みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ⑱

2008-04-27 00:05:03 | みやびの成長 ( 親になるために )
最近面白い本を読みました。

「バカ」になれる人ほど「人望」がある   伊吹 卓 著

私は、馬鹿にされたくないと思い続けていたことに最近気が付きました。
競争心、嫉妬心の塊だったとも気が付きました。

私は子供のころから姉と比べられていると思っていました。
勉強も芸術も体育も姉のようにはできませんでした。
そんな私は姉に嫉妬していたのだと思います。
両親は私たち姉妹を比べたつもりはないと言っています。
それなのに、私は比べられてきたと思いこんでいました。

やっとその事実に気がつく出来事がありました。
私は自分の競争心、嫉妬心の強さにショックを受けました。

最近次元の話を現代健康研究所で教わりました。
今の自分は人間としての資質は何次元なのかしらべてくださるということになりました。
私は人間味ある3次元で、主人は6次元でした。

その結果がでる数秒前、私以外の人が高いことを意識では望んでいました。
そしてその結果を喜ばしいことだと思っていました。
でも、時間の経過とともに、心に落ち着きがないことに気が付きました。

私は親から「それはこうした方がいいんじゃない」というアドバイスを言われたら、すごい悪態をついていました。主人がなんか言ってきた時には、理詰めで黙らせたりしました。それほど、指摘されること、馬鹿にされることに拒絶心が強かったのです。
その代り、世間では何も注意されないように、可もなく不可もないように、自分の神経をピンピンに張っていました。

そんな私は、その次元の結果を自分がダメ出しされているように思ったのです。

「何をがんばる?」「大人になってまで、また何で評価を受けなくてはいけないの?」「また比較される環境なの?」どんどん不満があふれてきました。おまけに死までチラついている…。

でも、もしその結果が違ったら、私はどうだっただろうかと思いました。それは、その状況で人の上にいたいと思う競争心であり、自分よりも上なんだと勝手に思い込んでいる人に対する嫉妬心でした。

私は、昔から自分のそばで競争心が強い人がいると嫌になります。

でも、それは私が競争心を持っているということをその人が教えてくれていることに気が付きました。

そして嫌だと思うその気持ちは、その人より勝ちたいと思う気持ちがあるということから生まれてきた「嫌」という感情だと気が付きました。

結局、私は頭でしか他人にいちいち影響されないということを分かっていなかったということもわかりました。
その根本に近い部分に自分の競争心と嫉妬心があることがわかりました。

私、主人に謝りました。
「今までライバル心を持っていたのは、私の方だった。ごめんね。」

3次元がレベル低くて、高次元が良いとは誰も言っていません。
病気が悪いというわけでもありません。
死が悪いわけでもありません。
負けることが悪いわけでもありません。

今までの私が頭で考えたすべての判断は、人間社会の平均、常識を元にしたための大間違えだったということも再認識しました。

はじめに書いた書籍の他にも「バカ」になることをすすめる本を読んだことがありました。でも、その時はここまで理解できませんでした。

松下幸之助さんに関する書籍を読んででてくる内容で「弁慶の七つ道具」の話がとても印象に残っています。

「知識とは弁慶の七つの道具のようなものである。つまり武器である。しかし、武器であって、その人自身ではない。それを使いこなすには力がいる。…」

知識を生かす柔軟性が欠けている場合、時にはむしろ有害であること。そして、弁慶の持っている武器は弁慶だから持って使いこなすことができたこと。が書いてありました。

知識とは、物事を人間の理解可能な範囲内で人間が決めた概念のようなものであって、それは人間1方向からみたものの情報に過ぎないということがわかりました。
ようするに、知識をもっていても意味があまりないということだとわかりました。

知識をたくさん持っているから頭が良いと思われることに意味がないと思いました。

最近、バカでいることを楽しんでいます。
「知りません」「わかりません」「できません」「はぁ…。」
しかも人の反応に興味なし。地位や名誉なんて意味なし。

だんだんバカでいることの心地良さを噛みしめられるようになりました。
仕事も、以前ならできる人になるために、時間外でもバリバリ仕事をしていたのですが、最近は定時まででマイペース。
知ったかぶりはしない。知っていても聞いて復習。

「バカ」が良くない、劣性と限りません。
優性、劣性も誰が決めるのか、それ事態そもそもおかしい。

私は、高校を卒業して大学にいかず社会人になった友人、先輩と一緒に仕事をしていた時、その人たちがとっても楽しそうだった印象があります。
ある医療事務コンピューターのお客様相談窓口で仕事をしていたとき、いつも穏やかで、楽しそうにしている先輩に出会いました。
その先輩は、なんでも前向きにとらえるようにしていて、とても楽しそうでした。そして、「わからない」「バカだから」とサラッと言っていました。
お母さんになって、ご自身のお子さんが目に病気をもって生まれてきた時でも、「この子はこの子」と相変わらず「前向き教」でした。
「前向き教」とは、その職場で先輩がつくった「前向きにしか考えないという精神をもつ団体を勝手に名付けたものです。」こんな名称までつくって楽しんで仕事をしていました。

バカは楽しいです。
見栄、体裁ばかりに気を取られていたころは本当に神経がピリピリしていました。

私は、ますますバカを楽しんでいこうと思います。

みやびの 成長 ⑰

2008-04-27 00:04:26 | みやびの成長 ( 親になるために )
『 人間万事塞翁が馬 』

塞翁が馬とは、人間の吉凶・禍福は変転し、予測できないことのたとえ。また、だから容易に喜んだり、悲しむべきではないこと。

いま思えば、過去にあった悲しい、辛いできごとは、今のうれしさ、幸せな毎日につながっているなということがわかりました。

寛希が自閉症だとわかり、その病気を調べていくにつれて、不安、恐れ、悲しみが深くなっていきました。公立幼稚園の入園面接では、心は悲しみと悔しさでボロボロでした。抱っこ法で私たち家族を担当してくださった方は、よくあの状態から立ち直ったと本当に心配されたそうです。でも、その悲しみ、悔しさのおかげで、「なにくそー」と新しい方向へと前へ前へと進む出来事となり、今では私たち家族は救われ、幸せだと感じられる毎日を過ごさせていただいています。


私は、小学校の3年生ぐらいからは友達に合わせることを努力しました。友達が欲しかったのです。そして、自分の世界も強い子でした。
私の家族、親族は成績もよく、運動もでき、いわゆる優等生タイプです。私はその親族の中で一番の落ちこぼれだったのです。
両親はずっと私に「あなたはやれば良いのよ。本当は頭が良いんだから」と言ってくれていました。
私は素直にそして都合よく「私は頭が良いんだ」と思っていました。
ちょこっと勉強したら、学年通信で名前がでることもあったので、そうかぁと本当にそう思っていました。

