MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯272 渡る世間に鬼がいたとしても

2014年12月22日 | 本と雑誌


 「人を見たら泥棒と思え」と「渡る世間に鬼はない」。古くから語り継がれたこの2つの格言の間には、「正反対」とも言える大きな隔たりがあります。

 確かに、人間的なつながりの薄い弱肉強食の文化の中では、「他人を信頼するのは愚かなお人よし」という信憑が、リスクを回避しようとする人々にとって当然の帰結であることは間違いありません。

 しかし一方で、一定の条件を備えた環境のもとでは、「他人を信頼しない」人間は逆に周囲からの信頼を得られず、結果的に本人にとって「損」となる社会が生まれてくることもあるかもしれません。

 社会心理学者の山岸俊男氏は、著書『安心社会から信頼社会へ-日本型システムの行方』(中公新書)の中で、社会には「他人を信頼することが有利になる環境」と「信頼しないことが有利になる環境」の二つがあり、どちらの社会環境を作るかは、結局、社会を作る人々自身に委ねられているとしています。

 これまでの日本の社会は、ある意味「信頼」をあまり必要としない社会であったというのが山岸氏の基本的な認識です。少なくとも日本の社会はアメリカに代表される欧米の社会に比べ、他人を信頼すべきかどうかを考える必要性(重要性)が小さな社会であったのではないかと氏はここで指摘しています。

 日本人の多くは、小さな島国において同一民族、同一言語、同一文化の人々の間で暮らしてきたばかりでなく、その大半は1000年以上にわって人口の流動性の少ない小さな農村社会の住民であった。従って、これまでの日本社会では関係の安定性がその中で暮らす人々に対して既に「安心」を提供しており、相手が信頼できる人物かどうかを考慮する必要が小さかったはずだと山岸氏は説明しています。

 江戸時代、地方の山村で暮らす農民は、そのコミュニティで暮らしている限り、相手を信頼すべきかどうかなどということで不安を感じる必要はなかった。何十年も顔を突き合わせている人間関係の中では、「誰が信用できて誰が信用できないか」はほとんど自明であり、逆に村人の信頼を裏切るような行為をしたことが分かれば村の中で暮らしていけなくなる。だから、村人たちは周りに迷惑をかけるような行動を極力慎んできたということです。

 しかし、そうした農民が、用事があって急に江戸や大坂というような大都会に出てきたら、これまで出会ったことのないいろいろな人間たちと付き合っていかなければなりません。気を抜けば、騙されたりひどい目にあわされたりするかもしれない。

 そこで、「人を見たら泥棒と思え」と心の中で唱え続け、あまり外出もせず人にも会わないようにじっとしていれば、彼は無事に用事を終えて故郷の村に戻ることができるかもしれません。「江戸は怖いところだった」と周囲に自慢話をしながら、平穏に一生を終えることができるでしょう。

 しかし、誰もかれもが「泥棒」かもしれないというかたくなな不信感を捨てて、「せっかく都会に出てきたのだから」と、もう少し積極的に新しく出会う人達と付き合いを始める人もいるかもしれません。

 そして、そう考えて人間関係を一歩踏み込んだ人たちには、(場合によっては身ぐるみはがれてしまうかもしれませんが)故郷の村に留まっていたのでは思いもつかないような素晴らしい経験やチャンスが巡って来る可能性が出てくると山岸氏は指摘しています。

 山岸氏によれば、現在、これまで日本を支えてきた安定した社会関係や人間関係の枠組みが急速に小さくなっており、生活の中で人々が安心していられる場面が大きく減少しつつあるということです。

 例えば、「終身雇用」というような雇用の安定は既に脅かされつつある。離婚の増大や共同体的な地域社会の崩壊などもその一例と言うことができるでしょう。

 このような「関係の安定性」に根差した「安心」の保障が小さくなるにつれ、これからの日本社会では、我々の一人一人が、「この場面で相手を信じていいものかどうか」という判断を迫られる場面が増えてくるだろうというのが、こうした状況に対する山岸氏の見解です。

 そして、山岸氏は、そういう社会においては、「人を信頼すること」が生活の中でより大きな意味を持つようになってくると指摘しています。日本人が一般に他人を信頼するようになるのか、それとも他人への不信感の中で生きるのかが、今後の日本社会の行方を決定する上で重大な意味を持ってくるということです。

 これからの日本の社会では、これまでのような外部に対して閉ざされた関係の中で相互協力と安心を追求することでは得られない、「信頼関係」を前提とした新しい「機会(チャンス)」に直面することになると山岸氏は見ています。

 信頼は、距離感を保った付き合いの中からはなかなか生まれてこないものです。外交関係もまた然り。相手を信じない人間は相手からも信じられないという人づきあいの基本を、島国育ちの我々も、この辺でもう一度思い返す必要があるのかもしれません。

 目の前のチャンスを上手く活かせるかどうかは、これからの日本に「世界に開かれた信頼の文化」が育っていくのか、それともナショナリズムの名のもとに内向きの「不信の文化」が育っていくのかにかかっているとする山岸氏の指摘を、時代の流れを踏まえた大きな視点として、大変印象深く読んだ次第です。



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