涙と笑いのHIV奮闘記II

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
歳のせいか治療の副作用のせいか忘れ物がひどいんです。

初盆なので実家へ帰ります

2015-08-14 20:00:00 | 電車・鉄道・乗り物

父が今年2月に逝ってしまい、明日が初盆。
このあと用意していた着替えやら仏前へのお供えやらお布施やら、あ、そうそう薬も予備の分を含め3日分忘れず持って実家へ。

今日の交通ダイヤは、お盆と云うことで日祝日ダイヤ。

Yahoo!路線で検索すると、15:41発の電車に乗れば、ギリギリ最終バスに乗れる予定。 

えっと、橿原神宮前駅着が16:25。
吉野線に乗換えで、16:30発、吉野口駅着が16:45着。
JR和歌山線に乗換えで16:52発、五條駅着が17:04着。
奈良交通バスに乗換えで最終バスが17:14発。 

うん、乗り換え、意外とスムーズ。

と思いきや、途中で腹が痛くなって・・・

橿原神宮前駅で急いでトイレに行かねば、絶対に×××してしまう・・・

駅に着く前からベルトを緩め、ドアの前に立ち、
ドアが開くや否やトイレに小走りでダッシュ・・・

トイレに入ったところにティッシュペーパーが売っていて、
そんなの買う余裕なし。

ええいままよ、と個室に入るとトイレットペーパーあるやん!
でも和式。
最近の子供たちは和式でよぉせぇへんらしいですけど、
自分は大学で独り暮らしをするまで、自宅も学校もトイレは和式でしたから、全く苦ではありません。

あ~これで、最終バスに乗れへんし、この駅で1時間待ちや~。

と、用を足して時計を見ると、まだ16:25。
あれ?どうなってるんや?

と思って吉野線のホームへ行くと、丁度吉野行きの電車がホームに滑り込んでくるところでした。

近鉄、橿原線が早く着いたのか、南大阪線が遅れているのか。

まあ、良しとしよう。

吉野口の乗り換えも普通どおりで、十津川行き最終バスにも上手く間に合って一安心でした。

やはりこちらは涼しいです。

ちょっと車ででかけてめはり寿司。


  

途中温泉に。

 


電車の窓から大阪平野

2015-08-14 13:00:00 | 自然

博物館を見終わった後、奈良へ。
谷四→(地下鉄)→鶴橋→(近鉄)→奈良。

地下鉄鶴橋駅の改札を出ると鈴虫の声。

あたりを見回すと、鈴虫数匹が入ったケースが3つ並んでいました。

鈴虫の声を聞くのは久しぶり。
昔飼っていたけれど、ほんま、久々にその声を耳にしました。

 

近鉄奈良線は、東大阪の瓢箪山駅を過ぎると、生駒山をグングン登ってゆきます。
瓢箪山駅の標高は約10m、新生駒トンネルの標高は150m。

この高さを昇ることが出来ないために、阪神電車が奈良に乗り入れるためには、
別の車両が必要ということで、新しい車両が導入されたとか。

また、以前奈良発上本町駅の急行列車が、古い方の生駒トンネルの中でブレーキが故障し、
そのまま石切駅、瓢箪山駅を通過し、河内花園駅に停車中の普通電車に猛スピードで衝突した事故があったとか。

それと変わってできた新生駒トンネルへ向かう車窓からは大阪を一望できます。

一番左に見えているのが難波にあるスイスホテル南海大阪ですね。
右端に京セラドーム。 

 

あべのハルカス。

 

六甲山系をバックに、ミナミ~キタのビル群。

 

奈良駅周辺の植え込みに咲く花。

  

 

  


大阪歴史博物館で「看板の世界」「初世中村鴈治郎」

2015-08-14 12:30:00 | 美術館・博物館

中央大通りの上を、阪神高速の下を、それぞれの通りを横切る歩道橋から見た、大阪城。

 

そして、その歩道橋に止まるシオカラトンボ。

 

帰省ラッシュなのでしょうか、阪神高速道渋滞。

 

大阪歴史博物館。

 

とりあえず最上階まで。

基本、特別展示を除いては、フラッシュを光らさなければ、撮影OKです。

最上階から大阪一望。

生駒山。

 

難波宮跡。

  

大阪城と京橋の高層ビル群、大阪城のお堀。

  

今開かれている展示は、特集展示として「看板の世界 -館蔵コレクションから-」

 
 