そんな状態でむかえた高校受験で、遊びと友達付合いばかりを気にしていた私は、自分の成績が普通でしかないことに受験の恐れを感じました。
そしてプライドだけがあった私は何にも勉強しない成績で確実に受かる高校を推薦で入学しました。

女子高校へ入学した私は、真面目に予習をするようになりました。するとすぐに成績はトップクラスになりました。その学校は都内の中心にあったのですが、地方からも来ている人も多かったです。そこそこの都会育ちだった私は、最高潮に天狗になりました。そして入学して早々、友達の悪口を言い始めました。
女子校です。何人もの友達を敵にまわしました。
それでもプライドがまだまだ高い私は、「この学校は私にふさわしくない」と思いました。リセットしたいと思いました。中学時代に勉強をおろそかにしてきた罰だとも思いました。

私は、親に学校を辞めたいと言いました。父は反対しましたが、私の意志がかなり固かったのを感じたようで、しばらくして納得してくれました。

私は、高校1年の1学期で学校をやめ、その年の夏休みに編入試験を受けて、都立高校へ編入させてもらいました。

編入したからといって、リセットできたわけではありませんでした。編入した直後は、対人恐怖症というのでしょうか、怖くて、授業中に先生にあてられて回答する声が椅子とともにガタガタと音を立てて震えていました。帰ってから一人で泣く日もたくさんありました。でも、わがままで行かせてもらった高校ですから耐えました。

不思議だなとおもいます。小学校、中学校でも友達の相談や愚痴をきいていて、いつも人に合わせることを心がけていたのに、どうしたのか高校デビューをしてしまったわけです。
でも、そこで多くのことを経験できました。

人の悪口を言うこと。いじめにあうときの気持ち。人を怖いと思う気持ち。いじめにあっていることを誰にも言えない気持ち。親が心配している様子をみる気持ち。一般的なレールを外れた気持ち。自分が悪かったとわかり、どうにかしたいけど、でも何もできずにいる不安な気持ち。

多くの経験をすることができました。

そして、編入試験のための勉強をするために個人塾に通わせてもらい、その時に尊敬する数学の先生に出会い、数学が大好きになりました。

その数学の先生は、ある1つの問題の解法を私の解きやすい方法を選び、その方法で教えてくれました。それまでいろいろな塾や個人指導の先生にも教わる機会がありましたが、その先生たちは先生自身がわかりやすい解き方を一方的に教えてくれるだけでした。
数学の解き方も1つだけではありません。

また、その先生は編入試験の直前の授業の終わりに、「強いやつがいる?」とボソッと一言低い声でクスクスと笑って、そのまま教室をでていかれたことがありました。

私に今まで「なぜ女子校を辞めたいのか」と深く責めたり聞いたりすることを誰もしないでくれました。でも、そのことを知ってほしいとも思っていました。数学の先生に言われたとき、少し心が落ち着き、癒されました。
一言でも十分癒されることを経験しました。

これらの経験は、寛希をさずかり意味があったと思えるようになりました。

寛希をさずかり、今ようやく過去を受け入れられるようになりました。
今までの私は、いじめられ、高校を変わったということが汚点であるとおもっていました。
たしかに自慢できることではありませんが、こんなに多くのことを気づくことができたので、その当時は本当につらくてつらくて、毎日の空が曇りに感じていましたが、とても良い経験をさせていただいたと思っています。

寛希はおかげさまで近所の小学校に入学しました。
しかし、治療を優先させ学校へは通いません。勉強は私たちが家で教えます。
でも、この選択をすることができたのは、自分が高校をやめるという、普通のレールから外れる経験をしたことがあるということも、そう決断することがしやすかったのだと思いました。
もちろん、同居している私の両親のサポートも大きく、学校、教育委員会とのやりとりは、すべて主人がやってくれています。
多くの方にも支えていただいています。
感謝の気持ちでいっぱいです。






みやびの成長 ⑯

2008-03-29 08:58:59 | みやびの成長 ( 親になるために )
先日、目にとまった本がありました。読みかけの本もありましたが、どうしても気になったので、その本をお借りして先に読むことにしました。

ゆるしの法則?ゆるすねぇ…。

タイトルは
『 ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない 』
です。ぜひお勧めします。

本はとても読みやすいのですが、仕事に追われ、ゆっくり読書をする時間もなかったので、その本を読み終えるのに数日間ほどかかりました。
でも、そのことも意味があったのか、大切なことを気づかせていただきました。

本には過去、他人、自分、すべてをゆるすことの素晴らしさ、必要性が書かれていました。逆に、「ゆるさない」という思いについてもどうなるかが書いてありました。

他人はゆるせるけど、自分をゆるすということはむずかしいなぁと感じました。
すると、急に10年ほど前の父のことを思い出しました。
私が大学4年生のころ、自営業の父は仕事で大変な思いをしました。それは、私たち家族にも影響しました。
私は家族でいつも一人意見が合わず、浮いているように思っていました。
反発心もあって、家族に対して「私の人生の邪魔をしないで」とよく言っていました。

でも、その被害者意識をもっている私が、父に対してそうなることを小さい時に願ったことがあったことを思い出しました。

姉に比べられ、トップクラスの成績を期待された私は、父にいつか見返してやるという、なんともひどい心を持ち続けていたのでした。
私の大学時代にふりかかった大変な出来事は、結局は私が願ったものとも言えるわけです。それが実際に起こると自分を最大な被害者だと思ったわけですから最低です。

父は人生を通して、愛情深く、私に気づけるようにしてくれたのかもしれないと思いました。
私は、父に本当に申し訳なく、そして今は父にただ感謝しています。

自分をゆるすことはやっぱり簡単じゃないなぁと感じていましたら、つぎに一番自分にとって触れたくない感情に気が付きました。

嫉妬心でした。

私は何か自分にとって面白くないことがあると、友達のところににげるという流れがありました。普通結婚してこんな歳になりますと、一切友人関係が変わるものだと思いますが、私は全く変わっていません。高校時代からの男友達で、大学も会社も同じで、幼なじみのような友達もいます。 会社の仲間でつくったサークルもあります。

私たち夫婦には隠し事はありません。
私が主人に一番感謝していることは、私を信じてくれていることです。

書きたくないことなのですが、本題に戻ります。

先日、主人の教え子が4月から大学生になるので、現代健康研究所へ一緒に連れて行ってあげることになりました。
真実を知りたいという、とても勉強家のかわいい子です。
高橋先生にも褒めていただきました。

