ひこにゃん×ひこにゃん ブログ 彦根にひとつだけの花

ひこにゃん それは古城に住まう心清きみんなのねこ

いちファンの綴るレポート&おとぎばなしのブログです☆

インターミッション ピットアウト

2013-04-29 12:18:38 | 白いイナズマ
この前、自分でコメント欄に書いた“音しょくの貴公子”に妙に引っ掛かってしまって、新しいお噺が1コ生まれました。
前々記事の“インター43 磯うつ波の謳”の途中に入るお噺になります。




ひこねGP “音しょくの貴公子”!



「タイヤ交換終わりました!」

「サスペンションはまだか?」

「今やってます、あと5秒・・・・・・終了!」

「よし!」




「監督、整備完了したとメカニックから。」

「よし、お家元にマシンのレクチャーをしてくれ・・・いや、私がしよう!」




「ひこにゃん、タイヤは4輪ともニュータイヤにしてあるんで、熱が入るまではグリップしないから気をつけてくれ!」

「あい!」

「それと馬屋からいろは松に抜ける直角クランクでは、常に対向車を意識するんだぞ。」

「あい」

「最後に秋子さんから伝言だ、晩御飯までには戻るようにと!」

「あいあい!」

「以上だ、よーーーーし、行って来い!」




「グッドラック、ひこにゃん!」

「あい、いってきましゅ!」





たくさんのメカニックに見送られて、お家元はカモンちゃんが待つ埋木舎に向かったようです!(笑)

インターミッション XXXXIII

2013-04-25 13:00:00 | 彦根ノムコウ
妄ひこで789~790を書かれた作家さん、ありがとうございます☆

“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。



 



巨人と才人 ~磯うつ波の謳~



       


2013年4月某日
彦根城 表御殿






この月、7歳の誕生日を目前に控えた時から、お家元は天守前と博物館に毎日登場するスケジュールを引き受けるようになりました。
それというのも、週末や祝日以外に隔日で登場していた際、登場日ではない日に来られた観光客の方々が

「今日はひこにゃんいないの?」

というケースが後を絶たなかったからです。
困まり果てたお世話係さんが相談に来ると、お家元は「いいでしゅよ!」とふたつ返事で引き受けました。

    

これにより観光客の方々を失望させる事は払拭されたのです。

今日も三回の出番を終えたお家元は、晩御飯を済ませるとテレビを点けながら、うたた寝してしまいました。

テーブルの向かいには、いつの間にかカモンちゃんが来て座っています。
まだ眠気から脱しきれないお家元は、ぼんやりと開けた眼でそんな光景に気付きました。
せっかく来てくれたカモンちゃんに応えようと、お家元は眠い目をこすって起き上がります。


「カモンちゃん・・・」


「起こしてしまったなりか、ひこなん」


「構いましぇんよ」


「無理にカモンの相手をする必要はないなりよ、そのまま眠ってて構わないなり」


「すみましぇんね・・・」


カモンちゃんの厚意に甘え、お家元は再び横になりました。


テレビではニュースが流れています。
芸能やスポーツ関連ではなく、国会での安倍首相やTPPに関する政治のニュースでした。


「(カモンちゃんはあんな番組を観てて面白いんでしゅかね・・・)」


と、眠気と戦いながら眺めていると


「・・・いつの世も政(まつりごと)の舵取りは困難なりな・・・」


とカモンちゃんは独り言を呟きました。
それは言葉通り、誹謗や中傷ではなく、明らかに同情する言葉です。

やがてお家元はいつの間にか眠りに就いていました。








それから数日後、忙しいお家元を労うために、カモンちゃんがお茶に招いてくれたのです。
約束の日にお家元は、中堀り沿いにあるカモンちゃんの住まい、“埋木舎”に向かいました。

       

       

    

       

       


カモンちゃんは午前中の早い時間から庭を掃き清めて打ち水をし、露地で目の高さに掛かる樹の葉の一枚一枚まで、丁寧に汚れを拭き取る念の入れようです。

       

       


茶室に風を通した後に室温を整え、快適に過ごせるように準備に怠りがありません(※注1)

