ひこにゃん×ひこにゃん ブログ 彦根にひとつだけの花

ひこにゃん それは古城に住まう心清きみんなのねこ

いちファンの綴るレポート&おとぎばなしのブログです☆

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インターミッション XXXVIII (b)

2011-02-27 21:57:38 | 彦根ノムコウ
 今回も2話同時更新です。


          ~(a)よりつづき






翌天文24年(1555年)、義元に帰国を許可された亀之丞が晴れて伊那から井の国に帰還します。
帰国後、亀之丞は“井伊直親”と名を変え元服しました
次期井伊家の総領の地位が揺るぎ無いものになった瞬間です。

さらに直親は嫁も迎えました。
その相手は烏帽子親でもある親族筆頭の奥山因幡守親朝の娘で
娶った時期は隠棲していた頃とも、井の国に戻ってからとも謂われています。


「ぬこ殿!ぬこ殿ではありませんか!
 懐かしい、某を覚えておいでか?」


「もちろんでしゅ、久しぶりでしゅ亀之丞しゃん!
 いえ、今は直親しゃんでしゅね」


「ははは、昔が思い出されますな。
 よく姫と一緒に・・・!・・・・・」


「・・・次郎法師しゃんとはちゃんと会われたんでしゅか?」


「・・・いえ、遠目に姿をお見掛けした程度にて・・」


直親も次郎法師も再会を果たす前からお互いの境遇を既に知っていました。

意に沿わぬ婚儀を撥ね退ける為に世俗の全てを捨てた次郎法師。
隠棲しつつ恩人の娘を嫁に迎えざる得なかった直親。


二人共に負い目があり、昔のように接する事が出来なくなっていました。
あれほど再会を夢見ていた二人でしたが、今では顔を会わせるのが
辛い立場にお互いなりました。

直盛はそんな直親夫婦に領内の南の祝田に館を与え、姫と顔を会わせずに済ますのが
精一杯でした。



皮肉にも当事者達以外にとっては直親が戻ってからの井の国には再び活気が戻ったのです。




弘治3年1月(西暦1557年)、今川一門の関口氏に嫁いだ直盛の叔母の娘・瀬名姫が
松平元康に正式に嫁いだと次郎法師は聴かされました。
予てから約束されていた婚儀が実現したのです。

次郎法師はその方にいつかお会いしたいものだと思いました。





そして運命の永禄3年(1560年)を迎えます。

数年前から着々と準備と布石を打っていた今川義元が遂に尾張への
大規模な軍事行動を発布しました(※注7)

これは今までのような小城の奪い合いや一進一退の境界争いではなく
版図を大きく塗りかえらんとするものです!


「信濃守殿へ、貴殿(直盛)の何時ぞやの言葉に甘え露払いを頼みたし」


と義元は寄越してきました。


「致し方なし・・・」


直盛は家中の名立たる者総出で軍勢を催し、5月14日に曳馬城に到着した義元を迎えました。
義元が連れたその軍勢は雲霞の如く群雲のように続き、煌びやかさでもこの上ありません。

そしてこの曳馬城は老齢の祖父・直平が城代を務める城です。
出陣前に祖父と孫は二人っきりで会話を交わしました。


「此度は朝比奈泰朝殿の傘下で前軍に組み込まれたそうじゃな・・・」


「是非も無き事にございます、祖父様」


「かつて我が三岳城を攻め落とした朝比奈泰以(泰朝の大叔父)の血筋の下でとは皮肉なものじゃな(※注8)

 直盛、くれぐれも命を無駄にせぬようにな」


「此度の戦は今川家が一方的に進む戦になりましょう、ご懸念は無用にございます」


「どれほど圧倒的な戦であろうと人死は出るものじゃ・・・」


「ご尤も、それゆえ直親や小野は連れず、祖父様にも留守居を願ったのですから(笑)」


「笑えぬ話じゃ(苦笑)・・・・・武運を祈る!」


「心得えました」



世に謂う“桶狭間の戦い”の始まりです!







5月18日、人馬の殺到する尾張・沓掛城で直盛は懐かしい顔に会いました。


「元康殿!」


「これは直盛殿、久方ぶりにございます」


「聞きましたぞ、大高城へ向かわれるとの事。
 名誉ある先陣にございますな、くれぐれもお気をつけあれ」


「有り難きお言葉。
 そういう直盛殿は朝比奈殿の下、鷲津砦へ攻め掛かられる由」


「お互い無事でいられた時はまたお会いしましょう」


松平元康は単独の軍勢で一方を担う役目を義元に命じられていました。
その役目は織田が築いた砦に囲まれている大高城(名古屋市緑区)を救うため
数か所の砦を掻い潜って兵糧を運び入れる事。

織田方の砦は全て見上げる高所に築かれており、かなりの抵抗が予想されるので
決して楽な任務ではありません、そしてこの役目が事実上の開戦となったのです。

元康の軍勢はその夜、命ぜられた任務を見事に果たしました。


日付が変わった未明、元康は大高城に向かう途上にあった丸根砦に休む間もなく攻撃を開始。
時を同じくして朝比奈隊の一角として井伊勢は丸根砦と対をなす鷲津砦を攻撃、
午前八時には両砦の陥落の煙が上がったのを熱田神宮にいた織田信長は見たと謂います。

初戦は織田方の抵抗を一蹴するほどの鮮やかな勝利がもたらさせました。
元康は大高城、朝比奈隊は鷲津砦でそれぞれ本隊の義元との合流を待つため留まる手筈です。



運命の午後2時!

両隊の東わずか5kmの地点の桶狭間山一帯で歴史的な戦闘が繰り広げられ
誰も予想していなかった結果が生まれていました。


離れていても何かが起こっている異様な雰囲気は伝播し、諸将はどう動くべきか逡巡しました。



その時大高城に突然タイガーしゃんに跨ったお家元が現れました!


「井伊信濃守直盛が名代のぬこでしゅ!
 火急の用向きにて至急松平元康しゃんにお取次ぎ願いたし!」




直盛の名代というのは方便でした、この日お家元は直盛と話すらしていません。


「いつぞやのぬこ殿ではないか!火急の用とは!?」


「元康しゃん!
 あい、今川治部大輔しゃんお討死でしゅ!」


「な、何ですと!?」


「さっきの嵐雨の直後に織田本隊と遭遇した義元しゃんは桶狭間山で
 討ち取られてしまったんでしゅ!」


「・・・まさか・・信じられぬ・・・・・」


「驚きご尤もでしゅ、直きに物見が同じ報せをもたらすはずでしゅ」


お家元はその歴史的な場面を見た訳ではありません。
けれどそれは間違いなく同時刻に起こっていた揺るぎ無い事実でした!

見ようと思っても現場はとても近付けない惨状と混乱だったと思いますから
お家元は“タイム・スリッパ”で直接大高城に乗り込んで来たのです。



お家元は余人に聞かれぬように元康の耳元に近づき小声で囁きました。


「(もし事実だと確認が取れた時は今後どうしゅればいいか考えて下しゃい。
  駿府に戻らない手段もあるはずでしゅ・・・)」


元康はハッとし険しい顔をしました。


「報せを待ちましゅか」


今度は皆に聞こえる声でお家元は言いました。
次の報せが届くまで左程時間は掛かりませんでした。


「既に桶狭間一帯は屍の山にて、既に織田勢は引き上げつつある模様、
 岡部殿、松井殿の様子は窺い知れませぬが、義元公が討ち取られたのは
 疑いようも無き次第にて・・・」

信じられませんでした。
雲霞の如くと称えられた軍勢は霧散し、今やその将たちがどうなっているかも
情報が錯綜して杳として知れませんでした。

どうしてこうなったのか不思議でした。

この戦場の動きを地図上で全て知っている後世の人間ならいざ知らず
谷間や起伏にとんだこの戦場の一角に陣取っていた元康が
見てもいない離れた場所で起こっていた偶発的な逆転劇を想像出来る訳がありません。


元康はお家元が耳打ちした別の進路を真剣に考えました(※注9)


「こりではっきりしましたね、そりじゃあひこにゃん達は行きましゅ。
 元康しゃんご武運を、いじゅれまた!」








お家元とタイガーしゃんは大高城から離れると直盛の行方を必死になって探しましたが
朝比奈隊の付近にどんなに目を凝らしてもその姿を見つける事は出来ませんでした。


「お家元、直盛様は・・・」


「・・・これ以上戦場に近づくのは危険でしゅ。
 直盛しゃんの運命を変える事は出来ましぇんけど、何かして上げたかったでしゅ・・・
 無念でしゅ・・・・・」




断腸の思いで二人は桶狭間を離れました。







同時刻、鷲津砦から打って出ていた朝比奈隊は勢いを得た織田勢と遭遇し
その中で直盛は瀕死の重傷を負いました。

息のあるうちに遺言した直盛は最早長く生きられない事を察し
首を井伊谷に持ち帰るように指示して自決したと謂います。

この時、付き従った16名の名立たる家人が同時に命を落としました(※注10)
下を見ればその死傷者は追い切れないほどです。


井の国にとってはあまりにも犠牲が大きく実のない戦となりました。
井伊谷に住む者で身内に害が及んでない者はいないと云ってもいいでしょう。


戦での死が恒常的な出来事だったとはいえ、今回襲った悲しみは尋常ではありません。
それでも南渓と次郎法師、龍泰寺の僧達は自らの悲しみを押し殺して
供養や葬儀は勿論、その遺族への見舞や保証の約束にも奔走しました。




直盛の大きな死を悼んで付けられたその戒名から、龍泰寺が“龍潭寺”と
寺名を変えたのはこの時からです。




それから半年も経たぬ秋に井の国を震撼させる出来事がまたあったのです。
直親の妻の父であり後見人でもある奥山親朝が家の子・郎党を引き連れて
家老・小野但馬守を襲撃!
但しこれは失敗に終わり全員絶命したと謂われています(※注11)




大戦に次いで家老と家中の有力者の諍い・・・
井の国は中々その悲しみから解き放たれる事はありませんでした・・・















そんな悲しみの後、直親の妻は父や親族を失った失意の中で念願の男児を生みました。
井の国を立て続けに襲った悲しみの中、本当に悦ばしい慶事です。



南渓や次郎法師、お家元とタイガーしゃんは祝田の直親の館に祝福に駆け付けました。


「直親殿、祝着至極にて」


「ありがとうございます、南渓様。
 ささ、生まれた児を見て下され」


寝床から起き上がれぬ妻の横に産着に包まれた赤子がいました。


「次郎法師様、どうか抱いて下さいまし」


「良いのですか?」


「はい・・・」


この妻は夫とこの尼の関係を勿論知っていたので、遠慮気味な次郎法師に
自ら進んで願い出ました。


「・・・・お二人にとてもよく似ておいでですね」


「ありがとうございます、次郎法師様」


感動していたお家元も思わず


「あの・・・ひこにゃんにも抱かせてもらっていいでしゅか?・・・」


「お願い致します」


震える手を伸ばし慎重に慎重に力を込めないように優しく抱き上げると
赤子がお家元の指を力強く握りました!



「はじめまして、ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ!

 ひこにゃんは今日という日をずっとずっと待ってたんでしゅ!

 しょなたの名は“虎松”!
 長じて“万千代”!

 元服後の名は“井伊兵部少輔直政”しゃんでしゅ!」





「しょなたは井伊家の希望でしゅ!みんなの希望でしゅ!

 しょなたのお蔭で井伊家は栄え、後々まで隆盛を極めるんでしゅ!

 誕生おめでとうごじゃいましゅ、本当におめでとうごじゃいましゅ!」





お家元はまるで分別のついた成人に対して話しているかのようでした。
その喜びようはそれはそれは嬉しそうで、感極まっていたと言っていいでしょう。


「これこれ、ぬこ殿、勝手に名を付けては・・・」


「いえ・・・“虎松”か、良い名ではござらぬか!」


「良いのか?直親殿」


「はい、今年は“寅年”でもある事ですし、大河殿のように雄々しく育って欲しいと
 儂は願っておりまする。

 室(奥方)はどうじゃ、名に不服はないか?」


「誠に結構な宜しき名かと存じます」


タイガーしゃんは自分に関係する一字が採られた事に涙ぐみました。


「光栄です・・・・ありがとうございます!」


「良かったでしゅね、タイガーしゃん!」


南渓はお家元が初めて井の国に来た日に言っていた言葉を思い出しました。


「(“虎松しゃんに会いに”、ぬこ殿はそう言っていたのだったな・・・)」


そして次郎法師は心の底から直親に言いました。


「本当に良うございました、直親殿」


「次郎殿、ありがとうございまする!」


二人が永く抱えていたわだかまりも生まれた虎松が拭い去ってくれたのでした。


そして皆はお家元が言い放った虎松の未来の姿を思い浮かべて目を細めたのです。





「“虎松君(とらまつぎみ)”か、誠に芽出度き日じゃな今日は!」





この日、井伊家の人々はいつか明るい道が開ける事を夢見合いました。










       つ づ く










次回予告 )


井伊家に残された最後の希望・虎松の誕生。

そのためにはどんな不幸が井伊家を再び襲おうと立ち向かう決意をした次郎法師。

激動の戦国時代に抗う一輪の花がここに!




第五章 “一縷・女にこそあれ井伊家の総領”












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※注1)この当時の今川家の動き


まだ次郎法師が出家する前の一昨年、今川家は遠江を越えた三河・今橋城(愛知県豊橋市)を攻略。
翌年(去年)、田原城(愛知県田原市)を順次攻略し、今川家の進出に危惧した織田信秀
(織田信長の父)は、三河の旗頭・松平広忠(徳川家康の父)の同族・松平忠倫に反抗させ
岡崎城を圧迫。
危機に陥った広忠は今川義元に救援を要請、嫡男を人質に差し出す事を条件に承諾。

次郎法師が出家したこの年、救援に向かった今川家は“小豆坂合戦”で
織田信秀を破って勝利しました。







※注2)重要な人物


(※注1)で広忠が人質に差し出した嫡男・竹千代です、後の徳川家康でこの当時5~6歳でした。
けれどこの人質護送の最中に織田信秀の元に連れ去られる事件が勃発します。

この毎年のように起こった戦に井伊家が参加した可能性は高いと思われます。








※注3)松平広忠暗殺される


“小豆坂合戦”から一年後、織田信秀の息の掛かった家臣の手で暗殺されたと伝わっています。
父・清康と同じ運命を辿るとは悲劇というしかありません。
この後、井伊家にも同様の悲劇が降り懸かる事になるのです。

お家元が伝えた少し先の未来の話通り、竹千代は名義の上では岡崎城主の後継者でしたが
成人するまでは今川家が統治する名目を得たので、念願の三河支配が始まります。

これは偶然の積み重ねの結果ではありません、竹千代誘拐事件はイレギュラーな出来事でしたが
今橋城攻めに端を発した一連の戦が、今川家の描いていた絵だったのは間違いないでしょう。









※注4)今川家のインディペンデンス(独立)


天文22年(1553年)、今川義元は兼ねてからの“今川仮名目録”という分国法に加え
新たに“今川仮名目録追加”を制定しました。

“今川仮名目録”が今川家の家法であり地方自治体が持つ“条例”だとしたら
“今川仮名目録追加”はただの追加条例ではなくて、幕府支配を脱した“法律(国法)”です。

これは幕府の庇護を必要とせずに我が国は独自の法律を持って領国内を支配するという
独立宣言と云ってもいいものでした。
(この当時の足利幕府は実質的な支配力が崩壊していましたが
その権威を声高に否定する者は中々いませんでした)

足利幕府一門でありながら幕府や朝廷を否定し、任地の支配を預かっていただけの身分を超え
途方もない支配体系を確立したのです。

東海地方にとうとう“王”が誕生した瞬間でした!









