MKB2024

―― MK1のBLOG.

「生誕120年 円谷英二展」

2021年09月20日 | 日本文化


 生誕120年 円谷英二展



 1901年7月7日に福島県に生を受け、1970年1月25日に天に召された円谷英二

 “特撮の神様”と呼ばれ、ゴジラを始めとした怪獣映画の特技監督、ウルトラマンを始めとした怪獣番組の監修で、日本に怪獣ブームを巻き起こしました。

 日本の映画史とテレビ史の発展に多大な貢献をした英二氏が生誕120年を迎えることを記念し、国立映画アーカイブで企画展が開催中です――。







 生涯と功績を紹介



 企画展は、「若き映画キャメラマンとして」「特撮への志」「東宝特撮の時代」「円谷プロの創設」の4部構成で円谷英二の生涯と功績を紹介。

 常設展「日本映画の歴史」の先に円谷英二展のコーナーがあるので、日本映画の黎明期も同時に知ることができます。

 なお、常設展のみ写真撮影可となっています。


      



 若き映画キャメラマンとして



 第1章は、まだ何者でもなかった頃の円谷英二にまつわる展示。

 1916(大正5)年元旦、須賀川第一尋常高等小学校を卒業する直前の14歳の英二氏によって書かれた巨大な書き初め “立志の書” が来場者を出迎えます。

 豪快で伸びやかな筆使いから、飛行機乗りの夢に燃えていた少年時代の英二氏のエネルギーが伝わってきます。





 立志の書は、期間限定公開されている“ウルトラ怪獣散歩”第15話「ウルトラ怪獣散歩のおやじ 〜福島・須賀川〜」でも見ることができます。

 その横には、英二氏を映画の世界に導き、基礎を叩き込んだ枝正義郎に関する資料の展示。

 85年ぶりにイギリスから里帰りを果たした円谷英二撮影のフィルム『かぐや姫』(1935年)の約7分のダイジェスト映像も放送されています。





 他にも、新感覚派映画連盟時代に英二氏が撮影助手を務めた『狂った一頁』(1926年)の直筆脚本原稿や映像の紹介、松竹や日活時代の映画作品のポスター展示。

 英二氏が特撮を志すきっかけとなった『キングコング』(1933年)のアメリカ版ポスターも展示されており、映画の歴史資料としてもかなりのレア品です。



 特撮への志



 第2章は、J.O.スタヂオ入社から東宝に復帰する前までの英二氏にまつわる展示。

 英二氏が設計・製作に携わった日本初の撮影用鉄製大クレーンを使って撮影された『百萬人の合唱』(1935年)の映画雑誌の紹介記事が目を引きます。

 日独合作映画『新しき土』(1936年)で、英二氏が開発したスクリーンプロセス技術を使って撮影したシーンのダイジェスト映像も流れています。





 バックグラウンド撮影という名称でスクリーンプロセスを説明している映画雑誌の記事も紹介。

 撮影中に英二氏に召集令状が届いて制作中止になった『アメリカようそろ』(1945年)の制作計画案原稿の展示もあり、歴史の重みを感じられます。



 東宝特撮の時代 / 円谷プロの創設



 第3章、第4章は、東宝に復帰してから亡くなるまでの英二氏にまつわる展示。

 英二氏にとって戦後初の本格的な戦記映画となった『太平洋の鷲』(1953年)の本編と特撮の製作スケジュール表もかなり貴重。


【巨大ポスター】

 『ゴジラ』(1954年)、『モスラ』(1961年)、『キングコング対ゴジラ』(1962年)、『長編怪獣映画ウルトラマン』(1967年)などの公開当時のポスターも大迫力。

 特に『モスラ』のポスターはA3で8枚組の巨大なもので、その巨大さに圧倒されます。





【ピクトリアルスケッチ】

 『ゴジラ』の撮影で使われたピクトリアル・スケッチも展示されており、世界的大ヒット作の黎明期を感じることができます。
 
 ピクトリアル・スケッチとは映画の場面を絵に現した絵コンテで、絵を写真に収めたものをアルバムに貼り付ける形になっています。

 ハリウッド映画を視察した森岩雄によって前年の『太平洋の鷲』で初めて用いられ、イメージの統一を図りました。


  [ゴジラ誕生物語 / 山口理・著より]


 絵コンテでのゴジラの肌がウロコになっていることに歴史を感じます。

 また、『モスラ対ゴジラ』(1964年)で英二氏が使用した台本の展示もあり、英二氏自身による絵コンテなどが書き込まれています。



【須賀川特撮ACからの出張展示】

 また、須賀川特撮アーカイブセンターから3点の特撮関連の出張展示。

 東宝マークの撮影時に使用された機材や、『青島要塞爆撃命令』(1963年)の撮影で使用された列車のミニチュアの車輪の一部。


 