       


床の間に花を活け、炉に炭を起こして香を焚き、窯で湯を沸かします。
そして万端整え静かに約束の時間を茶室で待っていました。

此処は“埋木舎”にあるカモンちゃんの茶室“樹露軒”。(※注2)
しかも今日お家元の慰労の為に、この茶室に設えた茶道具は綺羅星のような名物ばかりです。(※注3)


炉の前で観念(ここでは正客を想って集中している意)していたカモンちゃんは、遠くで「ごめんくだしゃ~~い!」というお家元の声を聴きました。
侍女のかよさんに促された様子もカモンちゃんの耳には届いていたので、程なくして襖が開くだろうと待っていましたが、しばらくしても一向にお家元が来る様子がありません。

流石におかしいと思って室内から襖を開けて様子を窺うと・・・・

    


「シクシクシクシク・・・」

    


「なっ?な、ななな何事なりか!?」


「挟まっちゃったんでしゅ・・・」


「世話が焼けるぬこなりなぁ」

    



カモンちゃんに引っ張られて何とか窮地を脱し、ようやく茶室に落ち着きました。
気を練り“一期一会”の心構えを作っていたカモンちゃんでしたが、お家元の天然っぷりで全部ブチ壊されてしまった感じです(笑)


それでも心を研ぎ直すと、慣れた手付きでカモンちゃんは茶事を始めました。
まずは主菓子、と作法通りに行きたいところですが、それはお家元の好みではないと気遣い、クリームたっぷりのケーキを出しました。
そして本来ならお家元が食べ終わるのを待って、一旦中座した後に濃茶を点てるところですが、忙しいお家元の時間を尊重して、中座せず飲みやすい薄茶を続けて点てます。

カモンちゃんの点前は洗練されていて、動きに一切無駄がありません。
お家元はその流れるような所作を“美しい”と思いました。

ケーキを食べ終わったちょうどその瞬間、点てられた薄茶がそっと目の前に差し出されました。
頃合いの見立てまでカモンちゃんは完璧です。


「お点前、頂戴いたしましゅ」

    


そう謝辞を述べてから左掌で引き寄せつつ押し戴きます。
右掌で茶碗の縁をつまみながら時計回りに回し、口に運びました。

ゾゾゾっと音を立てて飲み干すと、お家元は堪らず


「プハー、おいしいでしゅ!」


と、奔放な感想を漏らしました。
作法としては「結構なお点前です」と応える事をお家元は知っていましたが、素晴らしい一服に素のまんまの言葉を吐いてしまいました(笑)

茶を点ててからずっとポーカーフェイスだったカモンちゃんも、流石にこれにはフフフっと笑みをこぼします。
この一言を引き出したくて、カモンちゃんは今日一日を費やした訳ですから。



形式的な茶事を終えたので、お家元はいつもの調子でカモンちゃんに話しかけました。


「この前ウチに来てた時に、カモンちゃんは「お祭りの菓子の取り合いは今晩」とか言ってましたけど、上手くいったんでしゅか?」


「??????
 何の話なりか?

 ・・・・あぁ、国会のニュースを観ていた時なりか、聴いていたなりな(苦笑)」



「あい、なんか重苦しい感じがしてて気になってたんでしゅよ」



「・・・ちょっと昔を想い出しただけなりよ(苦笑)



 
 ・・・・・少しカモンの身の上話に付き合ってもらってもいいなりか?ひこなん」

       


「高くつきましゅよ(笑)」


「わかっているなり、茶事の順序としては逆なりが、膳も用意したなり」(※注4)


「あいあい!」


そうしてカモンちゃんはポツリポツリと語り始めました。








第一章 井伊直弼・千と世(ちとせ)の始まり








「カモンが生まれたのは文化12年(1815年)、彦根城二の丸とも、父上(井伊直中・いいなおなか)の隠居していた槻御殿とも謂われているなり。

 母上は君田富(きみたとみ)といって江戸麹町の町人の娘であったが、江戸の井伊家中屋敷で奉公していた時に父上のお手がついたらしいなり。
 
 カモンが5つの時に母上は亡くなられてしまったので、おぼろげな記憶ではあるが美しい方だったなり。
 母上は美しいだけではなく、聡明さも兼ね備えていたようで、家中では“彦根御前”と呼ばれていたそうなり。