主人はいつも良いご主人だと褒められ、その子も褒められ、私もうれしいです。

私は、高橋先生に多くを教わって、おかげさまでダメダメ人間から成長している最中です。死ぬまで成長し続けたいと思っています。

ですから、寛希が褒められ、主人が褒められ、連れていった教え子が褒められて、自分がダメ出しされても、ちょっと凹むけれど、成長することができていること、今回の人生でたくさん成長できるご縁をいただいたことに感謝して、しっかり成長できるように勉強するのみとすぐに思えるようになりました。

以前の私だったら、とりあえず競争心をわかして、プリプリしていたと思います。

それが…教え子をお家に送って、自宅に戻る際中に出来事がやってまいりました。
いえ、道中からスタートでした。

普通なら「よ~し、私も勉強するぞー!」となるとことが、本当に久しぶりにカチンときました。

褒められ気分上々の主人は、褒められグループ、ダメグループと言わんばかりに、「ねぇ、変なこと言うでしょう?」「俺と、○○(教え子のあだ名)は、みやびと考え方が違う」、まぁーいろいろと言ってきます。しかもその日は、私は小学校の同窓会帰りに治療へ行きました。
先に行っていいよという私に対しても、なんか変な返事をします。教え子には、私への印象を「同窓会帰りだからね。不器用だからその雰囲気のままで、いつもと違う。なかなか戻らないんだよ。」、変声期のように2週間もハスキー声の私に「本当は、声だけは美しい」その他いろいろ。

高橋先生が私をネタとしてお話に出されるのは今では何も気になりませんが、初対面の教え子に自分の目の前で主人からそこまで言われるのかと思うと、悲しくなりました。(私は昔から他人には主人の悪いことは言いません。ケンカしても私は他人に言いません。)

たしかに昔の私だったら、しばらくの間は同窓会の雰囲気にのまれていたかもしれません。
しかし、今の私は20年ぶりの小学校の同窓会でも、きっちり1次会の会食中でも切り上げてくるように、自分らしくいられるようになってきているので、言われ放題なのもムカついてきました。

そして、「俺たちと、みやびは価値観違うんだ」まで言われ、「そうですか。そうですか。次元が高いんですから、正しいかもしれませんね。私はダメダメですね。顔にも出ているかもしれませんね。」 と昔の私なら言い返しているところですが、声も出ないことだし、そうムッと思いながらも、適当にながしておきました。

その日の夜中に気づきました。私は、今まで主人を同じように孤独にさせていたことを思い出しました。私は家族から逃げて、都合よく仕事仲間のところに行っていました。

主人は、自分が20代のときにやられたことを高橋先生がみやびにやり返してくれているとも言っていました。

ですから、言われたこともただ受けいれるだけです。

私が主人にやったことは、自分のその時の価値観、概念、3次元の人間社会で無難にこなすこと、人間社会の常識を押し付けたことだと思います。

ですから、主人をゆるすことは私自身をゆるすことでした。
主人が過去の私をゆるしてくれていたように、私もゆるすことが必要でした。

本には、もうひとつ重要なことが書いてありました。
「裁くことをすべてやめただけよ」

裁くのは神様で、私はしなくて良いんです。
意味があって物事があるのですから、そこから何かを学ぶだけで良いのだと気が付きました。
ようやく穏やかな気持ちになってきました。

最近、ママ友、結婚している友人に、「いいご主人だよね」とよく言われます。
感謝することを気づかせてくれているのかと思うと気にならないのですが、それだけでもないことも感じます。 でも、その感覚をなんとなく気づくことができました。

私は嫉妬心とともに孤独感を味わいました。また、それらの感情と比例して主人を拒絶する気持ちが膨らんできているのに驚き、そのことにも苦しみました。

どうやってこの思いを乗り越えられたかというと、私は高橋先生の何気ない言葉を1つ1つ思い出すことができたからでした。とても愛情深いものです。
課題ができるように、支えられていることに気がつき、支えられているあたたかさを感じました。
ハスキーな声になったころから、今思うと記憶に残る絶妙なタイミングで、ぼそっと「だいぶ立派になった。だいぶ成長した」と声をかけてくださいました。その言葉を思い出せたので、私は今回の人生でたくさん成長していけば良いんだ。次元がどうのとか、まわりがどう思おうが関係ない。自分だ!自分を成長させることが目的だ。愛だけを信じようと思いました。

そのためにも、『ゆるす』が重要になってきました。
他人をゆるす。自分をゆるす。裁くのをやめる。怖れではなく、愛に従う。
すると、拒絶心もどれぐらい続くかなぁと実験みたいにもとらえていましたが、2日たって、すっかり落ち着きました。
その間、何度も涙がじんわりでてきました。

この本では、愛とエゴについても書いてあります。面白いです。
ぜひ、みなさんも読んでみてください。


みやびの学び ⑭

2008-02-17 08:26:57 | みやびの成長 ( 親になるために )
今私が担当している仕事1つに植物の予備実験があります。
春休みにおこなわれるイベントの予備実験です。

実験テーマは3つ。
植物の光合成、吸水作用、蒸散作用です。
中学1年生で勉強する内容です。

私はこの予備実験で、どのように実験をしたらより成功するか、どの植物を実験に使うとわかりやすいかなどを調べてイベントがスムーズにおこなわれるように準備していきます。

私はこの仕事を20歳の時からお手伝いさせていただいています。
でも、自分には能力がない、学校で習っていない、知識がないなどという理由で、つかず離れずのまま関わらせていただきました。

高橋先生に多くのことを教わり、今までの自分の概念が間違っていたことに気づくことができ、この仕事を心から楽しみ、この機会をいただけていることを幸せに思えるようになりました。

人は死ぬまで勉強です。学校を卒業したら完了ではありません。
学校の勉強とは、教科の内容よりも、勉強する方法を教えてくれて、また勉強することの訓練なのかもしれないですね。
学問を探求していくと、いきつくところは同じ精神論になっていきますよね。
私は、これまたやっとそのことに気がつきました。

さて、今回の実験は自由研究や中学校の理科の実験でおこなった事がある人もいるかと思います。メジャーな実験ですが、 私は初めておこないました。

自宅で行ったのですが、1発で上手くいく実験もあれば、苦戦をしたものもありました。

知識の詰め込みは本屋で立ち読みをしたり、インターネットで調べたり、お花屋さんに聞いたり、参考書を片手に勉強しました。

何日間も苦戦した吸水作用を確認する実験で、興味深い結果をみることができました。

吸水作用の実験では、白い花を食紅の入った色水につけ、白い花が食紅の色に染まる様子を観察します。

普通、水は上から下へと流れますが、植物の場合は下から上へと吸い上げます。
それが本当に起こっているかという確認の実験です。

はじめ、私は未来の星の水にスーパーなどで買える食紅を入れて実験しました。
しかし、全然染まりません。
普通、1日もしたら花が染まってくるのですが、まったく染まりません。

