MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2250 かつてロシアにはゴルビーがいた

2022年09月09日 | 国際・政治

 8月30日、旧ソ連の初代大統領を務めたミハイル・ゴルバチョフ氏がロシアの首都モスクワの病院で死去したとの報が、世界を駆け巡りました。

 ゴルバチョフ氏と言えば、(若い人たちには教科書に出てくるような歴史上の人物かもしれませんが)東西冷戦とその終焉をリアルタイムで知る私たちの世代にとっては、まさに世界の歴史を作り変えた「偉人」とも言うべき存在です。

 彼の業績を一言でまとめるなら、東西の政治対立を終結させ世界秩序の再構成、安定化に貢献した偉大な指導者と言えるでしょう。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、現在(人間の尊厳を求め社会体制の改革に大きく舵を切った)ゴルバチョフの理想をことごとく裏切り、世界を緊張と不安に陥れている現状を慮るとき、ゴルバチョフ氏の死に一つの時代の終わりを感じているのは私だけではないでしょう。

 今からおよそ37年前、1985年3月にソビエト連邦共和国の最高権力者である共産党中央委員会書記長に就任したゴルバチョフ氏は、その後1991年12月までの約6年9カ月にわたり、同国において「ペレストロイカ」と呼ばれる大胆な改革を推し進めました。

 1990年にはその業績により、東側の政治家として初めてノーベル平和賞を受賞。選定委員会はその理由に、「今日の国際社会の重要な分野を特徴付けている平和プロセスにおける彼の主導的役割」を担ったことを挙げ、これによりソ連社会の開放が進み、ソ連への国際的信頼を高めたと称賛しています。

 それまでのソ連の指導者たちの「しかめっ面」とはずいぶんと雰囲気が違う間味溢れる風貌に、西側世界の人々から「ゴルビー」の愛称で親しまれたゴルバチョフ氏。9月3日にモスクワで営まれた葬儀には、多数の市民が集まったとされています。

 第二次大戦後の人類の歴史に大きな足跡を残したゴルバチョフの死去を踏まえ、9月6日の英国紙「フィナンシャル・タイムズ」にチーフ・コメンテーターのギデオン・ラックマン氏が、『「偉大な国」ロシアの変転 人間の尊厳否定、領土奪還へ』と題する論考記事を寄せているので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 ウクライナへの軍事侵攻を進めている大国ロシア。武力による現状変更を主導するプーチン大統領が考える国家の偉大さとは、広い領土と軍事力、そして隣国を恐怖に陥れたり従属させたりする力を意味しているとラックマン氏はこの論考に記しています。

 プーチン氏は、ロシアが大国であるのは「当然の権利」だとして信じて疑わない。ウクライナの独立は「ロシアからの強奪」だと考えており、大国としての力と権威の再構築には失われた領土の奪還が不可欠と考えているというのがラックマン氏の見解です。

 一方、ゴルバチョフ氏にとっての国家の偉大さとは、一般国民の尊厳をいかに守れるかに重点が置かれたと氏は指摘しています。

 2001年に歴史家でもあるダニエル・ヤーギン氏のインタビューを受けたゴルバチョフ氏は、市民に毎日の生活必需品を行き渡らせることができなかったソ連政府の無能ぶりに言及した。

 「人工衛星『スプートニク』をいくつも打ち上げ宇宙飛行をなし遂げ、高度な防衛システムを作り出した国なのに、歯磨き粉や粉せっけんなど基本的な生活必需品が手に入らない状況を想像してほしい。そんな政府で働くのは信じがたく屈辱的だった」と話したということです。

 ゴルバチョフ氏の改革は、(今から思えば)限定的なものであったが、一般的ロシア国民がそうした品不足に耐える必要がなくなったのは同氏の経済改革に負うところが大きいとラックマン氏は言います。

 ロシア国内には、(ゴルバチョフ氏を)きちんと機能していたソ連経済を崩壊させた人物と批判する向きも多い。しかし、同氏のおかげで日常生活が改善したことを、ロシア国民は覚えておくべきだというのがラックマン氏の指摘するところです。

 ゴルバチョフ氏の「人間の尊厳を守る」という価値観において特に重要だったのが、それをソ連の国境を越えた国々の人々にも広げた点だと、ラックマン氏はこの論考に綴っています。

 自らの信念から彼が下した最も重要な決断は、1989年にポーランドやハンガリー、そして東ドイツで民主化運動の花が開き始めた時に、ソ連の戦車を送り込まないと決めたこと。この決断により東側の強権的な指導者は後ろ盾を失い、それが東西冷戦の幕引きに繋がったということです。

 その後、(短い期間だったが)ゴルバチョフ氏は政治的自由を象徴する国際的なアイコンとなった。ベルリンの壁が崩壊する約1カ月前の1989年10月に東ベルリンを訪れた同氏に、民衆からは「ゴルビー、私たちを助けて」という声が湧き上がった。同年5月に北京を訪れた際には、天安門広場で抗議運動をしていた学生らがゴルバチョフ氏を英雄と讃えたとラックマン氏は振り返ります。

 彼が全世界に証明したのは、独裁体制でも改革は可能であり、デモ参加者を殺す必要はないということ。残念ながらその夢は、翌月の天安門事件で潰えることになりましたが、東欧諸国では体制転換への大きな力になったのは言うまでもありません。

 さて、9月3日に営まれたゴルバチョフ氏の葬儀に、スケジュールが合わないとの理由で参列しなかったプーチン氏。これは、ゴルバチョフ氏が広めたこのような(人間の尊厳という)価値観への侮蔑を暗に示したものに他ならないと氏はこの論考に記しています。

 一方、(政権トップの不在にもかかわらず)ゴルバチョフ氏に弔意を示すため、数千人ともされるロシア市民たちが会場となったモスクワの労働組合会館「円柱の間」の前に列をなした。

 ロシアのウクライナ侵攻を理由に西側諸国のリーダーたちの多くが葬儀への参列を見送る中、現在のロシアに暮らす彼らが示したのは、プーチン氏への静かな反発に外ならないとこの論考を結ぶラックマン氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。

 



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