 そんな母上を父上は最も寵愛され、カモンの事も大いに可愛がってくれたなり。

 父上の愛情はそれだけに終わらず、御正室の南部家の姫君との間に生まれた兄上(井伊直亮・いいなおあき・直中三男)に家督を譲られていたなりが、兄上にはお子がおられなかった事もあり、父上はカモンと母を同じくする直元兄上(いいなおもと・直中十一男)を次の世子(世継ぎ)とされたなり。」


「んーー、ちゅまりお兄しゃんの養子にお兄しゃんがなったんでしゅね?」


「そういう事なり」


「直亮お兄しゃんに子供が生まれる可能性はなかったんでしゅか?」


「勿論そんな可能性もなかった訳はないなり、でもなひこなん、江戸時代大名家は家を継ぐべき世子を幕府に届けておかなければならず、もし届け出ずに当主が亡くなってしまえば、その家はお取りつぶしになってしまうなり。

 それ故いつまでも子が生まれるのを待っている訳にはいかなかったなり。
 逆に早くに養子を迎えて、その後に実子が生まれてしまっては継がせる事が出来なくなってしまうなり。」


「ふーーん、融通が利かないんでしゅね」


「ふふふ、今ではカモンもそう思うなり。

 ひこなんはカモンが十四男だったのは知っているなりか?」


「聴いた事ありましゅ」


「流石なりな、ちなみに直元兄上は十一男で、三男の直亮兄上との間には何人もの兄上がいらっしゃったなり。
 そのほとんどは養子に出されていたなりが、十一男の直元兄上が次の世子に選ばれたのは、母上が受けていたご寵愛が無関係ではないなり。

 直亮兄上はお子の誕生に望みを託しつつ、父上からの執拗な養子縁組を撥ね退けておられたはずなりが、年を重ねては流石にそれも聞き入れられず、遂に実子継承を諦められたなり。

 直亮兄上が拒まれている間、父上は他の子らの養子縁組を勧められ、兄上が折れた時には縁組に叶う年相応の者は直元兄上のみだったなり。 

 お子がいなかったとはいえ直亮兄上にしてみれば、御正室のご自分の母上よりも寵愛した町人の娘の子を、自分の養子に据えた父上の処遇を素直に受け入れられた訳はないなり…

 直亮兄上は我が母上と直元兄上にカモン、そしてカモンの弟の直恭(いいなおやす・直中十五男・直弼同母弟)、そして父上の事すらも快く思うておられなんだなり…
 

 とはいえその頃のカモンや弟の直恭は、そんなお家の事情も知らずに、隠居所である槻御殿で父上が好む芸事の真似をしながら伸び伸びと暮らしていたなり。
そんな父上の愛情は母上が亡くなられてからも変わる事はなく、カモン達は父上と共に育ったなり。

 幼い頃から藩主として教育され、傅役(もりやく)に厳しく育てられた直亮兄上とは雲泥の差であったなりな…







 カモンが十七になった時に、その父上も亡くなられてしまったなり、。
 父上が亡くなった上は、下屋敷・槻御殿に居座っていられる訳もなく、カモンと直恭は控え屋敷のひとつである尾末町の御屋敷…つまりこの屋敷に移り住み事となって、それより兄弟二人の“部屋住み”の生活が始まったなり。」


「そりまでカモンちゃんは野宿だったんでしゅか??」


「ははは、お部屋に住めるようになったという意味ではないなりよ(笑)

 ひこなん、江戸時代の武士というのは例え小なりといえども、家長として家を保たねば武士とは認められぬなり。
 実家を継げぬでも、婿なり養子なりのクチがあれば認められるところではあったなりが、それすら叶わぬ者は生涯宗家の世話を受ける“厄介者”として、妻も迎えられず、子も設けられずに、ひっそりと息を潜めるように過ごさねばならなかったなり。

