ファミコンのような
がしがしした素朴な表現の
ゲームに対して
面白かったな
と思う理由は
多分今のゲームの面白さとは
根本的に違うのだと思います
想像ですが
本当に創っている側の方の人は
変わっていないのだけれど
言語が少な過ぎて伝わらない
その結果副産物として
受け手に対して届く
その結果
受け手の創造力がどれだけ
発揮されるゲームだったか
そんなところで
初期ゲームを楽しんでいたのでは
ないでしょうか
どんなメッセージかなんて関係なく
自分が主体であるから楽しめた
表現が豊かであることは同時に
相手の主体性の幅を減らしてしまう
結論を相手に伝えてしまう
「何のためにどのへんまでやるか」
バランスを考えること
どんなコミニュケーションにとっても
核心部分ではないでしょうか
がしがしした素朴な表現の
ゲームに対して
面白かったな
と思う理由は
多分今のゲームの面白さとは
根本的に違うのだと思います
想像ですが
本当に創っている側の方の人は
変わっていないのだけれど
言語が少な過ぎて伝わらない
その結果副産物として
受け手に対して届く
その結果
受け手の創造力がどれだけ
発揮されるゲームだったか
そんなところで
初期ゲームを楽しんでいたのでは
ないでしょうか
どんなメッセージかなんて関係なく
自分が主体であるから楽しめた
表現が豊かであることは同時に
相手の主体性の幅を減らしてしまう
結論を相手に伝えてしまう
「何のためにどのへんまでやるか」
バランスを考えること
どんなコミニュケーションにとっても
核心部分ではないでしょうか