ひこにゃん×ひこにゃん ブログ 彦根にひとつだけの花

ひこにゃん それは古城に住まう心清きみんなのねこ

いちファンの綴るレポート&おとぎばなしのブログです☆

インターミッション XXXV (b)

2011-02-01 16:13:41 | 彦根ノムコウ

             ~(a)よりつづき





「井伊谷・井伊家16代目の直平(なおひら)公には五男一女の子供達がいたんでしゅ。
 しょの中でこの当時嫡男と末っ子の方が既に他界されていると思いましゅ。

 ・・・いっぺんに言われても整理出来ましぇんよね、今ここに簡単に書き出してみましゅね」


お家元は足元の土にカリカリと井伊家の簡単な家系図を書きました。








         17代       18代
         嫡男
          直宗(故人)  ー 直盛     ー 直虎
                               (次郎法師)
       
       
         女          ー 瀬名姫   ー 岡崎信康
          (関口親永室)   (徳川家康室)  (家康長子) 
       
         次男
16代        南渓
直平   ー   (井伊谷・龍泰寺 僧籍)
       
       
         三男         19代       20代
          直満       ー 直親     ー 直政
                     (亀之丞)     (彦根井伊家初代藩主)
       
       
         四男
          直義
       
       
         五男
          直元(故人)








「あい、こりがこの当時生きてた井伊家の皆しゃんでしゅ。
 一応目安として井伊家の資料で見られる歴代当主の代目で書いてましゅ。
 他で見らりる文献では直政公が24代とかになってる物もありましゅが。


 ここに書いた19代・直親公と20代・直政公の間の時代には
 実はカウントさりてない御当主がいるんでしゅ!

 しょの方は“井伊直虎(いいなおとら)”しゃんと云いましゅ!」


「このカッコして“次郎法師”と書かれた方の事ですね」


タイガーしゃんは“虎”の一字に親近感を覚えました。
けれど何故カウントされなかったのか、またお家元がこの方にだけ
“公”という尊称を省いたのかが不思議でした。


「井伊家や井伊谷の人達は“直虎”しゃんと云う名よりも
 “次郎法師(じろうほうし)”しゃんと呼ぶ事が多いみたいでしゅ。

 因みに次郎法師しゃんは女性でしゅよ、タイガーしゃん」


「えっ、そうなんですか!?」


タイがーしゃんはそれで!と納得しました。



「あい、実はひこにゃん達が今回来た目的は、この次郎法師しゃんを支える為なんでしゅ!」

 次郎法師しゃんと井伊家に降り懸かる不幸な出来事に注意を巡らし
 井伊家の血統が決して途切れぬように、さり気なく導いていくのが目的でしゅ!」


「今回も難易度の高いお役目なんですね・・・」


「ひこにゃんとタイガーしゃんにしか出来ない役目でしゅ。
 いえ、ひこにゃん達がやり遂げなければ、この後の井伊家の400年以上の歴史が
 無くなってしまうんでしゅから!

 女性である次郎法師しゃんが何故当主とならなければいけなかったのか?
 なぜ男性の名を名乗らなければいけなかったのか?
 そりを知るには大いなる痛みを伴う事になりましゅが・・・・・」


お家元と一緒の“タイム・スリッパ”が、観光気分で出来るものでないのは
タイガーしゃんは来る前から分かっていましたし覚悟もしていました。








そんな二人に声を掛ける者がいました。


「そなた達、御手洗の井の傍で何をしておるのです!
 其処は我が井伊家にとって神聖な場所と知っておいでですか!」




それは小学生くらいの女の子でした。
けれど幼いながらも威厳を備えていて、無礼な振る舞いに及ぶようなら
咎める覚悟が窺えました。


「(今“我が井伊家にとって”と仰いましたね?、お家元!)」


「(あい!)」


二人は気付きました。


「ご無礼をお赦し下しゃい!
 わりらはこの井戸が遠江の名族・井伊家所縁のもので、初代共保公がご生誕さりた
 神聖な井戸とお聞きし、どうしても一目なりとも拝見仕りたく参った次第でしゅ。

