眠状態となっています。

傾山分校を訪れて感じました…。 祭の存続意義って…ムズカシイです。

2016年08月23日 | 記録
 お盆の時にミッチーと話したことをずっと考えています。

 私は、木浦鉱山に鉱業がなくたった今日、本祭は単に木浦鉱山区民の無病息災を願うことが目的だと認識し、「木浦鉱山区の消滅=祭の終り」という思いで続けてきました。
 そういう意味では、祭もそんなに長く続ける必要はなく、「あと10年もすれば楽になれる」と思っていました。
 実行委員会の若手メンバーの中では、ほぼ共通認識できていると思います。

 一方、木浦で育った人々、またその子々孫々、他関係者皆様は、大なり小なり木浦に対する「愛着」とか、木浦で育った「誇り」とか、木浦で育んだ「思い出」とかを大切にしながら、日々生活して頂いていると思っています。

 その方々の気持ちを思えば、木浦鉱山区民の存在はもちろんですが、木浦鉱山区を懐かしく偲んでい頂け人がいる限り、将来的には木浦鉱山区が存在したことを唯一知らしめるための手段として、本祭は永遠にやめるべきではないのかもしれません。
 単に「伝統文化の保存・継承」みたいな取って付けた様な軽々しい次元の考え方ではなく、木浦をみんなが懐かしく思い出せる最後の砦としての場を提供する意味で、本祭を守らなくてはならないのかもしれません。

 みんなが集える場の提供という意味での、本祭の存在意義は自覚はしていましたが、あくまでも2次的な要素だと考えていました。


 傾山営林集落・分校は、戦後数十年という極めて短い間に存在した集落です。

 左側の真下は落差10m以上の「べにがら谷」(上から覗くとマジで怖いです)、真ん中は校庭から校舎敷地に上がる階段だろうと思われます。
 側にある煙突付の「おくどさん」は、何に使われていたのでしょうか?
 この集落で生まれ育った方の中には、現在もご健在の方がたくさんいらっしゃると思いますが、閉校から50年弱経った今日、すでにその集落・学校の存在を知る者は少なく、その事実は文献と現地に残る遺構でしか知り得ません。 
 これ、なんだか物悲しいですよね…。

 そう考えれば、「木浦鉱山区民がいる限り」ではなく、「木浦鉱山に誇りを持つ者がいる限り」、その歴史を伝える唯一の本祭を絶やすわけにはいかないのかもしれません。

 なので、無理のない範囲で、これまでどおりに祭を続けていくべきなのかなと思っている今日この頃です。

 文化は当然のことながら時代の変遷に左右されて変わっていくものだと思います。
 生まれる文化、消滅する文化、変遷する文化。
 私たちは10年前に本祭を復活させるために荒療治を施し、ジュンくんを中心に大きく方向転換しました。
 その方針・方法は結果をもって、全く間違いはなかったと思っています。
 
 では今後、タイミングを見て消滅させるのか、進化させながら自然消滅していくのか…。

 もっと時間をかけて、多くのみんなと議論すべきお話です。

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4 コメント

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Unknown (レブル)
2016-08-27 11:37:17
木浦鉱山に対する想いがあって、祭を続けてほしいと願う人はいっぱいおるんやないかなぁ。

ただ、木浦から遠く離れて生活していると、続けて欲しい、とはなかなか声に出しにくい。。。
どうしても、離れてしまった人の無責任な発言、になると考えてしまうんよなぁ。

そういう悶々とした思いを持つ人も、少なからずおるんやないかな。。。
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突然ごめんください ()
2016-08-27 14:59:41
木浦のことなどインターネットで検索していて貴ブログを拝読させていただきました

現・区長さんのご両親お二方は(ご存命ならば相当の高齢だと)今現在
いかがなる状況なのでしょうか

遠い昔お世話になったのでご様子が知りたくなりました

コメント欄にてお尋ねする事をおゆるしください

お盆も過ぎましたが
そちらもまだまだ残暑が厳しい様子がうかがえます
ブログ主様もどうかお体にお気をつけて

木浦のみなさまが健やかでありますよう
お祈り申し上げます
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Unknown (mokupo)
2016-08-28 22:00:20
>レブルさん
少なからずいるんでしょうね。
どれくらいいるんでしょうか?
その数次第かもしれません。
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Unknown (mokupo)
2016-08-28 22:10:15
>雪さん
現区長のお父さんは十五年ほど前に亡くなりました。
お母さんは施設にいます。

いつの間にか時は経っています。
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