※注5)瀬名姫(築山殿)とその母


井伊家の伝承ではこの二人は井伊家の血筋とされています。
もしこれが真実であれば、徳川家康と井伊直政は親戚筋になりますから
後に家康が直政を格別に信頼して重用したのも納得出来ます。

ここで直盛が言った“先の戦”は(※注8)で触れている今川家と争った最後の戦を指します。










※注6)何らかの政治的取引の可能性


今川義元の所へ直盛が直訴に行ったくだりは私の創作です。
ですが小野和泉守が死んだとしても、亀之丞を呼び戻していい理由にはなりません。
元々その意向は今川家から発せられていた訳ですから。

この当時義元は間違いなく尾張進出を目論んでいたはずです。
そんな中で国内の者達の歓心を一層得る為には、数々の懐柔策が取られていたのは
間違いありません。

亀之丞が戻った時期から逆算すると、飛び込んで来た直盛に対して
こんな駆け引きや仕掛けを施すのは義元にとっては遊びに等しかった事でしょう。

失敗して井伊家が刃向かってきても、それはそれで構わなかったはずです。











※注7)逆の視点


不思議な事にこれは相手側の織田信長の方にも義元が来るのを予期した節が見られます。

信長は尾張国内にあった今川方の最前線、大高城と鳴海城の二城に対して
巨費を投じていくつも城砦を築き封鎖したからです。

こうなれば義元もこの二城を救援するために後詰に向かわなければいけません。
“桶狭間の戦い”の位置と時期は信長が意図して誘った可能性もあります。










※注8) 南北朝から続いた戦の決着


永正8年(1511年)に斯波義達・大河内貞綱らに呼応した直平は井伊谷城の詰城と紹介した
三岳城に籠もって今川氏と争いましたが、3年後の永正11年(1514年)に
今川氏親(義元の父)が派遣した朝比奈泰以(朝比奈の泰朝の大叔父)の攻撃で
三岳城は落城し降伏しました。

この敗戦と屈服の記憶は直平にとっては遠い先祖のものではありません。
若い頃、自らに刻まれた自身のものです。









※注9)元康の“To be, or not to be”


この夜、撤退を開始した元康は駿府には向かわず、松平家の本貫である岡崎城へ向かいました。
在番の将が逃げ去った後に入城した元康は今川家から独立する道を選んだのです。

元康は義元の“元”の一字を捨て、“家康”と改めました。
お家元は都合あと2回、家康に会う事となります。
 








※注10)桶狭間で散った者達


その者達の名は今も残り、井伊谷龍潭寺の境内に祀られています。
私も伺った時には全員の墓前でご冥福を祈りました。








※注11)


奥山親朝は“桶狭間の戦い”で一族の主だった者をほとんど失っていた失意と
婿の直親と遺恨のある家老の小野の関係を彼なりに憂慮して討ち果たそうとしたようです。

それだけでも動機が窺えるほどですから、当時を生きていた当事者にとっては
もっと険悪に成らざる得ない日々の確執があったのではないでしょうか。


コメント (10)

インターミッション XXXVIII (a)

2011-02-27 21:49:35 | 彦根ノムコウ
“大近江展”の出陣で名産品のアピールという大事な役目のため
今年も東京・日本橋に出陣したもちさん!

こちらのお噺では“お家元”に大事な役目を果たして頂こうと思います。


“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。









井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第四章 “希望・運命の子”



















近隣諸国がざわざわと蠢く中、井伊谷では変わらぬ日常が続きました。
次郎法師は夜明け前に目覚めると龍泰寺に通うため身支度を始めるのが日課でした。
毎朝侍女に頭を剃って貰うのもそのひとつです。
出家して間もない頃、いつものように頭を剃って貰っていると
その様子を見に来たお家元とタイガーしゃんが


「うふふふふ(笑)」




「何が可笑しいのですか?」


「いえいえ、次郎法師しゃんは頭の形がキレイだなぁと(笑)
 ねータイガーしゃん」


「まっ、厭なぬこ殿!」


城から姿を消し戻った時には尼となっていたあの日以来、次郎法師は以前よりも
笑顔を見せるようになりました。

以前ですら腫れ物に触るかのように皆が接していたというのに
尼姿になった次郎法師に対して、周りの者達はどう接すればいいのか悩んだものです。

けれどこのぬことトラだけが次の日から軽口を叩くが如く接し始めたのに仰天しましたが
その笑顔を取り戻した功労者が誰なのか皆には一目瞭然でした。


青々と剃られた頭をマジマジと見られるのは十代の少女にはとても恥ずかしいものです。
剃られる場面を見せないように障子を閉められてしまった二人に
その様子を見ていた直盛が近付いて言いました。


「ぬこ殿、大河殿、そなた達のお蔭じゃ・・・」


直盛は二人に頭を下げてばかりでした(苦笑)


「直盛しゃん、ひこにゃん達は誰かに感謝して欲しくて来てるんじゃありましぇん。
 次郎法師しゃんと居るのが楽しいからなんでしゅ、気遣いは無用でしゅよ(笑)」


「・・・そうか
 二人とも姫を・・・いや次郎法師をこれからも頼む」


「言われるまでもありましぇん♪」


その会話は部屋の中の次郎法師にも聴こえていて彼女を喜ばせました。




姫が“次郎法師”となって出家したニュースが井伊谷全体に広まるのに
さほど時間は掛かりませんでした。

次郎法師と直盛と南渓、お家元とタイガーしゃんなど一部の者を除いては
次郎法師が直盛の許可を受けずに出家してしまったので
その決心を止める事が出来なかったという態を装い公表しました。

これは対今川家対策です。

直盛は決して今川家の命に逆らって娘を隠した訳ではない事。
これにより井伊家は跡を継ぐ者がいなくなってしまった事。
という2点をアピールする為です。


今川家に対してはそんな建前を掲げて突っぱねましたが
井の国の者達はその真意を敏感に見抜いていて
女の身であろうと決して大国の意に従うものか!、という凛として次郎法師の振る舞いを
流石は御屋形様のご息女だ!と噂したものです。

見目麗しい少女が頭巾を被って染衣を着た姿はいやでも目を引き
皆は好意的に「次郎の尼法師様!」と敬いました。

けれど当の次郎法師はそんな村落の者達の反応に戸惑いました。
特に出家した夜に龍泰寺から城に戻った時、その姿を見た母はさめざめと泣きました。


「男児を生めなかった母のせいで、そなたに苦労を掛けて済まぬ・・・
 許してたもれ・・・・・・」


嫁いでからずっと跡取りに恵まれず、その重圧と肩身の狭さにずっと苛まれていた
その母の想いに触れた時だけは、出家に踏み切った自分の身勝手を次郎法師は詫びました。
責任を感じ合っていたこの母娘に対してお家元は


「もし次郎法師しゃんに兄か弟がいたら、今川家はほっとおいてはくれなかったはずでしゅ。
 むしろ男の子がいなかった事は、今の井伊家には幸運と言うべきでしゅ!」


そう言って二人の心を幾分かなだめたものでした。
更にお家元は直盛や南渓に対しては、次郎法師が出家する以前から


「今川家はしばらく三河に掛かりっきりになりましゅよ」(※注1)


と予言めいた事を言い続けていて、この当時はその通りの様相を帯びていて
二人はお家元の発する神懸かった言葉をも信じるようになっていました。

三河を舞台に今川家と織田家は謀略と戦を重ね、その渦中の中心だった松平家は
井伊家と等しく御家存続の危機を迎えており、後の井伊家にとって非常に重要な人物が
その行方を左右していました(※注2)

直盛はこの三河で起こった度々の戦にも今川家の要請に従って参加しており
その最中、その重要な人物の父である松平広忠と名を知りあう間柄になっていました。


「広忠しゃんにくれぐれもよしにゃに」




お家元が以前そう言っていたからです。











天文18年(西暦1549年)3月
遠江国引佐郡 井伊谷











3月初旬
直盛を狼狽えさせる報せがと飛び込みました!
その松平広忠が3月6日に家臣に殺されたとの報せです。
広忠は自身の父と同様の死様を迎える事となったのです。

その報せを聴いた直盛は顔なじみの岡崎城主の死を悼みました。


「広忠殿には確か竹千代殿というご嫡男がいらしたと聞く。
 今は尾張に連れ去られているらしいが・・・」


「織田信秀しゃんが半ば強奪した形ででしゅよね。
 でも今年の暮れ頃には安祥城にいる庶長子の信広しゃんを生け捕られてしまうんで
 竹千代しゃんとの人質交換が行われるはずでしゅ。

 今川家は宿願だった幼い当主を手中する事が出来るんで
 念願の三河への傀儡支配が可能になりましゅ(※注3)

 今川家にとってはまるで脚本があったみたいに実に都合の良い推移でしゅ」


直盛はゾッとしました。
他人事ではない一連の事件と出来事でした。
鎬を削る相手がいたにも関わらず、義元がまるで筋書き通りに
事を運んだかのように思えたからです。

今更ながら今川義元が自分よりも年下なのも忘れてその手腕に身震いしました。


「(その牙が井伊家に向かねばいいのだが・・・)」


「・・・今は隠忍自重の時でしゅ、直盛しゃん!」


直盛の顔に流れていた冷や汗でお家元はその胸中を見抜きました。
その言葉にハッしましたが、不安を打ち消す要素もあります。


「そなたがいて良かった」


お家元の存在は最早次郎法師だけのものではなく、直盛や井伊家全てにとって
稀有な存在でした。


その後近隣諸国の情勢は刻一刻と変わりっていきました。
お家元が予告した通り、織田家から松平広忠の遺児・竹千代を奪還した今川家は
それにより三河を実質支配する権限を得て、以前よりも支配地域を増やし
国内の体制を更に進めて盤石とし、絶頂期を迎えるまでになります(※注4)


今川家が多忙を極めていたお蔭で、その牙が井伊家に向けられる事はありませんでした。








天文23年(1554年)、この年は井伊家で関わり深き二人が亡くなります。
一人は南渓の師で龍泰寺を開基した黙宗和尚、その示寂後に新たに住職となったのが南渓です。

その四ヶ月後、かつて直満、直義の兄弟を死に追いやった家老・小野和泉守も亡くなりました。
亀之丞が失踪した後も変わらず井伊家の家老の地位にあり
その死後は嫡男の小野但馬守道好が家老を継ぐ事になります。


今川家の窓口を務めてきた小野和泉の死により、直盛は亀之丞を伊那から
呼び戻す工作を自ら始めます。


この為、直盛は駿府まで今川義元に直かに愁訴しに向かう事にしました。
とは言え行方知らずとされていた亀之丞をこのタイミングで都合よく見つけたというのは
伝えづらい内容ですし、更に養子縁組を認めて貰わなければいけません。
けれどこの二件を承認して貰わなければ呼び戻す事は叶いません。

これは余人に頼める仕事ではありません、直盛自身がしなければいけません。
頭の痛い限りでした。


「・・・ひこにゃん達も同行していいでしゅか?
 亡くなった松平広忠しゃんの子供に会ってみたいんでしゅ」


「それならば左程難しくはあるまい。
 実はなぬこ殿、先頃聴いた話ではその広忠殿のご嫡男に我が井伊家の血を引く者が
 嫁ぐ事になったそうじゃ」


「南渓しゃんのお姉しゃんの娘しゃんでしゅね、名は確か“瀬名姫”しゃん!」


「そうじゃ。
 叔母上は先の戦で今川家に敗れた際に人質として駿府に送られた方でのう・・・」
 (※注5)


「その後、紆余曲折を経て義元公の義理の妹として一門の関口氏に嫁いだとの事。
 そして生まれたのが“瀬名姫”じゃ。

 瀬名姫は駿河一の絶世の美女という噂だそうな、広忠殿のご嫡男は形では
 義元公の姪を貰った訳じゃな」


その伝手から会うのは容易だと直盛は思ったようです。


「そりじゃあ義元しゃんへの物と叔母上しゃまへの贈り物を用意しなければいけましぇんね」


「そうじゃな、用意が整ったら向かうとしよう」


身入りの少ない井伊家には痛い出費でしたがやむを得ません。








直盛は発つ前から義元への面会を申し出ると同時に、仲介に当たってくれた者らにも
心利いた物を贈り根回しに努めました。

その甲斐あって義元公との面会を取り次ぐとの色好い返事が届き
さらに荷車数台の貢物を携えた上で、直盛とお家元達は駿府へ向かいました。

この度の懇願は井伊家の都合であって今川家には一利もない話です。
その為には莫大な出費も仕方ありません。


直盛は駿府に着いても直ぐには義元との面会を許しては貰えませんでした。
事前の工作がまるで通じていなかったかのような仕打ちです。

それはこれからする頼み事が通じないのでは…と疑心暗鬼になるには充分な時間でした。
事実、直盛は何も話が進まぬ状況に焦れていて我慢の限界にきていました。


そんな絶望的な状況の中、滞在していた屋敷に突然お呼びが掛かり
今川家の御殿へ召し出される事になりましたが、お家元はこの突然の出仕には同行せず
屋敷で待つ事にしました。



