みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの子育て ③

2007-12-17 14:58:46 | みやびの子育て
以前、「寛希の良いところを伸ばすように育てていこうと思います。」という内容をブログで書きました。

この文章を書いておいて、ここで書くのもおかしいのですが、
実は頭でそう思っていても、しっかり理解していませんでした。

最近、私は記憶力が低下しています。
自慢ではありませんが、記憶力には自信がありました。
それがおかしいのですが、自分の興味があることや、言われた事、人などについてです。

興味がないことについてはさっぱり。
覚えようともしません。
そのおかげで、学力には結びついていないので悲しいところ。

でも、便利だったんですよ。
主人や家族が言った言葉をほんとによく覚えていたので、
主人は私に「みょうがを食べたら」と言っていました。
良い面では、「私が聞いていれば間違いなく再現してくれるから」と言っていました。

そんな私が、最近ちょっと前に聞いた内容がすぽっと抜けるんです。
密かに焦っていました。
遺伝子組換えが多い大豆の摂取量が減ったからかなぁと、きらめき会の大豆製品を多く食べたり、影でこそこそとあがいていました。

そんなある日、この記憶力というのが、ちょっと普通じゃないんだということを教わりました。
「お母さんもやっとまともになったね。やっとまともになった。お母さん多動だったから。」と必死にメモを片手に聞いている私をみて、高橋先生がおっしゃいました。

「・・・・・・。便利だったのに・・・。」

多動と言われてショックはありませんでした。
おかしい話ですが、そうなんだ!納得と思いました。
今までずっと自分がインディゴだとは思ったことはありませんでした。
病院、療育機関では、親もインディゴ傾向であるか調べるところもあるようで、
ママ友の中には、「私、アスペ(自閉の軽度によって名称があり、その略)だし」と話す方もいました。
今まで、ふ~んと聞いていました。

でも今回、私が多動と言われて、納得することが多かったのです。
どおりで幼稚園では、友達と遊ぶより、一人で園庭の木の実や虫を見つけて遊んだり、参観日に遅刻してもまわりを気にすることもなく、重役出勤のようにゆうゆうと一人教室に入ったり、マイペースな訳です。
女の子なのに、仲間で遊ばないのです。遊べないもしくは、一人でも大丈夫だったのでしょう。

納得した瞬間、不思議なことに気づきました。
「便利だったのに・・・記憶力。となると・・・あれも多動だったから?」と自分の特技的な部分がにぶってきているのに気づきました。
最近3週間ぐらい風邪をひいていました。それと同時ににぶった感覚がありました。
「えーーー!普通になったらどうしよう。」
そう思いました。

自分のちょっと敏感すぎる感覚や記憶力は気に入っている能力でもあったのです。
私は、それらが普通になるのがいやだと思いました。

そんな私は、寛希が普通になることに必死になっていたのですが、おかしな話です。

今回のことで、私は、寛希を普通にしようとしていたことに疑問をもちました。
そして、「寛希の良いところを伸ばし、この3次元で上手く人とコミュニケーションをとってやっていけるようにする」という高橋先生がはじめのころにお話になったことの意味がようやくわかり始めました。

寛希も今で十分楽しいのです。私が幼稚園で何も気にならず、(友達と組むことを必要としたときは不便でした。)楽しんでいたときのように。
寛希のいいところは、私は上手く表現できませんし、まだわかっていません。
自分の好きなところも30歳すぎて、今回失いかけて気づくことができました。

私の記憶力は、便利でもあり苦しい部分でもありました。
自分がしてしまった失敗、発言、嫌な出来事もなかなか忘れられないのです。
人は忘れられるから良いのです。
高橋先生に、忘れないと新しいことが入ってこないと教わりました。
陰陽があるように、入ると出るはセットです。
やっぱり記憶力は普通が良いと思います。
でも、私にはにぶって欲しくない感覚や特徴がまだあります。
おかしいですね。