「??? もしかして未来の星のお水だから、お花さん、その水だけ吸った?」
なんていろいろ考えました。

次の日、水道水に食紅を溶かした溶液に浸しました。でも色が変りません。

この実験では絵の具などは適していません。絵の具にはいろいろな油性の物質などで混合されてできているため、花が吸い上げなくなるのです。

何日も調べました。そして、買出しに行ったお花屋さんにも聞いてみました。
すると1軒のお花屋さんがヒントをくれました。

昔、白い花を染めようとした時、最初はカスミソウで始めたと思う。でも、白い画用紙に色鉛筆で色をつけるのが結構大変のように、鮮やかな色に白い花を染めるには、溶液の色をとっても濃くしないといけないと思いますよ。あとは、切花専用の着色料を使うとかね。」と教えてくれました。

早速、100mlの水道水に6グラム以上の食紅を入れて溶液をつくりました。
そして、切花用の着色料も買ってきました。とっても濃い色の液体でした。

そして、お花には、「ごめんなさい」と言いながらつけました。
10分もしないうちに、色が吸いあがってきました。
茎を半分にカッターで割いて、赤と緑の色水に浸したチューリップは葉も茎も花も赤と緑の2色に染まったチューリップとなりました。

実験成功なのですが、その後からが私には印象深いものとなりました。

今回使用した白い花は、チューリップ、菊、スイトピー、スプレーカーネーション、スプレー菊、トルコ桔梗です。

スプレーカーネーションは、茎や葉っぱは染まっているのですが、がくのところより上の白い花びらが、なかなか染まりませんでした。

実験開始から2日経って、ぐったりした少し怒ったかんじの花たちを、そろそろ実験を終わらせて、最後は未来の星のお水に入れることにしました。

すると、いっせいにスプレーカーネーションがうっすら赤く色づきました。
なかなか染まらなかったトルコ桔梗までも吸い上げていることが確認できました。

私は、本当に申し訳ないことをしているなと心が痛みました。

今まで、質の悪いお水を最低限しか吸わないで生きようとしていたように感じました。
さっきまで怒ったようにぐったりしていた花々が、未来の星の入ったきれいなお水になって、喜んでいるように輝いて見えました。

この吸水作用で、吸い上げた色水の水は蒸発してなくなりますが、染料の食紅は植物の細胞に残るため、色が着くという仕組みだそうです。

実際、赤の色水から緑の色水に入れ替えたスイトピーは、1日経ったあと、赤の花びらの中に緑が入っていました。白い画用紙に赤で塗った後、上に緑を塗ったような状態です。

また、赤に染まったスイトピーを透明な水につけた場合、多少は薄くなってきましたが、白には戻りませんでした。

このことはこの同じ地球に生きる私に教えてくれました。

空腹だからと毒の食材は自分の空腹を満たすまで食べてはいけない。
生き延びるために食べるとしても、毒は最小限度にしないといけない。
毒は、その毒を無毒化、または代謝する機能がなければ体内に残る。
体内に入れるものは、すべてどんなかたちにしても表に出てくる。

私達人間は植物の光合成によって作られる酸素を吸って、呼吸によって二酸化炭素を出しています。そして、植物は二酸化炭素を吸って、光合成を行います。

植物は、私達のように食べ物を食べません。ですが、生命活動をしています。
その仕組みが光合成です。
植物は、太陽(光エネルギー)と二酸化炭素、水により、有機物である生命活動に必要な物質と酸素を作り出します。

すべては人間があって周りのものがあるわけではないことがわかります。
私達人間も、この地球生命のサイクルを担う一部分であるにすぎないのです。

植物が光合成をしなければ、私達は酸欠になって生きられません。

街の道路に植えてある街路樹は粉塵で気孔が塞がっているものが多いそうです。
気孔とは二酸化炭素を吸うところです。

人間は、いま自分の利便性だけを重視します。

日本人の外食で使う割り箸だって、森林伐採でつくられているのです。しかも自国ではなく、他国の。中国には材木がほとんどなく、中国も材木を求め、海外へ買い付けに行っています。地球のどこかの森林が伐採されています。

自然は多くのことを教えてくれています。
私達はそのことに気づき、学ぶ必要があります。

みやびの成長 ⑬

2008-02-16 13:33:11 | みやびの成長 ( 親になるために )
先日7年ぶりに会社の元同僚Aさんから電話をもらい、食事をしてきました。
そのAさんとは、私が妊娠し、いったん会社を辞めるまでの2ヶ月間ぐらい一緒に働いただけの関係でした。
友人からAさんに私の連絡先を教えて良い?と聞かれ、喜んでといいました。
友人との電話のあと、すぐにAさんから電話がかかってきました。

その電話で「久しぶりに会いましょう」と言うことになりました。
Aさんは私が辞めた半年後に退社して、今では2児のお母さんです。
やっと下のお子さんが1歳になったので、出かけられるから会いましょうとのことでした。
Aさんの家は我が家と近所でした。

2ヶ月間一緒に働いたことがあっても、Aさんとは仕事の接点がほとんどなく、あまり話したことがありませんでした。
Aさんの明るい勢いのままに「会いましょう!」と言ったけど、何を話そうというくらい接点がありませんでした。

何年たってもわかるものですね。 時間はアッという間に、7年前と戻りました。

私はAさんから電話をいただいたとき、Aさんにも謝る機会をいただいたのだと思いました。
Aさんはとっても美人でかわいらしいお嬢さんで、明るくて、人懐っこくて、とてもすばらしいバランスのよい人だと思います。
でも、一緒に仕事をしていた当時は、Aさんに対してどちらかというとあまり良い印象ではありませんでした。
嫉妬心であったと思います。
可愛さは何でも許されるのかぁみたいなものですね。

そうだこれを謝ることができるんだと、一緒に食事ができることを楽しみにしていました。

実際に会って話していると、やっぱりとってもいい人でした。
その当時、仕事でかなりの悩みをもっていたことがわかりました。
しかも可愛さでその場を和ませるようなポジションにいたはずだと思ったことが、実は、そのポジションがあってなかったようで、会社ではどの立場にいたらよいのか、居場所がなく悩んでいたとのことでした。

私が昔感じたり、思っていたことは、事実と違っていました。
そして、自分が嫉妬したことに反省し、申し訳なかったなと思いました。

Aさんからは、面白い発言がたくさん飛び出しました。

(以前の私は)完璧主義者ですよね。
(以前のように)仕事をしまくって家庭は大丈夫だったんですか?
(以前のように)仕事をしていたとき、お子さんは大丈夫だったんですか?

