MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2134 下駄を履いてきた男たち

2022年04月17日 | 社会・経済

 文部科学省の発表によれば、2021年度に行われた国内大学医学部医学科の入学試験における女性の平均合格率が、データがある2013年度以降初めて男性の平均合格率を上回ったということです。

 大学医学部の入試をめぐっては、2018年に東京医科大学における不適切な取り扱いが発覚。それを機に文部科学省が医学部を設置する全ての大学に対して緊急調査を実施したところ、複数の大学で、男女や浪人年数によって合否ラインに差を設けている等の不正事例が見つかったのは記憶に新しいところです。

 事件のあった東京医大では、こうした男女間の点数操作は長年慣行として行われており、2010年の合格者の男女比で女子が4割弱を占めたことで加速。以降、女子の合格者を全体の3割以下に抑える調整が行われていたとされています。

 報道によれば、その理由は「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師現場を離れるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった」ということのようですが、出産等で女性医師が職場を離れざるを得ない(男性中心の)就労環境の問題には、当時ほとんど目が向かなかったということなのでしょう。

 さて、いずれにしてもそれ以降、受験生の性別や年齢などで下駄をはかせたり、不利な取り扱いをしたりすることがないよう、各大学では公正確保に向けた取組みが進められて来ました。その結果、全国の国公私立全81大学の平均合格率は男性13.51%、女性13.60%と、女性の平均合格率が男性を上回る状況が生まれてきたということになります。

 因みに、(各大学ごとに)不適切な取り扱いが行われていたとされる2013年度から2018年度の期間の平均合格率は、男性11.25%、女性9.55%と、男女間で1.7ポイントの開きがあったとされています。しかし、様々な見直しにより、2019年度は男性12.11%、女性11.37%。2020年度は男性12.56%、女性11.42%と、徐々に女性の合格率が上がってきたということです。

 医師を目指し医学部を受験する学生の意識の問題もあるのでしょうが、こうした状況を見ると、やはり(想像していたとおり、そして大学側が恐れていたとおり)女性の実力は男性を上回っていたのだなと改めて感じるところです。

 さてそんな折、神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏が自身のブログ「内田樹の研究室」に、「男たちよ」(2022-01-12)と題する興味深い一文を掲載しているのが目に留まりました。

 このコラムによると、内田氏は最近、地方で手作りパンとビールを作っている起業家夫妻と話をする機会があったのだそうです。その際、最初に話題となったのが「日本の男たちはどうしてこんなにダメになってしまったのだろう」ということ。方便としてあえて「雑な論じ方」をすれば、若い人たちを採用しても男子は仕事ができず、こらえ性がなく、すぐに「きつい」と言って辞めてしまうため、残って一人前に育つのは女子ばかりだという嘆きだったということです。

 話を聞いて、「そうだろうな」と思ったと氏はこのコラムに綴っています。というのは、内田氏が主宰する合気道の道場で新しい活動を始める際も、発案するのも、運営するのも、参加するのも(基本的に)女性たちばかりとのこと。先般、羽黒山伏で修験道に加わった時も、集まった山伏たちは大半が若い女性で、現代修験道は若い女性たちに支えられているのがよくわかったということです。

 「パリテ」とか「クォータ制」とかいう議論を聞く限り、日本におけるジェンダー問題は「女性に下駄を履かせないと、バランスがとれない」ことのように思えるが、実は話はまったく逆だということ。「男子に下駄を履かせないと、バランスがとれない」というのが日本におけるジェンダー問題の実相だというのが氏の見解です。

 制度的に「男に下駄を履かせる」ということは、わが家父長制の「伝統」であるともいえる。かつて男は正味の人間的実力とはかかわりなく、「ポスト」が与えられた。それで何とかなったのは、「ポスト」は定型を要求するからだと氏は説明しています。

 氏によれば、家長には、子弟の進学や就職や結婚についての決定権が認められていたということです。戦前の民法では、家長の判断に従わないメンバーには勘当されるリスクがあり、一方の家長にはそれを行う権限があった。だから、それらしい顔つきで、それらしいことを言っていれば家族は黙って彼に服したと氏は言います。

 しかし、令和の時代にはそのような制度の「支え」はない。男たちは正味の人間的実力だけで家族からの敬意を勝ち得なければならない。でも、そんなことができる男は申し訳ないけれど、きわめて少数に止まるというのが氏の認識です。

 さて、思えば、生き物としての強靭さ(=優秀さ)を示す平均寿命一つをとっても、日本の場合2020年現在で男性の81.56歳に対して女性は87.71歳と、実に6年以上もの差があります。また、2020年の国内の自殺者2万1081人のうち男性の自殺者は1万4055人と、約67%を占めていることからも、女性よりも男性の方がストレスに弱く環境への順応性に劣っている現実が見て取れるというものです。

 雌雄を有する生物では、発生学的にも(まずは)女性が基本形とのこと。男性は繁殖を効率化するための道具なようなものとの指摘もあるようです。そう考えれば、(もしかしたら)生命体としての優劣があるのも当然かもしれません。

 そんな中、敢えて男性の味方に立つとすれば、男性を「不自由」にし「生き辛く」している要因が社会の中にもあるのではないかということ。もしも男性が「不公平」を口にするのであれば、まずはそこから改めていくのが筋(スジ)というものでしょう。

 ジェンダーフリーが当然のこととされるようになったこの時代。男たちが下駄を履かせなければ生きていけない状況を少しでも改善することで、男女が等しく幸せに暮らせる世の中になるのではないかと内田氏のコラムを読んで私も感じたところです。



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