人の良いところはどのようにきづくのでしょうか。
それは、その人の良いところをみようとしないと見えてこないそうです。
自閉の場合、何ができないか、何が問題になり、これから先につまづくかと観察しているのであれば、その子の良いところは見えてこないと思います。
良いところをみようとすれば見えるということは、気になるところをみようとすれば、気になるところが見えてくるということです。
良いところも、気になるところも両方みるようにしているという人がいるかもしれません。
でも私は、良いところだけみていたいと思います。
気になるところをみていたって何も意味がありません。気になりだしたら、そのことにこだわり、とらわれて、ますます気になります。
その分の時間、良いところを見て、多くの良いところを見られるほうがずっと素敵だと思います。

母親になる勉強 ③

2007-12-16 09:31:20 | みやびの成長 ( 親になるために )
妊娠38週目のときに、寛希は生まれました。
その2週間前の検診の時、このあたりで産むとお産は楽だよと産婦人科の先生がいいました。
「楽・・・。痛くないのがいいなぁ」と思いました。
翌週の検診は、代行の先生が診察をしてくれました。
「まだ赤ちゃんが小さいから、なるべくお腹に入れておいたほうが良いですよ。」と言われました。
「でも、お産は楽なのがいいなぁ・・・。」と思いました。
その気持が通じたのか、その診察の次の週に寛希は生まれました。
本当にすんなり生まれました。

寛希を産んだ病院は、小さい産院でした。
「病室も、陣痛室も満室だから、もっと陣痛の間隔が短くなってから電話ください」と言われました。
かなり待って産院についた時、もうすぐ産まれるからとすぐに分娩室へ。
到着して2時間も経たないうちに寛希はすんなり生まれました。
その時間は夜で、先生は不在でした。
先生や助っ人助産師さんが到着する前に、産まれました。

すんなり生まれたのは良いのですが、私のお腹にのっけてもらうことなく、寛希はすぐに保育器へ移されました。
ちょっと小さかったみたいです。2130g。

お産に立ち会ってくれた主人に
「私、産んだの?」

これが、私のお産直後の一言です。

2時間後、トイレに行き、帰りに保育器に入った寛希を遠くながめました。
「大丈夫かなぁ・・・。」不安でした。
病室も全て満室だったので、私は分娩台でそのまま夜を過ごしました。

翌朝、病院はなぜかバタバタしていました。
「赤ちゃん(寛希)が小さくて、呼吸が速いから国立小児病院へ転院することにします」と説明をうけました。
主人に連絡をしたり、こちらもバタバタしはじめました。
そうこうしているうちに、救急車が到着しました。
婦長さんのお心遣いで、ほんの数秒、救急車へ乗せる間、寛希を抱っこさせてもらいました。
その時、初めて我が子を抱っこしたのでした。

私は、その後、産婦人科で育児指導をうけました。
同じ日の数時間後に生まれた男の子のお母さんがオムツ換えを教わっているそばで、ノート片手に指導をうけました。

ペンギンのお母さんは我が子を必死に守り育てます。
子どもを上手く育てられなかったメスが子ども奪いとうろうとするからだそうです。
赤ちゃんペンギンが母親の下からちょっと動いて離れたすきに、赤ちゃんペンギンがいないメス達が集団でその赤ちゃんの取り合いをしている映像を見たことがあります。
とても恐ろしい映像でした。

ペンギンのように奪いとろうとは思いませんでしたが、自分も産んでいて、他人が赤ちゃんの世話しているそばでノート片手に育児を学ぶという状況はかなり精神的な苦痛でありました。

入院中、1日だけ外出して寛希の入院先にいきました。
産後5日で私は退院しました。翌日には、自分で自転車にのって区役所に行き、出生届をだして、40分以上かけて寛希の入院先へ行きました。

私は寛希がある程度の大きさになるまで、毎日一人でせっせと通いました。
寛希は10日間ほどの入院ですぐに退院できました。
その間、「1日も早く、寛希が退院できますように」と毎日祈りました。