 “部屋住み”というのは家を継げぬ庶子(嫡男以外や側室の子など)を指す言葉なり(※注5)」



「・・・じゅいぶん窮屈な想いをしてたんでしゅね、カモンちゃんは。」


「カモンが言うのも奇妙な感じがするが、江戸時代の武士は体面が全てともいえるなり。
 “呪縛”といっても過言ではないなりな。


 三百俵の捨扶持をあてがわれ、カモン達兄弟は養子縁組が回って来ないか、希望を持ってひたすら待っていたなり。
 本来名門井伊家の子息であれば養子縁組に困る事はないなりが、父上の子は多い上、ましてや我らは庶子(側室の子)、そうそう引き受け手は見つからなんだ。

 それでも三年後の二十歳の年、ようやくカモン達兄弟揃って養子縁組の話が舞い込み、我らは兄上に呼ばれて江戸に向かったなり!」


「そりで?」


「喜び勇んで江戸に向かったカモンだったが、結果として縁組が纏まったのは弟の直恭だけだったなり・・・
 カモンだけは再び来た道を戻る破目になったなり。(※注6)


 ひこなん、武士と言うのはさっきも話したように、立派な足跡を残してこそと躾を受けていた時代、武士が武士として居られぬ絶望は今の世の者には理解してもらうのは難しいなり。

 “蟄居”を申しつけられた訳でもないのに、今では自ら部屋に閉じ籠る“ニート”や“引き籠り”などと呼ばれる身分の者がいるようなりが、真っ当な教育を受けた当時の武士にとって、この境遇は非常に耐えがたいものだったなり。

 “男児に生まれながら何事も為せずに、ただ朽ち果てるのみ・・・”

 武士を下りる事も出来ず、武士にも非ず。

 カモンは生涯部屋住みとして生きる覚悟を決め、自らの境遇と重ねて、この屋敷を花の咲かぬ埋もれ木に喩えて“埋木舎”と名付けたなり!」

 








       つ づ く









次回予告 )


前世の記憶を訥々と語り始めたカモンちゃん。

さらに続く記憶の邂逅の先で、カモンちゃんがお家元に願う事とは?




第二章 “井伊直弼・埋もれ木と柳”










― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 



Nukopedia
ぬこペディア


お花の百科事典






※注1)亭主の心得

大袈裟ではなく客を招く際には、こうした掃除は必ず行われます。
木々の葉に止まらず、露地の飛び石さえも水拭きして清めると謂います。
とはいえこういった丹念な下準備すら、茶事では表面的なものでしかないと思います。
客を迎える真髄はまた別のところにあるはずです。 







※注2)樹露軒

本来樹露軒の“樹”の部首は“木偏”ではなく“さんずい”を当てるようですが、私のPCでは変換されなかったので、“樹”としています。







※注3)綺羅星のような名物群

この日、カモンちゃんが揃えた茶道具は

・竹一重切花入 “千とせの始(ちとせのはじめ)” 直弼自作
・月次茶器  “卯花(うのはな)”
・大西淨玄作 “阿弥陀堂釜”
・竹茶杓 “ゆふ月” 直弼自作
・赤樂茶碗 直弼自作

茶の湯に心得のあるものなら有り得ないと断じるほどの垂涎のもてなしです。
実は全部彦根城博物館に所蔵されています。






※注4)茶事における懐石膳

本来は主菓子の前に出されるもので、一汁三菜、酒、肴でもてなします。






※注5) 部屋住みの類義語

別の言い方では“御曹司”と云っていた頃もあります。




※注6) 江戸滞在

実際、この時の直弼公の江戸滞在期間は約1年に及びました。




ひこにゃん 0413

2013-04-15 21:34:01 | 彦根にひとつだけの花
先週の土曜日は、初めて味わった出来事があった日でした。
いつも心に留め夢にも見る街には、日本人がもっとも愛すると言っても過言ではない花が、懸命に踏みとどまって咲き乱れていました。

