またもや、トラバご意見番の参加記事です。
今回のトラバご意見番のテーマは、「由来を知らなかった、“国民の祝日”は??」ということです。
gooランキングでは、「春分の日」が第一位、ついで第二位が「建国記念日」、第三位は「敬老の日」でした。
自分は、「敬老の日」と11月23日の「勤労感謝の日」の由来が、いまいち分からなかったのです。あとは、ある程度は知っていたのですが・・・・。( ̄▽ ̄;) アハハ
「敬老の日」・・・兵庫県多可郡野間谷村(現:多可町八千代区)が、1947年(昭和22年)、当時の町長と助役の発案で、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」ということで、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いたことが、そのものの由来で、この動きがその後兵庫県全体に広まり、1950年(昭和25年)に全県にて実施され、その後全国に広まったそうです。その後「としより」という表現が良くないとのことで、1964年(昭和39年)に「老人の日」に改称、そして2年後の1966年(昭和41年)に国民の休日として定められたそうです。 (※goo wikipedia:敬老の日から、一部文章を抜粋)
「勤労感謝の日」・・・国民の祝日の一つで、日付は11月23日です。国民の祝日に関する法律(祝日法)によると、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としているそうで、1948年(昭和23年)公布・施行の祝日法で制定された経緯があります。
由来として戦前の新嘗祭(にいなめさい; しんじょうさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたということです。新嘗祭は1872年(明治5年)までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われ、翌1873年(明治6年)に太陽暦(グレゴリオ暦)を導入する際、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととなり、それが1873年では11月23日になったそうです。ところが、翌1874年(明治7年)からは11月23日に固定して行われるようになったということです。そもそも11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことなのだそうです。 (※goo wikipedia:勤労感謝の日から、一部文章を抜粋)
最近は、由来なんてどうでもいいという風潮になってきていますが、まだ自分の地元では、数は少ないのですが、国民の祝日に「国旗」を軒先に掲揚する家があります。
まもなく春分の日を迎えますが、季節を感じるとともに、なぜ、この日に制定されたのか?を知ること、その意義を再認識することも必要ではないのか?と思った次第です。