熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

死せる神と新しい夢、そして夢見るものたち

2005年02月24日 | Wolfe
『探偵、夢を解く』、当初思った以上に引っ張ってしまっている。
最初はなんだかわからないけれど、取っ掛かりができるとだんだんと
形が見えてくるのは、いかにもウルフ作品らしい。
(こういう読み方は『ショウガパンの館にて』で身につけた気がする。)

しかも作中でそれなりに手がかりらしきものを置いてあるあたり、
まったく人を食った作家だと思う。さすがはウルフの名の持ち主。

さて、ホームズとプルーストについての重大な共通点がもうひとつあるのを
見落としていた。どちらも阿片中毒者だったのだ。
とすると、この物語は「阿片中毒者の薬物トリップによる推理物語」の
側面を持っているようにも思われる。

さらに、この「阿片」という要素は、かつてマルクスが唱えた
「宗教は民衆の阿片である」という有名な言葉へと結びつく。
阿片中毒の探偵と、宗教という阿片にまどろむ人々。
夢を見ているのは、果たしてどちらなのか?

そして捜査の中で見え隠れする、新世紀の新たなる神としての「資本」の存在と、
最後に探偵がたどりついた、「夢の主」の正体。
かくして古き夢は滅び、新しい夢が始まる…という読み方も可能ではないだろうか。
この作品は、世界の価値観が大きく転換する「その時」を、文学にまつわる
衒学趣味を散りばめて隠喩たっぷりに描き出した作品のように思う。

西欧文明はこれまでも何度となく自らの神を滅ぼし、新たな神を崇めてきた。
その繰り返しこそがヨーロッパの歴史そのものだということを、この作品は
再確認させてくれる。
まさに「歴史は繰り返す」のだ。
もちろん、それは別にヨーロッパに限ったことではないのだが。

さらに言えば、その価値観すらもかりそめの「夢」にすぎないのかも知れないのだ。