直盛は駿府に上がるのは初めてではありませんが、久方ぶりに来た駿府の館は
ますます豪奢な造りと調度品に溢れ、思わず圧倒されずにはいられません。

対面の場に通された後も直盛は正装のまま待ちに待たされ、義元が現れたのは
直盛が肉体的にもと精神的にも疲れ切った頃です。

直盛はそんな中で亀之丞を井伊谷に連れ戻したい意向を懇願しましたが
疲れ切った状態で口から出たのは言い訳がましく卑屈な頼み方でした。

義元が一言も発しなかったせいで直盛はさらに態度が萎縮してしまい
最後の方は頭を下げ続けて懇願を繰り返すばかりでした。


「信濃守の必死の申し出、相分かった。
 亀之丞の帰国と養子縁組も進めて構わぬ」


「真でございますか?」


「10年前のせめてもの罪滅ぼしじゃ・・・儂の所業がこれで許されるとは思わぬがな」


10年前の忌まわしい事件、直満と直義の件を義元が詫びたのが
直盛には信じられませんでした。


「過ぎた事にございます、太守様の寛大なお心に感謝致します!」


意外な出来事と希望が叶った嬉しさで直盛は言わなくていい事まで口走ってしまいました。


「今後もし太守様が戦に出られる折りには不肖直盛、露払いのお役目を喜んで承り
 それをもって奉公仕る所存にて!」


「信濃守の覚悟、真に天晴れ。
 今後も井伊家の事、頼りにしておる!」


「有り難きお言葉!
 このご恩、直盛生涯忘れませぬ!」


「気に病む事はない、鑓働きにてお返し願えれば結構じゃ(笑)」


義元は笑いながら冗談混じりにそう言うと直盛の願いを快く赦してくれました。
長い確執の末に今川家を毛嫌いしている直盛でしたが
この時ばかりはその気持ちも薄れたほどです。






直盛の予想とは裏腹に終わってみれば和やかな雰囲気で亀之丞の帰国と養子縁組の許可が
下りた訳ですが、冷静になってから考えると腑に落ちない思いが直盛を襲いました。

直盛は直訴した様子をお家元に包み隠さず話しましたが
その様子を聴いたお家元は背筋が凍りました。

面会を申し出てから今日までの出来事が全て仕組まれていたのが分かったからです(※注6)
会うのに日にちを費やされたのも御殿で散々待たされたのも直盛を追い込む為の
仕掛けに違いありません。

第三者のお家元の観測を聞いて直盛は冷や汗を掻きました。


「(おしょろしい人でしゅ・・・)」


今川義元は贈り物や必死の訴えに心動かされた訳ではなかったのです。
そして義元が最後に言った言葉が社交辞令や冗談ではない事もお家元は分かりました。

後の歴史を知っているお家元には今川義元が数年先までハッキリと展望を持っているのが
読めたのですが、それはとても直盛には言えませんでした。

6年後それは現実となります。
お家元は今川義元という巨人に従わずに生きる難しさを改めて知りました。


「(よくぞ生き残ったものでしゅ・・・)」


戦国期に各地で消えていった家名が幾百とあった中、家名を存続出来た一点だけで云えば
井伊家は幸運だったと言えるのかもしれません。
それは現時点で圧倒的な支配力を持つ今川家にも出来ない事なのは後の歴史が証明しています。









お家元が望んだもうひとつの松平家の跡取りとの面会は義元の口利きもあり
後日すぐに実現しました。


「松平元康にございます。
 存命だった頃の父の便りで信濃守殿の名をお見受けした事があります、今後ともよしなに」


「父君の事、残念至極にございます・・・
 稀代の名将たる器を備えたお方と頼もしく思っておりましただけに真に勿体無うございます」


「信濃守殿の言葉、父も草葉の陰で喜んでおりましょう」


元康は父が好感を持っていた三河に近い国人の言葉を嬉しく思いました。


「信濃守殿は瀬名姫様の御従兄妹君でありますから、いずれ某とも義理の従兄弟に相成りますな」


「恐れ多い事にございます。
 元康殿は三河を束ねておられた旗頭・広忠殿がご嫡男、某とは天と地ほども差が(苦笑)」


「そんな事はありませんぬ。
 某は態の良い人質にございます、畏まって頂くのは身の丈に合いませぬ(笑)

 してそちらの方々は?」


「我が家の大事な客分にございます、どうかお見知りおきを」


「ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ!」




お家元が一番望んでいた対面が果たされました。

松平元康、言うまでもなく後の徳川家康ですが
この時は数え年12歳でまだまだ情感豊かな少年です。
この日はひと目会えれば上出来でした。

お家元も義元に負けず劣らず何年も先の絵を秘かに描いていたのです。










             (b)へつづく~

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インターミッション XXXVII (b)

2011-02-17 22:09:26 | 彦根ノムコウ

           ~(a)よりつづき






「・・・城にもどらなければ・・・」


「あい」


「でも私は亀之丞殿以外に嫁ぐつもりはありませんから!」


「ふふふ・・・・強情なところは変わってましぇんね(苦笑)」


「ええ、妾のそれは父上譲りですから!(笑)」



昔の姫が戻ってきました。







お家元は真っ直ぐ城に戻らずに、まず龍泰寺に寄るように姫に勧め
姫もその提案を受けました。


夜になっても姫の安否を気遣いながらお家元からの報せを待っていた南渓は


「この莫迦者めが!心配掛けおって・・・」


「申し訳ありませぬ、南渓様」


姫の様子が昨日までとは変わっていたのに南渓は直ぐに気付きました!
まるで憑き物が落ちたように映っていたからです。

南渓は寺の若い僧に姫の無事を知らせるよう城に向かわせました。
おそらくじき直盛が駆け付けるはずです。



庵で南渓と向き合った姫は開口一番に言いました。


「私を尼にさせて頂きとう存じます、南渓様!」


「なに!?尼にじゃと?」


「私は亀之丞殿以外に嫁ぐ気はありませぬ。
 それが叶わぬのなら、この世に未練はありませぬ故

 どうか尼に、南渓様!」


「・・・・・よくよく考えての事か?」


「勿論にございます!」


梃子でも動かない強さが今の姫には蘇っており
それは嬉しい事でもあり、辟易してしまう事でもありました。

直盛が駆け付けたのは正にその時です。
着くなり姫は父にも同じ嘆願をしました。


「尼になるじゃと!? 
 ならん、ならぬぞ、斯様な真似を儂が許すと思うてか!

 それでは亀之丞が晴れて戻れた暁にはどうする気じゃ!」


直盛はそう言いつつも我ながら空虚な事を言うものよと自らに呆れていました。
今のところ亀之丞が戻って来れる見込みは一切ないのですから・・・


「この上そなたが尼になってしまったら、井伊家はどうなる!?
 そうなっても構わぬと申すのか!」


これは本気の言葉でした。


「・・・私が尼になれば意に沿わぬ婿を迎えずに済み
 今川家にも充分な名分が立つではありませんか」


「されど尼になってなんとする!?
 尼になっては還俗する事が出来ぬのを知らぬそなたではあるまい!」


本来出家し仏門に入るという事は、現世のしがらみを全て断つという事です。
武家の子息がよく出家しましたが、御家の一大事には還俗するのはよく聞く話でした。

けれど尼では二度と還俗出来ないルールです。
直盛の反対は最もでした。


「それでも私は尼になりまする」


「ならん、ならんぞ!」


二人はどこまでいっても平行線でした。
二人の口論を聴いていた南渓には、どちらの言い分も解りました。
けれど解決策が見えません。

ほとほと困ってお家元に助けを求める視線を送りました。
お家元はニッコリ笑って


「その答えはもう南渓しゃんの中にあるはずでしゅ!」




その言葉を聞いた瞬間、お家元と出会った4年前に連れられて行った
元亀4年の世界の記憶が蘇りました!




“私は祐圓尼、次郎法師にございます”





「(・・・・・そうか、そういう事だったのか!)」


謎が解けました。


「直盛殿、姫、お二人の言い分たるや是非も無し。
 相容れる気も双方無きに等しい、ここはひとつ拙僧の案を聞いてはもらえぬか?」


南渓の落ち着いた口調に激昂していた直盛も威儀を正しました。


「・・・承りましょう」


「・・・はい」


「最早この姫の出家しようという意思は覆し難いもの・・・
 ここは折れては如何か、直盛殿」


「叔父上、・・・いや南渓殿!
 貴方様まで斯様な事を言われるか!?」


「姫、そなたは今日より“次郎法師”と号すべし!」


「じろう・・ほうし・・・でございますか?」


自分の出家に大叔父が賛成してくれたのは嬉しかったのですが
頂戴したのは尼の名ではなく、あたかも坊主のような名前に姫は鼻白みました。


「“次郎”は井伊家の嫡男が代々名乗る“諱(いみな)”じゃ!
 嫡男ならば尼ではなく“法師”と名乗るが筋。

 法師であればいつの日にか還俗も出来よう・・・」


「あっ!」


「そういう意味で・・・」


南渓は正直出家した後に自己都合で還俗するという最近の風潮は
如何なものかと思っていますが、この場合は致し方無しと断じました。

南渓自身は生涯還俗せずに僧籍のまま天寿を全うしました。
武門の子として生まれたものの、仏に仕える覚悟と尊さを体現した人物です。


「・・・南渓様、私は左様な浮ついた気持ちで出家すると言った訳では・・」


「姫、いや次郎法師よ。
 仏門に入って修行するのが目的ならば名など関係あるまい。
 要はそなたの心掛けひとつのはずじゃ」


「・・・はい」


「依存はどうか、直盛殿」


「・・・南渓殿の深謀遠慮、恩に着まする」


今の所、両者にとってこれが最善の落とし処なのは疑う余地がありませんでした。


「“次郎法師”しゃんの誕生でしゅね!」





お家元の言葉で皆はようやく納得出来た気がしました。


 

 






       つ づ く










次回予告 )

家老・小野和泉守の死を機に亀之丞が10年ぶりに井の国に戻って来ました。

当主となるべき者の帰還は井の国の民が待ちに待った出来事です。

その帰りをずっと待っていた次郎法師に訪れる心境は・・・





第四章 “希望・運命の子”












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※注1)今川義元


ほとんどの方がその名からイメージされるのは
名門に胡坐をかいた公家かぶれの暗愚な武将で、“桶狭間の戦い”で織田信長に
無様に討ち取られた者といった所でしょう。

ですが当時の実像は大いに違いました。
彼は確かに名門に生まれた御曹司でしたが、生まれた順番は五番目だったので
誕生と同時に仏門に入る事が決まりました。

彼が4歳になった時、父・今川氏親は九英承菊という家臣出身の僧に
養育と修行を依頼しました。

この僧と出会った事で彼は大きく鋭い牙を持つに至ります。
この類い稀で優秀な家庭教師は後に“太原崇孚雪斎”と名乗り“黒衣の宰相”と異名を取る
戦国期でも超一流の軍師参謀の一人です。


17歳の時に京・妙心寺で修行に明け暮れていた時、家督を継いだ兄・氏輝からの命令で
駿府に帰国します。

けれど帰国して三ヶ月あまりで長兄・氏輝が死亡、次兄・彦五郎も同日のうちに怪死するという
謎の多い事件が発生しました。

その後一時的に故・氏親の正室だった寿桂尼(実母)が政を代行するなどしましたが
当然のように家督争いが勃発したのです。

敵対したのは兄で四男の側室の子・玄広恵探と、五男で正室・寿桂尼の子の梅岳承芳(義元)です。
どちらも仏門に入っていた二人でした。

この“花倉の乱”と云われる争いで梅岳承芳は玄広恵探を力ずくで追い落とし
家中に武威を示して家督を継承しました。
そして還俗し“今川五郎義元”と改めたのです、これが9年前の出来事でした。

この家督争いがあった時、義元は17~18歳でした。
彼もまた尋常ではない少年期を経験した一人です、そして彼が頭角を現してくるのは
寧ろこれからなのです。









※注2)今川義元の天才性


この当時東海地方の近隣の状況はというと、東は伊豆を境に小田原に本拠を持つ
“後北条家(以下・北条家)”。
北には富士山を境に甲斐府中(甲府)に本拠を持つ“武田家”がいました。

北条・武田両家共、奇しくも今川義元の後を追うように当主が代替わりしていき
変わった若い当主達はこの先輩大名を警戒しながらも先代達の交戦的な方針を一変させ
今川家とは一線を置くようになります。

狙いすませたように同じ時代に生まれた今川義元、北条氏康、武田晴信(信玄)の三人は
戦国期を代表する名将中の名将達です。

その中でも北条氏康、武田晴信の二人は、今川義元の事を尊敬すらしていた節が多く見られます。
勿論表面的には戦い、時には和睦するなど抗争を繰り返していきますが
二人の義元への羨望は残った資料からも解かるほどです。
今川義元は後に“名将”と呼ばれた若い二人の尊敬を集めるほどの手腕を持った大名でした。

義元は以後特筆すべき先進的な法度や輝かしい戦歴を積み重ねていき

・西への軍事行動(三河平定、尾張侵攻)
・内政の充実(法整備、守護大名から戦国大名への宣言と脱皮)
・武田・北条への外交・牽制

という三本柱を軸に邁進します。









※注3)今川家の展望と井の国の位置


今川義元が家督を相続して間もなく西から願ってもない窮鳥が飛び込んで来ました。
三河(愛知県東部)の豪族・松平広忠(10歳)です。

“守山崩れ”で家臣に父・清康を殺され、生国と居城・岡崎城を追われた広忠は
今川義元に庇護を求めました。


この当時今川家は駿河(静岡県東部)と遠江(静岡県西部)の二ヶ国の差配を
“守護”として足利幕府に任じられていました。

義元は東(対北条家)と北(対武田家)への侵攻が容易ではないのに気付いています。
領土の拡大を目指す義元が狙ったのは残された“西”へ向かう事でした!

“三河(愛知県東部)”を手に入れ、“尾張(愛知県中心部)”へ侵攻する!

長らく全国的な飢饉が続いている中、肥沃で広大な平野と豊富な河川に恵まれた尾張地方は
とても魅力的な土地です。

京への往還の途中に見た地平線の風景は領国の中では見られない
義元には忘れられない土地でした。


家督を相続したばかりの義元は家中の動揺を鎮めるのに忙殺されていましたが
そんな中でも将来の展望を持っていたので、松平広忠の来訪を邪険にせず
手を打って喜び歓迎しました。
この少年を利用すれば三河を傘下に治めるのに近道だったからです。

その三河と境を接する位置に井の国はありました。
最前線に折り合いの悪い在地勢力が根を張っていた事は
今川家には都合が良くありません。

この一族を徐々に弱体化させるか、難癖をつけ反抗させて滅ぼすか、
一族の子供を立てて傀儡とするか・・・
井の国の民を刺激しないように版図を塗り替える!