 そりがしは彦根の招きぬこでひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ!」


「左様でしたか!
 その様な訳で参ったのなら、どうぞ存分に見て行かれませ」


少女は我が事を褒められたかのように嬉しそうでした。


「有り難き幸せでしゅ!」


「“ひこね”とは聞いた事がない土地の名ですね・・・
 何処の国の地名でありましょう?」


「あい、近江の国になりましゅ」


「近江!?
 それはまた遠き国より来られたのですね!
 井伊家の名は遥か近江の地にまで聞こえているのですか?」


「ひこにゃん達の住む土地では井伊家は特別な家柄でしゅ。
 知らない者など一人もいましぇん!」


「まさか・・・真に?」


「あい!」


「近江でとは・・・・・愉快な話をする者達ですね(笑)」




いつもながら初対面の方と親しくなっていくお家元のスピードには舌を巻きます。


「そなた達如何であろう、妾(わらわ)にもっと他国の話を聞かせて頂けまいか?」


「うふふ・・・好奇心旺盛なんでしゅね(笑)」


「妾のそれは城主である父上譲り故(笑)」


「・・・もしや貴女(あなた)しゃまは御屋形しゃまの・・・」


「如何にも!
 井伊谷城主、井伊信濃守直盛(いいしなののかみなおもり)が一女(むすめ)です!」


お家元達は最初の一言でその正体に気付いていましたが
途中の手順を省かずに、恭しく畏まって対応しました。

この姫の名前は後世に残ってはいませんが
18代目である“井伊直盛公”の子供は後にも先にも一人しかいません!

この幼い姫こそが後の女地頭“井伊次郎法師直虎”その人です!









「姫様っ!」


息を切らしながら二人の侍女らしき女性がこの場に辿り着きました。
この少女はこの二人を置き去りにして、一人先に走って来たようです。


「姫様、この者らは?」


「ひっ、なんと禍々しい獣じゃ!」


「私の事なんでしょうね・・・(苦笑)」


「騒ぐでない!
 妾(わらわ)は先ほどから話しておるが危険な事など有りませぬ!

 この者達ははるばる近江の国から御手洗の井を見に参ったそうじゃ。
 遠方からわざわざこの井の国に参った者達に無礼な物言いは控えなさい!」


「確かにご奇特な方々ではありましょうが、今日会ったばかりの者達を
 お信じになるのは如何なものでございましょう・・・」


侍女達の危惧は最もです。
その時、離れた場所からまた声が掛かりました。


「姫!、何をしておるのじゃ!?」


元気な少年の声でした。
見れば丘から続いたなだらかな参道の入口に背の高い僧と共に立っていました。


「亀之丞殿!南渓様」


姫の頬がチークを塗ったように桃色に染まり、同時に安堵の表情が見えます。
誰が見てもこの姫があの少年に好意を持っているのは一目瞭然でした。


「(! タイガーしゃん、今“亀之丞”と呼ばりたあの男の子が19代・直親公でしゅ!)」


「(直政公のお父さんになる方ですか!?)」


「(あい!)」


「(隣りの僧侶はどなたですか?)」


「(あい、呼び名から察しゅるに、あの方は次郎法師しゃんの大叔父で
  出家さりた“南渓(なんけい)”しゃんでしゅ。

  戦で殺生の業から逃れらりない武家では、数多く子息が出来た時には
  必ず出家させて仏に帰依させたしょうでしゅよ。

  そりであれば家督争いも避けらりましゅしね)」




「(成るほど!)」






声を張り上げなくてもいい距離まで、亀之丞と南渓は近付いて来ました。


「姫は儂をわざわざ迎えに来てくれたのか?」


亀之丞は大伯父の元に読み書きの手習いに来ていたようです。


「違いまする!
 妾は御手洗の井にお参りに寄っただけですから!」


姫は天邪鬼な応え方をしました。
気持ちを見抜かれたくない姫は話題を変えようとして、


「亀之丞殿、南渓様、聞いて下され!
 この方々はわざわざ近江の国から御手洗の井を見に
 この井の国にまで来られたんだそうです!
 近江の国では我が井伊家は知らぬ者がいないほど名を馳せているそうですよ!」


