~(a)よりつづき
「井伊谷・井伊家16代目の直平(なおひら)公には五男一女の子供達がいたんでしゅ。
しょの中でこの当時嫡男と末っ子の方が既に他界されていると思いましゅ。
・・・いっぺんに言われても整理出来ましぇんよね、今ここに簡単に書き出してみましゅね」
お家元は足元の土にカリカリと井伊家の簡単な家系図を書きました。
17代 18代
嫡男
直宗(故人) ー 直盛 ー 直虎
(次郎法師)
女 ー 瀬名姫 ー 岡崎信康
(関口親永室) (徳川家康室) (家康長子)
次男
16代 南渓
直平 ー (井伊谷・龍泰寺 僧籍)
三男 19代 20代
直満 ー 直親 ー 直政
(亀之丞) (彦根井伊家初代藩主)
四男
直義
五男
直元(故人)
「あい、こりがこの当時生きてた井伊家の皆しゃんでしゅ。
一応目安として井伊家の資料で見られる歴代当主の代目で書いてましゅ。
他で見らりる文献では直政公が24代とかになってる物もありましゅが。
ここに書いた19代・直親公と20代・直政公の間の時代には
実はカウントさりてない御当主がいるんでしゅ!
しょの方は“井伊直虎(いいなおとら)”しゃんと云いましゅ!」
「このカッコして“次郎法師”と書かれた方の事ですね」
タイガーしゃんは“虎”の一字に親近感を覚えました。
けれど何故カウントされなかったのか、またお家元がこの方にだけ
“公”という尊称を省いたのかが不思議でした。
「井伊家や井伊谷の人達は“直虎”しゃんと云う名よりも
“次郎法師(じろうほうし)”しゃんと呼ぶ事が多いみたいでしゅ。
因みに次郎法師しゃんは女性でしゅよ、タイガーしゃん」
「えっ、そうなんですか!?」
タイがーしゃんはそれで!と納得しました。
「あい、実はひこにゃん達が今回来た目的は、この次郎法師しゃんを支える為なんでしゅ!」
次郎法師しゃんと井伊家に降り懸かる不幸な出来事に注意を巡らし
井伊家の血統が決して途切れぬように、さり気なく導いていくのが目的でしゅ!」
「今回も難易度の高いお役目なんですね・・・」
「ひこにゃんとタイガーしゃんにしか出来ない役目でしゅ。
いえ、ひこにゃん達がやり遂げなければ、この後の井伊家の400年以上の歴史が
無くなってしまうんでしゅから!
女性である次郎法師しゃんが何故当主とならなければいけなかったのか?
なぜ男性の名を名乗らなければいけなかったのか?
そりを知るには大いなる痛みを伴う事になりましゅが・・・・・」
お家元と一緒の“タイム・スリッパ”が、観光気分で出来るものでないのは
タイガーしゃんは来る前から分かっていましたし覚悟もしていました。
そんな二人に声を掛ける者がいました。
「そなた達、御手洗の井の傍で何をしておるのです!
其処は我が井伊家にとって神聖な場所と知っておいでですか!」
それは小学生くらいの女の子でした。
けれど幼いながらも威厳を備えていて、無礼な振る舞いに及ぶようなら
咎める覚悟が窺えました。
「(今“我が井伊家にとって”と仰いましたね?、お家元!)」
「(あい!)」
二人は気付きました。
「ご無礼をお赦し下しゃい!
わりらはこの井戸が遠江の名族・井伊家所縁のもので、初代共保公がご生誕さりた
神聖な井戸とお聞きし、どうしても一目なりとも拝見仕りたく参った次第でしゅ。
そりがしは彦根の招きぬこでひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ!」
「左様でしたか!
その様な訳で参ったのなら、どうぞ存分に見て行かれませ」
少女は我が事を褒められたかのように嬉しそうでした。
「有り難き幸せでしゅ!」
「“ひこね”とは聞いた事がない土地の名ですね・・・
何処の国の地名でありましょう?」
「あい、近江の国になりましゅ」
「近江!?
それはまた遠き国より来られたのですね!
井伊家の名は遥か近江の地にまで聞こえているのですか?」
「ひこにゃん達の住む土地では井伊家は特別な家柄でしゅ。
知らない者など一人もいましぇん!」
「まさか・・・真に?」
「あい!」
「近江でとは・・・・・愉快な話をする者達ですね(笑)」
いつもながら初対面の方と親しくなっていくお家元のスピードには舌を巻きます。
「そなた達如何であろう、妾(わらわ)にもっと他国の話を聞かせて頂けまいか?」
「うふふ・・・好奇心旺盛なんでしゅね(笑)」
「妾のそれは城主である父上譲り故(笑)」
「・・・もしや貴女(あなた)しゃまは御屋形しゃまの・・・」
「如何にも!