私は、最近仕事に復帰しました。計画より早く購入した家は、夫婦共稼ぎで成り立つように買っていました。しかし、私は寛希の病気がわかった時点で、すぐに仕事を辞めました。
寛希の治療などもやっぱりお金がかかります。4年間は貯金などでもやってきましたが、そろそろ私も稼がないと食べていけないことがわかり、私も治療がない日は仕事をすることにしました。
この決断には、かなり悩みました。
上記のような以前の失敗が頭に残っているからです。

でも、治療云々の前に生活していかなくてはいけないので、やっぱり今は、働く必要があります。

話し合った結果、家族が楽しく生きていくことが基本ですので、家族の目標を目指して、自然のながれにそっていくことにしました。
そして、今は今までの自分の間違いに気づき、改善すべきことがたくさんあることがわかり始めています。
どうしたら以前のような失敗をくりかえさないでのりこえられるかというのは、この1年でたくさん気づかせていただきました。
後は、実践です。

仕事の復帰については2度ほど機会をいただきましたが、怖さが大きくて、戻る気持なんてまったくありませんでした。
今回は私も働かないといけないなぁとわかったときに、お話をいただいたので、ありがたいことだと思いました。

頭で理解した改善すべき内容は、実行するのが意外と大変だぁと感じました。
そして復帰2週間目にして、バランスがとれず、自宅で徹夜して仕事をしました。

その2日後にAさんと会ったのですが、Aさんはとっても素敵なヒントをお話してくださいました。
Aさんは会社の現状などの世間話をしに私に会いにきたそうです。
私は春からは会社が分社化した新しい会社で働きます。しかし、元の会社の事務の人手が足りないことを話すと、
「下手に今、会社に復帰したくないです。能力以上のことをしなくてはいけなかったら、体がなんだか熱くなるし、穏やかではなくなる。この穏やかな生活が壊されるのが、嫌なんです」と。

この言葉に私はとっても多くのことを教わりました。

今の世の中は刺激にあふれています。
高校を卒業するころ、中学時代の友人に久しぶりに会った時に言われた言葉がずっと印象深く残っていました。
「みやびさんは刺激を求めるタイプだよね」
当時、意味がわかりませんでした。でも、これは的確に私にヒントを与えてくれていたのだとようやく気がつきました。

この「刺激を求める」というのが自然ではないと思います。
人間も自然と同様に穏やかであるのが普通だと思います。
しかし、穏やかだ(平凡な毎日だ)と刺激がなくてつまらないと思いがちです。
刺激的な状況が特別で、穏やかな状態が普通ではないでしょうか。

24時間、世の中は刺激にあふれすぎています。
いつも穏やかでいられないのが当たり前になっているから、本来の穏やかな状態が違和感をもつのだと思いました。

このことに気がついたとき、今までのほとんどを私は穏やかでないことを求めていたということにも気がつきました。はい次、はい次と新しいこと、刺激をもとめていました。
24時間興奮状態ですね。

家の中で毎日単調に生活することに、仕事を辞めた後は息が苦しくなるようでした。
辛くて、辛くて泣いていました。
ですから、母や主人に寛希をあずけて、一人家を飛び出すことも多く、勉強と自分磨きのようですが、外出していました。
穏やかな生活に違和感があり、自分が穏やかにしていられなかったのです。
お母さんが刺激を求め、穏やかでなかったら、子どもは穏やかでいられません。
いずれ、子どもも同じく刺激をもとめるようになるのだと思います。

一昨日、午前中は家で仕事をして、午後から会社へ行くことにしました。
心穏やかに準備をしていたのですが、急がなくては行けなくなり、慌ただしくなりました。
最寄り駅の近くで、ふと気がつきました。
「あっ、これが興奮状態だ。穏やかな心じゃない時だ。追われている。」と思いました。

穏やかに仕事をするということは、業種によっては難しいことだと思います。
緊張感や責任感などで、ある意味の興奮状態になります。
私の場合はそのように感じました。

私は、今は社会で評価を得たいとは思いません。お金もたくさん欲しいとは思いません。でも、食べていくためには稼がないといけないので、バランスをとる練習をしていきます。

仕事をしている時とそうでない時の気持の切替を早くするようにしています。
そして、いつでも穏やかでいることを大切にしています。
穏やかな生活をしていると、興奮状態(刺激的)の時が嫌になり、疲れてきます。
これが普通なのだと思います。この感覚を思い出せたことに心から幸せを感じます。

みやびの成長 ⑫

2008-02-12 09:45:14 | みやびの成長 ( 親になるために )
こだわらないことは何なのかと頭で考えてそのことにまたとらわれているというアドバイスから、また数々のことがスッキリとしてきました。

その時、自分の立場である、母、妻という役目から、
母親らしく、妻らしくあるということも教わりました。

さっぱりわかりませんでした。

今までの概念がこの社会での相対評価と自分の経験よりつくられた価値観だけで作り上げていたものだったので、それが崩れた今は、まったくわかりません。

主人にまたまた聞きました。

「母親らしく、妻らしくって何?」
私が言ったのは、
「ご飯を作るとか、洗濯するとか・・・?」
すると
「それは形からでしょ」
と言われました。

う~ん。
そして、自分がひっかかっていたことがわかりました。
ある意味あいまいな日本語がわからないでいました。

そして例えば、
「それは赤だよ」と言われても、「赤とは何?」かと私は知りたい。
母親らしくとは?何を言っているのかわからない。

「母親らしく」とは目に見えないものですから、そんな定義などありません。
私は頭で理解しようとしていると言われましたが、その時は「???」でした。
自分が頭を使っていないと思っていたのです。でも、目に見えないものを定義もしくは、こうあるべきととらえようとするのは、やっぱり頭での思考だと気づきました。
インターネットで「母親=産んだ人」という事実関係の母親とは違う意味を調べました。
ここまでくると頭がいちゃっています。でも知りたかった。
私は宗教・哲学の表現なども調べました。
でも、そこに母親らしくの本当の姿が書いてあるわけではありませんでした。

私がひっかかり、わからなかったのは、子どもを産んだということで、母親になる。それは絶対変らない事実、関係である。
では、「母親らしく」の「らしく」とは何を示しているのだろう?と思いました。
何そんなこと?と言われても、私は気になっていました。

母親らしく=母親の「役割」、「立場」としてとらえると、やっぱり末端をみれば、「家事などを1つ1つ大切に積み重ねていくこと」だと思います。
その1つ1つの作業に対する心についてはここでは書きません。

しばらく、主人へと質問していました。
ようやく主人が私がわからないところを上手く表現できないでいることに気づいてくれて、教えてくれました。

「りんごとは何と調べたって、りんごという言葉とその実物を自分でみたりしないと一致しないでしょう。そのことを高橋先生は、周りの親や動物、自然をみて学びなさいとおしゃっていたんだよ」と。