こんな産後の無理がかさなり、産後の上がりはかなり遅くなりました。

産後1ヶ月の頃、義妹の結婚式がありました。
結婚式に出席した私は、搾乳もせず半日過ごし、しかも豪華なご馳走を食べたので乳腺炎にかかりました。
私はお乳のトラブルが続き、母乳マッサージに断乳まで通いました。
高熱が出て、抱っこして蹴られた時にはあまりの痛さにキレていました。
食べ物も注意するようになりました。
でも、乳腺炎は数回かかりました。かなりの量のお乳がでていたようです。
寛希が1歳7ヶ月の時の2回目の妊娠の時まで、母乳で育てました。

乳腺炎になってふらふらの私を主人はたくさん助けてくれました。
げっぷ出しはほとんど主人がしてくれました。
というより、乳腺炎の時は、お乳に赤ちゃんの足が触れるだけで痛いので、ほとんど抱っこなんてできませんでした。

さて、そうこうしているうちに、1歳になり、私の母親との同居が始まり、私は仕事に復帰したのです。

今回このようなことを書いたのは、私は「母性」ということについて不安があったからです。
寛希が産後すぐに離れたことから気にしていました。
しかも私は寛希をおいて外出することも多く、他のお母さんよりも我が子と一緒に行動をしないことが多かったのです。

自分だけの時間が本当に好きで、というかないとイライラしていました。
私に問題があるのかと気になっていました。
ママ友をみていても、みなさんスキンシップをよくしています。
変な表現ですがベタベタ・ベタベタ。

主人に以前質問したことがありました。
「母性って何?」
それほど、私にとって、母性ということがひっかかっていました。

私の母が先日、「あなた達(私達夫婦)はしっかり子育てされているけど、スキンシップが少ないように感じるというか・・・。私は、あなた(みやび)をずっとおんぶしていたのよ・・・」
という話をされました。

一番触れられたくない部分、一番私が気にしている部分でした。

最近、親力、子どもを伸ばす育て方などの育児に関する情報が飛び交っています。
私も雑誌や本を買って読んでいた時期もありました。

でも、子育てとは、感性を高め、本能で育てるそうです。
子どもはそれぞれ違う個性を持っています。
統計やテキスト通りの反応が返ってくるわけではないのです。
本能とは人がそれぞれもっている母性・父性です。
なんとなく感じるという本能に従って子どもと向き合い、育てていくことが大切だそうです。

私は、自分の母性が薄いのではないかと気にしていました。
でも私は、寛希が4ヶ月検診の前には、「ちょっと・・・」と違和感を感じていました。これが本能かなと思います。
本能のままに子どもと向き合えば、わかるものなのかもしれません。
本能、母性は、頭で考えた時、感情の入った思考によって鈍るのだと思います。

今まで私は、育児を頭でしていました。

もし、頭で考え、学問で育児をしようとしているのであれば、きっと辛くなると思います。
頭で「子どもとは」とあれこれ思うのであれば、それもどこかで無理が生じると思います。

動物園は、「象さんだぞぅ~」と子どもが楽しむだけのところではないそうです。
動物達の母性を学べるところでもあるそうです。

私も、寛希とそういった視点をもって動物園で勉強してこようと思います。

書籍やデータをみて、それにこだわったり、とらわれたりしてはいけません。

母親のなんとなくという感じを大切に、その感覚を研ぎ澄まし、寛希を育てていこうと思います。

母親は、太陽だそうです。
父親はもっと壮大な太陽だそうです。

母性が不足したまま育つと、大人になって問題行動につながるそうです。
二つの大きな太陽のもと、子供達は育って立派な大人になるそうです。

私は、明るいエネルギーにあふれるお母さんになりたいと思います。

私達母親は、手間をかけて家族をサポートするお役目があります。
掃除、洗濯、料理、すべて手間をかけた分変ってきます。
今は利便性を追及した家電が多いです。確かに助かります。
でも、頼れるものは頼り、大切なところは手間を惜しんではいけないと自分に言い聞かせています。
野菜を電子レンジでチンして下ごしらえしたのと、湯がいたのでは違います。
洗濯を市販の洗剤で洗濯したのと、安全な石鹸をといて洗濯したのでは違います。
やっぱり違うんです。