「なんと!、それは真か!?」


亀之丞は少年らしい驚きを見せ、姫同様誇らしく思ったようです。


「我が井伊家の名が遠く離れた近江の国で響いているなど
 妾は夢にも思いませんでした!」


その横に立っていた僧・南渓は「ほ~」とわかりやすい驚いた表情を作っていました。
そう作っていたのです。

“近江の国で井伊家が名を馳せている”、そんな訳がないと思ったからです。

お家元が姫に告げたのは、勿論彦根城が出来てからの現代の様子なのですが
この当時の近江にはその影はありません。

何かを企んで姫に接近した曲者ではと南渓が訝しんだのは当然の警戒です。
そしてお家元達に探りを入れました。


「さても近江の国からのわざわざのご下向、痛み入りまする。
 是非愚僧にも色々お聞かせ頂きたい」


南渓は姫の意気込みを制して、まず自分がこの者達を見極めるつもりです。
身元もわからぬ者達に御家の子供達が毒されていくのは見過ごせません。

お家元とタイガーしゃんは南渓のその不審な視線に気付いていました。


「誠を尽くしてお答えいたしましゅ」




南渓は穏やかな表情を崩さず、ささこちらへと参道へ促し先頭を歩きました。
けれど背を向けて全員に顔が見えなくなった瞬間狼狽えました!


“誠を尽くして~”とは包み隠さずという意味ですし、“お答えする”というのは
質問に答えるという表れです。
自分は“話を聞かせて欲しい”と告げたのに、話しますとは言わず
“答える”とこのぬこは言いました。
自分の思いが筒抜けなのに南渓は冷や汗を掻きました。

お家元は南渓にだけ解かる言葉を遣いましたが斬りつけたつもりはありません。
あくまでも正直に答えたつもりでしたが、逆に南渓を警戒させてしまいました。


「(この者達、侮り難し!)」


南渓の第一印象はそれでした。








お家元とタイガーしゃんは案内されて南渓の庵に通されました。


「お家元、ここが噂の“龍潭寺”なんですか?」


「あい、この頃はまだ“龍泰寺”という名前でしゅ。
 しょの名前になるのは今から16年後の事なんでしゅけど
 寺名が変わるしょの時は井伊家にとって非常に悲しい出来事が
 起こる時でもありましゅ・・・」




自分達も同席したいと聞かない姫と亀之丞を半ば強引な理由を付けて
無理矢理引き下がらせると、南渓は一人で戻って来ました。


「お待たせいたしました」


「改めまして、ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ」


「龍泰寺の僧・南渓瑞聞と申します。
 屏風に描かれたもの以外で虎を見たのは拙僧は初めてです。

 お二人は近江の国からいらっしゃったとの事ですが・・」


「あい、鳰の海(琵琶湖)の湖東にある彦根という土地から来たんでしゅ」


南渓は小細工せず単刀直入に聞きました。


「井の国には何の用向きで?」


南渓の厳しい表情と質問の調子に、お家元は事情を理解して貰う難しさに気付きました。


「(さっきの言葉が裏目に出てしまったみたいでしゅね・・・)」


お家元は石田家や大谷家の時と同じ方法で理解して貰うのは無理だと思い
新たな手段を模索しました。
ケースバイケースでやり方を変える所は流石お家元です。


「ひこにゃん達は井伊家のある方に会うのを目的に、この国に来たんでしゅ」




「それはどなたかな?」


「亀之丞しゃんの嫡男の“虎松”しゃんにでしゅ!」


「な、何!?」


これにはタイガーしゃんもギョッとしました。


「そなたは心得違いをしておるようだな・・・
 当家には亀之丞という名の者は一人しかおらぬ、そなたらがさっき会った男児がそうじゃ。
 彼の者には子供など生まれておらぬし、嫁すらも迎えてはおらぬ」


「あい、知ってましゅ。
 虎松しゃんが生まれるのは17年後の事でしゅから」


南渓は開いた口が塞がりませんでした。


お家元は正座したまま南渓の目の前までにじり寄ると
その膝に手を置きました。


「失礼しましゅ!」


南渓は“ぐわん!”と頭が揺さぶられました。


次の瞬間、三人は火事で焼け落ちたような廃墟の中心に
そのままの姿勢で正座していました。
南渓は我が目を疑い狼狽えました、自分の周りの風景が一瞬で変わったからです。
お家元は南渓をも連れて“タイム・スリッパ”を行いました!


