10月11日(水):今回深センにきて、今日でちょうど1ヶ月となりました。雲南旅行中を除きこの1ヶ月というもの、平日の昼間は誰と会話をすることもなく、よく1ヶ月も過ごせたものだと自分で感心します
さて、国慶節も終わり、私も8日に雲南旅行から戻りました。「麗江(リージァン)古城」は、さすが中国で初めて世界ユネスコ世界文化遺産に登録されただけあり、石畳を昔ながらの家屋が美しく、時間が経つのを忘れて歩き続けてしまいます。「香格里拉(シャングリラ)」もまた、本当に真っ青な空と穏やかな自然にはぐくまれた西蔵文化漂う素敵な所でした。
10月4日(水):麗江
ツァイ・シエ夫妻と、深セン空港を8時30分発の深セン航空でいざ麗江へ。2時間半くらい(?)で麗江空港に到着。
麗江空港からは、手配済みの現地お迎え車で「麗江古城(古都)」へ。30分ほどで到着。
麗江古城入り口のすぐ前にある宿泊先ホテルにチェックイン。早速昼食をとりに麗江古城に出発。
食事の後は、「束河古鎮」へ。麗江古城から4キロ離れたところにあり、こちらの民家郡も1997年に、麗江古城の一部としてユネスコ世界遺産に登録されているそうです。かつては農業主体の生活をしていたものの、文化的資源をを生かした観光地として発展しつつあるとのこと。つまり、観光業をしながら、この民家郡の中で実際の生活が営まれているのですね。
というのは、帰ってきてから調べてわかったことで、私は「町並みは昔のままだよ」と聞かされてはいましたが、民族文化村みたいなテーマパークみたいなところなのだと誤解してました。だから後で一緒に旅行していた友達に「このピアスはあの「公園」で買いました」って説明してもわかってもらえなかったんですね。公園じゃなかったのか・・・
民家郡の町並みです。
麗江は「中国のベニス」と言われている、と矢平さんが言ってました。束河古鎮も麗江古城も、街中にはとてもきれいな澄んだ水が流れる水路が張り巡らされています。
束河古鎮からホテルに戻った後は、別途帰省先から麗江に合流してきたジョウ・アーピン夫妻も加わり、6名揃いました。
中国には55の少数民族があるそうですが、麗江は納西(ナシ)族の街。遠目に見る夜の麗江古城は、提灯のやわらかい橙色に染まります。古城の中を歩けば、赤い提灯と水路をまたいで、各々の酒巴(バー)から歌声と掛け声が聞こえてきて、幻想的でした
さて、国慶節も終わり、私も8日に雲南旅行から戻りました。「麗江(リージァン)古城」は、さすが中国で初めて世界ユネスコ世界文化遺産に登録されただけあり、石畳を昔ながらの家屋が美しく、時間が経つのを忘れて歩き続けてしまいます。「香格里拉(シャングリラ)」もまた、本当に真っ青な空と穏やかな自然にはぐくまれた西蔵文化漂う素敵な所でした。
10月4日(水):麗江
ツァイ・シエ夫妻と、深セン空港を8時30分発の深セン航空でいざ麗江へ。2時間半くらい(?)で麗江空港に到着。
麗江空港からは、手配済みの現地お迎え車で「麗江古城(古都)」へ。30分ほどで到着。
麗江古城入り口のすぐ前にある宿泊先ホテルにチェックイン。早速昼食をとりに麗江古城に出発。
食事の後は、「束河古鎮」へ。麗江古城から4キロ離れたところにあり、こちらの民家郡も1997年に、麗江古城の一部としてユネスコ世界遺産に登録されているそうです。かつては農業主体の生活をしていたものの、文化的資源をを生かした観光地として発展しつつあるとのこと。つまり、観光業をしながら、この民家郡の中で実際の生活が営まれているのですね。
というのは、帰ってきてから調べてわかったことで、私は「町並みは昔のままだよ」と聞かされてはいましたが、民族文化村みたいなテーマパークみたいなところなのだと誤解してました。だから後で一緒に旅行していた友達に「このピアスはあの「公園」で買いました」って説明してもわかってもらえなかったんですね。公園じゃなかったのか・・・
民家郡の町並みです。
麗江は「中国のベニス」と言われている、と矢平さんが言ってました。束河古鎮も麗江古城も、街中にはとてもきれいな澄んだ水が流れる水路が張り巡らされています。
束河古鎮からホテルに戻った後は、別途帰省先から麗江に合流してきたジョウ・アーピン夫妻も加わり、6名揃いました。
中国には55の少数民族があるそうですが、麗江は納西(ナシ)族の街。遠目に見る夜の麗江古城は、提灯のやわらかい橙色に染まります。古城の中を歩けば、赤い提灯と水路をまたいで、各々の酒巴(バー)から歌声と掛け声が聞こえてきて、幻想的でした