「空襲で両親を亡くし、駅の子に! 戦争孤児の戦い」
餓死、盗み、友の自殺、終戦から始まった悲劇。私は駅の子だったと夫にも話せれなかった。
NHKスペシャル番組「戦争孤児の戦い」夜9時~を見て、身震いしました。大都市の大半は空襲を受けて焼け野原となり、多くの人が苦しみました。まもなく終戦を迎えるのですが、空襲で亡くなった大人が多く、子どもの多くが孤児になりました。
戦争で亡くなった人は310万人、戦争孤児は12万人に及んだと言います。両親を亡くした子供たちは悲惨な生活に追いやられ、上野駅などに集まり生活するのでした。
この孤児たちは「駅の子」と言われ食う物も食べれない生活を余儀なくされました。
上野駅では連日のように死者が出て「何人もの死体を見たか知れませんよ」と回顧する人が画面に出ていました。この人は90歳を超えていました。
戦争中は戦争孤児も「靖国の遺児 しゃとうの遺児」として大切に扱われましたが、終戦後はまったく逆転し、上野駅浮浪児、犬小屋浮浪児などといじめられ、ひとり孤独に陥りました。
戦地から引揚者が600万人、国内の生活は悪くなる一方です。親を亡くした子供たちは多くが死ぬしかないような生活で、ある施設のところでは2700人の土葬者名簿が見つかり、施設でも子供たちは粗雑に扱われたところもあると言います。
今生きられている人の中では、「学校でも、いじめられた。泣いても負けても学校は止めなかった」と話しています。「日本人は、人間は冷たさを持っている者なんだ」と回顧しています。
声もかけられなかったのも苦しいことでした。と言います。
一つ間違えばいじめている人と、いじめられている人が入れ替わっていたかも知れないのに!
「戦争は絶対してはいけない!」の声は切実でした。
〇勉強不足でした「駅の子」と言う話はこの番組で初めて知りました。戦争孤児の苦労は、北海道で戦後生活していた私には想像できない悲惨な状況だったのです。