井伊谷城主、井伊信濃守直盛(いいしなののかみなおもり)が一女(むすめ)です!」
お家元達は最初の一言でその正体に気付いていましたが
途中の手順を省かずに、恭しく畏まって対応しました。
この姫の名前は後世に残ってはいませんが
18代目である“井伊直盛公”の子供は後にも先にも一人しかいません!
この幼い姫こそが後の女地頭“井伊次郎法師直虎”その人です!
「姫様っ!」
息を切らしながら二人の侍女らしき女性がこの場に辿り着きました。
この少女はこの二人を置き去りにして、一人先に走って来たようです。
「姫様、この者らは?」
「ひっ、なんと禍々しい獣じゃ!」
「私の事なんでしょうね・・・(苦笑)」
「騒ぐでない!
妾(わらわ)は先ほどから話しておるが危険な事など有りませぬ!
この者達ははるばる近江の国から御手洗の井を見に参ったそうじゃ。
遠方からわざわざこの井の国に参った者達に無礼な物言いは控えなさい!」
「確かにご奇特な方々ではありましょうが、今日会ったばかりの者達を
お信じになるのは如何なものでございましょう・・・」
侍女達の危惧は最もです。
その時、離れた場所からまた声が掛かりました。
「姫!、何をしておるのじゃ!?」
元気な少年の声でした。
見れば丘から続いたなだらかな参道の入口に背の高い僧と共に立っていました。
「亀之丞殿!南渓様」
姫の頬がチークを塗ったように桃色に染まり、同時に安堵の表情が見えます。
誰が見てもこの姫があの少年に好意を持っているのは一目瞭然でした。
「(! タイガーしゃん、今“亀之丞”と呼ばりたあの男の子が19代・直親公でしゅ!)」
「(直政公のお父さんになる方ですか!?)」
「(あい!)」
「(隣りの僧侶はどなたですか?)」
「(あい、呼び名から察しゅるに、あの方は次郎法師しゃんの大叔父で
出家さりた“南渓(なんけい)”しゃんでしゅ。
戦で殺生の業から逃れらりない武家では、数多く子息が出来た時には
必ず出家させて仏に帰依させたしょうでしゅよ。
そりであれば家督争いも避けらりましゅしね)」
「(成るほど!)」
声を張り上げなくてもいい距離まで、亀之丞と南渓は近付いて来ました。
「姫は儂をわざわざ迎えに来てくれたのか?」
亀之丞は大伯父の元に読み書きの手習いに来ていたようです。
「違いまする!
妾は御手洗の井にお参りに寄っただけですから!」
姫は天邪鬼な応え方をしました。
気持ちを見抜かれたくない姫は話題を変えようとして、
「亀之丞殿、南渓様、聞いて下され!
この方々はわざわざ近江の国から御手洗の井を見に
この井の国にまで来られたんだそうです!
近江の国では我が井伊家は知らぬ者がいないほど名を馳せているそうですよ!」
「なんと!、それは真か!?」
亀之丞は少年らしい驚きを見せ、姫同様誇らしく思ったようです。
「我が井伊家の名が遠く離れた近江の国で響いているなど
妾は夢にも思いませんでした!」
その横に立っていた僧・南渓は「ほ~」とわかりやすい驚いた表情を作っていました。
そう作っていたのです。
“近江の国で井伊家が名を馳せている”、そんな訳がないと思ったからです。
お家元が姫に告げたのは、勿論彦根城が出来てからの現代の様子なのですが
この当時の近江にはその影はありません。
何かを企んで姫に接近した曲者ではと南渓が訝しんだのは当然の警戒です。
そしてお家元達に探りを入れました。
「さても近江の国からのわざわざのご下向、痛み入りまする。
是非愚僧にも色々お聞かせ頂きたい」
南渓は姫の意気込みを制して、まず自分がこの者達を見極めるつもりです。
身元もわからぬ者達に御家の子供達が毒されていくのは見過ごせません。
お家元とタイガーしゃんは南渓のその不審な視線に気付いていました。
「誠を尽くしてお答えいたしましゅ」
南渓は穏やかな表情を崩さず、ささこちらへと参道へ促し先頭を歩きました。
けれど背を向けて全員に顔が見えなくなった瞬間狼狽えました!