すーーーっきり、しました。

私は、今まで自分の経験、価値観や、社会の平均的なものとらえ、私自身の概念で「母親らしく」というものをとらえていました。
それは、人間の社会のごく一部の母親をとらえて自分が頭で考えたものだと思います。
でも、それが正しいとは限らない。

自然(動植物、他人)から学ぶということは、母性を学ぶように、自然には子を産んだ母がもつ感情や行動などが日々の生活のなかでみることができます。
そこをみて学ぶということでした。
ですから、母親らしくの本当の答えのようなものは、人間を含むあらゆるものから自分が学びとることができるということだと知りました。

今、育児本が流行っています。雑誌やテキストに書いてあるのが答えだと思いがちです。
「理想となる母親らしく」が書いてあると思っている方が私のようにいるのかもしれませんね。
でも、ヒントにはなるかも知れませんが、私達は生きている中で、本来そのようなことを自然、人間との交わりから学び取るのが、本当の意味での学びなのではないかとようやく気づきました。
学校を卒業してもらう称号が勉強した証ではないことをやっと知りました。
だから、大学を出ても、大切なことは身になっていないのです。
人生、すべてが勉強とは、学びとるべき重要なことは、本に書いてあるのではなく、私のまわりにたくさんあるということだと気づきました。
自然の流れにそっているですから、答えは自然にあるということにやっといきつきました。

妻らしくとは、これは動物世界ではあまり理想にしたいと思えるようなものはありません。でも役割分担という意味などで、これも学べるものもあります。

仏教での「母親」を調べていったとき、参考になる文章を見つけました。

本当の「親」とは、子どもへの願いをもつ前に「自らが、この子にふさわしい親であることを願う」ものなのです。

寛希にふさわしい母親、主人にふさわしい妻であるための学びを自分なりに楽しんでいこうと思います。

みやびの成長 ⑪

2008-02-11 04:01:44 | みやびの成長 ( 親になるために )
今回は1冊の書籍から学んだことを少し書きたいと思います。

『素直な心になるために』 著者 松下 幸之助

この書籍の中に、素直な心の内容十ヶ条が書いてありました。

・私心にとらわれない(私利私欲にとらわれない心)

・耳を傾ける(誰に対しても何事にも謙虚に耳を傾ける心)

・寛容(万物万人をいっさいをゆるしいれる広い寛容の心)

・実相が見える(ありのままの姿、本当の姿が見える心)

・道理を知る(広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心)

・すべてに学ぶ心(すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何かの教えを得ようとする謙虚さをもった心)

・融通無碍(自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処をしてゆくことができる融通無碍の働きのある心)

・平常心(どんな物事に対しても、平常、冷静にしてゆくことのできる心)

・価値を知る(よいものはよいものと認識し、価値を正しく認めることのできる心)

・広い愛の心(人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる
心) 

そのほかに素直な心の効用、素直な心を養うための実践などが書かれています。

たくさん参考になることが書いてありとても勉強になりました。
つつしむということ、できないという選択肢については私に足りないポイント的なものでした。

私は自分を正しく理解して欲しいと思う気持が強かったように感じます。
いつでも正しく評価して欲しいと思っていました。
しかし、考え方、思想、気持など他人が自分をどのようにとらえ、思っても、それはどうでも良いことなのだと学びました。

他人の目が気になるというのは、自分を正しくわかってもらいたいという想い、欲からくるものだとわかりました。
正しくわかってもらいたいと思う気持が怒りや憎しみなどにつながるというのは、悲しいことです。
他人の心はその人の状況によってもだいぶ変るものです。

また、つつしむということもそうです。
私は、自分を正しく理解して欲しいと思うあまり、つつしむことを忘れていたように思います。

そして、今回読んだ私にとてもひびいたのは、「できない」という選択肢についてでした。
私には選択肢の中に「できない」という選択肢があまりありませんでした。
とりあえずがんばる。
力量に合わず、できないような課題を自らつくることもありました。
また時には都合よく「逃げる」という選択肢もありました。
でも、人に「できない」と言うことが本当に苦手でした。

そのことにより、私自身に無理がかさなり、「やりたいからやっていること」が、いつしか「やってあげている」「私がやらなくてはいけない」というマイナスな方向へともすすんでいました。
私に「できない」という選択肢をつくることは、とても重要なことでした。
自分が無理して行うことは、自然の流れにそむいていることだとも気づきました。
私は「できない」という選択肢を正しくつかうように心がけています。
そうすることで、毎日が穏やかに流れていくことに気がつきました。

「自分らしく」この言葉は『快癒力』という書籍でも書かれていました。
「自分らしく生きる」これができていないと、病気となってお知らせがくるそうです。

最近ありがたいことに、これが自分(みやび)らしいなという部分が徐々にわかり始めています。大体、家族やご縁がある方々との会話の中で気づくことが多いです。

昔、自分はどれが本当の自分なのだろうかと思った時期がありました。
大学時代の友人に私は「カメレオン的」 と言われたことがあります。
その友人は私がどんな人と今付き合っているか(人間関係全般)わかるというのです。でもしばらく話していると私が変わっていないとわかり安心するそうです。
上手い表現だと思いました。

自分らしさを私は失っていたのかどうかはわかりません。

以前読んだ書籍で、誰しも心には棒が1本ある。その棒はストレスなどによって煙がかかり見えなくなってしまうこともある。でも見えない状況でも、絶対誰でも1本の棒があることはかわらない。という内容を読んで勉強したことがあります。その書籍は自閉症の人をケアするひとのための本です。この中でいう棒とは「自分らしさ」という部分だと思います。
どんなに煙がかかっていても、自分らしさは必ずある。

そう考えると、煙を発生させるものを無くせば、いつしか棒ははっきりと見えるということだと思います。

寛希には私のように自分がどれが本心の自分かわからないなんてことのない、寛希らしい生き方をずっとして欲しいと思います。

この『素直な心になるために』は読んだ時々によって、心に響く場所が変ってくると思います。
また読みたいと思います。



みやびの成長  ⑩

2008-02-10 15:18:52 | みやびの成長 ( 親になるために )
私は寛希を治したいと強く思っていました。
普通の子どものようになって欲しいと思っていました。
それは、私の立場を守るためからの欲、思いでもあったことは以前のブログでも書きました。
量子論などを勉強して不思議な感覚を楽しんでいる私ですが、ここにきていろいろと自分の思いが変化しています。

寛希は今でも十分楽しいことがわかりました。
かわいそうだと思っているのは、私が自分の概念にとらわれているからでした。
確かに不便もたくさんあるかと思います。でも、寛希は十分自分の与えられている毎日を純粋に楽しんでいます。