井伊家には御家の重大な危機でしたが、今川家には同時進行していた
西進計画のほんの一部だったはずです。










※注4)井伊家と今川家の古くからの因縁


日本史の中に“南北朝”と呼ばれる時代があります。
永きに渡った鎌倉幕府の終焉と、新たな室町幕府の到来に重なった時代の事です。

鎌倉時代のある時期から天皇家は皇位継承を巡って大覚寺統と持明院統という
ふたつに分裂してしまい、その後それぞれの系統が交互に皇位に就くという
“両統迭立”というシステムが出来上がりました。
それが三百年前の出来事です。

システム成立から百年後、“天皇親政”という古き良き時代の復活を夢見て
皇位に就いた大変なバイタリティを持った帝が現れました。


“後醍醐天皇”です!


“天皇親政”というのを極簡単に言えば、帝が御自ら全ての政治を総覧するという事です。
因みに現代での天皇陛下は“君臨すれども統治せず”という象徴的な存在です。

日本はある時期から奇妙な二重構造の政権に移行しました。
“鎌倉幕府”の発生からです。
その時から帝と朝廷は実質的な政権を取り上げられてしまいます。

けれどそれは抱えた時代背景が旧来の支配体制では統治出来なくなっていたので
源頼朝が生み出したシステムでした。

けれど鎌倉時代末期には破綻する御家人が続出し多くの不満が燻っていました。
その空気を掴んだ後醍醐天皇は倒幕を計画し、頓挫と挫折を経験しますが
遂には政権を取り返します、“建武の親政”の始まりです。

その覇業の軍事を実際に行った3人の巨頭が足利高氏、楠木正成と“新田義貞”でした。
この頃、新田義貞に付き従う井伊谷の豪族・井伊道政という者がいました。

ですが帝が始めた建武の親政は掲げていたマニュフェストとは違い
非常に偏った実態のものになりました。

各方面から不平と非難が噴き出し、足利尊氏は帝に背き再起した後に
“もう一人の帝”を擁立しました。

この時から日本では同時代に二人の帝が存在するという未曽有の時代を迎えます。
後醍醐天皇方を南朝といい、足利尊氏方を北朝・室町幕府と言いました。

その後南朝方は有力な支持者である新田・楠木を失い、劣勢へと追いやられますが
それでもこの帝は諦めませんでした!

今度は数多くいた親王・皇子達を地方へ派遣して尊氏の勢力に対抗しようとします。


その中の一人、“宗良親王”を井伊谷に奉じた井伊道政は、尊氏に命じられた
高師泰・仁木義長の軍勢に攻められ井伊谷城は落城しました。

その後足利支族である今川範国(駿河今川家初代、義元は九代目)が駿河守護となり
後に遠江の守護も兼任するに従い、井伊家は今川家の元に服するようになったのです。







※注5)在地勢力(井伊家)と領主(今川家)のパワーバランス


この当時は“守護不入”と呼ばれる守護の介入を防衛するシステムがあったとも謂います。
このシステムを作ったのは他ならぬ守護の上に立つ幕府でした。
守護大名に既得権を持たせ過ぎないようにするためです。
幕府にとっても地方に“王”が生まれるのは好ましくなかったからです。

これは例え守護であっても、在地勢力の支配する地域の権利を
侵してはいけないどころか、勝手に土地に入れないという“治外法権”を認めたシステムです。

この当時、国内にはこういった権利を行使する村落が無数に存在しました。

けれど今川義元は後に領国内での“守護不入”を認めない法令(今川仮名目録追加二十一条)を
発布して戦国大名へと生まれ変わります。


その他にも農民が相手だろうと大名は好き勝手な強硬手段に出る事が出来ない場合もありました。
簡単に言えば“ギブ&テイクの遵守”です。

年貢を徴収する見返りに大名に求められたのが、治安維持と公正な訴訟裁判、
治水などの公共整備です。
この見返りが果たされないと農民は年貢を納めず、それが出来る大名を自ら求めた記録が
近江の村落の記録に残っています。

それが出来ない大名には土一揆などの武力蜂起が起こり
大名といえど生命の危険が付き纏いました。

後の江戸時代のように農民はとかく搾取される者、“生かさず殺さず”という
イメージが強いのですが、戦国期の農民は決して弱くはありませんでした。

気に入らなければ途端に掌を返す凶暴さも持っていました。

後の織豊時代から頻繁に始まった大名の鉢植え(転勤)は、この当時は珍しく
戦や下剋上で没落しなければ、滅多に領主が変わる事はありません。

新しい領土を手に入れようと戦に勝っても、本当の戦いはそれから始まります。
“領民に受け入れられる事”、これが果たされなければ領土は手に入らないのです。
領民が納得する政治を行えない無能な領主は情け容赦なく淘汰されていった時代でした。






※注6)昼間に星を視認


これは例え人間であろうとも決して持ちえない能力ではありません。
有名なところでは太平洋戦争時の日本軍のエースパイロット・坂井三郎少尉(戦時中の階級)が
その著書の中で昼間の星の見方を詳しく述べています。
坂井さんは自らの視力向上のために昼間に星を見る訓練を熱心に繰り返していたといいます。
その言葉は誇張ではなく、戦闘機乗りとして戦い続ける為に絶対必要な能力だったそうです。

コメント (7)

インターミッション XXXVII (a)

2011-02-17 22:00:03 | 彦根ノムコウ
今回から読む方の負担を減らす工夫をしてみました。
もっと早くこうすれば良かった・・・(苦笑)

(b)の文末の“お花の百科事典”は興味がある方だけ読んで貰えればオッケーです



“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。









井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第三章 “誕生・次郎法師”


















天文13年(西暦1544年)12月24日
遠江国引佐郡 井伊谷









お家元が4回目の井伊谷訪問から去った後の天文13年の暮れの出来事です。

井伊家の現当主・直盛(姫の父)を補佐していた叔父の直満(亀之丞の父)とその弟・直義が
自害したとも殺されたとも報せが入り、井伊谷全体が驚愕しました。

二人は数日前、服している今川家から“叛意有り!”と疑いをかけられた為
出頭を命じられて駿河の府中(駿府)へ自らの釈明に向かったばかりでした。

実際にそのような事実があったのかはわかりませんが
この処断の速さはまるで向かう前から罪が決まっていたようなものです。
あまりにも容赦のない仕打ちでした。


命じたのは“今川義元”(※注1)
日本人なら誰もが知っている“東海一の弓取り”と異名を取る大大名です。

今川義元は天才と云っても過言ではない人物です(※注2)
軍事・内政・外交・謀略、全てに於いて途轍もない実力を兼ね揃えた才人でした。

そんな義元が井伊家に対して理不尽な要求や対応をしたのは何故か?
それには当時の今川家が持っていた展望と、井の国の位置が周辺地域で
持っていた重要性と無関係ではありません。
井伊家の不幸の裏にどんな時代背景と状況があったのか?
これは大事な考察です(※注3)

そんな今川家と井伊家には良好な関係に成りがたい古くからの因縁もありました(※注4)


井伊家は“南北朝時代”から今川家と敵対し、敗れてから已むを得ず膝を屈した形です。
私達には700年前の遠い過去の出来事ですが、天文13年に生きていた者達には
たかだか100年前の事、しかもそれ以来今川家からは度々圧力が掛かりました。

互いに決して拭えぬ不信を抱えて警戒を怠らない関係が続いていたのです!

大国・今川家の下、“服せども従わず”の姿勢で井伊家は臨み
小国なりの権利を主張して何とか生き永らえてきたのです(※注5)




井伊家では2年前に今川家の召集に服して参戦した“田原城攻め”(愛知県渥美半島)で
当主・直宗を失いました。
姫の祖父であり、今回殺された直満・直義と南渓の兄で、、当主直盛の父です。

それでも直宗の時は戦死でしたが今回は平時の出来事です。

しかもその経緯が尋常ではありませんでした!
井伊家の筆頭家老・小野和泉守が今川家に訴えて出頭を命じられたからです。

一般的には直満の子の亀之丞が井伊家の家督を継いだ場合
その父親の直満が今以上に家中でイニシアチブを持つのが予想され
それを恐れた小野和泉守が讒言したと謂われています。

家老が仕える主を飛び越えて、その上の守護に訴えたのです。

さらに死んだ直満の嫡子・亀之丞をも引き渡すべし、と重ねて通達がきました。
将来の禍根を残さぬように武家では頻繁に繰り返されてきた報復防止策です。


おそらく井伊家の首脳陣は勿論、家中全てが小野を血祭りに上げるべしと怒りに震えた事でしょう。
けれど今回の件で今川家の肝煎りとなった小野を殺す事は今川家への反逆です。
それは井伊家滅亡のシナリオに自ら飛び込む事と同義でした。

皆は振りかぶった拳を歯を喰いしばって懸命に堪えつつ、
亀之丞だけは絶対渡すものかと厳しい監視の中、秘かに逃がそうと企てました。


一先ずの行先は井伊谷の北にある黒田郷。
現在の井伊谷を北へ縦断する国道257線と建設中の第二東名高速が交わる辺りです。
けれどそんな近場では急場しのぎにしかなりません。

ここで南渓が寺社での人脈をフルに活用し、決して追手が掛からぬ
他国へ連れ出す事となりました。

行先は南渓の師、龍泰寺住職・黙宗瑞淵和尚と関係の深い信濃下伊那の松源寺。
現在の中央高速の座光寺パーキングエリア付近です。

今村藤七郎と云う心利いた家人を選び、即座に向かわせる運びとなりました。
人目を避けて山間部を延々と進む真冬の逃避行になります。

大人達が血眼になって時間に追われ動き回っていた訳ですから、姫と亀之丞の二人は
満足な別れはおろか言葉もろくに交わせず離れ離れになりました。

大人達に連れられて行く時、手の届く位置に近づく事が出来た二人は
懸命に手を伸ばして、ほんの一瞬指が触れ合いました。

直ぐに逃げていくお互いの指を必死になって掴もうとした二人でしたが
その距離は離れるばかりでした。


「あぁ・・・・」


姫はうずくまり両手で顔を覆いました。




















お家元達が次に井伊谷に姿を現したのは春になろうかという季節でした。
井の国の草木達は世界に何があったかなどお構いなしに
一斉に芽吹く季節を迎えようとしていました。

お家元達にとってははついさっき亀之丞を抱き締めて、南渓に大事を託したばかりでしたが
この姿を消した三ヶ月の間に井伊家を襲った不幸な出来事は当然知っています。

お家元達はまず龍泰寺に向かいました。


南渓は昨年末に起こった突然の弟達の不慮の死と亀之丞の落ち行く先への根回しに加え
師・黙宗和尚と葬儀を執り仕切り、四十九日も済ませてようやく気持ちの整理がついた頃でした。
お家元はそんな南渓の元へやって来ました。


「・・・・・ぬこ殿・・・」


南渓は最近になってようやく周りに気を配れるようになり、気付いた大事をお家元に告げました。


「姫が心配だ・・・」








姫は大叔父達の死と亀之丞の失踪以来、部屋に閉じ籠もる事が多くなり
龍泰寺にも来る事が無くなっていました。

別に引き籠っていた訳ではないのですが、以前のような天真爛漫な明るさは
もう見る影もありません・・・
そんな姫の様子を目にした城中の者達は一様に心を痛めて嘆きました。

お家元は南渓と一緒に姫に会うため井伊谷城に上がりました。

お家元とも顔馴染みの侍女が会いに来た事を告げに行ってくれましたが
姫は今はお会いしたくないと拒みました。

取り次いだ侍女がその理由を説明してくれました。


「姫様は亀之丞様と一緒にぬこ殿とお遊びになった事が格別の思い出なのです。
 お二人が去年初めてぬこ殿と会われた夜には、それはそれは楽しそうに笑い
 一向に眠る様子もなく夜が更けるまで悦ばれていたほどで・・・

 そして次に来られる日を指折り数えてお待ちになっていて
 今度ぬこ殿と会ったらあれをしよう、これもしようといった具合でした。

 ぬこ殿との思い出は亀之丞様と過ごした最後の思い出でもあるのです・・・

 お会いすれば必ず亀之丞様の事を思い出してしまいます。
 亀之丞様がお隠れになり、明日をも知れぬ苦境の折り
 自分だけがのうのうとぬこ殿と遊んだり愉しんだりいていい訳がないと思い込まれているのです
 姫様は・・・・・」


侍女は姫の心中を慮って泣きながら代弁してくれました。


「しょうでしゅか・・・

 わかったでしゅ、また伺うと伝えて下しゃい。
 ひこにゃんは何度でも来ましゅと!」








お家元とタイガーしゃんはその後も頻繁に井伊谷城にやって来ましたが
姫は会ってはくれませんでした。

その代わりという訳ではありませんでしたが、お家元とタイガーしゃんの二人は
南渓がいなくてもお城に顔パスで入れるようになりました。

特に姫の父で当主である直盛は、姫を案じて度々来てくれるお家元とタイガーしゃんに感謝し
時間が空いている時は極力相手をしてくれました。


「いつもいつも姫の事を気に掛けてくれて忝い、ぬこ殿・・・」


「いえいえ、気長に通いましゅから気にしないで下しゃい、直盛しゃん」


「大河殿も・・・この通りじゃ」


直盛はタイガーしゃんにも頭を下げました。


「私のような者にまで・・・恐れ入ります!(焦っ)」


直盛は剛毅な反面、礼儀を弁えた武将でした。

その後もお家元達は“タイム・スリッパ”を繰り返し何度も何度もやって来ましたが
一度も会えないまま井伊谷では数年の年月が流れていきました。
 




お家元がいつものように城に上がると、直盛と南渓が苦渋の表情で向き合っていて
二人の間には開かれた書状が一通ありました。
この書状は家老・小野和泉守がもたらした今川家からのものです。

内容は妙齢を迎えている姫に婿を入れるか、嫁に出すようにとの意で
もし心当たりがないのなら、当一門(今川一門)から心利いた者を選び遣わす。
それも固辞すると言うのなら井伊家家老の小野和泉の嫡男を迎えるべし!
といったものでした。、

井伊家の泣き所を見事に突いてくる切り崩し策でした。
亀之丞はその後伊那の地で匿われながら、隠棲していると聞いていましたが
まだ呼び戻す訳にはいきません。

今の井伊家にこの要求を突っぱねる正当な理由がありませんでした。
このままでは唯一残った姫も取られ、井伊家の未来も閉ざされてしまいかねません。

そしてこの悪い知らせはその日のうちに姫の耳にも入ってしまい
翌朝、姫の姿は城内から消えていました。







姫の不在に最初に気付いたのは御付きの侍女でした。
塞ぎがちな姫を気遣って返事が無くとも部屋に入るのを躊躇っていた為
しばらく居ない事に気付けませんでした。

陽が昇ってしばらくした頃、血相を変えた侍女頭が直盛の所へ駈け込んで来ました。
直盛は昨日の件だと直ぐに察し、自らの不手際に臍を噛みました。

調べてみると小柄な駒(馬)が一頭連れ出されている事が解り、足跡を残さぬように
蹄に布を巻いた形跡が馬屋に残っていて、追跡を許さぬ意志が窺えました。

不在に気付いた時刻がもう少し早ければ、何とか足跡を辿る事が出来たかもしれませんが
この時間の城内は無数の足跡だらけで最早不可能でした。

城が大騒ぎになっていた頃、龍泰寺で南渓と合流してからお家元は城に上がり
姫がいなくなった事を初めて知りました。


直盛は手掛かりもないまま家人達を四方に走らせましたが当てなどありません。
それは南渓やお家元も一緒でした。


ですがこの時、城内にただ一人だけ姫の追跡が不可能ではないと思っていた者がいました。
タイガーしゃんです!