空は澄み渡り、淀んだ色合いは一切なく、遠く比良の山々まで見渡す事が出来たほど。

空気は微かな冷気を帯びていながらも、日差しは暖かく、桜の香りが鼻腔をくすぐり、見上げた視線の先には、泣きたくなるような景色が広がっています。






私はこの場所の桜の一番良い時期を、いつも逸してきました。
咲く前や葉桜が常でした。

でもこの日、ようやくそんな日に訪れる事が出来た訳ですから、涙も出ます。



上から下に目を転じると、水面(みなも)の近くにも咲く花が!
これはきっと“スイセン”かな。




スイセンはもちさんや彦根市とも繋がりの強い“横浜市西区”の区の花。
西区と言えば“にしまろちゃん”☆
噂では最近頑張ってトレーニングして、プロポーションチェンジしたとか!
またもちさんと一緒のところを見れるといいなぁ♪






2013年4月13日
滋賀県彦根市 彦根城
1話完結 ひこにゃんのお誕生日編



美しくも猛々しい内堀の“腰巻・鉢巻石垣と土塁”。
築城当時は一刻も早い完成に追われていたために、全てを石垣にするよりも人的・金銭的な負担を減らすために築かれたと伝承されますが、防御力においては総石垣に劣るものではなく、威力は同等で、この効果と工夫は彦根城の誇る美点です。




この日は、いつもの表門口からではなく、大手口から登ります。


           


築城当時の正真の表口はこちらでした。





この日は正にそんな心持ちでもあったので。




廊下橋下からは、いつもの登り口へ。
その道の最高到達点では、初めてお目に掛かる光景が広がっているはずです!




咲き誇る彦根城の桜と共に、私が終ぞ見た事がなかったのが、もちさんのお誕生日でした!




ネットや画像やニュースでは例年常に見ていた光景でしたけど、何のレンズも通さずに観るのは今年が初めてでした。





そして、もちさんはとうとう七歳にお成りになったんですね☆




「あい、もうどんなにオヤツを食びても、怒られない年でしゅ♪」

って、そんなルールや慣習は聞いた事ありませんよ!(笑)




なにはともあれ、


「七歳のお誕生日、
 おめでとうございます☆もちさん








「兄さーーーーん!
 兄さん、兄さん!」




「なんだ三郎、うるさいぞ!」




「一郎兄さんと次郎兄さんは知ってる?
 今日お城ではひこにゃんの誕生日で沢山プレゼントを貰っていて、
 テレビの取材も来てるんだって!」

「・・・・・・」

「・・・・・・」




「知らんっ!」

「あっ!」




「オレも知らないったら知らんっ!」

「あっ!

 ・・・・・二人とも、もしかして羨ましかったのかな・・・?」




「待ってよー、兄さんたちーーー!」






そして夕方から彦根市商工会議所で開かれた“ひこにゃんのお誕生日会”!
何度も来ている大会議室ですけど、お誕生日会はもちろん初めてです。





ファンクラブ事務局の方々が用意してくれた食事と気遣いとプログラムは、払った会費以上のものでした☆




ステージの一角に見立てられていた、もちさんのお勉強部屋。
北村会長曰く、ひこにゃんは江戸時代の藩主然とした身分なので、学校へは行かずに、それぞれの分野の家元や師範がカテキョとしてやって来るんだそうです(笑)

彦根藩にはかつて藩校・弘道館(稽古館)があって、直弼公でさえ若年の頃は通いで学んでいたそうですけど、ひょっとしてもちさんの待遇の方が上かな?(笑)


直弼公は自らの部屋住みの住居だった尾末町御屋敷を“埋木舎”と名付けましたが、北村会長がこの日願っていたように、彦根城のどこかに直弼公以来の新名称のお部屋が生まれたらスゴイですね☆
その時はどんな名前が相応しいでしょう(笑)






インターミッション 連続テレビ小説

2013-04-05 12:56:45 | Dear HIKONYAN
Nukopedia
ぬこペディア


お花の百科事典











きんまい                 
『きんまい』は、201X年度(平成2X年度)上半期にN○Kで制作され、総合テレビとBSプレミアムで放送される連続テレビ小説・第9Xシリーズの作品である。
番組キャッチコピーは「だって、わたし、この街が大好きなんです。」。連続テレビ小説では珍しく、2011年に放送された『おひさま』以来の設定。