“誠を尽くして~”とは包み隠さずという意味ですし、“お答えする”というのは
質問に答えるという表れです。
自分は“話を聞かせて欲しい”と告げたのに、話しますとは言わず
“答える”とこのぬこは言いました。
自分の思いが筒抜けなのに南渓は冷や汗を掻きました。
お家元は南渓にだけ解かる言葉を遣いましたが斬りつけたつもりはありません。
あくまでも正直に答えたつもりでしたが、逆に南渓を警戒させてしまいました。
「(この者達、侮り難し!)」
南渓の第一印象はそれでした。
お家元とタイガーしゃんは案内されて南渓の庵に通されました。
「お家元、ここが噂の“龍潭寺”なんですか?」
「あい、この頃はまだ“龍泰寺”という名前でしゅ。
しょの名前になるのは今から16年後の事なんでしゅけど
寺名が変わるしょの時は井伊家にとって非常に悲しい出来事が
起こる時でもありましゅ・・・」
自分達も同席したいと聞かない姫と亀之丞を半ば強引な理由を付けて
無理矢理引き下がらせると、南渓は一人で戻って来ました。
「お待たせいたしました」
「改めまして、ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ」
「龍泰寺の僧・南渓瑞聞と申します。
屏風に描かれたもの以外で虎を見たのは拙僧は初めてです。
お二人は近江の国からいらっしゃったとの事ですが・・」
「あい、鳰の海(琵琶湖)の湖東にある彦根という土地から来たんでしゅ」
南渓は小細工せず単刀直入に聞きました。
「井の国には何の用向きで?」
南渓の厳しい表情と質問の調子に、お家元は事情を理解して貰う難しさに気付きました。
「(さっきの言葉が裏目に出てしまったみたいでしゅね・・・)」
お家元は石田家や大谷家の時と同じ方法で理解して貰うのは無理だと思い
新たな手段を模索しました。
ケースバイケースでやり方を変える所は流石お家元です。
「ひこにゃん達は井伊家のある方に会うのを目的に、この国に来たんでしゅ」
「それはどなたかな?」
「亀之丞しゃんの嫡男の“虎松”しゃんにでしゅ!」
「な、何!?」
これにはタイガーしゃんもギョッとしました。
「そなたは心得違いをしておるようだな・・・
当家には亀之丞という名の者は一人しかおらぬ、そなたらがさっき会った男児がそうじゃ。
彼の者には子供など生まれておらぬし、嫁すらも迎えてはおらぬ」
「あい、知ってましゅ。
虎松しゃんが生まれるのは17年後の事でしゅから」
南渓は開いた口が塞がりませんでした。
お家元は正座したまま南渓の目の前までにじり寄ると
その膝に手を置きました。
「失礼しましゅ!」
南渓は“ぐわん!”と頭が揺さぶられました。
次の瞬間、三人は火事で焼け落ちたような廃墟の中心に
そのままの姿勢で正座していました。
南渓は我が目を疑い狼狽えました、自分の周りの風景が一瞬で変わったからです。
お家元は南渓をも連れて“タイム・スリッパ”を行いました!
「南渓しゃん、ここがどこかわかりましゅか?」
愕然としながらも南渓にはここがどこか解かり始めていました。
「まさか・・・・・そんな・・・何故こんな・・!?
寺が一瞬で灰燼と化してしまった!」
そう、場所は変わってはいなかったのです!
ここは寺名こそ龍潭寺と変わっていましたが、ここは龍泰寺でした。
但し時間だけは近い将来へと変わっています。
お家元は後に龍潭寺が戦火にのまれて焼失するのを知っていたので
南渓にその変わり過ぎた姿を見てもらい、まず“タイム・スリッパ”を
信じて貰おうとしたのです。
そして落ち着いた口調で出来るだけゆっくり語りかけました。
「南渓しゃん、ここは確かに龍泰寺でしゅけど、さっきまでいた天文13年じゃありましぇん。
ここは29年後の元亀4年でしゅ」
この年は途中で元号が変わるので“天正元年”でもあります。
「二十九年後!?・・・・・げんき・・・?」
南渓はよろよろと立ち上がり焼け跡を徘徊しました。
焼け跡にはいくつも見覚えのあるものが煤けて埋もれています。
お家元は南渓に信じてもらうために、かなり荒っぽい手段に踏み切りましたが
少々強引だったかとその姿に心が痛みました。
そして突然声が掛かります。
「お待ちしておりましたぞ!」
その声の方を三人は見ました
これはお家元にも予想出来なかった事です!
はたして三人を待っていたと告げた者(達)とは!?
つ づ く
次回予告 )
南渓の信頼を得る事に成功し、無事1544年の井の国に戻って来たお家元達。
姫、亀之丞、南渓らに加え井伊家の一族との穏やかな日々に秋は暮れ冬を迎えます。
けれど井伊家には暗い影が忍び寄ります・・・
井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~
第二章 “援軍・過去と未来と現在の交錯”