「お家元、南渓様」


「どうしたんでしゅか、タイガーしゃん?」


「・・・辿れるかもしれません」




「真か!?大河殿!」


「はい、私には布越しの蹄の跡も、その横を歩いたであろう姫様の小柄な足跡も
 はっきりと見えていますから」


「ひこにゃんには何も見えましぇんが・・・」


城内は一面乾いた土で、多数の人間と無数の馬蹄の跡で踏み荒らされていました。
それ自体見えづらいものなのに、その中から一種類の足跡を見極めるのは
お家元と南渓には不可能としか思えませんでした。


「私には全ての足跡が色分けされたようにはっきりと見えています!
 これはお家元の“タイム・スリッパ”のような超能力ではなくて
 ただ眼が良いだけなんですけど(苦笑)」


大変な能力でした!
タイガーしゃんの眼は猛禽類が持つような解像度に特化した視力だけではなく
闇夜で僅かな光を増幅して見る事も出来る暗視能力と、昼間に星が視認出来るといった
実に多様な視界を持っていました(※注6)


「タイガーしゃんの目の良さは知ってましゅけど、そんな特技があったにゃんて
 ひこにゃんも知らなかったでしゅ!」


「普段はちっとも必要のない能力ですけどね(苦笑)」


「頼む、大河殿!」


「お家元、行きましょう!」


「南渓しゃん、必ず姫しゃまを見つけて来ましゅ!」


お家元とタイガーしゃんは城を駆け下りていきました。







タイガーしゃんの眼は実に高い能力を秘めていました!
姫が追跡を振り切る為に、時には道なき道を移動したのも余す事無く見破りました。

流石に川を横切った時の川底に足跡を見る事は出来ませんでしたが
土の道以外の草むらですら踏まれた形跡を見過ごす事はありませんでした。

そして最初こそ足跡を慎重に追っていたタイガーしゃんでしたが、
次第に這いつくばったり、目を凝らして追跡する事もしなくなり
いつしかほとんど走った状態で追跡していました。


「タイガーしゃーん、こんなに飛ばして大丈夫でしゅかー?」


「はい、最初は手間取りましたがもう慣れましたー。

 残っている足跡の力の入れ具合や歩幅の様子で、どこで歩いてどこでスピードを出したか
 はっきり見えるようになりましたからー!

 今の私の眼には数時間前に走っていた馬に乗った姫様の残像が見えています」


「ましゃか・・・そりは冗談でしゅよね?」


「ふふふ・・・本当なんです!」


これは目が良いどころの話ではありません。
タイガーしゃんは人間でいうところの“ZONE”に入っていました。


やがて残像を追って行くうちに井伊谷を抜け気賀を過ぎ浜名湖まで達した畔で
小柄な馬が樹に繋がれて草を食んでいるのを見つけました。
それはタイガーしゃんが見ていた残像と全く同じ体格の小駒です。


その近くの葦の茂みの中に人の気配をタイガーしゃんは感じました。


「(お家元・・・)」


「(わかってましゅ)」


ここから先はお家元にしか出来ない領域です。

葦を掻き分けた先の水際に、抱えた膝に頭を伏せた姫がいました




何人かの接近に気付いた姫は静かに顔を上げゆっくりと振り返りました。


お家元は一切表情を変えはしませんが、内心は心穏やかではいられない
衝撃を感じていました。

姫と会うのは井伊谷の時間で約4年ぶりです。
小学生のようだった姫は背や手足も伸び、幼さが消えかかった容姿になっていました。

麗しく成長したと言ってもいいでしょう。

ですがその瞳が尋常ではありませんでした!
出会った当時は黒目の中に無数の輝きを宿していたのに
今の瞳は一切の輝きを失っていて、まるで眼球が抉られ深い穴が覗いているかのようです。

この世のものが見えていない虚無を抱えた目でした。

姫はお家元が現れた事にも意に介さずに再び顔を伏せました。



お家元はそのすぐ横に座りましたが話し掛けはしませんでした。
もうこの少女を絶対見失いたくなかったからです。





無言のまま長い長い時間が過ぎ、最初に均衡を破ったのは姫の方でした。
姫は顔も上げずに


「・・・・・よく分かったものですね・・・」


「・・・タイガーしゃんが見つけてくれたんでしゅよ・・・」


「そうですか・・・・・」



また長い沈黙の時間が続きました。
この時の姫は永らく自分一人で考えあぐねていった末に
とても普通とは言えない精神状態でした。

好きな者との未来を奪われた運命を呪い、自分の不幸を問い続け
心は歪みねじ曲がってしまい、どんな者の言葉にも耳を貸さないような
域に達していました。


「(きっとこのぬこ殿は父上の意を受けて私を説得に来たのだろう・・・

  最後にはどんなに理不尽であろうと井伊家の為に我慢してくれだとか
  それが姫の役目なんだとか、領民のためだからと言うのだろう・・・

  冗談ではない!
  そこに私の意志や希望は一切無いではないか!

 大叔父達を討ち亀之丞の生命を狙うような者達のいいなりに誰がなるものか!

  ぬこ殿がどんな言葉を弄して連れ戻そうとしても、私は聞かぬ!
  全ての言葉に反発してやる!!)」


こんな状態の姫の元に来てしまったお家元は不運というしかありませんでした。










激しい怒りに身を焼いた姫にお家元はぼそっと言いました。


「・・・・・・・・姫しゃまの事を誰も知らないどこか遠くに行きましゅか・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・ひこにゃんと一緒に・・・・・・・・」


お家元は姫の様子を見るにつけ、井伊家の未来がどうゆう結末に向かおうが
どうでもよくなっていました。

目の前の少女が少しでも楽になるのならそれでいいじゃないか!
お家元は自らの存在が消える事になろうとも、この少女が望むように
寄り添っていこうと決心したのです。


姫がハッとして顔を上げました!


「・・・何を言っているのですか!?

 よくそんな途方もない嘘を平気で・・・・・!」


「嘘じゃありましぇん、ひこにゃんは本気でしゅ!
 姫しゃまが望むなら櫓櫂が及ぶ限りどんな場所へだって付き合いましゅ!

 今までのような贅沢な暮らしはさせて上げらりないと思いましゅけどね(苦笑)」


「ならせめて食べる物には困らないように、私が鳥や魚を調達し続けましょう!」


「タイガーしゃん!
 ふふふ、三人一緒ならどこでだって暮らしていけましゅよ・・・・・きっと!」



姫がガバッと立ち上がりました!



「嘘っ!嘘っ!!
 出来る訳がない!そんな事がある訳がない!

 そんな勝手が許されるものですか!

 私達がこの国を離れたら井伊家はどうなります!?
 家臣達や城で奉公している者達は!?

 父上や母上、井の国の領民達がどんな苦境に立たされるか判ったものではないのです!

 勝手な事を言わないで!無責任な言葉を吐かないで!!」


姫はお家元のスカーフに掴みかかり、その言葉の実現がいかに難しいか罵倒し
大声を張り上げ涙をボロボロとこぼしながらお家元を揺すってなじりました!

お家元の言葉に反発するという決心は奇しくも自分の予想と真逆の言葉を
姫に吐かせる事になりました。



「嘘つき!よくもそんな詭弁を!
 出来もしない事を言わないでっ!!!!










 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 でも・・・・・でも・・・・・・・・・・・・

 そんな事を言ってくれたのはそなた達だけだった・・・・・・・・」




「ぬこ殿と大河殿だけだった・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




「ふっ・・・・・ふぅぅっ・・・・・・・

 うわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ

 うわああああああああああああああああああああああああああっっーーーーー!」






暮れてきた夕闇の中、今では自分よりも小さくなったお家元の胸にうずくまって
姫は泣きました




まるでこの四年で溜まった負の感情が全て流れていくようでした・・・

流れた後に新たな感情が心を満たしていくのを姫は感じました。
それは父や母との間にあるものとも、亀之丞に持っている感情とも違いましたし
初めて湧き上がる感情です。

領主の娘に生まれた姫が今までこの感情を知らなかったのは無理もありません。
その感情が芽生える目線の者が今まで周りにいなかったのだから当然です。



それは“友情”でした。





             (b)へつづく~


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インターミッション XXXVI

2011-02-11 16:35:13 | 彦根ノムコウ
昨日今日と“近江みちの国講座”で両国に来ているもちさん!
2日間お疲れ様でした

“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。







井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第二章 援軍・過去と未来と現在の交錯















元亀4年(西暦1573年)1月
遠江国引佐郡 井伊谷 龍潭寺









「お待ちしておりましたぞ!」


お家元はまさかここで声が掛かるとは思っていなかったので耳を疑いました。
そしてタイガーしゃん、南渓も同時に声の方を向きました

その声の主は僧体の男性で南渓の倍ぐらいの年齢に見えます。
でも着ている僧衣は明らかに上位の者を示すものでした。
そしてその脇にはもう一人尼僧が立っています、年の頃は30代くらいでしょうか・・・




年配の僧も尼僧も初めて会う者達ですが、どこか見覚えのある顔に
感じないでもありません。


「まさかこのような日が本当に巡ってくるとはな・・・」


「聡明なぬこ殿がとても戸惑っておりまする(笑)
 こんなぬこ殿を見るのは初めてではありませぬか?老師様」


「確かに(笑)、だが無理もあるまい。
 こちらのぬこ殿達は井の国に来られたばかりのはずじゃからな」


この29年後の世界の男女はお家元が井の国に来たばかりなのを知っています。
でも二人の正体が誰なのかはお家元には分かりませんでした。

そのすぐ横で南渓が衝撃を受けているのにお家元は気付きました。
それは明らかに相手が誰か理解しつつあった顔つきです!
正確にいえば南渓がその正体に気付いたのは、年配の高僧の方だけですが。

おかしな話です。
三人の中で最も未来に縁遠い南渓が正体に気付いているのですから!
でも実の所、南渓はその者達の顔に見覚えがあった訳でも理論立てて正体に
気付いていた訳でもありません。

理解した理由は実に単純でした。
自分の本能がその正体を必死に訴えてくるからです。


「(この僧は自分だ!年老いた自分だ!
 何故そう思うのか自分でもわからない、だが間違いなく自分だ!)」


それは南渓の心が常識や理屈を超越して訴えてくる衝動のような答えでした!
南渓にしか解らず南渓だからこそ気付いた正体です。
そう、目の前に立っていたうちの一人は龍潭寺の住職になっていた
29年後の南渓自身に間違いありませんでした!


「・・・・祐圓よ、二十九年前の自分を見るというのは随分気恥ずかしいものじゃな(苦笑)」


「くすくす・・・無理もありませぬ(笑)
 今いらしたお若い南渓殿は私よりもいくつか年下なのですから。

 私よりも年下というのはほんに奇妙な感じが致しまする(笑)」


「おけ!(苦笑)」


これは「ほっとけ!」という意味です。
29年後の未来の南渓の横に立っているその尼僧が、お家元を優しく見つめて微笑んでいます




尼がお家元に向かって言いました。


「・・・もう幼い私とは会われましたか?ぬこ殿」


と言って一層相好を崩しました!


「あっ!」


その正体が誰なのかお家元はハッキリと悟りました。
1544年に着いた早々に出会った姫の将来の姿です!
そう、“次郎法師”なのです!!
年齢は40を越えているはずですが、とてもそうは見えない若さでした。


未来の南渓と祐圓尼(次郎法師)はどうやら事情に精通している様子が会話から窺えました。
「待っていた」と言ったのが何よりの証拠です。


「ぬこ殿、もう我らが誰かお分かりですよね。
 こちらの方は将来の南渓和尚様、私は祐圓尼(ゆうえんに)、次郎法師にございます。」


「あい・・・でもなぜ・・・」


「ふふふ、つい先程我らの元に今のぬこ殿がいらしたのですよ。

 もうすぐ焼失した境内に二十九年前の南渓殿と自分達が一時的にやって来るので
 どうか事情を説明して貰えないかと!」


「しょういう事でしゅか!」


思いつきでやった一か八かの“タイム・スリッパ”でしたが
未来の自分がしっかりフォローしてくれていました。
ピンチをチャンスに変えたお家元達の連携です。


未来の南渓が若い南渓に言いました。


「南渓、そなたも儂が誰か気付いておろう。
 儂は二十九年後のそなた自身に相違ない!

 そなたはこのぬこ殿に連れられて時を超えたのじゃ!

 信じられぬだろうが信じよ!そしてこのぬこ殿の事も信じよ!
 余人ではない他ならぬ自分の言葉じゃ、これ以上ない証であろう」


若い南渓は言葉が出てきませんでした、無理もありません。
その言葉を補うように祐圓尼が言いました。


「初めまして、お若い南渓殿。
 私が誰かお分かりですか?」


若い南渓は首を振りました。
お家元と祐圓尼が交わしていた会話からだけでは情報が少なかったからです。


「私は姫です、お若い南渓殿」


「な、何!?、姫ですと?」


「はい」


「そんな莫迦な・・・それに姫が何故尼に・・・・・」


「この二十九年という刻は我ら井伊家に様々な事があった刻でした・・・
 それらはお若い南渓殿にとっては先々の世の事柄になります。

 先々の事柄の中には知ってはいけない物も数多くあります。
 それらを知ってしまうのは己の首を断つに等しき事」


「・・・仰る意味がよくわかりませぬが・・・」


「今は意味を解さずとも良いのです。
 それは追々そちらのぬこ殿が教えてくれる事になりましょう」


「この者らは一体・・・?」


「我らの掛けがえのない恩人達です!
 そして我らを導き標となる大切な御仁なのです!」


「この者達がですか・・・・?」


「そうです、お若い南渓殿。
 どうか我らの言葉をお信じ下さい、そしてこのぬこ殿の言葉も今後信じて下さりませ!