様々な江戸時代から昭和初期の看板が展示されています。

パンフレット最後のページの下から二段目、右から二番目の薬屋の看板は、
池大雅の筆によるもので、「風薬のんでなをらぬ風の薬」とかかれています。 


会場は常設展示場の8階にある特集展示室。

 
 
 

パンフレット以外にもいろいろな看板。

大阪の船場には道修町という町があって、江戸時代に清やオランダから輸入された薬は
一旦この町に集められ、そして全国に販売されたという薬の町。

今でも武田、塩野義、田辺三菱という製薬会社の本社があり、
今はアステラスと社名を変え、本社は東京に移転しましたが、藤沢薬品もここに本社がありました。

なので、薬問屋の看板が多く展示されていますね。

装飾の立派な看板。
これも薬屋の看板。装飾が立派です。 

 
  

そのほかにもいろいろな看板。
鯛味噌屋の看板。 

 

香油屋の看板。

 

さて、次に6階の特別展示室へ。
普段は常設展示と別料金が必要な特別展示ですが、
今回は
「特別企画展 道頓堀四百年記念
初世中村鴈治郎 ―上方歌舞伎の巨匠―」
ということで、、常設展示料金に含まれています。

今年は道頓堀開削400年にあたり、
また、道頓堀といえば芝居町。そこで活躍した盟友初世中村鴈治郎没後80年でもあります。
しかも四世中村鴈治郎を、中村翫雀が襲名披露した年でもあります。

それを記念しての特別企画展。
歌舞伎ファンとしては行かねばなりません。

自分は勿論初世の舞台は知りませんし、
二世もテレビ放送でしか見たことがありません。
しかし三世はまだ「扇雀」という名の頃から、三世鴈治郎を経て坂田藤十郎となるまで見ており、
四世も智太郎、五代目翫雀を経て四世となるまで見ております。

初世中村鴈治郎といえば、1860年に三世中村翫雀の子供として生まれ、
1873年(明治6年)に実川鴈二郎として道頓堀の芝居で初舞台、
1878年に中村鴈治郎と改名しています。

明治後期に、上方歌舞伎の人気を二分していた十一世片岡仁左衛門が東京に移り、
以後事実上上方歌舞伎の一人者となりました。

「がんじろはん」と大阪の人々に愛された役者です。
最期は昭和9年、京都南座の顔見世興行の舞台で倒れ、
その死は新聞号外で伝えられたほどの人気が有ったということです。

ちなみに、現中村鴈治郎は四代目。初世の曾孫にあたります。
そして現坂田藤十郎が三代目中村鴈治郎で初世の孫。

ちなみに中村玉緒さんも初世のお孫さんにあたります。

以前もらっていたちらし。

  

今回頂いたパンフレット。

 
 
 
 

残っていた舞台を録音したSPの音声、少しだけですが流れており、
出演した映画(勿論白黒の無声映画)も数分流されていました。

初世による書画も展示されており、なかなかの特別企画展でありました。

で、ポスタープレゼント、先着80名。
もう開催されて1ヶ月半、残っていないよなぁ・・・
と思ってたずねると、ありますよ、ということで貰って帰りました。

 

あ、そうそう、道頓堀開削400年を記念しての展示は、
ちょっと奥まっていますが、常設展示9階の「まちの生活」コーナーで行われています。 
お見逃し無く! 


2ヶ月振りの受診

2015-08-14 09:30:00 | HIV

今日から職場は盆休み。

とはいえ、今日は2ヶ月振りの受診。
いつもはラッシュを避けて朝6時45分発の電車に乗るのですが、
7時15分発の電車。 
いつもなら、座ることなんてとても出来ないのに、空いていて、座れました。

平城宮跡朱雀門と大極殿を車窓から。

  

地下鉄もすし詰めなのに、座ることもできました。 

病院も空いていて、2番目に呼ばれました。

検査結果:(前回採血分)
t-Bil 2.5
HBs-Ag 66.63
HBe-Ag 1.2

HIVウイルス量 20未満
CD4 430
CD4/8 0.47

うん、これもまずます。

会計スムーズ、院外薬局でもスムーズ。

毎日お盆だったらええのに・・・

病院の前には向日葵。

  
  

向日葵。阪神高速道路越しに、NHK大阪放送局と大阪歴史博物館。

 

病院から薬局へ行く途中に咲く夾竹桃。

  

ミモザの木の幹に空蝉。

 

カタバミ?

 

ベンケイソウ

 

薬を貰って、大阪歴史博物館に向かいます。