帰ってきたエイトマン8888

個人の日記です。

第九章 致富の為の潜在意識の利用法 心の力を自分の為に使おう( J.M)

2011年04月04日 | 友人
① 潜在意識の誤ることのない援助を得て、易行道を通して富裕になる決心をしてください。

② 額に汗して難行苦楽して富を集めようとすることは、墓場の中で大金持ちになる一つの方法です。あなたは奮闘する必要も、奴隷のごとく働く必要もありません。

③ 富は潜在意識の確信です。あなたの心性に富の考えを作り込みましょう。

④ 目に見えない援助手段を持たないことが、たいていの人の問題になっています。

⑤ 眠りにつく前、約5分間ゆっくりと静かに「富」という単語を自分自身に向かって繰り返しなさい。そうすれば、あなたの潜在意識は富をあなたの体験の中に実現してくれるでしょう。

⑥ 富裕感は富を生み出します。このことを四六時中、心にとめて下さい。

⑦ 意識する心と潜在意識は一致しなければなりません。潜在意識はあなたがほんとうにそうだと思うことを受け入れます。支配的な考えは常に潜在意識によって受け入れられます。その支配的な考えは「富」であるべきであって「貧困」であってはなりません。

⑧ 富についての葛藤を克服するには「夜も昼も私は自分の関係しているあらゆる面で繁栄させられようとしています」ということを、しばしば繰り返すことです。

⑨ 「私のセールスは毎日よくなってゆく、私は前進し進歩し、毎日豊かになってゆきます」という言葉を何度も何度も繰り返すことによって、自分のセールスを増進させてください。

⑩ 「やってゆくだけのものがない」とか「不足している」とかいうことは、金額を書き込まずに小切手に署名するようなものですから、こんなことはやめましょう。

⑪ 繁栄、富、成功などの考えを潜在意識の中に預金してください。そうしますと、潜在意識はあなたに複利を支払ってくれます。

⑫ あなたが意識的に肯定したことを、数秒後にまた心のん中で否定するようなことをしてはいけません。こんなことをすれば、あなたがせっかく肯定したよいことが消されてしまいます。

⑬ 富の真の根源はあなたの心の中にある考えです。あなたは数百万ドルの価値のある考えを抱くこともできます。潜在意識はあなたの求めている考えをあなたに与えることができます。

⑭ 嫉妬やねたみは富の流れに反対する障害物です。他人の繁栄を喜びなさい。

⑮ 富に至るのを邪魔する障害はあなた自身の心のなかにあります。だれとでも、よい精神的関係をいま結んで、その障害物を破壊してください。



PHOENIX計画 途中経過⑥

2011年04月04日 | 仕事
■15:00~O社にて、細矢打合せ。

① 14:00に会議終ってきた。11日提出締切。3カ年実行マニュアルに近づくための、詳細計画。

② 小野○○子さん、奥○○和さん、休館日がなくなったので、週一回以上の休みを確保。

③ 会議は話し合いの場ではなく、物事を決めるところ。

④ 必ずその物事計画にはデッドライン(締切日)を設けること。

⑤ コストリダクション(経費削減)=最大のコストは時間。

付則:社内スタッフブログは「仕事の連絡情報交換BBS」として下さいと伝える。

■16:40~O社にて、土田よりメールあり

中管研の再開について、打診あり

① 前述同様、研修であっても、その成果の度合いを数字、進捗率や達成度などで示すこと。

② 研修自体が目的化することなく、仕事化することが大切である。

以上を返信しました。


あの日あの時(YOMIURI ONLINE より転載)

2011年04月04日 | 友人
この度の震災でいろいろと思うところがある。多数の死者数を見るにつけ、否が応でも人の生を考える。「おしん」が始まった1983年から今年で丸28年。まもなく30年だ。光陰矢のごとし、である。あれから日本はいい国になっただろうか。
それに加え、田中裕子さんを思い出した。ジュリーこと沢田研二の奥さんだ。松本清張の「天城越え」での名演は忘れられない。「おしん」については逸話が多いが、もっとも関心あるのは、アジア、イスラム圏でのおしん人気と、これで日本の女性の勤勉さと努力する姿に日本のイメージがとても高まったことである。諸外国では、その後子供におしん、と名前を付ける人も出たのだそうです。
私は1983年のその時、中学1年生、おしんなど理解できるはずもなく、同じ子供であった。それから迎える社会の変化や、自らの運命など知る由もなかった。

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04月04日
NHK朝の連続テレビ小説「おしん」がスタート。‐1983年(昭和58年) ‐

 明治30年代、山形県の小作農の家に生まれた女性が、貧しさやいじめ、関東大震災や戦争という時代の荒波をくぐって生き抜く姿を描いたNHK朝の連続テレビ小説「おしん」。

 物語は、脚本家の橋田寿賀子さんが、「米一俵で奉公先に行かされ、その後、女郎に売られながら逃げ出し、ミシン技術を学んで商売を起こして、今、子供たちと幸せに暮らしている」という匿名の女性からの手紙を基に高齢者の苦労話を募って書いた。

