みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ⑫

2008-02-12 09:45:14 | みやびの成長 ( 親になるために )
こだわらないことは何なのかと頭で考えてそのことにまたとらわれているというアドバイスから、また数々のことがスッキリとしてきました。

その時、自分の立場である、母、妻という役目から、
母親らしく、妻らしくあるということも教わりました。

さっぱりわかりませんでした。

今までの概念がこの社会での相対評価と自分の経験よりつくられた価値観だけで作り上げていたものだったので、それが崩れた今は、まったくわかりません。

主人にまたまた聞きました。

「母親らしく、妻らしくって何?」
私が言ったのは、
「ご飯を作るとか、洗濯するとか・・・?」
すると
「それは形からでしょ」
と言われました。

う~ん。
そして、自分がひっかかっていたことがわかりました。
ある意味あいまいな日本語がわからないでいました。

そして例えば、
「それは赤だよ」と言われても、「赤とは何?」かと私は知りたい。
母親らしくとは?何を言っているのかわからない。

「母親らしく」とは目に見えないものですから、そんな定義などありません。
私は頭で理解しようとしていると言われましたが、その時は「???」でした。
自分が頭を使っていないと思っていたのです。でも、目に見えないものを定義もしくは、こうあるべきととらえようとするのは、やっぱり頭での思考だと気づきました。
インターネットで「母親=産んだ人」という事実関係の母親とは違う意味を調べました。
ここまでくると頭がいちゃっています。でも知りたかった。
私は宗教・哲学の表現なども調べました。
でも、そこに母親らしくの本当の姿が書いてあるわけではありませんでした。

私がひっかかり、わからなかったのは、子どもを産んだということで、母親になる。それは絶対変らない事実、関係である。
では、「母親らしく」の「らしく」とは何を示しているのだろう?と思いました。
何そんなこと?と言われても、私は気になっていました。

母親らしく=母親の「役割」、「立場」としてとらえると、やっぱり末端をみれば、「家事などを1つ1つ大切に積み重ねていくこと」だと思います。
その1つ1つの作業に対する心についてはここでは書きません。

しばらく、主人へと質問していました。
ようやく主人が私がわからないところを上手く表現できないでいることに気づいてくれて、教えてくれました。

「りんごとは何と調べたって、りんごという言葉とその実物を自分でみたりしないと一致しないでしょう。そのことを高橋先生は、周りの親や動物、自然をみて学びなさいとおしゃっていたんだよ」と。

すーーーっきり、しました。

私は、今まで自分の経験、価値観や、社会の平均的なものとらえ、私自身の概念で「母親らしく」というものをとらえていました。
それは、人間の社会のごく一部の母親をとらえて自分が頭で考えたものだと思います。
でも、それが正しいとは限らない。

自然(動植物、他人)から学ぶということは、母性を学ぶように、自然には子を産んだ母がもつ感情や行動などが日々の生活のなかでみることができます。
そこをみて学ぶということでした。
ですから、母親らしくの本当の答えのようなものは、人間を含むあらゆるものから自分が学びとることができるということだと知りました。

今、育児本が流行っています。雑誌やテキストに書いてあるのが答えだと思いがちです。
「理想となる母親らしく」が書いてあると思っている方が私のようにいるのかもしれませんね。
でも、ヒントにはなるかも知れませんが、私達は生きている中で、本来そのようなことを自然、人間との交わりから学び取るのが、本当の意味での学びなのではないかとようやく気づきました。
学校を卒業してもらう称号が勉強した証ではないことをやっと知りました。
だから、大学を出ても、大切なことは身になっていないのです。
人生、すべてが勉強とは、学びとるべき重要なことは、本に書いてあるのではなく、私のまわりにたくさんあるということだと気づきました。
自然の流れにそっているですから、答えは自然にあるということにやっといきつきました。

妻らしくとは、これは動物世界ではあまり理想にしたいと思えるようなものはありません。でも役割分担という意味などで、これも学べるものもあります。

仏教での「母親」を調べていったとき、参考になる文章を見つけました。

本当の「親」とは、子どもへの願いをもつ前に「自らが、この子にふさわしい親であることを願う」ものなのです。

寛希にふさわしい母親、主人にふさわしい妻であるための学びを自分なりに楽しんでいこうと思います。