 何故ならこのぬこ殿達も必死なのです!
 お二人にとっても我らの命運がそのまま己の生き死にに関わっているのですから!」


「どういう意味でしょうか?」


「この方々は遥か世の果ての井伊家の末裔だからです!」


「つまり今の我らが道を誤れば、この者達は生まれる事すら
 無いやもしれぬという意味じゃ」


「お二人はこの者達がそうだと疑うておらぬのですか?」


「勿論です!」


祐圓尼は間髪入れずに答えました。
それを受けて若い南渓は口元に手をやって思案し始めました。


若い大叔父の慎重な様子に満足しながら、祐圓尼がお家元の前にしゃがみ
その細い指をお家元の頬に当てました。

お家元は触れた指が微かに震えているのを感じました。


「・・・・・ぬこ殿、井の国にようこそ。
 来てくれた事に本当に感謝致します。

 そなたが居なければ幼い私はきっと心折れ命を断っていたやもしれませぬ・・・
 重ねて礼を言います。

 そしてどうか幼い私を頼みます!あなただけが頼りなのです!」


祐圓尼は震えていただけではなく目に涙も浮かべていました。
この女性にこの日まで起こった出来事をお家元は資料からだけですが知っています。
でもそれは資料からは窺えない膨大な労苦の積み重ねのはずだと
お家元はちゃんと気付いていましたが、百も承知で宣言しました。


「ひこにゃんはその為に来たんでしゅ、ずっと支えましゅよ祐圓尼しゃん!」




その言葉を聞いた祐圓尼はお家元を抱き締め嗚咽を漏らしました。
それを眺めていた若い南渓は、この29年で一体何があったのか?と不安になりました。


「・・・・この寺は見ての通り焼け落ちてしまった。
 大事な本尊や仏像などは何とか運び出せたのだが、どうにも心がな・・・・

 この所我らは口を開くのも忘れておったが、そなた達が来てくれて
 久しぶりに笑った思いじゃ」


大事な寺が焼け落ちて平気な未来の二人ではありませんでした。
その傷はもちろんあったのです。


「先々まで井伊家に起こる出来事をあのぬこ殿は全て知っておる。
 だが何が起こるか聞いてはならぬぞ!
 知ってはいても話せぬ事が有ると知れ!

 だが困った時はぬこ殿を頼って良い!あの方はきっと力になってくれるだろう」


将来の自分は揺るぎ無いほどこのぬこを信じており
姫と名乗った尼は狂おしいほどに慕っています。

自分だけが蚊帳の外にいるような疎外感を若い南渓は味わいました。


「・・・・・承知致しました、この者達は私の客人として迎えましょう。
 直盛殿や彦次郎(直満)達にはそう紹介して差し支えありませぬな?」


「充分じゃ」


「・・・今朝までは今日こんな出来事が巡ってくるなど夢にも思いませんでした・・・」


「では覚悟せよ、今後度々あるからのう」


ゲッ!という若い自分に未来の南渓はクックックッと笑いが堪え切れませんでした(笑)
これは和尚の戯れ言(冗談)で、若い南渓がお家元と一緒に“タイム・スリッパ”に
向かう事は以後ありませんでした。 






「では戻りましゅか、南渓しゃん」


「頼みまする」


「ひこにゃん達は天文13年に戻りましゅね。
 (未来の)南渓しゃん、祐圓尼しゃん、そりじゃあ!」




次の瞬間、三人は元の1544年の龍泰寺の庵に戻って来ました。
自分は夢を見ていただけなのでは・・・と南渓は思いましたが
僧衣や足の裏などが灰や煤で汚れていました。


「現実だったのだな・・・・」


南渓は深いため息をつきました。








しばらくしてようやく頭が整理されてきた時、南渓は数々の疑問が浮かびました。

最も気になったのが尼になっていた姫の姿でした。
1544年の現在では現当主・直盛には姫以外の子供が出来る気配がなかったので
一族で協議の結果、南渓の弟・彦次郎直満の息子・亀之丞を直盛の養子とし
姫と娶わせて跡継ぎに定める計画を進めていました。

もしその目論見が近い将来かたちに成ったのなら、29年後にはもう亀之丞は
死んでいる事になります。
尼になるという事は夫の菩提を弔うという事に他なりません。

これは当たらずも遠からずでした。

その姫は“祐圓尼”という尼号のほかに、“次郎法師”とも名乗っていました。
“次郎”とは井伊家の総領だけが代々名乗るその証とも言うべき名です。
姫の父・直盛もその名を冠していました。

更にはこのぬこがいなければ自害していたような事も言っていました・・・

そして龍泰寺は何故焼け落ちてしまったのか・・・

謎はいくつもありました。


「ぬこ殿」


「・・・あい」


南渓は質問が喉まで出かかっていましたが、そこで未来の自分が戒めた言葉を反芻しました。


「いや・・・聞いてはならぬのだったな、何でもない」


お家元は南渓が尋ねたかった質問に完璧な答えを持っていましたが
知ってはいても教えられない答えばかりでした。

もし事前に話してしまったら井伊家の歴史が崩壊する可能性があります。
その答えの中には井伊家にとっての慶事もありますが、もちろんその逆も然りです。

もし事前に凶事を聴いてしまったら人間がどうゆう行動をとるかは火を見るよりも明らかでした。
だが結果から言えばそんな不幸な出来事すらも井伊家にとって必要な歴史なのです。

未来の南渓と祐圓尼はそれに気付いてくれていたからこそ
お家元に代わって注意を促してくれたのでしょう。


「・・・ 恩に着ましゅ、南渓しゃん!」




お家元は聞かずにいてくれた南渓にお礼を言いました。









姫と亀之丞をがもう我慢出来ないとばかりに部屋に飛び込んで来ました。


「何を話されているのですか、南渓様?」


「うむ、どうやらこのぬこ殿と大河殿は拙僧の知り合いの肝煎りだったと聴いたところじゃ。
 今後度々井の国に来てくれる事と相なった。

 そなた達も見知って於くがよい」


「本当ですか!」


姫と亀之丞は二人と接したくて仕方がなかったようです。


「うむ、井の国をゆるりと案内(あない)して差し上げるがよい。
 直盛殿(姫の父)や直満(亀之丞の父)には儂から話しておく故」


二人は大変な喜びようでした。
お家元の愛くるしさとタイガーしゃんの精悍さは子供達には
堪まらない魅力でしたし、領主一族の跡取りに生まれたこの少女と少年には
お互い以外に同じ目線で遊べる友達がほとんどいなかったからです。

姫はお家元の手を引き、亀之丞はタイガーしゃんの身体に触れ
すぐにも行こうと急き立てました。


「そりじゃあ南渓しゃん、ちょこっと失礼しましゅ」


「うむ」


こうしてお家元とタイガーしゃんは姫と亀之丞に連れられて出掛けて行きました。








姫と亀之丞は井伊家の天地・井伊谷を案内してくれました。
龍泰寺を北側へと抜けて神宮寺川沿いに歩くと、左手に見えた山城が“井伊谷城”で
奥にある峻嶮な山が三岳山と云う名で、井伊家のいざという時の詰城があるんだと教えてくれました。


「大河殿のように勇猛で綺麗な獣を儂は見たことがありませぬ!」


「ははは・・・ありがとうございます」


「大河殿はぬこ殿を乗せて走られたりするのですか?」


「はい」


「あのう・・・・儂を乗せて走っては貰えませぬか?・・・」


タイガーしゃんはお家元の方を見ました。
タイガーしゃんはお家元以外を乗せるのは抵抗があるのですが相手は子供です。
お家元の判断を仰ぎました。

お家元はにっこり笑って了解してくれました。


「タイガーしゃんはひこにゃんの親友でしゅから鞍なんか付けましぇんよ!
 馬とも勝手が違いましゅ、亀之丞しゃんに乗りこなせましゅかね~?」


いたずらっぽくお家元は亀之丞をけしかけました(笑)


「ぬこ殿、妾にも乗らせて下さりませ!」


「順番にでしゅよ」


「大河殿、亀之丞殿、妾もーーー」




「(16世紀の井伊家伝説の当主二人が21世紀生まれのタイガーしゃんを取り合ってましゅ・・・
  不思議な光景でしゅね)」




その通りでした(笑)
そしてお家元の“親友”という言葉にタイガーしゃんが秘かに感激していたのは
誰も知りません。



子供達はタイガーしゃんの背に代わる代わる乗り、夢中になって走っています。
それを見ていたお家元の脇の侍女達が頬笑ましい口調で


「ほんに仲の良いお二人です事」


と囃していました。


「姫様も亀之丞様がお相手であれば幸せに御座いましょう」


この時代の武家の子ならば御互いが誰とも知らずに結婚させられるのが常ですから
侍女達が子供達の将来を喜んだのは無理もありません。

ですが歴史はそんな幸せを二人に与えてはくれません・・・・・








お家元はこの日、龍泰寺の南渓の元に泊まり
翌日姫と亀之丞に1ヶ月後にまた来ると告げて井伊谷を去りました。

去ったといってもどこか別の場所に行った訳ではなく
二人が次に目指したのは今予告した1ヶ月後の井伊谷でした。


“タイム・スリッパ”できっちり1ヶ月後の10月にお家元達は龍泰寺にやって来て
子供たちを喜ばせました。



同じ要領で更に繰り返した3回目の11月、お家元達は新たな方々に出会いました。

お家元達が御手洗の井の付近で遊んでいると、勢いよく馬を攻めて近づいて来る一団があり
その正体を亀之丞が教えてくれました。


「父上、叔父上!」


お家元はピンときました。


「そなたが兄者(南渓)の元に来ているというぬこ殿か!?」


「あい、ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ。
 先代井伊直宗公の御舎弟、井伊直満しゃま、井伊直義しゃまとお見受けしましゅ!
 どうじょ良しなに」


「如何にも!
 噂は亀之丞から聴いておる、立派な虎を連れておるのう!
 どうじゃ、駿馬十頭で儂に譲らぬか?」

駿馬10頭、現代なら高級車10台といった所でしょうか。
お家元はニッコリ笑って答えました。


「タイガーしゃんは例え遠江一国でも譲れましぇん、お許し下しゃい!」


「ふふん、遠江一国とは大きく出たな!
 戯れ言じゃ、気にするな。
 それに儂は駿馬を十頭も抱えておらぬしな!

 行くぞ、直義!」


「応っ!」


供揃えの家人達を置き去りにするかのように激しく馬を駆けさせて
二人は去って行きました、まるで嵐のようです。


「今の方が亀之丞しゃんのお父しゃんの井伊直満(いいなおみつ)しゃんと
 その弟の井伊直義(いいなおよし)しゃんなんでしゅね」


「はい!」


亀之丞は胸を張って応えました。


「戦場ではさぞ頼もしい働きをしゃれるんでしょうね」


「はい、父上(直盛)もお二人の事はとても頼りにしております」


尊大で豪放磊落、戦場では鑓の名手として名高い自慢の父であり大叔父でした。
身内にとってはさぞ頼りになる方々なのでしょう。
それ故にお家元は二人の危うい部分にも気付いていました。

それはこの二人の運命を知っていたからではありません。



去って行く直満と直義を一同が見守っていた中、タイガーしゃんだけは
別の方向を見ていました。




二町(220m)ほど離れた場所で静かにこちらを見ている一組の主従がいました。
激しく馬を攻めていた直満・直義とは対照的な者達です。

馬に乗った主人らしき者がこちらを見ながら厳しい顔つきをしています。
あさっての方向を見ていたタイガーしゃんに姫が気付きました。


「大河殿、どうしたのですか?

 ・・・あれは小野殿・・・」


その名に一番敏感だったのはお家元でした!


小野和泉守道高(おのいずみのかみみちたか)、井伊谷井伊家の筆頭家老です。


運命的な者達を同時に目にした事にお家元は少々驚きました。
これは偶然だったのか・・・
もしくは以前から燻っていたからこそ目にした光景だったのか・・・

そしてタイガーしゃんは小野和泉の眉間に深く刻まれていたシワまで見えていましたが
それは誰にも言いませんでした。






そしてさらに一ヶ月後の師走(12月)初旬、4回目に井伊谷を訪れたお家元達は
とうとう井伊谷城に招かれ井伊家の現在の当主・井伊信濃守直盛に目通りしました。

直盛は快く迎えてくれて、お家元とタイガーしゃんは畏まって何度も頭を下げて
城をあとにしました。
お家元達が4回目の井伊谷から離れようとした時も、姫、亀之丞、南渓の三人が
いつものように見送りに来てくれました。
お家元はその中から亀之丞を掴まえて抱き締めました。


「あはは、どうしたんですか?ぬこ殿」




「わ、妾も!」


お家元は二人を抱き締めました。


「・・・・・ひこにゃんはしばらく来れましぇんけど
 二人とも強く強く心を持って下しゃいね・・・」


「???」


「南渓しゃん、二人を頼みましゅ!
 何が起こっても二人を護って下しゃいね!」




子供達はしばらく会えないからお家元が感傷的になっているんだと思って
そのもふもふした感触を楽しんでいましたが、南渓は別の思いに囚われていました。


「(・・・何かが起こるのだ・・・
  この子らの身に何かが・・・・・・)

 ・・・分かった、ぬこ殿」


何が起こるかなど勿論解かりもしませんが、南渓は身構えました。
気持ちだけは伝わった事にお家元は小さく安堵し
タイガーしゃんと共に井伊谷の彼方へと消えて行きました。






その月の23日、
井伊家が臣従している今川家の当主・今川義元から出頭を命じられて駿府に向かった
井伊直満と井伊直義の兄弟はそのまま帰らぬ人となりました。

その件はそれだけに止まらず、今川家からは“嫡子・亀之丞も引き渡すべし”と
更なる要求が突きつけられたのです。








       つ づ く










次回予告 )


家中の柱石を亡くし跡継ぎと定めていた亀之丞も消えてしまった井伊家。

火が消えたような井伊谷で数年の時が流れ

自暴自棄になって明日の見えなくなっていた姫の運命や如何に!?