 「戦争も日本の経済成長も女が支えてきた。女が主人公の歴史を書きたかった」と橋田さん。「おしん」役は、奉公先などで苦労する少女時代を小林綾子さん、16~45歳を田中裕子さん、子供たちとともにスーパーを出店する50~83歳を乙羽信子さんがそれぞれ演じた。

 この年11月には最高視聴率62.9%、平均視聴率52.6%(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)という高視聴率を記録した。さらに、海外でも現地語で放送され、異例の評判を呼んだ。中国や東南アジアでは特に人気が高く、中南米、中東、東欧なども含め60か国以上で放送されたほか、リメーク版まで制作された。

 国内では、軽薄短小が広がった1980年代にあって、高齢者を中心に我が身や両親らの苦労を思い起こしながら見た人が多かったが、日本はこの2年後からバブル時代に入っていく。


杉良太郎さん 炊き出し 被災地支援

2011年04月04日 | 友人
妻の伍代夏子さんと共に炊き出しで支援されています。私もわずかですが、会社のフロントの義援金箱に3,000円入れました。他にも独自の応援をしたいと思っています。ちなみにソフトバンクの孫社長は個人で100億円寄付、年俸1億8千万円を毎年寄付、会社からは10億円寄付、災害遺児には18歳まで携帯電話無料、だそうです。杉さんは本当の遠山の金さんになりました。感動です。

以下、杉良太郎さんの大ヒット曲、すきま風

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すきま風

作曲:遠藤実
作詞:いではく

一、人を愛して 人はこころひらき
傷ついて すきま風 知るだろう
いいさそれでも 生きてさえいれば
いつかやさしさに めぐりあえる
その朝おまえは 小鳥のように
胸に抱かれて 眠ればいい

二、夢を追いかけ 夢にこころとられ
つまずいて すきま風 見るだろう
いいさそれでも 生きてさえいれば
いつかほほえみに めぐりあえる
その朝おまえは 野菊のように
道のほとりに 咲いたらいい

いいさそれでも 生きてさえいれば
いつかしあわせに めぐりあえる
その朝おまえは すべてを忘れ
熱い涙を 流せばいい


やっぱり野茂は凄かった

2011年04月04日 | 友人
日経トップリーダー2011年4月号「連載 野茂のコトバ 最終回」より

野球がなくなるかもしれない。僕は本気でそう思っています。
~このまま何もしなければ野球の競技人口が減り、~野球そのものが衰退していく・・・。決してあり得ない話ではありません。NOMOベースボールクラブを立ち上げたのは、そうした危機感があったからです。金儲けが目的ではありません。NPO法人として寄付金で運営し、足りない分は僕個人が拠出しています。日本相撲協会にしても日本航空にしても内情はよく知りませんが、強い危機感を持っていればもっと早く改革に着手できたのではないでしょうか。「絶対につぶれない」と安心したら、どんな組織も衰退を始めるのだと思います。

~半信半疑では開かない~

組織も個人も、危機感を持てば、行動に移したいという気持ちが自然に生じるものです。
~確かに本人にとっては重い扉かもしれません。でも、扉の向こう側を恐る恐るのぞき見ようとするのでは、決して扉は開きません。思い切って「バン」と力いっぱい、押すしかないのです。~正しいかどうかはやってみなければわからないのです。~半信半疑でなく、正しいと信じて行動するのです。

僕自身も新日鉄堺時代、エースの清水信英さんに教えられたことを忠実に実行し、道が開けました。本当は自信などないのに「清水さんに教えてもらったことだから、絶対に大丈夫だ」と信じ、それまでの練習方法や野球との向き合い方を変えたことで、たまたま社会人で活躍できたのです。

それでオリンピックに出場し、銀メダルを取れました。それがプロに入団するきっかけになり、近鉄でもすぐにチャンスをもらえて、そこでたまたまいいピッチングをして、エースになることができました。僕の野球人生は、運が良かったのかもしれません。

なぜ運をつかめたのかは僕には説明ができません。ただ言えるのは、「このままでは終われない」と強く思って、自分を変えるために一歩、、前に踏み出したことです。


今の心境です

2011年04月04日 | 友人
3月は1日も仕事を休まなかったので、今日は午後から営業も兼ねて、母校野球部の手伝いに行った。その後は自宅マンション(地震以後はガソリンが無く通勤できないので、実家に避難していた)に帰り休養した。

ふと自分の口から「行っちまった???」だか、なんかの詩のフレーズが出て、思い出し調べた。最初は石川啄木を調べたが、その詩はない。ほどなく中原中也であることがわかった。以下の詩である。今の心境は、この詩だな、と思ったのに、作者も内容も出てこない。でもこれだった。この詩が沁み入った。

ネットではその詩の意味や解釈があるが、僕の解釈はこうだ。
「汚れ」とは「嘘」という意味だ。嘘にまみれることが「汚れる」ということだ。もう一つは、そのままに「心も体も汚れるということだ」。私はそう感じた。それは悲しい。この悲しさを感じるのだ。自分が汚れてきたことを感じたのだ。

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汚れっちまった悲しみに……

中原中也

『山羊の歌』より

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

両写真:中原中也