MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2247 あなたの不安と信仰の自由

2022年09月05日 | 社会・経済

 オミクロン株の派生型「BA.5」が広がり、新型コロナウイルス感染症による死者数が再び急増しています。

 厚生労働省によれば、1日当たりの死者数は8月の1カ月で約7倍に増え、ほぼ連日200人台と、年明け以降の第6波に迫っているとのこと。各地の病床逼迫(ひっぱく)も深刻で、専門家は「第6波を超える可能性もある」と指摘しているということです。

 夏に入り、特にこの日本で感染拡大傾向が顕著な新型コロナ感染症。しかし、お盆休みの行楽地の混雑ぶりが示しているように、(第1波から既に3年という歳月を経て)国民の空気は割と「落ち着いている」というのが実際のところかもしれません。

 もちろんその原因は、コロナウイルスのことがいろいろ判ってきたというところにあるのでしょう。マスクなどによる予防効果、検査方法や対処法、子どもや若者などはほとんど重症化しないなどの知見の蓄積により、あたかも「死の病」のように恐れられた当初の不安は、今ではもはや過去のものと言っても過言ではありません。

 古代より人は、洋の東西を問わず、夜の暗闇を怖れてきました。月の無い真の闇夜には魑魅魍魎がうごめき、人々に危害を加えると怖れられたものです。

 人は、よくわからないもの、得体のしれないものに(必要以上の)恐怖を抱くもの。科学技術が発達し、多くの知見が得られた現在でも、放射線や化学物質、病原体などへの眼に見えないものへの不安や恐怖が、動物としての人をパニックに陥れるのはいとも容易いことのようです。

 同様に、他者の行動に関しても、常識では理解できない、理屈が通らないものへの恐怖感には、動機がはっきりしてる組織犯罪や戦争の恐ろしさとはまた違った独特のものがあるようです。

 そうした中でも近年目立つのは、「誰でもよかった」「死刑になりたかった」という類の無差別大量殺人のような犯罪です。街中で突然少年に切りつけられたり、病院の待合室で入り口をふさがれ火をつけられたりして命を落とす例など、まさに枚挙にいとまがありません。

 わけのわからない奴に殺されたくない。大きなカバンを肩に掛けていたり、街でちょっと見、まともでない(ように見える)人たちには、交番の警察官に片っ端から職質をかけてほしいと願っている人も多いかもしれません。

 そうした折、安倍晋三元首相への銃撃事件に関連して、作家の橘玲氏が8月8日発売の「週刊プレイボーイ」誌に連載中の自身のコラムに、『単純な因果論では説明できないこと』と題する興味深い一文を寄せていたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 不気味なことが起きたとき、人は無意識のうちにその原因を探す。なぜなら、理由もなく襲ってくる脅威ほど恐ろしいものはないからだと、橘氏はこのコラムに綴っています。

 科学の知識がなかった時代(人類が生きてきた大半)では、天変地異は神の怒りであり、感染症などの病気は悪霊の仕業だったと氏は言います。そして、神の機嫌を損じたり、呪術をかけた相手を特定し、その「悪」を罰することで世界に秩序をもたらそうとしてきたということです。

 大量殺人や要人の暗殺のような異常な事件が起きると、人々は不安になる。そこでメディアは、わかりやすいストーリーを探し出し、(あたかも唯一無二の答えのように提供することで)視聴者や読者の要望に応えようとすると氏はしています。

 秋葉原で起きた無差別殺傷事件では「非正規雇用」、京都のアニメ制作会社が放火され70人が死傷した事件では「孤立」、今回の元首相暗殺では「カルト宗教」が事件の原因だとされている。

 もちろん、これらのいずれもが重要な背景であることはまちがいない。しかし、(当たり前だが)非正規雇用の若者や孤立した中高年男性はたくさんいるものの、ほとんどの人は犯罪とは無縁の生活をしているのもまた事実。「カルト宗教」にしても、信者や、ましてや家族が犯罪にかかわることはきわめて稀だというのが橘氏の指摘するところです。

 こうした中、報道で気になるのは、特定の宗教を「悪魔化」することで、その信者や関係者までが「悪」のレッテル(スティグマ)を貼られてしまうことだと、氏はこのコラムに記しています。

 もちろん建前のうえでは、「(洗脳された)信者はあくまで被害者」ということにされている。しかし、これは単なる方便で、メディアは併せて「気味の悪い人たち」という暗黙のメッセージを連日、大量にたれ流しているということです。

 統一教会は、1990年代はじめに有名芸能人や新体操選手が合同結婚式に参加を表明したことで社会的事件になり、「洗脳」や「カルト」という言葉が広く知られる発端となった。そしてその後、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、「カルトは恐ろしい」という認識が世間に定着したと氏は説明しています。

 「カルト」が社会からの排斥を意味するようになると、信者の親はなんとしても子どもを親の元に取り戻したいと思う。その結果、支援者の協力を得て、信者を強引に拘束して「脱洗脳」する事例などが、全国各地で生まれたということです。

 それで社会復帰できればいいのだが、現実には人間の心をそう簡単に書き換えられるわけもない。結果、中には、教団に戻らないように家族が子どもを監禁する事態に至る例なども見られたと氏は指摘しています。

 さて、例えばある種の宗教団体が、教義の名のもとに信者に行動を強要したり、経済的な搾取を加えたり、詐欺まがいの行為に手を染めたりすることが肯定されるべきものでないのは当然です。でもその一方で、私たちが不安や思い込みによって(他人の信仰に)過剰な拒否反応を示したり、必要以上に強いスティグマを押すケースも考えなければなりません。

 よくわからない宗教を、気味が悪いものとして遠ざけたい気持ちはわからないではありません。しだからといって、そんなものを信じている人は怖い人、強制的に信仰を変えさせるべきというのでは、異端の迫害に明け暮れた中世のヨーロッパと何も変わりません。

 信仰の自由は、憲法に定められた基本的な人権の一つです。今回の事件をきっかけに、「理解できないものは排斥する」という魔女狩りのような極端な動きが起きないよう(メディアや政府の動きを)しっかりチェックしていく必要があるのではないかと、昨今の人の心の動きから私も改めて感じているところです。



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