第三章 “誕生・次郎法師”


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閑話休題

2011-02-03 12:22:21 | 彦根にひとつだけの花
“彦根ノムコウ”セカンド・シーズンが本格化する前に
舞台となる場所、“井伊谷”がどんな風景の土地かご存知ない方のために
ちょっと寄り道させて下さい。

このブログをご覧の方の中には、昨年10月16日に足を運んだ方もいらっしゃると思います。

でも私はもちさんが行かない機会に来てみたかったんです。
だってもちさんいたらそれどころじゃなくて、日が暮れてしまいそうですから(苦笑)




“井伊谷”




私にとってこの土地はずっと憧れていて訪れたかった土地でした。
遥か400年以上前の時代に生まれ、最も心打たれた女性が生きた場所です!

その方とは“次郎法師”様!
セカンド・シーズンでお家元が深く深く関わり、井伊家にとって重要な人物です。

この日は曇り空で東海らしからぬ寒さでしたが、喧噪とは程遠く
当時を生きた人々を想い偲ぶには絶好の日でした。








その土地は静岡県・浜名湖の北東の奥にあり、車はともかく
公共の交通手段で行くと首都圏とはかなりリズムの異なる移動になるはずです。

私は車で向かう事が出来たので、東名高速を三ヶ日インターで降り
国道362号線を浜名湖・引佐細江の湾を湖岸沿いに北東へ走りました。

ここは“姫街道”と呼ばれた道です。
東海道から分かれ、浜名湖の北岸を通る複数の脇往還のことを
総称して姫街道と謂います。

10分も走ると徐々に湖岸を離れ奥へと向かい、その先にあるのが気賀という町です。

東海道ほどの交通量はなかったものの、井伊谷の南手前にある気賀は
この街道が貫く賑わった場所だったようです。

この町から直接龍潭寺へ向かう県道・320号線も伸びているのですが
当時、この周辺の最も大きな拠点だった“曳馬(ひくま)”から向かってくる
メインストリート、国道257号線から井伊谷に入る道順にしました。

次郎法師様が生きていた時代、曳馬城は井伊家が今川家から城代を
仰せつかっていた現在の“浜松城”辺りです。

お家元が向かった1544年での城代は16代・井伊直平公でした。
次郎法師様の曾祖父さんで、まだまだご健在です。

この方もセカンド・シーズンには登場する予定です。


気賀の隣りの金指から真北に曲がると坂道になります。
その頂上は切り通しのような狭い狭隘になっていて、大軍の侵入を防ぐには
丁度良い入り口です。

ここを抜けると井伊谷です!
正面の最も高い山が井伊家の最終防衛ラインの三岳山城があった三岳山です。




井伊谷の一番奥にあり、左手に色濃く映っているのが井伊谷山です。




龍潭寺の駐車場、ここは説明する必要がありませんよね(笑)
井伊谷宮はこの丘の北側になります。




龍潭寺には江戸時代初期に小堀遠州によって造られた見事な庭園があります。



小堀遠州は長浜出身で古田織部に師事した、当代切っての空間プロデューサーで
アートディレクションで並ぶ者がいない気鋭の文化人でした。
2代・井伊直孝公はそんな遠州と親交があり、その縁で作事を引き受けたそうです。


寺内を覆い尽くす樹木は見上げるほどに高いのですが
16世紀はどんな高さだったのでしょう。

龍潭寺は一度焼失しましたから、その時に植えられたのかもしれませんね













龍潭寺の寺内の西側には井伊家累代の霊廟があります。
錚々たる御名の歴代当主の戒名が並び、その中には次郎法師様のものもありました。






とうとうこの場所に来れた。

次郎法師様にお会いしたくて参りました。

どうかお噺を描く事をお許し下さりませ。






手を合わせ万感の想いを口には出さずに唱えました。
この場所は撮影したくはありません。





















龍潭寺を後にして、最後の目的地・井伊谷城跡へ。

井伊谷山はもちさんが“井の国千年祭”で来られた
“引佐多目的研修センターホール”の背後にある小高い山です。

登山口となる歩道は地元の方に聞かなければ分からなかったくらいでした。
一度振り返ります。




城山の中腹からでも井伊谷の様子が一望出来るほどです。
先程向かった龍潭寺が平地に浮かぶ島のようです。






頂上です。
ここにかつて井伊家が本拠とした城があったのです。







    


看板の後ろの一段高い場所に本丸が建っていたみたいです。





本丸跡から井伊谷が一望出来ます。
晴れていれば浜松駅前のアクトタワーや浜名湖の引佐細江も見えるそうです。

こちらは来る時に通った国道257号線方面です。
写真の上部に長細い丘が横たわっている真ん中に、細くスパッと切れた場所が
国道の侵入口です。






この土地の山河はきっと昔から大きく変わってはいないはず。

昔ここから我が領地と見ていた一族と同じ場所に立つ事が出来ました。









実は私の本姓は次郎法師様の時代よりも遥か前の時代に
井伊家の系図に見える珍しい苗字です。

私の一族が本当に井伊谷・井伊家から分かれた血筋なのかはわかりません。

わからない方が幸せかな(笑)



私にとって井伊谷はそんな想いで向かった場所でした。






          ~閑話休題~  おしまい




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インターミッション XXXV (b)

2011-02-01 16:13:41 | 彦根ノムコウ

             ~(a)よりつづき





「井伊谷・井伊家16代目の直平(なおひら)公には五男一女の子供達がいたんでしゅ。
 しょの中でこの当時嫡男と末っ子の方が既に他界されていると思いましゅ。

 ・・・いっぺんに言われても整理出来ましぇんよね、今ここに簡単に書き出してみましゅね」


お家元は足元の土にカリカリと井伊家の簡単な家系図を書きました。








         17代       18代
         嫡男
          直宗(故人)  ー 直盛     ー 直虎
                               (次郎法師)
       
       
         女          ー 瀬名姫   ー 岡崎信康
          (関口親永室)   (徳川家康室)  (家康長子) 
       
         次男
16代        南渓
直平   ー   (井伊谷・龍泰寺 僧籍)
       
       
         三男         19代       20代
          直満       ー 直親     ー 直政
                     (亀之丞)     (彦根井伊家初代藩主)
       
       
         四男
          直義
       
       
         五男
          直元(故人)








「あい、こりがこの当時生きてた井伊家の皆しゃんでしゅ。
 一応目安として井伊家の資料で見られる歴代当主の代目で書いてましゅ。
 他で見らりる文献では直政公が24代とかになってる物もありましゅが。


 ここに書いた19代・直親公と20代・直政公の間の時代には
 実はカウントさりてない御当主がいるんでしゅ!

 しょの方は“井伊直虎(いいなおとら)”しゃんと云いましゅ!」


「このカッコして“次郎法師”と書かれた方の事ですね」


タイガーしゃんは“虎”の一字に親近感を覚えました。
けれど何故カウントされなかったのか、またお家元がこの方にだけ
“公”という尊称を省いたのかが不思議でした。


「井伊家や井伊谷の人達は“直虎”しゃんと云う名よりも
 “次郎法師(じろうほうし)”しゃんと呼ぶ事が多いみたいでしゅ。

 因みに次郎法師しゃんは女性でしゅよ、タイガーしゃん」


「えっ、そうなんですか!?」


タイがーしゃんはそれで!と納得しました。



「あい、実はひこにゃん達が今回来た目的は、この次郎法師しゃんを支える為なんでしゅ!」

 次郎法師しゃんと井伊家に降り懸かる不幸な出来事に注意を巡らし
 井伊家の血統が決して途切れぬように、さり気なく導いていくのが目的でしゅ!」


「今回も難易度の高いお役目なんですね・・・」


「ひこにゃんとタイガーしゃんにしか出来ない役目でしゅ。
 いえ、ひこにゃん達がやり遂げなければ、この後の井伊家の400年以上の歴史が
 無くなってしまうんでしゅから!

 女性である次郎法師しゃんが何故当主とならなければいけなかったのか?
 なぜ男性の名を名乗らなければいけなかったのか?
 そりを知るには大いなる痛みを伴う事になりましゅが・・・・・」


お家元と一緒の“タイム・スリッパ”が、観光気分で出来るものでないのは
タイガーしゃんは来る前から分かっていましたし覚悟もしていました。








そんな二人に声を掛ける者がいました。


「そなた達、御手洗の井の傍で何をしておるのです!
 其処は我が井伊家にとって神聖な場所と知っておいでですか!」




それは小学生くらいの女の子でした。
けれど幼いながらも威厳を備えていて、無礼な振る舞いに及ぶようなら
咎める覚悟が窺えました。


「(今“我が井伊家にとって”と仰いましたね?、お家元!)」


「(あい!)」


二人は気付きました。


「ご無礼をお赦し下しゃい!
 わりらはこの井戸が遠江の名族・井伊家所縁のもので、初代共保公がご生誕さりた
 神聖な井戸とお聞きし、どうしても一目なりとも拝見仕りたく参った次第でしゅ。

 そりがしは彦根の招きぬこでひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ!」


「左様でしたか!
 その様な訳で参ったのなら、どうぞ存分に見て行かれませ」


少女は我が事を褒められたかのように嬉しそうでした。


「有り難き幸せでしゅ!」


「“ひこね”とは聞いた事がない土地の名ですね・・・
 何処の国の地名でありましょう?」


「あい、近江の国になりましゅ」


「近江!?
 それはまた遠き国より来られたのですね!
 井伊家の名は遥か近江の地にまで聞こえているのですか?」


「ひこにゃん達の住む土地では井伊家は特別な家柄でしゅ。
 知らない者など一人もいましぇん!」


「まさか・・・真に?」


「あい!」


「近江でとは・・・・・愉快な話をする者達ですね(笑)」




いつもながら初対面の方と親しくなっていくお家元のスピードには舌を巻きます。


「そなた達如何であろう、妾(わらわ)にもっと他国の話を聞かせて頂けまいか?」


「うふふ・・・好奇心旺盛なんでしゅね(笑)」


「妾のそれは城主である父上譲り故(笑)」


「・・・もしや貴女(あなた)しゃまは御屋形しゃまの・・・」


「如何にも!
 井伊谷城主、井伊信濃守直盛(いいしなののかみなおもり)が一女(むすめ)です!」


お家元達は最初の一言でその正体に気付いていましたが
途中の手順を省かずに、恭しく畏まって対応しました。

この姫の名前は後世に残ってはいませんが
18代目である“井伊直盛公”の子供は後にも先にも一人しかいません!

この幼い姫こそが後の女地頭“井伊次郎法師直虎”その人です!









「姫様っ!」


息を切らしながら二人の侍女らしき女性がこの場に辿り着きました。
この少女はこの二人を置き去りにして、一人先に走って来たようです。


「姫様、この者らは?」


「ひっ、なんと禍々しい獣じゃ!」


「私の事なんでしょうね・・・(苦笑)」


「騒ぐでない!
 妾(わらわ)は先ほどから話しておるが危険な事など有りませぬ!

 この者達ははるばる近江の国から御手洗の井を見に参ったそうじゃ。
 遠方からわざわざこの井の国に参った者達に無礼な物言いは控えなさい!」


「確かにご奇特な方々ではありましょうが、今日会ったばかりの者達を
 お信じになるのは如何なものでございましょう・・・」


侍女達の危惧は最もです。
その時、離れた場所からまた声が掛かりました。


「姫!、何をしておるのじゃ!?」


元気な少年の声でした。
見れば丘から続いたなだらかな参道の入口に背の高い僧と共に立っていました。


「亀之丞殿!南渓様」


姫の頬がチークを塗ったように桃色に染まり、同時に安堵の表情が見えます。
誰が見てもこの姫があの少年に好意を持っているのは一目瞭然でした。


「(! タイガーしゃん、今“亀之丞”と呼ばりたあの男の子が19代・直親公でしゅ!)」


「(直政公のお父さんになる方ですか!?)」


「(あい!)」


「(隣りの僧侶はどなたですか?)」


「(あい、呼び名から察しゅるに、あの方は次郎法師しゃんの大叔父で
  出家さりた“南渓(なんけい)”しゃんでしゅ。

  戦で殺生の業から逃れらりない武家では、数多く子息が出来た時には
  必ず出家させて仏に帰依させたしょうでしゅよ。

  そりであれば家督争いも避けらりましゅしね)」




「(成るほど!)」






声を張り上げなくてもいい距離まで、亀之丞と南渓は近付いて来ました。


「姫は儂をわざわざ迎えに来てくれたのか?」


亀之丞は大伯父の元に読み書きの手習いに来ていたようです。


「違いまする!
 妾は御手洗の井にお参りに寄っただけですから!」


姫は天邪鬼な応え方をしました。
気持ちを見抜かれたくない姫は話題を変えようとして、


「亀之丞殿、南渓様、聞いて下され!
 この方々はわざわざ近江の国から御手洗の井を見に
 この井の国にまで来られたんだそうです!
 近江の国では我が井伊家は知らぬ者がいないほど名を馳せているそうですよ!」


「なんと!、それは真か!?」


亀之丞は少年らしい驚きを見せ、姫同様誇らしく思ったようです。


「我が井伊家の名が遠く離れた近江の国で響いているなど
 妾は夢にも思いませんでした!」


その横に立っていた僧・南渓は「ほ~」とわかりやすい驚いた表情を作っていました。
そう作っていたのです。

“近江の国で井伊家が名を馳せている”、そんな訳がないと思ったからです。

お家元が姫に告げたのは、勿論彦根城が出来てからの現代の様子なのですが
この当時の近江にはその影はありません。

何かを企んで姫に接近した曲者ではと南渓が訝しんだのは当然の警戒です。
そしてお家元達に探りを入れました。


「さても近江の国からのわざわざのご下向、痛み入りまする。
 是非愚僧にも色々お聞かせ頂きたい」


南渓は姫の意気込みを制して、まず自分がこの者達を見極めるつもりです。
身元もわからぬ者達に御家の子供達が毒されていくのは見過ごせません。

お家元とタイガーしゃんは南渓のその不審な視線に気付いていました。


「誠を尽くしてお答えいたしましゅ」




南渓は穏やかな表情を崩さず、ささこちらへと参道へ促し先頭を歩きました。
けれど背を向けて全員に顔が見えなくなった瞬間狼狽えました!