「南渓しゃん、ここがどこかわかりましゅか?」


愕然としながらも南渓にはここがどこか解かり始めていました。


「まさか・・・・・そんな・・・何故こんな・・!?
 寺が一瞬で灰燼と化してしまった!」


そう、場所は変わってはいなかったのです!
ここは寺名こそ龍潭寺と変わっていましたが、ここは龍泰寺でした。
但し時間だけは近い将来へと変わっています。

お家元は後に龍潭寺が戦火にのまれて焼失するのを知っていたので
南渓にその変わり過ぎた姿を見てもらい、まず“タイム・スリッパ”を
信じて貰おうとしたのです。
そして落ち着いた口調で出来るだけゆっくり語りかけました。


「南渓しゃん、ここは確かに龍泰寺でしゅけど、さっきまでいた天文13年じゃありましぇん。
 ここは29年後の元亀4年でしゅ」


この年は途中で元号が変わるので“天正元年”でもあります。


「二十九年後!?・・・・・げんき・・・?」


南渓はよろよろと立ち上がり焼け跡を徘徊しました。
焼け跡にはいくつも見覚えのあるものが煤けて埋もれています。

お家元は南渓に信じてもらうために、かなり荒っぽい手段に踏み切りましたが
少々強引だったかとその姿に心が痛みました。

そして突然声が掛かります。


「お待ちしておりましたぞ!」


その声の方を三人は見ました




これはお家元にも予想出来なかった事です!




はたして三人を待っていたと告げた者(達)とは!?






       つ づ く









次回予告 )



南渓の信頼を得る事に成功し、無事1544年の井の国に戻って来たお家元達。

姫、亀之丞、南渓らに加え井伊家の一族との穏やかな日々に秋は暮れ冬を迎えます。

けれど井伊家には暗い影が忍び寄ります・・・








井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第二章 “援軍・過去と未来と現在の交錯”




インターミッション XXXV (a)

2011-02-01 16:07:29 | 彦根ノムコウ
名古屋への出陣も無事に終えられたもちさん。
こちらでは“お家元”のお噺のつづきを

“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。















2010年10月23日 午前9時前
ゆるキャラ(R)まつり 2010 当日

彦根城 表御殿





この日、彦根は異様な雰囲気に包まれていました。

“ゆるキャラ(R)まつり 2010”の開催に沸いていた彦根市では
多くののスタッフ・職員が朝早くから忙しく動き回っていましたし
駅からメイン会場に向けて歩く人々の波は引きも切らず
少し離れたキャッスルロードの喧騒と熱気が離れていても伝わるようでした。

でもそんな喧騒も、この表御殿だけはぽっかり取り残されたように
穏やかな時間が流れていました。


「そろそろ開会式が始まる時刻かな・・・」


池泉庭園の庭石の上でタイガーしゃんはお家元やカモンちゃんに訪れているであろう
局面を想像していました。
特にこの日のお家元は予定されていたスケジュールに隙間が無いほどで
タイガーしゃんは主の忙しさが気の毒でもあり、また誇らしげでもありました。



そんなタイガーしゃんの様子をいないはずのお家元が
御亭の障子の影から遠くに眺めていました。
お家元は音もなく部屋に現れ、気配を消していました。




このお家元は2011年の1月から来たお家元です。
お家元は数分前までの出来事を思い返していました・・・










「今のひこにゃんには心当たりがありましぇん・・・」






「お家元・・・
 ひこにゃん達が安心して身体を預けられるのは一人しかいましぇん!!」




「・・・ひこにゃんはシベリアに帰ったタイガーしゃんを連れて来るのは反対でしゅよ」


「もちろんでしゅ!
 しっかりお別れしたタイガーしゃんとは、然るべき時まで会うべきではありましぇん。
 ひこにゃん達も同意見でしゅ」


「(それにシベリアに帰ったタイガーしゃんはそりどころじゃありましぇんからね・・・)」


未来のお家元の一人が気になる事をボソッと呟きましたが
それは現在のお家元には聴こえてはいませんでした。
この呟きを漏らしたお家元は、果たしていつの未来から来たのでしょう・・・

