Live日記(仮)

音楽などにまつわること
(自分のメモということで、ご容赦ください。
かなり後で書いている上に、追記・変更してます。)

あたしの嫌いな私の声

2010年10月25日 | 
成井豊

この日読了。

お芝居にするつもりはなく
自由に書いたという小説。
「舞台化は絶対無理!」と言いつつ
結局舞台化された。
私は2008年に見た。
(『嵐になるまで待って』)

「小説の方が、舞台より
波多野の内面が詳しく描かれている」と
どこかで読んだような気がするけど
今、『嵐~』の無料パンフレットとチラシを見たけど
載ってなかった
子供時代のエピソードも色々書かれてるので
確かにそうだろうけど

大きな違いとしては
波多野の死因とか、高杉が本当に死んでしまったりとか
小説の方がよりショッキングというか。
やっぱり舞台の方がマイルドにしてある(?)
確かに焼死は舞台化は難しい
(舞台では、の先で
死ぬほど刺せるのか?と思ったけど

死因だけでなく
波多野がやむを得ず死ぬのから
(でも「笑った」とのことだから
死を受け入れたのか諦めだったのか)
自殺に変わったという点も
波多野の心情の表現がかなり変わったということ?
(見る方の受け止め方は違うと思う。
自殺だと、波多野は悔いてはいないかもしれないけど
「もうこれまでだ」と、自分の人生には
自分で幕を引きたかったのかもしれないし)

地の文や幸吉君が呼ぶ時は
「ユーリ」だけど
滝島さんは「友里」で
それが本名なのねと。
表記が違うのは、ユーリとの関係性を
表しているのだろう。
お芝居だったら人の声の調子で表すんだろうけど
文章は文字の種類を使い分けてるのかな。

波多野は雪絵をものすごく大切にしてるけど
守るために手段を選ばないみたいなのは
愛される方も重荷じゃないのかな~?

滝島さんが女→男になってるなとかは覚えてたけど
細かいところでは
クジラの飾り(ブローチみたいな?)
→イルカのペンダントだったのね
小説ではユーリの服装はかなりボーイッシュとのことだったけど
舞台ではそうでもなかった(女の子っぽい)気がするし
「イルカのペンダント」の方がロマンチックだよね


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