ヨーガ哲学の行法について
私が天風会に入会した昭和二十五年頃には、日本でヨーガ哲学と行法について知る人は極めて希であった。今日ではどの書店にもヨーガに関する本が並べてあるが、本書に関係ある部分について、多少述べておきたいと思う。
ヨーガ哲学及びその行法の起源は、遠く紀元前二・三千年にさかのぼるといわれる。ヨーガ(yoga)という言葉は、サンスクリット語の(yug)から派生した語で、結合する、馬を馬車につける、馬車に乗って旅行する等の意味を持ち、英語の(yoke)と語源的に関係がある。心の動きを抑え統制する訓練は、御者が馬を御するのに似ている事から、行法をヨーガと呼ぶようになったのであろうと言われている。(我が国の武道の書、天狗芸術論にも「人を導くは馬を御するが如し」とある)
ヨーガは心の作用を統制し、肉体をも操練錬磨して、人間の真の姿を発展的に開花させる行法であるといえるが、現存するインドのあらゆる宗教の中にヨーガの思想と行法が見出だされると共に、ヨーガは世界の全ての宗教の源であるともいわれている。
ヨーガは、道の進め方により異なる名称があるが、有名なのは次のとおりである。
バクティヨーガ・人格神への献身的帰依と愛による道。
カルマヨーガ・社会の中で奉仕による行為で解脱を得ようとする道。
ジニャーナヨーガ・哲学的思索による道
マントラヨーガ・マントラ(真言)の誦唱を中心とする道。
ハタヨーガ・肉体的生理的操作より進む道。
ラージャヨーガ・心理作用を中心とする道。
天風先生の統一道は、主としてカルマヨーガとラージャヨーガである。
パタンジャリ(紀元前二世紀頃のインドの大哲学者)の編著といわれる、ヨーガスートラ(ヨーガ根本教典)には、ヨーガ行法を八部門からなる体系として解説している。
パタンジャリの八支則
ヤマ(yama)五っの禁戒
①非暴力 ②正直 ③不盗 ④禁欲 ⑤不貧
ニヤマ(niyama)五っの勧戒
①清浄 ②知足 ③苦行 ④読誦 ⑤自在神への祈念
アサナ(asana)坐法、体の保ち方。
プラナヤーマ(pranayama)呼吸法による調気。
プラティヤーハラ(pratyahara)制感、感覚の統御。
ダーラナ(dharana)凝念、執持、集中。
ディヤーナ(dhyana)静慮、禅那(禅の語源)、統一。
サマディ(samadhi)証、三昧。
ニヤマからプラティヤーハラまでの部門は一括して外部部門と呼ばれる。先ず心を浄めて定め、坐法、調気で心身の生命力を練り上げ、更に外界に心が引かれるのを統制して、内向の道に乗せることにより、最後の三部門に進む準備が出来上がる。
ダーラナからサマディを内的部門といい一括して綜制(サンヤマ)といわれる。合気道の稽古法とこれ等の部門の関連については、別に記述する。
ヨーガ行法の特徴は、合理的に理性を活用し、科学的(法則性を重視する)、技術的に徹底している様に思える。ヨーガスートラも合理的に計算された技術の、教育的指導要項があるだけである。長い年月にわたる人間の観察と、徹底した修練の結果を克明に調べ、完全な教育の為の設計書にし上げたという感じである
。 人間の真の姿を最も厳しく見つめたこの教育体系は、禅宗、密教等により我が国に伝えられ、日本武道の発展に大きな影響を与えた。日本の武術が精緻巧妙な発達を遂げたのは、長い間武家政治が続き、武術が武士の表芸として重要視されたのに加え、神儒佛老荘の教えと行法がそれぞれの時代に応じて、武術と一体となり精神集中の法、ひいては技術を高くあらしめたからである。
一見我が国独特のものとして、しばしば国粋主義的視野から論じられる武道も、実は朝鮮、中国を経て、遠くインドに迄及ぶ国々の文化の恩恵を深く受けているもなのである。
今後、日本武道史の研究、又これからの武道の気心体のありかたの探求には、ヨーガ哲学と行法の研究、実践を欠かす事は出来ないと私は思う。
国際的に見ても、この百五十年の間に多くの優れたインド人ヨギが欧米に渡り、ヨーガ哲学と行法を普及した事は、欧米の文化と科学の世界に大きな影響を与えた。特に知識階級では、世界第一の人生哲学と受け止められ、欧米でヨーガを行じる人口は千万人を超えるといわれる。
またヨーガを取り入れた訓練法は、宇宙飛行士から芸術家、学生に迄及び、日本にもリラックス法、学習法、精神集中法として新しい名称を付けられ、再輸入されつつある。旧共産圏でも、インドの首相がネールの頃、モスクワの生理学研究所にヨーガ行者が招かれて、研究の結果、旧ソ連の体育、心理、生理学分野に大きな影響を与えたという。韓国のソウルで行なわれたオリンピックで多くの金メダルを取った旧東ドイツの選手の訓練法が、ヨガナスティクと呼ばれていた事は知られている。