感性を高め、本能を大切にし、情報があふれていますがとらわれなく、そして、小さいことをコツコツとすることの大切さを私達母親は気づき、実践していくことが重要なのだと学びました。


みやびの成長 ⑥

2007-12-02 13:00:15 | みやびの成長 ( 親になるために )
先日、朝の通勤ラッシュが終わりかけた9時ごろ、寛希と電車に乗りました。
長いすに二人ゆったりと座れるところがあったので、先に座っていた寛希に声をかけ、一緒に座りました。
寛希の隣には若い女性がゲームをして座っていました。
その日、寛希は風邪を引いていて、状態がやや不安定で、多動気味でした。
独り言も多く、座った席を立ったり、窓から景色をみようと体を乗り出したりしました。私は荷物を何個か持って座っていました。
何駅かたったとき、寛希は隣の若い女性に当たってしまいました。
「ッツ!」女性は不愉快そうに舌をならしました。
「すみません。」私は軽く謝り、「お姉さんに当たって、迷惑になるからおとなしくして」と言いました。
寛希は落ち着きがありませんでした。でも、とてもすごい多動ではありませんでした。
終着駅につき、みんな降り始めました。私は、携帯で電車の乗り換えを調べていたので、ゆっくり降りようとしたとき、若い女性に「落ち着いていられないんだったら、座らせるなよ!」と怒鳴られました。
少し凹みました。
そうだよなぁ・・・といろいろ思いました。
いつもなら、目の前にあるエスカレーターを降りるのですが、その若い女性も降りると思われたので、私達はいつもと違う大きな改札口まで歩いて、乗り換えることにしました。
大きな改札口をでて歩いていると、私達のななめ後ろで先ほどの若い女性が携帯電話で話していました。そして、
「躾ができないんだったら、子どもなんか産むなよ!」と私に聞こえるように携帯電話に向かって言っていました。

今度は、ベコっと凹みました。
どうやら、寛希の立ったり、座ったりしていた間、若い女性の足も何度か踏んでいたようです。

寛希は山手線に乗り換え、すぐにあいている席に座りました。風邪を引いていたので、立ってはいられなかったようです。しかも多動。
私は、その間ずーっと考えました。

自閉症の場合、躾ってどうしたら良いのかなぁ。

私は、寛希が自閉とわかる前の小さい時から、躾けとして、ガミガミと言っていました。「静かにしなさい。」「片付けなさい」「~しなさい」「~してはいけません」

ルナ子ども相談所でも、「ご挨拶しなさい」など言いました。
岩佐先生は、「いいから放っておいて。今は(躾け)無理よ。理解できないから。その時期がきたら教えるから。そうしたら今度は厳しくやって良いから。」と言われました。
その指導通り、私達は、あまり言わないように心がけました。

でも、寛希は身体が大きく、一見、自閉とはわからないので、躾けられていない子どもと見えるでしょう。(主人も私も頭を下げることは気になりません。)

私が「躾できないんだったら、子どもなんか産むなよ」の言葉がひっかかるのは、
躾けができないこと、自分がどう躾けたら良いのかわからない。自分も何が正しいのかわからないし、正しい作法をしている自信がないからです。

私は、本当に何も知りません。失礼なことも多々しているとおもいます。
だから自分が母親で良いのかと不安になっていたのです。

大学までいって勉強しても、母親として当然知っておくべきことはほとんど身についていません。
私は、両親にいろいろなことを教わりました。一見まぁできるように見えるかもしれません。でも、母が教えてくれようとした時、面倒臭がって、身につけようとしなかった自分がいるので、できないという現実もあります。

