MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯247 「自分探し」の意味

2014年11月01日 | 本と雑誌


 一橋大学特任教授で社会心理学者の山岸俊男氏は「社会的ジレンマ」の研究で知られており、日本におけるその分野の第一人者として2004年に紫綬褒章を受章、2013年には文化功労者にも選ばれています。

 一方で、氏は、専門の社会心理学な視点から現代社会を平易な文章で読み説いた一連の著作により、高校生から年配の方々まで多くのファンを獲得しているライターでもあります。様々なタイプの実験に基づいた人間の社会的な行動の分析により、現代の日本や世界の有様までをテキパキと整理するその論評は、読む者に「なるほど」と思わせる不思議な納得感をもたらします。

 社会心理学(social psychology)というのもあまり耳慣れない言葉ですが、個人に対する社会活動や相互的影響関係を科学的に研究する心理学の領域の一つで、以前は「集団心理学」とも言われた、「社会における個人の心理」を研究する研究分野を指すのだそうです。(←wikipedia)

 社会心理学は、個人が複数集合し「社会」を形成した際に起こる様々な出来事を包括的に取り扱い、社会的な状況の中で起こる個人の行動や集団間行動などの傾向を、主に実験によって読み説いていこうとするところにその特徴があるとされています。

 一般に「集団心理学」というと、パニックやファシズム、流言や差別、そしてジェノサイドなど人間が持つ「性」とも言うべき非合理的側面や極端な集団行動を研究する分野と考えられがちですが、氏の著作を読む限り、そうしたネガティブな側面ばかりでなく、社会との関わり方などについて、生身の人間に寄り添ったもっと身近な学問だと感じることができます。

 さて、ハーバード大学教授のメアリー・C・ブリントン氏との対談集として2010年に発表された、「リスクに背を向ける日本人」(講談社現代新書)において氏は、最近の日本の若者の行動論理の特徴とされる「自分探し」に目を向けています。

 山岸氏は、この「自分探し」を、「自分は本当は何をしたいのか」「何をすれば幸せになるのか」といった、自分の個人的な「成功」を求めているものだと指摘したうえで、しかし、そうした「自分探し」は決してうまくはいかないだろうと結論付けています。

 「本当の自分」がどこかにあって、それを見つけることさえできれば何をしたいのかが分かるだろうというのが「自分探し」の本質ではないか、そう山岸氏は言います。でも、本当の自分がどこか心の奥底にあると考えること自体が何かおかしい。本当の自分は実は「そこにある」ものではなく、「これから作る」ものだから…。これが、この問題についての山岸氏の論点です。

 日本人には日々の行動を縛りつける社会的なコンストレイント(制約・拘束…つまり世間のシガラミのようなもの)がたくさんあって、それをとても強いものと感じている。だから、自分がなりたい人間になるには、まず外部にあるそうしたコンストレイントから逃れなければいけない。そうしたコンストレイントを取り去った後に残るのが「本当の自分」なんだという気持ちが、現在の若者の「自分探し」の意味なのではないかとこの対談で山岸氏は述べています。

 言い方を変えれば、周囲の期待に応えてしまう「私」がいて、それを嫌だと思っている。そんな私は私じゃない。どこかに本当の私がいて自分を待っている。それが自分探しの意味ではないかということです。

 確かに一時期、日本のマスコミでは、この「自分探し」がかなりポジティブな文脈の中で語られていました。しかしマスコミが作った「どこか自分の中に本当の自分がある」というストーリーは、結局「新しい生き方」のメインストリームになることはできなかったと山岸氏は指摘しています。

 一方、この対談におけるカウンター・パートとなったブリントン氏は、アメリカの若者には自分の内部に潜り込んで「本当の自分」を見つけるのではなく、自分の外側に出かける(働きかける)ことで自分を見つけるという態度が主流となっていると言います。

 自分を見つけるために世の中と積極的に関わりあっていく。それが、アメリカの若者の「自分探し」の方法論だという指摘です。

 トライ・アンド・エラーを繰り返しながら自分自身が何を望むのか、何が得意なのかがだんだんと分かっていく。やり直すには時間もかかるし、時には傷つきもする。しかし、結局自分を知り、伸ばすことは行動を起こすことによってしか理解できないし、納得感はそこからしか得られないと、ブリントン氏は山岸氏との対談の中で述べています。

 例えば、アメリカの若者は日本人よりも多くの人が(比較的若いうちに)結婚して、日本人よりも多くの子供を生んでいるとブリントン氏は指摘します。

 家族を作って自立するために、失敗を恐れず結婚をして子供を設ける。場合によっては、上手にいかなくて離婚するという選択も当然生まれてくる。それでもまた、新しい結婚相手を見つけて再婚すればいい。

 アメリカの社会の中には、そうしたトライ・アンド・エラーや多様な生き方を是認する、(ある意味)前向きな発想が底流しているというのがブリントン氏の認識です。

 アメリカの若者にとっては、「外側の世界」が自分を「制約する存在(コンストレイント)」ではなく、自分が「働きかけるべき存在」として意識されていると、山岸氏はこうした指摘を論評しています。

 社会に対し、自らを規定する抑圧的な存在として認識する日本人と、自らがドアをノックすべき可塑性の高い(開かれた)存在として認識するアメリカ人。社会に対する基本的な認識の違いが両国の若者の行動に与える影響を、社会心理学の視点も含めこれからもさらに整理して考えていきたいと感じた次第です。


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