寛希の母親である私は、ただ単に今までの経験や知識によってとらわれ、かわいそうだと決めつけていました。
そのことを気づいたとき、私は、寛希らしく生きていってくれればそれで良いのだとも気づくことができました。
ただ、寛希らしく生きるためには、インディゴが弱い立場であることは、今の社会では事実です。
寛希らしく生きられるために守り、策を講じなくてはいけません。

現代健康研究所で私の書く寛希の問診表を見たことがあるお母さんがいらっしゃると思います。
どんなことを書いていたかといいますと、

・落ち着きがない。多動
・かんしゃくをおこす
・奇声をあげる
・こだわりが強い
・左目(弱視)
・言語識別機能に問題あり
・鼻炎・鼻づまり
・扁桃腺が腫れていて気道が狭く酸欠
・背中、足のかぶれ・カサカサ肌
・歯軋り

こんなに書いていました。
全ての症状、気づいたことを書いていたのです。
全てを報告しなくてはいけないと思っていたのです。

でも、これらの症状は末端の症状です。
問題はこれらの末端の症状にはありません。
脳だというかもしれません。確かにそうです。
でも、本当はなぜ脳なのかという問題になります。
インディゴの子どもをさずかった理由は、追求することはやめ、これからをどう生きていくかが重要になります。

大人の病気の場合は、なぜその病気になったのかを心に問う必要があります。

話を戻し、高橋先生にたくさん書くのは欲だという話をうかがいました。
たくさん書く人は、その症状がなくなっても、他のことが気になりまた書く。
もっと、もっとと次々とそうゆう人は言うとうかがいました。

私はその時、まだ末端の目に見えることにとらわれていたので、正直「親心」じゃないの?とも思いました。

でも、そうです。「欲」でした。貪欲でした。
そんな頭が良くて、何でもよく聞いて、社交的でという何でもできる人に我が子をしようとするのは、「欲」でした。
自分が親にそうあってほしいと望まれて、嫌だと思った経験が誰でもあると思います。
私もその一人でした。

私は寛希に寛希らしく生きていって欲しいと今まで以上に思いました。
それ以外ありません。

最近読んだ書籍に「病気は自分らしく生きていないというお知らせである」という内容がかいてありました。

人は地球の一部分であり、宇宙の一部分であります。
人間はどう科学で創造主である神様に近づこうとしても、所詮手の中にいる孫悟空です。
全ては朝がきて夜がくるように、人の一生も流れにそっています。

今、寛希がこの先どうなるかはわかりません。
親である私たちは、寛希らしく生きていけるように策を講じ、願っているだけです。
毎回の治療を必死で受けていましたが、最近ではそれにも強いおもいはありません。治療中布団から逃げ出そうが、「そうゆう日もあるね~」ぐらいです。
寛希が自分らしく生きられるように最善をつくす。この目標を私が見失わなければ、宇宙の流れにそって、なるようになると思います。
その結果はどうなるかわかりません。
でも、自分の人生もそうでなかったですか?

神様に与えられた自分の役割を大切に、日々精一杯大切に生きる。
その役割が何なのか、私は今はまだわかっていません。
でも、いつかそれに気づくこともできるかもしれないと楽しみにしています。

結局、今まで私が必死になっていたのは、地球の一部分であることを忘れ、自然との調和とかけ離れ、人間社会に限った、愚かな人間の競争社会で勝ち抜くことでした。
私は人間ですが、地球の一部分です。
法律は人間の都合よく時代によって、その時の支配者によって変更されますが、宇宙の法則(重力など)は人間が変更することができないものです。
ですから、人はそのままを受け入れて生きています。

最近、新型インフルエンザの特集がテレビで放送されています。
現代健康研究所でも多くのことを研究されています。
厚生労働省のホームページも個人でできることという内容ではかなり緊迫した状況を想像できるのではと思います。

致死率61%以上の新型インフルエンザにかかって生き延びても、食糧自給率の39%の日本は食糧難で大変な状況となるでしょう。(戦後の食糧自給率が70%あったそうです。)
そして、エネルギー自給率は今では4%です。世界で同時に大流行になったとき、自国を支えることに必死な外国が、日本に食糧やエネルギーを売ってくれるようなことはまずないと思います。

そんな状況がすぐそばにきています。

もうじきくる大変化の時代に、今の人間が作り上げた概念が崩れることでしょう。

私達家族は、みんなが自分らしく、自然と調和できるように、楽しく生きていきたいと思います。
そうなるように私ができることを一つ一つやっていこうと思います。

みやびの成長 ⑨

2008-02-10 11:54:41 | みやびの成長 ( 親になるために )
年始早々、久しぶりにひどい胃炎になりました。
年末からいろいろと考えてしまっていたため、かなりの精神的ストレスがたまっていました。
年が明け、最初の土曜日に治療をうけ、その帰りの車で気分が悪くなりました。(治療により、いらないものがでてきてくれたのだと思います。)
吐き気と胃痛と寒気で九の字になっていました。
家に着き、すぐに横になりました。

私は中学生のころから定期的にきつい胃炎になり、夜通し吐き続け、脱水になり、点滴をうけるということがありました。現代健康研究所でお世話になるようになって、初めて1年間胃薬を飲まずにいられたというぐらいです。
今回は、久々でした。
胃炎ごときで大げさなと言われそうですが、前回の胃炎では、医師から無理しないで早めに救急車で来てくださいと入院を勧められるぐらいきつい胃炎だったりしました。

今回は、同居している母が出かけていましたので、主人は「大丈夫?病院行く?でも、今日は行くなら一人だよ、または、救急車だね。」と。
私も寛希を夜中の病院には連れて行きたくないので、なんとか朝までのりきらないとなぁ・・・と思いました。でも、そんな中でもキツイけど大丈夫そうかなぁ・・・とも思いました。
夜中になって、ますます身体が痛く、寒気と吐き気が強くなっていきました。
主人は、いろいろと優しく看病してくれました。

私はふと、以前ひどい胃炎で、母や姉が夜中まで看病してくれたことを思い出しました。

今回は母が不在だったのもあって、「あぁ・・・お母さんがでかけてなかったらなぁ・・・」と思いました。
すると、「お母さんはお母さん自身が具合の悪いとき、さみしいだろうなぁ・・・」とふ~っと思いました。

寛希が10ヶ月の時に私の母は病気で入院しました。病院への付き添いなどできる限りのことをしました。でも、心がともなっていませんでした。
娘としてやるべきことをやっているという思いがほとんどでした。
当時、姉がウツで不安定なのもあり、「私だけなんで忙しいんだ!」と思っていました。
病気で具合のわるい母をいたわる心ではありませんでした。

