MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2215 地方政治と公共事業

2022年07月25日 | 社会・経済

 参議院議員選挙も一息つき、足元の政治課題は、再び広がる新型コロナ対策と長引くウクライナ危機、そして何よりインフレ懸念が高まる経済対策に移ってきています。

 現在の衆議院議員の任期は令和7年の10月まで。突発的な衆議院の解散などがなければ、しばらく国政選挙は予定されていません。自民党の岸田政権とすれば、先の参院選を終えた今、選挙を(あまり)気にすることなく自身が掲げる政策の実現に集中できる(いわゆる)「黄金の三年」を手にすることができたというわけです。

 一方、ゼネコンなどの大手建設業の(主に営業に携わる)社員の皆さんにとっても、この3年間は政治に振り回されることのない、少しほっとした時期になるかもしれません。応援議員の地元事務所で選挙対策を練り、パーティー券を買ったり、選挙運動に駆り出されたりする日々から解放され、霞ヶ関や永田町対応に専念できるというものです。

 しかし、地方の中堅・中小建設業者にとっては、今回の参院選はまだまだ通過点。来年4月に予定されている統一地方選挙までは気が抜けず、特に、都道府県知事選挙や市町村長選挙などが予定されている地域では、首長選の動向から目が離せないのが現実でしょう。

 地方政治と地域の建設業界とは、切っても切れない関係にあると言われています。特に公共事業が「最大の地場産業」と呼ばれるような(山間部・沿海部などの)地域では、自治体の首長選挙ともなれば陣営に集票を求められ、(公共事業の受注を期待する業界も)従業員の動員などで応えてきたという歴史があります。

 若者の政治離れが指摘されて久しいこのデジタルの時代にあって、なぜ(未だに)そこまで政治と建設業界の結びつきは固いのか。

 6月2日の日本経済新聞の投稿欄「私見卓見」に、福島県白河市に本社を置く総合建設会社「三金興業株式会社」代表の金子芳尚氏が、「公共事業入札、首長裁量権は不要」と題する(まさに本音ベースの)一文を寄せているので、この機会に紹介しておきたいと思います。

 地方の建設事業者の多くは、市町村発注の公共工事の受注で経営が左右される。そして市町村によっては、そうした公共事業の入札にいまだ「古い体質」が残っている場合も多いと、金子氏はこの論考に記しています。

 (金子氏自身)地元に戻って家業の建設会社に入ると、「選挙は大事な仕事、勝ち馬の首長に乗れ」と言われた。実際、公平な入札であるべき公共事業が、選挙によって生じた首長との距離感で指名に差が出ることは(確かに今でも)あると、氏は正直に話しています。

 時には、非公表の(はずの)最低制限価格が漏れ、官製談合事件が起きたりする。本来は、地方でも日ごろの研鑽により経営と技術に優れた会社が公共事業を担うべきだが、入札が歪められ業者の活力が削がれているというのが氏の指摘するところです。

 国や都道府県の入札は、入札監視委員会の設置などでかなり改善された観がある。しかし、その一方で、地域の建設業者の多くは首長裁量権のある市町村発注の公共工事の受注で経営が大きく左右されると氏は言います。

 例えどれほど立派な首長であっても、(利害関係の入り組んだ)地方の選挙で当選するには(それなりの)資金力と組織力を必要とする。そのためには、地域の経済界や事業者団体との協力関係を作らねばならず、公務員もそんなトップの顔色を見て、忖度しながら仕事をしているということです。

 首長裁量権のわかりやすい例は、指名入札において選挙での貢献度が高い業者を常に指名に入れ、対立候補を応援した業者を指名から外すことだと氏はしています。

 場合によっては、政策に異議を唱えた関係者がいる業者を指名に入れないこともある。案件によっては意中の業者に受注させるため、その業者が落札しやすい総合評価の入札方式を選択したりするケースなどもあるということです。

 首長に入札に関する裁量権がある限り、入札の不公平と不祥事はなくならないというのが、こうした状況に関する氏の見解です。どこまで首長自身の明確な指示があるかは別にして、地方建設会社はこれまで、(多かれ少なかれ)そうした構図の中で翻弄されてきたということです。

 公共事業は本来、全国どこで施工されても基本的には変わらない。であれば、地方分権に入札裁量権は不要だと、この論考で氏は改めて指摘しています。

 工事監督管理は地方自治体の仕事だが、入札自体は発注者がそれぞれ行う必要はない。国や高度な公平な専門性を持った機関が、地域要件を付したうえで一般競争を基本に入札を行うようにするのは(技術的に)そんなに難しいことではないというのが氏の認識です。

 これまでの業界の旧弊を打破し、事業の効率的な執行と産業の育成を図るため、公平公正な入札を全国一律に行う時期に来ているのではないかと、氏はここで提案しています。

 折しも、日本建設情報総合センター(JACIC)による入札情報サービスにおいて、公告や入札経過が(国だけでなく)自治体発注の公共工事まで閲覧可能になると聞く。そうなれば、入札発注業務についても公平な機関が一元管理することが可能になるのではないかと氏は言います。

 本来、政治的な立場と事業の受注には何の関係もないはず。もしも、入札が全国で一元化されれば、地域の建設会社も選挙に惑わされることなく建設業務に集中することができ、地域の活性化により一層貢献できるだろうということです。

 もとより、公共事業は税金で進められるもの。政治が引っ張ってくる公共事業のお金にぶら下がり、地域の土建屋さんと首長が利権でつながるといった(田中金脈のような)「昭和の政治」が未だに行われているとしたら、それ自体大きな問題です。

 「地方とはそういうもの」と諦めることなく、まずは技術的な改善を進めていくことが望まれる。そうすれば、建設業界への社会の見方も変わり、社会基盤の整備に誇りを持って働けるようになるだろうとこの寄稿を金子氏の提言を、私も大変興味深く読んだところです。

 



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