私が寛希を躾けようとすると、寛希は九官鳥のように言います。
ただ「静にしなさい」と私の台詞を言うのではなく、ショートストーリーのように、全て繰り返し言います。

例えば

寛希:「アァー!」
みやび:「うるさいよ。静にしなさい」

このような会話をすべて一人で続けて言うのです。
これは、寛希が私に「違うんじゃない」と教えてくれているようです。

躾けは大切だとおもいます。でも、躾はガミガミ言うものではないと学びました。子どもはその親の姿をみて真似して学んでいくそうです。
自閉の子どもは模倣が苦手ですが、私たち親の行動の毎日の積み重ねが大切だと気づきました。

教えてもいないのに、「それでは、失礼します」と寛希が言ったことを思い出しました。

今回のショックの大きい原因は、自分ができていないという指摘をされたように感じたためだと思います。
インディゴでもそうでなくても、躾はまず親である自分の日々の行いだと、痛感しました。

高橋先生には、
・おだやかに育てる。
・できることだけみて、伸ばす。(結果としてその方が早く伸びる)
・あれも、これもと全てをできるようにしたいのは欲張りではないか。
・無策はダメ。策は講じないといけないといけない。
・みんな神経質すぎ、気にしすぎ。おおらかでいること。母親が神経質だと子どもに影響する。

と教わりました。
世間の自閉症の療育は、できないことを見つけ、(楽しく、もしくは厳しく?、繰り返し)できるように訓練するという対策です。
その方針からすると、逆の対応のように感じます。
でも、子どもの頃は自閉と疑われたというような方で大人になって普通に社会でやっている方は、共通しておおらかなお母さんに育てられたように感じます。

やはり母親がポイントなのではないでしょうか。

今回の出来事でまた一つ、過去のことを反省しました。

寛希が1歳の時、私は主人の学校の部活の合宿に寛希と一緒に参加させてもらいまいした。
部活の生徒達(中学生)の行儀の悪いことが目に付きました。挨拶もろくにしませんでした。
私は、その時主人に「ちゃんと躾けないと」と言っていました。
自分の中学校時代の記憶と自分の価値観や概念をその生徒達にあてはめようとしていたのです。
私は、先日の出来事を主人に話したとき、以前のみやびもそうだったと言われ、ハッっとしました。
私も、寛希をさずからなかったら、あの時、口には出さなくても、同じように思っていたとおもいます。そして、数年前の私は、同じようなことを実際に言っていました。

今回凹んだ出来事は、毎日の行いから過去にさかのぼり反省をする出来事となりました。

我が家で食べている食材

2007-12-01 12:33:49 | 食生活
ブログで良いもの、本物だけを食べてくださいと書いていますが、どこで手に入るの?ということを詳しくご紹介したいと思います。

☆ お米 ☆
お米を選ぶとき、コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまち・・・と品種で選んで食べている人がほとんどだと思います。
しかし、同じコシヒカリでも産地によって、味がかなり違います。
今、地球は温暖化などで日本も亜熱帯化しています。日本にしかない四季が薄れてきて、春、秋が短く、夏は猛暑となりました。
亜熱帯に生息していた昆虫や植物が日本で生息するようになりました。

昔の稲が成長する環境と違うということです。

お米は新潟産コシヒカリが最高だと思われている人も多いかと思います。

でも、それよりも美味しいお米をいろいろ食べてみて、お米は少しずつ違い、美味しいお米は本当においしいということを知りました。

年の天候が稲の成長にかなり影響し、お米の美味しさに反映されます。ですから産地によって違いが出てくることを教わりました。
また、それぞれの田んぼのエネルギーも大きく関係し、つくってくださる農家のかたの想いも関係してきます。