つい数ヶ月前かかったインフルエンザの時もご飯を作ったり、看病はしていましたが、正直いたわりの心がともなっていませんでした。

そうあれこれ思っていたら、徹夜で私のそばにいてくれて、ご飯を食べる時間もつくらせないほどに、私は母を呼んで、背中をさすってもらったりしたときのことが急にたくさん思い出されてきました。
それらはすべて、「母親の無償の愛」だったということに気づきました。

主人は夜通し吐き続けて苦しむという予想のもと、夜中にネットサーフィンをしながら私の隣で起きていてくれました。

主人に聞きました。
「こうやって看病してくれるでしょう。どんなこと思う?」
「病気に対してかわいそうとは思わない。なんにも思わない。」と言っていました。

私は母に本当に申し訳ないことをしていました。
同居が始まってから、ずっと面倒をみてやっているというなんとも横柄な気持が心の底にありました。

面倒をみてもらっていたのは、私でした。

このことに気づいたとき、涙が止まりませんでした。
布団の中で泣いている私を、寛希はうれしそうに笑ってみていました。

私は、小さいときから独立心が強く、両親に感謝する気持などありませんでした。
父に関しては、私は小学校のときから、姉のように学校でトップを争うような優秀な子ではなかったので、期待はされていないなぁと感じていました。それを感じていたためかいつか見返してやると思っていました。

でも、これは私自身の勝手な感情による記憶です。
自分も親になって寛希を育てていて気づきました。
子どもに幸せになってもらいたいと思う気持はどの親も同じだと思います。
ただ、人生で何が重要なのかという視点の違いだけだと思います。

私は何の不自由なく、何でも良いものを与えてもらい、多くのことを身につけられるようにと習わせてもらったり、いろいろなところに連れて行ってもらいました。
高校時代には本当にいろいろと心配をかけました。
相当な心配をかけていたと思います。

父からも母からもたくさんの愛情を受けて育ててもらったことに気づけることができました。

あれこれ考えてストレスを勝手に貯め込んでいた時、寛希は私のそばで寝ないで、「パパと寝る」といっていました。私が胃炎で泣いたその時から、いつものように寛希は私のそばで寝るようになりました。

今まで、ある意味自分らしく生きていませんでした。
それにより多くのストレスをため込んでいました。

でも、私も自分らしく生きていた部分は多少あります。
根底ではやっぱり自分らしく生きていたと思います。
自分がやりたいからやっていることに気づかず、しょうがないからやってあげているような思いが増していき、小さな不平、不満につながっていったように思います。

しかし、その環境や物事に取り組むという選択肢を選んだのは自分です。
自分らしく生きていた部分では、頭で考えたのではなく、多くが無意識でした。
ですから、それはやっぱり自分がやりたいからやっていたのだと思います。

私は思うがままに、理由は後付で結構自分らしくやらせてもらってきています。
その事実を私は忘れていました。

自分の心次第で全ては変るということに気づきました。
寛希をさずかり、素敵なご縁を頂き、「親の無償の愛」、何が大切なのかを学ぶことができてとっても幸せです。

みやびの成長 ⑧

2008-02-09 02:11:52 | みやびの成長 ( 親になるために )
量子論の続きを少し書きます。

あると思えばあり、ないと思えばない。
見ようとすればみえ、見ないようにすればみえない。

すべて気持しだいということです。

私達は多くのことにこだわり、とらわれています。

私は子供の時から、何のために生きているんだろうとずっと思っていました。
動物という視点でとらえるなら雌だから生物学的には子どもを産む?
人間と動物って違うなぁ。人間には理性があるなぁ・・・。とブツブツ大学時代はとくに考えていました。

主人に当時「なんで人間は生きているんだと思う?」と質問したこともありました。
主人の答えはだいたい「わからない」こう返ってきました。
時には「その答えを知るために生きているんじゃん」とも返ってきました。

でも、ようやくその答えに気づくことができました。
「人は魂を向上させるために生きています。」

小さい時、あまり読書は好きでありませんでしたが、ブッタ、キリストなどの伝記などは読みました。
でもずーっとわからないで、モンモンと考えていました。

すべての魂は輪廻転生しています。
宗教用語、特に仏教用語として有名ですが、輪廻転生はしているそうです。
私はそのことを信じています。宗教的教えととらえるのでなく、科学的にもそう考えることができると思います。

「子育ては○(円)だから」という言葉をみなさんどこかで聞いたことがあるかと思います。
地球上では物質は○という状態が一番安定している状態です。
正確に言えば、円ではなくて球体だと思います。

それと同じように全てのものは○のようにめぐりめぐっている。
流動的であるということです。

大学時代に書いたシュレディンガーの伝記の感想文で、教授が「流動的に」という言葉にラインを引いて「very good!」と書いてくれました。
その当時良くわかっていませんでしたが、やっとわかりました。
そうなんですね。そう、流動的!

自分の人生が生まれて、死んでいくという1方向への一本線というのは、自然のながれからしてもあまりにも2次元的過ぎで不自然だと思います。

人間は「死ぬために生きている」とも教わりました。
死んだ後にいく世界がより良いところへ行く(帰る)ために肉体をもつ人間であるとき、一日一日を大切に生きることが重要なのだと思います。

宗教的で変な人だと思われるかもしれませんが、私は別に宗教家ではありません。
真実が知りたいだけです。

私は、勉強していきたいと思います。
学校で教わる学問ができるからと、すばらしい人生であるわけではありません。
学校とつく、権威がある人の言っていることが全て正しいわけではありません。

私は、今自分が崩れています。
今までの自分の経験により出来上がった1方向からみた概念により、かなりの自信家となっていました。
それをきっと初めて壊された状態だと思います。

親からの独立心が強く、19歳の時から働きながら大学に通って、それなりにいわゆる中庸(でも平均より上)の人生を目指しやってきた結果、自信がありました。
それが、いつしか正論を押し付けるということにつながっていったように思います。

私の今までの概念は、私がみてきた世間の平均値のようなものでした。
今、それが全部こわれ、いろんなことがさっぱりわからないというのが現状です。

これを悲観はしていません。幸せなことだと思っています。
変な表現ですが、苦しい中に、たくさんの希望があるという感じです。
まだまだ私は30歳前半。 知らないことがたくさんです。
今までは、わかったつもりだったのだと思います。
人生最後まで勉強していきたいと思います。

正論はその場を荒らすそうです。
正論はその問題を解決する上での正しい選択肢ではないそうです。

「平和的な解決=正論 ではない」

このことを学んだ私の人生は数百倍も穏やかになりました。
自分の家族、私の周りの人に謝らなくてはと深く反省しました。