概要【編集】                              
ヒロイン・川櫛大季子役には武井咲を起用することが発表された。オーディションなしでの直接オファーでヒロインを演じることが決まった例としては、2010年度上半期『ゲゲゲの女房』の松下奈緒、2011年度上半期『おひさま』の井上真央、2012年度上半期『梅ちゃん先生』の堀北真希、2013年度下半期『ごちそうさま』の杏、大阪局製作のものとしては2008年度下半期『だんだん』のマナカナ、がある。
舞台は、近畿地方・滋賀県湖東地域にある架空の町「滋賀県琵琶湖市」。2007年に開催される事が決まった「国宝・金亀城築城400年祭」のために推進事務局の一員となった琵琶湖市役所・観光課の女性職員が、上司や周りの同僚たちと共に、市長や商工会議所会頭の協力を得ながら、祭典をやり遂げていく過程を、開催準備期間以前の2005年(平成17年)から描く。タイトルの『きんまい』は、近江弁で、立派だ。美しい。愉快だ。という意味で、「金米」が転じたとされるもの。近江米でも有名な米どころに相応しい言葉から。
本作の具体的な題材は滋賀県彦根市の「国宝・彦根城築城400年祭」の成功体験が元になっており、舞台こそ架空の町だが、撮影も滋賀県彦根市で大部分のロケが行われた。連続テレビ小説で滋賀県が舞台となったのは『鮎のうた』(1979年度下半期)以来となる。




あらすじ【編集】                           
川櫛大季子は市の観光課の職員として、今以上に観光客を呼ぶ事が出来ないかと、日々四苦八苦していた。そんな時、市ではそんな状況を打破すべく、大規模な祭典を開く計画が進んでおり、大季子はその推進事務局員の一人に任命されるのだった。
祭典のための事業計画や展示内容、シンボルとなるロゴマークが次々と決まる中、大季子は祭典を盛り上げる具体的なイメージキャラクターが必要だと提案する。




登場人物【編集】                           
主人公【編集】
川櫛大季子(かわぐし たきこ)ー 武井咲
2005年、24歳で市の推進室事務局員に抜擢。明朗快活でポジティブな性格。観光課では主にコンベンションサービスを担当する。自分で名案だと思い付いた事は、上司に提案しないと気が済まない。責任感が強く任された仕事は、最後までやり遂げようと一人で頑張ろうとする気質。口癖は「だって私、この街が大好きなんです」や「この街が大好きだから」。周囲の者達は頑張る理由を大季子に尋ねた際や、失敗した時の言い訳などで繰り返し耳にしており、中には優等生を気取った軽薄な言葉と鼻白む者もいたが、その郷土愛に満ちた言葉には、実はちゃんとした裏付けと覚悟があり、理由を知った者達は、その後協力を惜しまなくなる。祭典では自分の発案から始まったイメージキャラクター『ひこにゃん』のお世話係も兼任するが、当初どうやって世間に『ひこにゃん』を浸透させるかで悩む事となる。



琵琶湖市役所の人々【編集】                   
滝川賢二(たきがわ けんじ
推進室室長補佐で大季子の上司。柔和で視野が広く、大季子をさりげなく導きサポートする良き上役。大季子が一番最初にイメージキャラクターの発案を打ち明けた時から、終始支持する立場を崩さず、後に大季子と共に『ひこにゃん』のお世話係も務める。


益若利幸(ますわか としゆき)
推進室主査。大季子と共に関係各所への調整に奔走する直接の上司。『ひこにゃん』の浸透化に悩む大季子に運命的な助言をする事になる。金亀城以外の『ひこにゃん』の出陣に、お世話係の一人として随行する事が多く、週末で市役所の業務が休日でも、金亀城での『ひこにゃん』の様子を見に通うほどの愛情を持つ。


大河虎之助(たいが とらのすけ)
総務課所属。2004年度採用枠の職員で、大季子の一年後輩に当たる。比較的早い時期に大季子の篤い郷土愛の訳を知る事となり、他部署ながら「先輩」と慕い、陰日向で協力を惜しまない青年。『ひこにゃん』誕生後は、「ひこにゃんの商標使用について」の窓口業務が、総務課での担当業務になった。特技は走る事。


