みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ②

2007-10-16 02:23:52 | みやびの成長 ( 親になるために )
現代健康研究所へ通い始めた頃は、私は寛希の病的なところが気づかれないように、制止したり、家族の治療が長いと、研究所から連れ出して時間をつぶしていました。そうもしていないと、動き回ったり、ギャーっと言ったりするからです。

ルナの岩佐先生に「うちの子自閉なの」って言いなさい。治っちゃえば、みんな昔のことなんて忘れるんだからと指導されました。
でも、私はその腹をくくることができず、寛希を普通に見せようと、取り繕うことに必死でした。
寛希の病的なところをみられて、変に思われたくない。そう思われたら寛希が損をすると思い込んでいました。

現代健康研究所では、ストレスやたまっていた感情などがすべてだされるように感じます。
寛希は、私がしかるときに言っていた言葉を九官鳥のように、
なんども大声でさけんでいました。
「いいかげんにしなさい!」
「しずかにしなさい!」

私達親や世間が押さえつけてきたものが、よじれたものをもどすかのように
出されるのだと思います。
ですから、病的な行動も一時的に増えるようにみえると思います。
これが必要なことなのだと気がつきました。

治療を受けている寛希に、声に出さないで、目でうったえ「いい加減にしろ!」「大人しくしなさい」「静にしなさい!」とにらみつけていたことがありました。今思い出すと、すごい念みたなものを出していたのだと思います。
私は、高橋先生に怒られました。「いいから放っておきなさい。」
それができるようになるまで、かなりの時間がかかりました。
自分が親として、どう寛希と付き合っていれば良いのかわからなかったのです。
躾はどうゆうものなのか?何をどのように教えたら良いのかまったくわかりませんでした。
寛希の親として、自分が社会的にどう評価されるのかを気にした子どもへの接し方だったのだと思います。寛希を育てるという視点のつもりで一生懸命でしたが、子育てをしているという「母親」の肩書きをもった自分を中心とした子育てもどきをしていたのだと気がつきました。

気づいたのはこの数日のことです。
あるママ友からのメールを読んだときに気がつきました。
以前の私がもって辛かった感情が書いてありました。

現代健康研究所へいらしている全ての患者さんがインディゴに理解あるわけではありません。
おこられることもありました。
「この子の親御さんはどうしたのかね」と
高橋先生が変わりに怒られてしまったこともありました。
お兄さん、お姉さんにご迷惑もたくさんかけています。
変わりに謝ってくださったりもしてくださいました。
めがねにこだわりがある寛希が患者さんのめがねを触ってしまい、
現代健康研究所で知り合い、お世話になっているお母さんがかわりに謝ってくださったこともあります。

でも、寛希をうるさいなぁと感じていらした患者さんも、
しばらくたって、
「この子変わったね~。すっかり大人しくなって。」と
お言葉をかけてくださったりすることもありました。
多くの方が、寛希がすごく落ち着きがなく、ギャーギャー言っていたのを
黙ってみてくれていました。
高橋先生のすごさと寛希の変化と成長をその方々も一緒に見てくださっているのだと大変ありがたく、感謝しています。
現代健康研究所へきている方々に、変化を教わることがほとんどです。
ここが良くなったね、すごいね~って声をかけていただいて、
そのことによって、また気づき、確信にかわっていきました。

私もある日、心の奥底にたまっていた、捨てたほうがよい感情があふれ出ました。
今まで、あまり泣いたことがありませんでした。声に出して泣くことはめったになかったです。
姉がよく大声で泣くので、逆に泣けず、泣くと顔がむくむのが嫌なのと、中学の時に好きだった子に泣き方が可愛くないと言われたのもあり、ますます人前では泣かなくなりました。
ところが、現代健康研究所へ通いはじめ、仲良くお話をさせていただくようになった方と会話をしている時に、その方が涙を流されました。私も涙がじんわりと出てきました。
その時、私は泣きたくないというより泣いちゃいけないと思い、気分を変えたり、背中をつねったりして、泣きたい気持にふたをしました。
それからしばらくしたある日、高橋先生とお話をしていたら涙がでてきました。今度は背中をつねっても何をしても涙が止まりません。その日、私は6時間以上泣き続けました。悲しいというわけではなく泣き続けました。
その泣いている間に、小学生の時の記憶が浮かびました。宿題のことで母に怒られノートをグシャグシャにしたことがあり、その時、父は私を抱っこしてくれました。早朝の暗い部屋で父に優しく抱っこされている私の映像がふっと浮んできました。そしてまた私は泣きました。このように涙がとまりませんでした。それから数日して、今度は不満があふれてきました。どれもこれも不満となりました。あーでもない、こーでもないとずーっと私は主人に話し続けました。このような荒れた時期がしばらく続いたある日、ふっと気がついたことがありました。

「私は生きていて良いんだ。」

そう気がついたとき、また心の奥から涙がでてきました。