みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ⑨

2008-02-10 11:54:41 | みやびの成長 ( 親になるために )
年始早々、久しぶりにひどい胃炎になりました。
年末からいろいろと考えてしまっていたため、かなりの精神的ストレスがたまっていました。
年が明け、最初の土曜日に治療をうけ、その帰りの車で気分が悪くなりました。(治療により、いらないものがでてきてくれたのだと思います。)
吐き気と胃痛と寒気で九の字になっていました。
家に着き、すぐに横になりました。

私は中学生のころから定期的にきつい胃炎になり、夜通し吐き続け、脱水になり、点滴をうけるということがありました。現代健康研究所でお世話になるようになって、初めて1年間胃薬を飲まずにいられたというぐらいです。
今回は、久々でした。
胃炎ごときで大げさなと言われそうですが、前回の胃炎では、医師から無理しないで早めに救急車で来てくださいと入院を勧められるぐらいきつい胃炎だったりしました。

今回は、同居している母が出かけていましたので、主人は「大丈夫?病院行く?でも、今日は行くなら一人だよ、または、救急車だね。」と。
私も寛希を夜中の病院には連れて行きたくないので、なんとか朝までのりきらないとなぁ・・・と思いました。でも、そんな中でもキツイけど大丈夫そうかなぁ・・・とも思いました。
夜中になって、ますます身体が痛く、寒気と吐き気が強くなっていきました。
主人は、いろいろと優しく看病してくれました。

私はふと、以前ひどい胃炎で、母や姉が夜中まで看病してくれたことを思い出しました。

今回は母が不在だったのもあって、「あぁ・・・お母さんがでかけてなかったらなぁ・・・」と思いました。
すると、「お母さんはお母さん自身が具合の悪いとき、さみしいだろうなぁ・・・」とふ~っと思いました。

寛希が10ヶ月の時に私の母は病気で入院しました。病院への付き添いなどできる限りのことをしました。でも、心がともなっていませんでした。
娘としてやるべきことをやっているという思いがほとんどでした。
当時、姉がウツで不安定なのもあり、「私だけなんで忙しいんだ!」と思っていました。
病気で具合のわるい母をいたわる心ではありませんでした。

つい数ヶ月前かかったインフルエンザの時もご飯を作ったり、看病はしていましたが、正直いたわりの心がともなっていませんでした。

そうあれこれ思っていたら、徹夜で私のそばにいてくれて、ご飯を食べる時間もつくらせないほどに、私は母を呼んで、背中をさすってもらったりしたときのことが急にたくさん思い出されてきました。
それらはすべて、「母親の無償の愛」だったということに気づきました。

主人は夜通し吐き続けて苦しむという予想のもと、夜中にネットサーフィンをしながら私の隣で起きていてくれました。

主人に聞きました。
「こうやって看病してくれるでしょう。どんなこと思う?」
「病気に対してかわいそうとは思わない。なんにも思わない。」と言っていました。

私は母に本当に申し訳ないことをしていました。
同居が始まってから、ずっと面倒をみてやっているというなんとも横柄な気持が心の底にありました。

面倒をみてもらっていたのは、私でした。

このことに気づいたとき、涙が止まりませんでした。
布団の中で泣いている私を、寛希はうれしそうに笑ってみていました。

私は、小さいときから独立心が強く、両親に感謝する気持などありませんでした。
父に関しては、私は小学校のときから、姉のように学校でトップを争うような優秀な子ではなかったので、期待はされていないなぁと感じていました。それを感じていたためかいつか見返してやると思っていました。

でも、これは私自身の勝手な感情による記憶です。
自分も親になって寛希を育てていて気づきました。
子どもに幸せになってもらいたいと思う気持はどの親も同じだと思います。
ただ、人生で何が重要なのかという視点の違いだけだと思います。

私は何の不自由なく、何でも良いものを与えてもらい、多くのことを身につけられるようにと習わせてもらったり、いろいろなところに連れて行ってもらいました。
高校時代には本当にいろいろと心配をかけました。
相当な心配をかけていたと思います。

父からも母からもたくさんの愛情を受けて育ててもらったことに気づけることができました。

あれこれ考えてストレスを勝手に貯め込んでいた時、寛希は私のそばで寝ないで、「パパと寝る」といっていました。私が胃炎で泣いたその時から、いつものように寛希は私のそばで寝るようになりました。

今まで、ある意味自分らしく生きていませんでした。
それにより多くのストレスをため込んでいました。

でも、私も自分らしく生きていた部分は多少あります。
根底ではやっぱり自分らしく生きていたと思います。
自分がやりたいからやっていることに気づかず、しょうがないからやってあげているような思いが増していき、小さな不平、不満につながっていったように思います。

しかし、その環境や物事に取り組むという選択肢を選んだのは自分です。
自分らしく生きていた部分では、頭で考えたのではなく、多くが無意識でした。
ですから、それはやっぱり自分がやりたいからやっていたのだと思います。

私は思うがままに、理由は後付で結構自分らしくやらせてもらってきています。
その事実を私は忘れていました。

自分の心次第で全ては変るということに気づきました。
寛希をさずかり、素敵なご縁を頂き、「親の無償の愛」、何が大切なのかを学ぶことができてとっても幸せです。