美味しいお米の条件に、
完全無農薬(除草などを手作業などで行っている。)、完全有機肥料、天日干し
があるそうです。

私達は、パンやお菓子、お茶については、どこどこのお店は美味しいと選びますが、一番大切な主食となるお米については、値段と品種、農薬の有無ぐらいでしか選んでいなかったようにおもいます。

本来一番こだわり、選ぶべき食材はお米なのではないでしょうか。

きらめき会では、産地や品種など安全な高エネルギーのお米を購入することができます。京都の美山町で作られている美山米、丹波で作られている丹波米、御殿場のこしひかりなどです。

ロハス・ネクストでは、秋田の金名米、銀名米を買うことができます。これらのお米はあきたこまちです。本物のあきたこまちを買うことができます。いま流通しているあきたこまちは、本来のあきたこまちの良さがでていないことを知りました。
あきたこまちはもち米の特徴が含まれています。もっちり、ずっしりした重量感のある美味しいお米です。
本物のあきたこまちで作られたきりたんぽを食べたとき、「これが“きりたんぽ”なんだ!」と感動しました。

沼津の農家の方からも直接買うことができます。
高エネルギーのおいしいアートテン米を、とってもお手ごろなお値段で売ってくださいます。たくさん食べたい方にはオススメです。
いろいろな品種のお米があるそうです。

ぜひ、いろいろな地域のお米を買って、ご飯(お米)を楽しんでみてください。

☆ 塩 ☆

塩は乙女の塩をオススメします。

私も以前は知る人ぞ知る結構高い塩を買っていました。
その塩はちょっと変っていました。硫黄の香りがしました。

初めて乙女の塩をなめた時、「これが塩なんだ!」と美味しくてちょっと感動しちゃいました。
塩がとてもまろやかで、そのままなめて美味しいと感じます。
そしてお手ごろです。

塩のもつ力について実験をみせていただきました。
コンビニで売られているきゅうりを市販のメジャーな自然塩と乙女の塩でそれぞれ塩もみしました。
「塩もみ」という作業は、きゅうりについている農薬をとることができるので、ぜひやってください。
さて、塩もみした結果、手には緑色の臭いものがでてきました。
メジャーな自然塩と乙女の塩ではその臭いものの取れ具合に違いがでました。
乙女の塩は何倍も濃く、緑色の臭いものが取れました。
その緑色の臭いものの正体は農薬などです。
それだけ、乙女の塩の方が、農薬をより取り除く力があるということです。
塩は、灰汁抜きに使いますし、塩水に野菜をさらしておくと、硝酸塩などの農薬をとる効果があります。
健康ブームで野菜中心の食事を心がけている方が増えていますが、そのような人でも病気になるケースが多いのが現状です。
これは、野菜に含まれている残留農薬が体内で影響を及ぼしていることが考えられるそうです。
農薬はビニールハウス栽培のものの方が残留の濃度が高くなるそうです。それは、光合成の量に関係しています。
ですから、露地栽培の野菜を食べることをオススメします。

今年は梅干をつけるときにも乙女の塩を使いました。お水の上がりが例年に比べ、数段早く上がりました。
塩のもつ本来の力が高いということだと思います。

最近、減塩ブームで、塩分何%オフというものが多くなっています。でも、今の時代、塩分不足のケースも少なくないんです。
私は母が高血圧だったので、減塩が当たりまえで薄味でした。
その分素材には気を使っていましたが、寛希はかなりの塩分不足でした。

何回か、塩について勉強する機会がありました。
何冊か読んだ書籍でも高血圧と塩の関係を知りました。
塩が関係して高血圧になる人とそうでない人がいる。
また、実際に塩が関係して高血圧になる人は少ないとのことでした。

しかし、ここで気をつけなくてはいけないのが、塩の質だそうです。
市販されている精製塩は自然塩と似ていますが、別物だそうです。
自然塩もニセモノが多いので注意する必要があります。
塩は本来いろいろなミネラルを含んでいるので、塩化ナトリウムだけでは塩ではありません。

