MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2610 子どもはケーキの上のサクランボ

2024年07月17日 | 社会・経済

 去る7月7日に投開票された東京都知事選挙。三選出馬を決めた現職の小池百合子知事に対し、「小池都政をリセットする」として立候補し選挙戦を盛り上げたのが、立憲民主党の論客として知られる参議院議員の蓮舫氏でした。

 いわゆる「55年体制」が崩れ政権交代による旧民主党政権が誕生した2009年、これまでの自民党政権の予算事業の無駄を洗い出す「事業仕分け」で急先鋒に立った蓮舫氏。農林水産省、文部科学省、防衛省を担当する「仕分け人」として、スーパーコンピュータの開発支援に関連して放った「一番でなきゃダメですか?」「2位じゃダメなんでしょうか?」との発言は、民主党政権を代表するフレーズとして広く知られるようになりました。

 それにしても、なぜこの言葉が(時代に対して)これほどまでのインパクトを与えたのか。その理由は、昭和の時代を生きてきたそれまでの日本人が、子供のころから「一番でなければダメ、二番以降はすべて同じ」「金メダルだけがメダルで銀メダル以下はすべて同じ」と親や上司から教えられてきたからと言えるかもしれません。

 先の敗戦から復興を遂げる中で、いつも完璧でなければならない、すべてにおいて完璧でなければならないという価値観に囚われてきた日本人。そこで発せられた「別に2番でもいいんじゃないの…」という緩い言葉が、(思ったよりも強いインパクトをもって) 世論の批判の的となったのを思い出します。

 「ちゃんとしなくては」「いい加減で良いはずがない」…私たちの発想から消えることのないこうした(真面目な)思いは、日本の社会にどのような影響を与えているのか。

 そんなことを考えていた折、6月3日の日本経済新聞に(世界的に進む少子化に関連して)フィンランド人口研究所長アンナ・ロトキルヒ氏へのインタビュー記事(「背景に若者の完璧主義」2024.6.3)が掲載されていたので、参考までにその概要を残しておきたいと思います。

 かつて、出生率と女性の労働参加率の高さで有名だったフィンランド。しかし、今や状況は一変し、2023年の合計特殊出生率は1.26まで下がったとロトキルヒ氏は話しています。要因の4分の3は、子どもを1人も産まないか、初産の遅い女性の増加にあるとのこと。こうした現象は、ほかの多くの先進国でも起きているということです。

 思えば、人類の歴史の中でも未曽有の奇妙な時代を迎えていると氏は言います。歴史の大半で女性は2~3人の子どもを産んできた。ところが教育や相続が重要になると、子どもの数を制限するようになる。そしてついに子どもを全く産まない人が増えてきたというのが氏の認識です。

 先進国の人々が子どもを持たなくなった理由はいくつかある。教育水準が高く、キャリアを優先する若者たちが、一定の実績を積み上げるには時間がかかると氏はしています。気づいたときにはもう35歳や40歳。パートナーの不在や生殖能力の低下などにより、子どもを持てない現実に直面するということです。

 氏によれば、こうした状況をあるフランス人ジャーナリストは、「子どもはケーキのうえのサクランボ」と評したとのこと。(それは)教育やキャリアを築いた上で、最後にくるのが子どもだということです。

 そこには、親になるためのハードルを若者が自分で高めている面もあると氏はこの論考で指摘しています。

 「親になる準備ができていない」という言葉をよく聞く。例えば、日本でもほとんどの人が住居に独立した子ども部屋があるべきと思うかもしれないが、世界の多くの地域で住宅事情が厳しいなか、(それは)完璧を求めすぎているというのが氏の見解です。

 こうした価値観や社会構造の変化に、伝統的な家族政策では十分に通用しないと氏は話しています。フィンランドは育児休業や託児所、住宅などの手厚い子育て支援で成功したと一時は言われた。しかしこうした政策は2人目、3人目の子どもを産む後押しになるものの、1人目を促す効果は弱いということです。

 では、どうしたらよいか。まずは、子づくりを含めた人生設計を若者たちに正しく伝えるべきだというのが氏の考えです。家族を持ちたい場合の計画の立て方を、教育やキャリアプランも含めて教える必要があるというのが氏の見解です。

 一方、親になることが素晴らしいと若者に思わせる必要もあると氏はしています。若者の多くは親になると人生はつまらなくなり、もうおしまいだと考えている。親になることが素晴らしいことで、社会的ステータスだという認識が広がれば、状況は変わるかもしれないというのが、氏の期待するところです。

 翻ってこの日本でも、気が付けば親の「責任」ばかりが強調され、子供を産んだり育てたりすることを、つらく厳しいものとしてとらえる考え方がさらに加速しているような気がします。

 確かに、経済の停滞や世代間格差の拡大が叫ばれる中、完璧主義で失敗を恐れるナイーブな若者たちが、メディアやシニアたちが垂れ流す「子育ては大変」といったメッセージに感化され、「自分には無理…」と考えるのも判らないではありません。

 そうした中、少子化は今どきの若者が利己主義で勝手だからだと批判するのは簡単ですが、それを口にしているのは(大概の場合)完璧主義を装いながら「子育て」を奥さんに任せっきりにしてきた世の中のオジサンたち。若い世代に「おま言う」(←「お前が言うな」の略)と言われても仕方がありません。

 さて、結果として件の蓮舫氏は都知事選に痛い敗北を喫しましたが、「別に2位でもいいんじゃない?」という彼女の言葉について言えば、令和の若者たちに向け我々昭和の世代が発すべき(今でも十分に)意味のあるメッセージなのかもしれません。

 ロトキルヒ氏によれば、特に若い女性は社会規範や期待に対してとても敏感である由。なので、先輩である女性政治家の皆さんには、(引き続き)是非こうしたメッセージを強く発信してもらえたらいいと結ぶ氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。