虎山逍遥(とらやま しょうよう)
琵琶湖市長。



滋賀県・琵琶湖市の人々【編集】                
南浦孝蔵(みなみうら こうぞう)
琵琶湖商工会議所会頭。


織田登志子(おだ としこ)
滋賀県知事。



琵琶湖市ゆかりの人々【編集】                  
井原彦左衛門正巳(いはら ひこざえもん まさよし)ー 井原正巳(いはら まさみ)
戦国時代の架空の武将。関ヶ原の戦いの後に、徳川家康から湖東の領主に任じられて、金亀城を築城した。第1話の会話の中から発生する空想上の合戦シーンでは、元サッカー日本代表で、現・柏レイソル・ヘッドコーチの井原正巳が演じた。井原はこれがドラマ初出演となる。サッカー選手の出演は『さくら』(2002年度上半期)のラモス瑠偉以来。


『ひこにゃん』
2007年(平成19年)に築城400年を迎えた金亀城の記念イベント「国宝・金亀城築城400年祭」のイメージキャラクターとして登場し、全国規模で人気を博す。ゆるキャラ(R)人気の火付け役として、またキャラクターを使った町おこしの範例として、全国の地方自治体がその手腕を見習うべく、琵琶湖市に殺到する要因ともなった。後にこの要綱を学びに訪れた熊本県が、更に規模を拡大発展させた形で成功を収めている。「ひこにゃん」が本人役で登場した。




その他【編集】                           
・彦根城が別名を金亀城と呼ばれる事から、「彦根市」が存在しない劇中では、彦根を金亀に置き換えられる手法が、たびたび取られている。
・実際の彦根市のキャラクターである「ひこにゃん」と、劇中の『ひこにゃん』は同名であり姿形もそのままだが、由来だけが異なる。
・「ひこにゃん」は、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝と縁(ゆかり)ある豪徳寺の招き猫をモデルとし、被っている兜は井伊の赤備えとして有名な井伊家の伝来品から。と由来されるが、劇中では徳川家康の家臣・井原彦左衛門正巳の「彦」と、猫の鳴き声の「にゃん」を掛け合わせた事になっており、兜も赤備えからではなく、彦左衛門所用の烈火の兜がモチーフとされる。
・原作者が井原のファンである事から、ドラマ化した時は「是非、井原さんに出演して欲しい!」との逆説的手法で生まれたのが、「井原彦左衛門」だという。
・彦左衛門役の井原は滋賀県甲賀市の出身。
・金亀藩井原家の家紋も赤地に井桁とされ、実際の彦根藩井伊家と同じ物を使用しており、もしロケの撮影で映り込むような事があっても、問題ないように考慮されている。これが小道具の低コスト化という二次的効果も生んだ。
・過去の作品では、本人役での登場も度々あったが(羽生善治、掛布雅之、上田早苗、毛利衛ら)、今回の「ひこにゃん」のように、ほぼ全話を通して本人が演じた役柄は前例がなく、今作が連続テレビ小説初。
・第1話スタート時点での時系列は2005年の9月という設定なので、この時点での大季子の職員経験年数は、2003年度採用なので3年目。虎之助は2004年度採用のために、2年目という設定。因みに二人共、四年制大学にストレートで合格し、留年する事なく卒業した上で、琵琶湖市役所に採用されている。一般企業などに正社員として就職した経験は共に無い(ただし、アルバイト経験は二人ともある)。
・2000年代初頭の琵琶湖市役所では、採用枠に行政事務の経歴を持つ、実務経験者のような即戦力を求める傾向が強く、実は新卒枠はそんなに設けられていなかった。それに対して新卒応募者の数はかなりの数に達し、採用は狭き門だった。そんな中で採用された大季子と虎之助が優秀非凡なのは尤もで、周囲からは大いに将来を嘱望されている。






           







  ※って、もちろん全部ウソです
   加筆・修正は随時コメント欄にて受付中です☆