とはいえこれはまた別のお噺なので、今触れるべきものではありません。




「でもタイガーしゃん以外にこの大役を務められる者が果たしていましゅかね?」


「・・・もちろんタイガーしゃんなら非の打ちどころなどありましぇんけど・・・」


現在のお家元は未来のお家元達に言われるまでもなく
それが可能ならどれだけ心強い事だろうと思わずにいられませんでした。


「そこなんでしゅよ、お家元!
 少し四次元的に考えてみてはどうでしゅか?
 裏ワザに近いんでしゅけど・・・」


「四次元的に?・・・でしゅか?」




「まだ彦根にいる間のタイガーしゃんに頼む事が出来たらどうでしゅ?」


「あっ!」


「気が付きましたね(笑)」


「しょれは・・・・・確かに裏ワザでしゅね・・・・・・・・
 けど案外いいアイディアかも・・・」


「ひこにゃん達はそうしてタイガーしゃんに付いて来てもらったんでしゅ!」


既に“次郎法師”様に会って来たはずのお家元達がそうした手段を採っているのです。
もう迷う必要はありませんでした。


「そりでいつのタイガーしゃんに頼むべきなんでしゅか?」


「2度目の“関ヶ原の戦い”から戻って約1ヶ月後の“10月23日”がいいと思いましゅ」


「あり?・・・しょの日は何か他にもあった日でしゅよね?」


「“ゆるキャラ(R)まつり”があった日でしゅよ、お家元!」


「しょの日は朝から開会式に出て、彦根城に3回、Aステージに午前午後、
 夕方からFCの発足式、その間をぬって一ヶ所訪問のあった日でしゅ」


「あいあい、しょうでした!」


「しかもその前の週末の土曜日は“井の国千年祭”に。
 翌日の日曜日は有楽町の“近江みちの国観光キャンペーン”に行ってましゅからね。
 ちなみに10月は火木もお稽古があった月でしゅ」


「“10月23日”のタイガーしゃんをお家元は覚えていましゅか?」


「いえ、あの日は一切余裕がなかったので記憶にありましぇん・・・」


「お家元がタイガーしゃんを連れ出しても“10月23日”のお家元は
 気付く余裕がないって事でしゅ!」


「なんか出来過ぎなくらいでしゅね!(驚)」


「あい!(笑)」


「そりじゃあまず2010年の“10月23日”に向かいましゅ!」


「お願いしましゅ!
 時間は9時直前で間違いありましぇんから」


「了解でしゅ!」



 








こうして1月のお家元は未来のお家元達に後押しされて、“10月23日”にやって来ました。

お家元は庭石に座っているタイガーしゃんの背中を見て
熱いものが込み上げてくるようでした。


自分の世界ではもうシベリアに戻ってしまったタイガーしゃんが
ここでは当たり前のように存在しています。


「(タイガーしゃんがいましゅ!当たり前でしゅけど・・・)」




その背は陽の光を浴びて黄金色に輝き、くっきりと浮かび上がった漆黒の模様は
精悍さに溢れ、その雄姿にお家元はしばらく声が掛けられず眺めていました。





しばらく時間が過ぎた後、タイガーしゃんが気配に気付いたらしく
振り返ってお家元と目が合いました。

タイガーしゃんは一瞬驚いた表情をしましたが、直ぐに納得した顔をして
お家元のいる場所まで駆け寄って来て言いました。


「お家元、ようこそ!」


これは同じ時間軸に存在するお家元に対して言うセリフではありません。
タイガーしゃんはこのお家元がいつものお家元ではないのを見抜きました。

開会式に出ているお家元は全てが片付く夜まで部屋に戻って来れる余裕がありません。
とすると今目の前にいるお家元は本来のお家元ではないはず。
きっと一ヶ月前と同様に“タイム・スリッパ”してきたお家元なんだと気付きました。

そして開会式に出ているお家元の忙しさと不在を知った上で来たんだとしたら
一体何の用事があって来たのか?