 また、寒天の海での作業用に使われた下駄も展示されています。

 普通の靴や下駄だと寒天が潰れて足跡が残ってしまうため、下駄の歯がキザギザになっているのが特徴的です。


    
    [日本特撮技術大全より]


 寒天の海は、高空から見下ろした時のギラギラした反射光のある海を再現するために『太平洋の嵐』(1960年)などで用いられました。

 手押し車からふるいで細かく砕いた大量の寒天を流して、平たくならしてプール全体に敷き詰めて作ります。

 船の後ろに筆で白い航跡を描き、船の底面に白い絵の具を染み込ませたスポンジを仕込んでおき、ピアノ線で船を牽引した時に航跡が伸びるようにしています。


        
        [日本特撮技術大全より]


【オプチカルプリンター全体写真】

 「円谷プロの創設」では、当時、世界で2台しかなかった米オックスベリー社のオプチカルプリンター1200シリーズの全体写真が紹介されています。

 このオプチカルプリンターは今の値段で数億円の代物で、当時フジテレビの間で契約間近だったテレビ番組『WoO(ウー)』を見越して英二氏が独断で購入したもの。

 ウルトラセブン第11話「魔の山へ飛べ」の作品中にその一部が映っています。



 当時の東宝は3つのフィルムの映像を合成できるスリーヘッド方式のものを使っており、1200シリーズは4つのフィルム合成ができるフォーヘッド方式でした。

 しかし、フジテレビとの契約が直前で破断になり、キャンセルしようにもすでに船で日本に向けて発送された後だったため、急遽TBSが購入することになりました。

 そして、円谷プロと1200シリーズを使用した特撮番組制作の契約が結ばれ、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』の制作へと繋がっていくことになります。


【英二氏直筆の展示物】

 他にも、『UNBALANCE』(ウルトラQ)の企画書、英二氏による『ニッポン・ヒコーキ野郎』の直筆原稿などの展示もあります。

 『ウルトラQのおやじ』(1966年)の映像とともに、英二氏が逝去した1970年1月25日に療養先の伊豆の別荘で書かれた日記も紹介されています。

 絶筆となった日記には仕事復帰への意欲が書かれており、本人も予想だにしなかった志半ばでの突然の人生の終幕でした――。



 一月二十五日 曇 

 意味のない一日だった。完全静養のたいくつさを味はふ。

 今度もヒコーキ野郎の企画書脱稿に至らず。わが無能を嘆くのみ。明日は東京へ帰るので、今更ら止むを得ず、東京にて完成せん。

 今後は東京にあっても徒らに無益に過さず、徐々に出社し仕事に復帰したいと思ふ。






ウルトラマン公式チャンネルで期間限定配信中!(須賀川市を怪獣散歩)






【会場】 国立映画アーカイブ
     東京都中央区京橋3丁目7-6
【会期】 2021年8月17日(火)~2021年11月23日(火・祝)
【観覧料】 一般 250円、大学生 130円




 編集後記



 生まれた時にはすでにこの世を去っていた“特撮の神様”円谷英二。

 今回の円谷英二展で、直筆の“立志の書”や原稿、日記を目の前にしてようやく円谷英二という存在を身近に感じることができました。

 また、亡くなった当日の直筆の日記も展示されていて、なかなかの衝撃でした。


【常設展で知る映画の歴史】





 常設展では、黎明期のキャメラの実物も展示されており、英二氏はこんなに大きくて重いキャメラを担いでロケを行っていたのかと驚きました。

 入り口付近に、リュミエールから贈呈された撮影済みの世界初のフィルム(1895年)がさりげなく展示されていたことにも軽い衝撃を受けました。

 なお、9月4日(土)、5日(日)には、イギリスで発見され里帰りした『かぐや姫』(1935年) の海外向け短縮版の上映会も実施されます。

 1933年に『キングコング』を観て衝撃を受けて以来、英二氏が初めて作った特殊技術を応用した娯楽映画が一般公開されるということで注目されています。



        



【出典】「生誕120年 円谷英二展」「写真集 特技監督・円谷英二
    「FASHION PRESS」「小説 円谷英二
    「円谷英二 日本映画界に残した遺産



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 円谷英二撮影『かぐや姫』(19... | トップ | 【追悼・飯島敏宏監督】ウル... »