“誠を尽くして~”とは包み隠さずという意味ですし、“お答えする”というのは
質問に答えるという表れです。
自分は“話を聞かせて欲しい”と告げたのに、話しますとは言わず
“答える”とこのぬこは言いました。
自分の思いが筒抜けなのに南渓は冷や汗を掻きました。

お家元は南渓にだけ解かる言葉を遣いましたが斬りつけたつもりはありません。
あくまでも正直に答えたつもりでしたが、逆に南渓を警戒させてしまいました。


「(この者達、侮り難し!)」


南渓の第一印象はそれでした。








お家元とタイガーしゃんは案内されて南渓の庵に通されました。


「お家元、ここが噂の“龍潭寺”なんですか?」


「あい、この頃はまだ“龍泰寺”という名前でしゅ。
 しょの名前になるのは今から16年後の事なんでしゅけど
 寺名が変わるしょの時は井伊家にとって非常に悲しい出来事が
 起こる時でもありましゅ・・・」




自分達も同席したいと聞かない姫と亀之丞を半ば強引な理由を付けて
無理矢理引き下がらせると、南渓は一人で戻って来ました。


「お待たせいたしました」


「改めまして、ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ」


「龍泰寺の僧・南渓瑞聞と申します。
 屏風に描かれたもの以外で虎を見たのは拙僧は初めてです。

 お二人は近江の国からいらっしゃったとの事ですが・・」


「あい、鳰の海(琵琶湖)の湖東にある彦根という土地から来たんでしゅ」


南渓は小細工せず単刀直入に聞きました。


「井の国には何の用向きで?」


南渓の厳しい表情と質問の調子に、お家元は事情を理解して貰う難しさに気付きました。


「(さっきの言葉が裏目に出てしまったみたいでしゅね・・・)」


お家元は石田家や大谷家の時と同じ方法で理解して貰うのは無理だと思い
新たな手段を模索しました。
ケースバイケースでやり方を変える所は流石お家元です。


「ひこにゃん達は井伊家のある方に会うのを目的に、この国に来たんでしゅ」




「それはどなたかな?」


「亀之丞しゃんの嫡男の“虎松”しゃんにでしゅ!」


「な、何!?」


これにはタイガーしゃんもギョッとしました。


「そなたは心得違いをしておるようだな・・・
 当家には亀之丞という名の者は一人しかおらぬ、そなたらがさっき会った男児がそうじゃ。
 彼の者には子供など生まれておらぬし、嫁すらも迎えてはおらぬ」


「あい、知ってましゅ。
 虎松しゃんが生まれるのは17年後の事でしゅから」


南渓は開いた口が塞がりませんでした。


お家元は正座したまま南渓の目の前までにじり寄ると
その膝に手を置きました。


「失礼しましゅ!」


南渓は“ぐわん!”と頭が揺さぶられました。


次の瞬間、三人は火事で焼け落ちたような廃墟の中心に
そのままの姿勢で正座していました。
南渓は我が目を疑い狼狽えました、自分の周りの風景が一瞬で変わったからです。
お家元は南渓をも連れて“タイム・スリッパ”を行いました!


「南渓しゃん、ここがどこかわかりましゅか?」


愕然としながらも南渓にはここがどこか解かり始めていました。


「まさか・・・・・そんな・・・何故こんな・・!?
 寺が一瞬で灰燼と化してしまった!」


そう、場所は変わってはいなかったのです!
ここは寺名こそ龍潭寺と変わっていましたが、ここは龍泰寺でした。
但し時間だけは近い将来へと変わっています。

お家元は後に龍潭寺が戦火にのまれて焼失するのを知っていたので
南渓にその変わり過ぎた姿を見てもらい、まず“タイム・スリッパ”を
信じて貰おうとしたのです。
そして落ち着いた口調で出来るだけゆっくり語りかけました。


「南渓しゃん、ここは確かに龍泰寺でしゅけど、さっきまでいた天文13年じゃありましぇん。
 ここは29年後の元亀4年でしゅ」


この年は途中で元号が変わるので“天正元年”でもあります。


「二十九年後!?・・・・・げんき・・・?」


南渓はよろよろと立ち上がり焼け跡を徘徊しました。
焼け跡にはいくつも見覚えのあるものが煤けて埋もれています。

お家元は南渓に信じてもらうために、かなり荒っぽい手段に踏み切りましたが
少々強引だったかとその姿に心が痛みました。

そして突然声が掛かります。


「お待ちしておりましたぞ!」


その声の方を三人は見ました




これはお家元にも予想出来なかった事です!




はたして三人を待っていたと告げた者(達)とは!?






       つ づ く









次回予告 )



南渓の信頼を得る事に成功し、無事1544年の井の国に戻って来たお家元達。

姫、亀之丞、南渓らに加え井伊家の一族との穏やかな日々に秋は暮れ冬を迎えます。

けれど井伊家には暗い影が忍び寄ります・・・








井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第二章 “援軍・過去と未来と現在の交錯”



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インターミッション XXXV (a)

2011-02-01 16:07:29 | 彦根ノムコウ
名古屋への出陣も無事に終えられたもちさん。
こちらでは“お家元”のお噺のつづきを

“【妄想】ひこにゃん”に捧げます。















2010年10月23日 午前9時前
ゆるキャラ(R)まつり 2010 当日

彦根城 表御殿





この日、彦根は異様な雰囲気に包まれていました。

“ゆるキャラ(R)まつり 2010”の開催に沸いていた彦根市では
多くののスタッフ・職員が朝早くから忙しく動き回っていましたし
駅からメイン会場に向けて歩く人々の波は引きも切らず
少し離れたキャッスルロードの喧騒と熱気が離れていても伝わるようでした。

でもそんな喧騒も、この表御殿だけはぽっかり取り残されたように
穏やかな時間が流れていました。


「そろそろ開会式が始まる時刻かな・・・」


池泉庭園の庭石の上でタイガーしゃんはお家元やカモンちゃんに訪れているであろう
局面を想像していました。
特にこの日のお家元は予定されていたスケジュールに隙間が無いほどで
タイガーしゃんは主の忙しさが気の毒でもあり、また誇らしげでもありました。



そんなタイガーしゃんの様子をいないはずのお家元が
御亭の障子の影から遠くに眺めていました。
お家元は音もなく部屋に現れ、気配を消していました。




このお家元は2011年の1月から来たお家元です。
お家元は数分前までの出来事を思い返していました・・・










「今のひこにゃんには心当たりがありましぇん・・・」






「お家元・・・
 ひこにゃん達が安心して身体を預けられるのは一人しかいましぇん!!」




「・・・ひこにゃんはシベリアに帰ったタイガーしゃんを連れて来るのは反対でしゅよ」


「もちろんでしゅ!
 しっかりお別れしたタイガーしゃんとは、然るべき時まで会うべきではありましぇん。
 ひこにゃん達も同意見でしゅ」


「(それにシベリアに帰ったタイガーしゃんはそりどころじゃありましぇんからね・・・)」


未来のお家元の一人が気になる事をボソッと呟きましたが
それは現在のお家元には聴こえてはいませんでした。
この呟きを漏らしたお家元は、果たしていつの未来から来たのでしょう・・・

とはいえこれはまた別のお噺なので、今触れるべきものではありません。




「でもタイガーしゃん以外にこの大役を務められる者が果たしていましゅかね?」


「・・・もちろんタイガーしゃんなら非の打ちどころなどありましぇんけど・・・」


現在のお家元は未来のお家元達に言われるまでもなく
それが可能ならどれだけ心強い事だろうと思わずにいられませんでした。


「そこなんでしゅよ、お家元!
 少し四次元的に考えてみてはどうでしゅか?
 裏ワザに近いんでしゅけど・・・」


「四次元的に?・・・でしゅか?」




「まだ彦根にいる間のタイガーしゃんに頼む事が出来たらどうでしゅ?」


「あっ!」


「気が付きましたね(笑)」


「しょれは・・・・・確かに裏ワザでしゅね・・・・・・・・
 けど案外いいアイディアかも・・・」


「ひこにゃん達はそうしてタイガーしゃんに付いて来てもらったんでしゅ!」


既に“次郎法師”様に会って来たはずのお家元達がそうした手段を採っているのです。
もう迷う必要はありませんでした。


「そりでいつのタイガーしゃんに頼むべきなんでしゅか?」


「2度目の“関ヶ原の戦い”から戻って約1ヶ月後の“10月23日”がいいと思いましゅ」


「あり?・・・しょの日は何か他にもあった日でしゅよね?」


「“ゆるキャラ(R)まつり”があった日でしゅよ、お家元!」


「しょの日は朝から開会式に出て、彦根城に3回、Aステージに午前午後、
 夕方からFCの発足式、その間をぬって一ヶ所訪問のあった日でしゅ」


「あいあい、しょうでした!」


「しかもその前の週末の土曜日は“井の国千年祭”に。
 翌日の日曜日は有楽町の“近江みちの国観光キャンペーン”に行ってましゅからね。
 ちなみに10月は火木もお稽古があった月でしゅ」


「“10月23日”のタイガーしゃんをお家元は覚えていましゅか?」


「いえ、あの日は一切余裕がなかったので記憶にありましぇん・・・」


「お家元がタイガーしゃんを連れ出しても“10月23日”のお家元は
 気付く余裕がないって事でしゅ!」


「なんか出来過ぎなくらいでしゅね!(驚)」


「あい!(笑)」


「そりじゃあまず2010年の“10月23日”に向かいましゅ!」


「お願いしましゅ!
 時間は9時直前で間違いありましぇんから」


「了解でしゅ!」



 








こうして1月のお家元は未来のお家元達に後押しされて、“10月23日”にやって来ました。

お家元は庭石に座っているタイガーしゃんの背中を見て
熱いものが込み上げてくるようでした。


自分の世界ではもうシベリアに戻ってしまったタイガーしゃんが
ここでは当たり前のように存在しています。


「(タイガーしゃんがいましゅ!当たり前でしゅけど・・・)」




その背は陽の光を浴びて黄金色に輝き、くっきりと浮かび上がった漆黒の模様は
精悍さに溢れ、その雄姿にお家元はしばらく声が掛けられず眺めていました。





しばらく時間が過ぎた後、タイガーしゃんが気配に気付いたらしく
振り返ってお家元と目が合いました。

タイガーしゃんは一瞬驚いた表情をしましたが、直ぐに納得した顔をして
お家元のいる場所まで駆け寄って来て言いました。


「お家元、ようこそ!」


これは同じ時間軸に存在するお家元に対して言うセリフではありません。
タイガーしゃんはこのお家元がいつものお家元ではないのを見抜きました。

開会式に出ているお家元は全てが片付く夜まで部屋に戻って来れる余裕がありません。
とすると今目の前にいるお家元は本来のお家元ではないはず。
きっと一ヶ月前と同様に“タイム・スリッパ”してきたお家元なんだと気付きました。

そして開会式に出ているお家元の忙しさと不在を知った上で来たんだとしたら
一体何の用事があって来たのか?

導き出された答えは一つでした。
自分に用があって来られたのだ!、とタイガーしゃんは察しました。


「お家元、何かお困りなのでは?」




「!」


タイガーしゃんの勘の良さにお家元は感動しました。
この時のタイガーしゃんはこの一年の中での円熟期に入りつつあったので
多くの言葉は必要ないほどです。


「タイガーしゃん、一緒に来てひこにゃんを助けてもらえましゅか?」


タイガーしゃんは間をおかずに応えます!


「喜んで!」


タイガーしゃんは「どこへ?」とも「一体何が?」とも聞きません。
そんな事はどうでもいいい事でした。
お家元に頼まれたのなら、タイガーしゃんには“拒む”という選択肢はありません。

お家元はタイガーしゃんの得難い能力と頼もしさに勇気づけられ
新たな旅への不安が一切なくなりました。
やがて二人の気配は表御殿から忽然と消えていったのです。











井の国に咲く橘の花 ~千年絵巻謳~

第一章 黎明・数奇なる姫君














天文13年(西暦1544年)9月
遠江国 引佐郡 井伊谷










「お家元、ここは?」


「ここは現代でいえば静岡県の浜名湖の北東に位置する井伊谷(いいのや)という所で
 “井の国”とも呼ばれている土地でしゅ」


「! 先週お家元が行かれた場所ですね。
 ・・・失礼しました、私とご一緒しているお家元が先週行かれた土地ですね」


「細かい気遣いは大丈夫でしゅよ、タイガーしゃん(笑)

 しょう、ここはひこにゃんが来た井伊谷で、土地の名前からも分かるように
 井伊家はこの地から興ったんでしゅ!」


「この地から・・・」


空は広く晴れ渡って空気は澄み、太陽に背を向けて立った先には山塊が聳え
辺りは一面田畑の海でした。
目の前にはぽっかり浮かんだ小島のような丘があり、木々で覆われた中に参道と山門が見えたので
きっとその林の奥には寺社があるんだろうなとタイガーしゃんは思いました。

一面の田畑の真ん中に不自然なスペースがあります。
その様はまるで広大な田畑が開墾されるよりも、ずっと以前からあった場所だと
云わんばかりの空間で、そこには石が積まれた何か人工の物があります。

お家元はそこに向かって歩きました。


「これは・・・井戸・・ですか?」


「あい、こりは“御手洗の井”と謂いましゅ!
 この井戸は井伊家の始祖・共保(ともやす)公が千年前の1010年にお生まれになったという
 伝説の井戸で、千年経った2010年にもしっかり残ってるんでしゅ」


「始祖?初代という意味でしょうか?
 お家元、井伊家の初代は“井伊直政公”ではないんですか?」


「直政公は彦根に移ってからの初代と謂う意味なんでしゅよ、タイガーしゃん。
 共保公から数えたら直政公は20代目になりましゅ」


「成るほど!」


「始祖・共保公はこの井戸から生まれたとも、傍らで拾われたとも謂いましゅ」


「共保公は捨て子だったんですか?」


「昔は“捨て子はよく育つ”という言い伝えがあったしょうで、
 生まりた子供を捨てた態にして、そうしてすぐに拾い直す儀式があったようなんでしゅ。

 共保公が果たしてどうだったのか、真実はひこにゃんにもわかりましぇん(苦笑)
 実際に確かめに行く事は出来るかもしましぇんけど、そりは止めておきましょ」


伝説のままにしておいた方が善いという事もあります。


「ともかく井戸の傍らで八幡宮の神主しゃんに見つけらりたその子には貴人の相があったといい
 七歳まで神主しゃんに育てらりて、その後国司の藤原氏の養子となって 
 “藤原共保(ともやす)”と名乗られたんだそうでしゅ。

 やがて成人した共保公は地名に因んで家名を“井伊”と改めたんでしゅ。
 こりが井伊家の始まりでしゅ。
 そしてこの井戸の側には橘の樹もあったしょうで、後の彦根井伊家の家紋が
 “彦根井筒”や“彦根井桁”、“彦根橘”になったんだそうでしゅ。

 見て下しゃいタイガーしゃん、この“井”の形の石組みを!」


「本当だ!井伊家の“井桁”はここから取られたんですね!」


「しょういう話でしゅ」


タイガーしゃんは凄い物に巡り合ってしまったと感動しました。









           (b)へつづく~


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