導き出された答えは一つでした。
自分に用があって来られたのだ!、とタイガーしゃんは察しました。


「お家元、何かお困りなのでは?」




「!」


タイガーしゃんの勘の良さにお家元は感動しました。
この時のタイガーしゃんはこの一年の中での円熟期に入りつつあったので
多くの言葉は必要ないほどです。


「タイガーしゃん、一緒に来てひこにゃんを助けてもらえましゅか?」


タイガーしゃんは間をおかずに応えます!


「喜んで!」


タイガーしゃんは「どこへ?」とも「一体何が?」とも聞きません。
そんな事はどうでもいいい事でした。
お家元に頼まれたのなら、タイガーしゃんには“拒む”という選択肢はありません。

お家元はタイガーしゃんの得難い能力と頼もしさに勇気づけられ
新たな旅への不安が一切なくなりました。
やがて二人の気配は表御殿から忽然と消えていったのです。











井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第一章 黎明・数奇なる姫君














天文13年(西暦1544年)9月
遠江国 引佐郡 井伊谷










「お家元、ここは?」


「ここは現代でいえば静岡県の浜名湖の北東に位置する井伊谷(いいのや)という所で
 “井の国”とも呼ばれている土地でしゅ」


「! 先週お家元が行かれた場所ですね。
 ・・・失礼しました、私とご一緒しているお家元が先週行かれた土地ですね」


「細かい気遣いは大丈夫でしゅよ、タイガーしゃん(笑)

 しょう、ここはひこにゃんが来た井伊谷で、土地の名前からも分かるように
 井伊家はこの地から興ったんでしゅ!」


「この地から・・・」


空は広く晴れ渡って空気は澄み、太陽に背を向けて立った先には山塊が聳え
辺りは一面田畑の海でした。
目の前にはぽっかり浮かんだ小島のような丘があり、木々で覆われた中に参道と山門が見えたので
きっとその林の奥には寺社があるんだろうなとタイガーしゃんは思いました。

一面の田畑の真ん中に不自然なスペースがあります。
その様はまるで広大な田畑が開墾されるよりも、ずっと以前からあった場所だと
云わんばかりの空間で、そこには石が積まれた何か人工の物があります。

お家元はそこに向かって歩きました。


「これは・・・井戸・・ですか?」


「あい、こりは“御手洗の井”と謂いましゅ!
 この井戸は井伊家の始祖・共保(ともやす)公が千年前の1010年にお生まれになったという
 伝説の井戸で、千年経った2010年にもしっかり残ってるんでしゅ」


「始祖?初代という意味でしょうか?
 お家元、井伊家の初代は“井伊直政公”ではないんですか?」


「直政公は彦根に移ってからの初代と謂う意味なんでしゅよ、タイガーしゃん。
 共保公から数えたら直政公は20代目になりましゅ」


「成るほど!」


「始祖・共保公はこの井戸から生まれたとも、傍らで拾われたとも謂いましゅ」


「共保公は捨て子だったんですか?」


「昔は“捨て子はよく育つ”という言い伝えがあったしょうで、
 生まりた子供を捨てた態にして、そうしてすぐに拾い直す儀式があったようなんでしゅ。

 共保公が果たしてどうだったのか、真実はひこにゃんにもわかりましぇん(苦笑)
 実際に確かめに行く事は出来るかもしましぇんけど、そりは止めておきましょ」


伝説のままにしておいた方が善いという事もあります。


「ともかく井戸の傍らで八幡宮の神主しゃんに見つけらりたその子には貴人の相があったといい
 七歳まで神主しゃんに育てらりて、その後国司の藤原氏の養子となって 
 “藤原共保(ともやす)”と名乗られたんだそうでしゅ。

 やがて成人した共保公は地名に因んで家名を“井伊”と改めたんでしゅ。
 こりが井伊家の始まりでしゅ。
 そしてこの井戸の側には橘の樹もあったしょうで、後の彦根井伊家の家紋が
 “彦根井筒”や“彦根井桁”、“彦根橘”になったんだそうでしゅ。

 見て下しゃいタイガーしゃん、この“井”の形の石組みを!」


「本当だ!井伊家の“井桁”はここから取られたんですね!」


「しょういう話でしゅ」


タイガーしゃんは凄い物に巡り合ってしまったと感動しました。









           (b)へつづく~