塩は私達にとって無くてはならない大切なものです。
塩は、体内の水分調整、細胞の浸透圧の調整、栄養素の吸収、血液量の維持、神経伝達、炭水化物の代謝、体内の酸、アルカリのバランス保持、特定の酵素の働きの活性、カルシウムなどの電解質代謝、などの作用に関わっています。

ですから、塩の品質については、気をつけなくてはいけません。
安全な良い塩を使うことがとても重要なのです。
ちなみに、高血圧は食の乱れが大きな原因でもあるそうです。
低体温なども一つは塩分不足が考えられます。
良いお塩(乙女の塩)は現代健康研究所、きらめき会、ロハス・ネクストで買うことが出来ます。
美味しい塩は、お料理を美味しくしてくれます。
どうぞ、お試しください。

☆ 醤油 ☆
醤油は天野醤油さんをオススメします。
前回遺伝子組換えの危険を書きましたが、大豆にこだわり美味しいお醤油はめったに流通していません。気をつけてください。
以前、某有名醤油会社の社員は自社の醤油は買わないと聞いたことがあります。

天野醤油のお醤油は3種類あります。
我が家では、めんつゆを作るときや煮物などには「富士泉」を使い、卵かけご飯、納豆などの卓上用には「甘露醤油」を使っています。

日本一を3回受賞しています。
本当に美味しいので、オススメです。

☆ 食材 ☆

きらめき会では隔週で食材を宅配してもらえます。
季節の野菜、果物、卵、牛乳、ヨーグルト、豆腐類、魚貝類、お茶、麺類などです。
鶏肉が3ヶ月に1度、冷凍で買うことができます。

ロハスネクストでも季節の野菜、果物、麺類、味噌を買うことが出来ます。 

☆ 卵 ☆

インディゴに必要な一番お手ごろな良質の動物性たんぱく質である卵は、きらめき会でも買うことができます。
我が家は現代健康研究所の治療の日に、車で「瀬戸養鶏」によって買って帰ります。
寛希は瀬戸養鶏の鶏を見に行くが大好きです。
美味しい有精卵でぜひ卵かけご飯を召し上がってください。
アートテンの卵、アートテン米、天野醤油の甘露醤油の組み合わせの卵かけご飯は☆☆☆の絶品です。
アートテンの卵は、卵アレルギーでもコレステロールが気になる方でも大丈夫です。
鶏のエサが悪いとそのまま卵に影響します。市販の卵は毒卵ちゃんですので、注意してください。
そして、卵を割る前に、「あなたの命を私達の身体で大切にいかさせていただきます。」と気持を込めて「ごちそうさま。いただきます」と唱えて割りましょう。もっと美味しい卵になって、私達のエネルギーとなってくれます。

☆ お菓子 ☆
GFCFダイエットをしていたころは、米粉やホワイトソルガム(イネ科のキビの仲間)でケーキなど作って、クリーム無しのとてもさみしいお菓子を食べていました。
しかも、砂糖は良くないとおもい、飴玉などは食べさせたことがありませんでした。ですから、寛希は飴玉の食べ方もしらなかったのです。
そんな我が家にケーキを食べるという楽しみがやってきました。
御殿場駅の近くにある「みやざき屋」という洋菓子・和菓子のお店を紹介していただきました。こちらは比較的アレルギーをおこさないです。
材料の果物によっては、お子さんの状態によって反応するものもあるかとおもいますが、解毒グッズを使えば大丈夫です。
とっても美味しいのでオススメです。治療の帰りによるのが、我が家の楽しみです。
飴玉は、現代健康研究所にある「アカメガシワののど飴」がオススメです。
なつかしい味がします。とっても美味しいです。材料の水から安全なものでつくられています。
市販の飴玉は合成着色料など薬品の塊です。
あまいお菓子は食べなくても生きていけるものですが、食べることによって、心を和やかにしてくれたり、元気にしてくれます。
たくさん食べるべきものではないので、良いものをいただきたいですね。